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その夜……
雨の音が煩くて、ジトジトした寝苦しい夜だったと聞いています。
シンは『身固め』の為、ジンとアキラに挟まれる形で横になったそうです。
アキラが回廊側、真ん中にシン、大婆のいる隣の部屋側にジン。
3人が行った『身固め』とは、対象者を特別な腕の組み方で抱き締めて護る方法です。
ピッタリとくっついた男3人は、さぞや暑苦しかった事でしょう。
ジンが冷房を18度に設定したと、笑っていました。
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異変は夜中の3時頃、奇妙な音から始まったそうです。
歌を歌う様な低い小さな声と、ザリィ……ザリィ……という板間で何かを引き摺る音。
目を閉じると、あの井戸の老婆が回廊を老人特有の足を引き摺る様な歩き方で、自分を捜す姿を想像してしまい、シンはガタガタと震えながら、布団の中で身を縮こまらせていたそうです。
雨の落ちる音……小さな声……そしてザリィ……ザリィ……という怪音……。
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恐怖に耐えられなくなったシンは、隣で寝ているアキラを起こそうと、その体にしがみ付いたそうですが、そこである違和感を感じたと云います。
剣道をやっていて、ガッシリとした筋肉に覆われている筈のアキラの体が、ぶにゃりと柔らかくシンの指がズブリと沈むほど、浮腫んでいたというのです。
思わず臥せていた瞼を上げて、アキラの顔を見詰めるシン。
その眼差しの直ぐ近くに、両目をカッと見開いたまま、寝息を発てているアキラの顔があったそうです。
スースーと寝息を吐きながら、焦点の合わない視線をシンの背後の闇に向けるアキラに、怯えたシンがビクリと体を震わせた時……アキラの後ろ、井戸に面する回廊から低く嗄れた声が聴こえてきたと云います。
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クレロクレロクレロクレロクレロクレロクレロクレロクレロクレロクレロクレロクレロ……
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隣の部屋からボソボソと聞こえていた、大婆の『祓えの祝詞』がハッキリと聞き取れるほど高らかになり、2人の老婆の声が攻めぎ合う様に世界を覆い尽くす中、シンは気が狂いそうだったと語りました。
恐怖と混乱で逃げ出しそうになるシン。
まだ幼いその心が限界を迎える寸前、シンを背後から抱き締めていたジンが突然、
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『やらんッッ!!!』
……と全ての音をかき消す怒声を上げたそうです。
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その途端、回廊と部屋とを隔てる障子が、『バンッッ!!』と悲鳴を上げたそうですが……その夜はそれを最後に、何事も無く終わり……いつの間にかシンも、深い眠りに落ちたと云います。
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翌朝……
あれだけの騒ぎがあったにも関わらず、アキラとジンに『1度も目を覚ます事無く、朝までグッスリだった』と言われたシン。
驚いたそうですが、それよりも更に驚いたのは、アキラの体の異変だったと云います。
アキラの体は全身が酷く浮腫み、特に顔に至っては誰だか分からない程の腫れ様だったそうです。
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アキラの母親は、他所から嫁いで来られた方でした。
その為、息子を土着の祭事に関わらせる事も反対していた様です。
息子の様子を伝え聞いた母親は、この時点でアキラを連れて帰りたいと大婆に申し出たそうですが、『1度儀式に参加した者は、7日の祓えが終わるまで役は降りられん!』と突っ張ねられたそうです。
2日目と3日目は、初日と変わらない夜だったと云います。
ただ……アキラの謎の浮腫みは、日を追う毎に酷くなっていき、アキラ自身も体を起こすのさへ辛そうな様子を見せる様になったそうです。
事件が起こったのは、4日目の夜……
深夜に目を覚ましたシンの目に、アキラの体越しに見えてはいけない光景が、飛び込んできたと云います。
雨に燻る回廊……閉め切ってある筈の障子が、開け放たれていたのです。
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暗闇の中に、ハッキリと井戸の姿が見て取れて、シンは戦慄したと云います。
あの老婆が入り込んで居るかもしれない……必死で室内を見渡すシン。
1度流し見た足元に何かの気配を感じて、恐る恐る目を向けると……
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オレンジ色の豆電球に照らされて、アキラの母が座っていたそうです。
