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香子が付き合うことになっていたバスケ部の先輩が、元カノによって校内で殺害された。
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現場にいた部員の話を聞くと、元カノは先輩に強引に差し入れを食べさせた後、隠し持っていたナイフで腹部を刺したという。
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「これで先輩は私のことを好きになってくれる」
彼女は半狂乱でそんなことを叫んでいたらしい。
倒れ伏した先輩も、何事か呟いてから意識を失ったそうだ。
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きっと彼はその時、自分のことを刺した元カノに対して、愛を囁いていたに違いない。
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元カノの言動から、キューピッドに絡む出来事だと予想は付いた。
そして、その裏に真理の存在があったであろうことも。
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真理ーー。
私がクラスでの安寧を得るために、裏切ってしまった友人。
この事件は彼女なりの私への報復なのだろうか。
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私はといえば、事件後、別にクラスのグループで孤立しているということはない。
香子の恋愛の成就に手を貸しこそすれ、その後の事件に私の関与が疑われるわけもなかったからだ。
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そして、香子は実はそれほど悲しんでいないことも私は知っている。
先輩への恋は、彼女にしてみればファッションに近い感覚だったのだろう。
自分自身を高揚させるための。周りに対して装おうための。
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ああ、真理はまだ私を許していないだろうか。
真理、真理。
彼女は最近休みがちになり、出席しても教室では話しかけられていない。
私のモヤモヤとした気持ちは日毎に増していった。
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…………
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…………
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私は今、放課後の生物準備室の前にいる。
わずかに逡巡した後、思い切って扉を開ける。
電気も点けず薄暗い教室に、実験机に仰向けで寝転がっている真理の姿があった。
そして、彼女の周りの空間には、まるで蛍のような淡い光が無数に浮かんでいた。
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「真理……。これって……」
真理は腹筋を使ってゆっくりと上体を起こす。
「やーっと来たねぇ。
ああ、これ?キレイでしょ?繁殖したキューピッドを離してるんだ。ある程度の群れになると、こいつらは個体同士コミュニケーションを取るためか、発光するんだよ」
気だるげに言う。
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「それはさておき、随分と御無沙汰だったじゃないか。ずっとここに来ないし、教室でも話しかけてこないし」
「それは……その……、勝手にキューピッドを盗んで、元のグループに戻っちゃったから……」
「私はそんなの、別に気にしてなかったのに」
真理はやれやれと肩をすくめて見せた。
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「でも!バスケ部の先輩の彼女に、アンタ、キューピッドを渡したでしょ?それって……」
「ああ、それはたまたま彼女が私の友達で、相談に乗ったから。
刺激を与えろとは言ったけど、まさか刺すとはねぇ……。彼女にもキューピッドが寄生しちゃってたのかね?それとも自分を裏切ったことが、やっぱり許せなかったのか……」
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飄々と話す真理を見ていて、私は肩透かしを食った気分だった。安堵と、そして微かに怒りも湧いてきた。
怒り……?
私が彼女に怒る謂れはないのだが。
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「それより!」
真理は声を高める。
「私はここ最近、家にこもってキューピッドの生態を研究してたのよ。そしたら色々わかったよ。キューピッドのこともだけど、私自身のことも」
真理は立ち上がり、私に一歩近づく。
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「私ねぇ、奈緒に会わなかったこの期間、すっごい寂しかったんだ!気付けばキューピッドそっちのけで奈緒のこと考えてた。奈緒と一緒の放課後楽しかったんだな、奈緒の話面白かったんだなって」
さらに一歩。薄暗い教室。淡い光。真理の顔が迫る。
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「私、奈緒のことが好きみたい。奈緒は?」
私は混乱した。この堅物変態生物少女が恋愛をして、よりにもよって私を好きと言い出すとか。
ああ、でも私もここのところ寂しくて、それは真理と離れていたからで、放課後の二人の時間は楽しくて、真理の笑顔は大好きで……あれ?
胸が早鐘を叩いている。
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真理が真面目な顔でこちらを見つめている。
改めて見ると、真理は整った綺麗な顔立ちをしているのだ。性格に難があるだけで。
どうしちゃったんだろう、コイツ。
あ、私もか。こんなこと考えてるとか。
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真理の背後には、まるで蛍のようにキューピッドの光が舞っている。
ああ、キューピッドだ。
真理も、私も、キューピッドに寄生されてしまったのだ。
それはそうだよ、ここにはこれだけ無数にいるんだから。
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「あ、あの……私、」
「あ、ちょっと待って」
真理はそう言うと、ポケットからカッターを取り出して自分の人差し指の先を小さく切りつけた。
指先に血が浮かび、小さな玉になる。
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「奈緒、口開けて?」
「え?」
私は言われた通り口を開ける。
真理は人差し指をそっと私の口に含ませた。不思議と嫌ではなかった。
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「うん。じゃあ改めて。奈緒の気持ちは?」
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「…………私も、アンタが好き……、みたい」
私がおずおずとそう言うと、真理は優しく微笑み、
「よかった……」
とつぶやいた。
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そして、私たちは口づけを交わした。
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…………
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…………
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…………
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すっかり暗くなってしまった帰り道。
隣を歩く真理はいつも通り、寄生虫のことなんかを嬉々として話していて、私はやれやれと言いながらスマホを覗きつつ相づちを打つ。
しかし私たちの手はしっかりと結ばれていた。
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「でね、今回のキューピッドの発生は私が思うにーー」
真理が不意に言葉を切った。
どうしたのかと真理の方を向くと、彼女はまっすく前方を見つめている。
視線を追うと、私たちの目の前に黒ずくめの長身の男が、闇にまぎれて立っていた。
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「日下真理さん……だね?」
男はそう言った。
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その日が、私が真理を見た最後の日になった。
作者綿貫一
こんな噺を。