何故か全裸のアキラ母は、口許にニタァとした笑みを浮かべ、その端からダラダラと涎を溢していた様です。
その目は左右別々の方向を向き、一目で異常だと分かる有り様だったと云います。
恐怖でガタガタと身を震わせるシン……その憐れな少年の足を掴み、アキラ母は身固めをするアキラとジンの間から、シンの体を引き摺り出したそうです。
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そうして、固まるシンをズルズルと引き摺りながら、回廊に出たアキラ母。
井戸に向けて何か叫ぶと、抵抗するシンの力を物ともせず、着ているパジャマのズボンと下着を強引に毟り取り、『ここじゃ、ここじゃ』と呟き始めたと云います。
両足首を掴まれ、逆さ吊り状態でもがくシンの耳に、歌う様な低い声と、ザァリ……ザァリ……という引き摺る音が聴こえてきたそうです。
逆さまの視界を、回廊に向けると………………
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井戸の老婆が足をピンと伸ばし、両手で体を支える……まるで鰐の様な姿で回廊を這い、体をくねらせながら自分に向かって来るのが見えたと云います。
あのザァリ……という音は、歩いていたのではなく、這いずり回る音だったのか……と頭の何処かで考えたというシン。
今度こそ、有らん限りの絶叫を上げたと云います。
しかし、絶叫虚しく目の前に辿り着いた老婆は、枯れ木の様な腕を広げて、シンの腰にぺチャリと抱き付き、がむしゃらに暴れるシンの下半身に頬ずりを始めたそうです。
目の前には、はだけられた老婆の下半身……自身のそれには老婆のカサカサの頬の感覚……
アキラ母と、老婆のゲラゲラという下品た笑いを聞きながら、シンの心は限界に近付いていたと云います。
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耐えられなくなったシンの耳に、大婆とジンの怒声……そしてアキラの悲痛な叫び声が届き………………シンの意識はプツンッと音を発てて、途切れたそうです。
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知らない部屋で、自分の身に起こった事も思い出せないまま、ボンヤリと目覚めたというシン。
体を動かそうとした拍子に軽くむせ、その咳を聞き付けた父とジンが、襖を開けて駆け付けてくてたそうです。
その後ろから、知らないおじさんが現れ、シンの背中を優しく擦ってくれたと云います。
聞けばそこは町外れの神社で、雨乞い神事が失敗した時の、緊急避難所になっているそうで……おじさんはそこの神主でした。
神主はシンに、とても落ち着いた口調で、事の流れを語ったそうです。
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曰く……この地方にはシンの家を含めて、雨乞い井戸が3つあった。
1つは山の上……もう1つは○○○という、シンの知らない家……そして、シンの家。
しかしシンの家の井戸以外は、神事の失敗があった為、既に塞いで現存していない。
何故なら、雨乞い神事の井戸は1度贄を与えると、際限無く贄を求める様になる。
だからシンの家の井戸……雨乞い神事の最後の井戸も、今回の事で塞がなくてはならない。
これで、雨乞い神事は出来なくなるが、仕方がない…………神主はそう言って、口を詰むんだそうです。
しかし、シンには疑問が浮かんだと云います。
井戸に贄を与えて……?
自分は贄になどなっていない……生きているのに、どうして贄を与えた事になるのか……?
その疑問を口にしつつ、父達を見ても父も兄も俯くばかりで答え様とせず、結果的にシンは又、神主を仰ぎ見たそうです。
暫し躊躇った後、神主は静かに口を開いたと云います。
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「井戸の中のモノを、送り返す為に……大婆様が井戸に身を投げたんだ…………昔、山の上の井戸を管理してた婆様や、○○○家のご隠居がやった様にね…………。」
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シンは驚きと衝撃に着いていけず、再び意識を手放して、倒れ込んだそうです。
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シンは結局、それから1週間程度神社でお世話になった後、肺炎を患い更に2週間を病院のベットで過ごしたそうです。
井戸に飛び込んだ大婆の事を、法的にどう処理したのか……大人達の間の事なので、分かりません。
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そしてアキラの母親について。
あの日、アキラの体調が悪そうだと夫から聞いた母親は、皆が寝静まったら様子を見に行って、あまり酷い様ならこっそり連れて帰って、病院へ行こうと夫に持ち掛けていたそうです。
しかし、夫に反対されたので、自分だけで実行しようとして禁を犯し、井戸の中のモノに憑かれたのではないか……というのが、親族達が出した結論の様です。
あれ以来、アキラの母親は長く病院にいた様ですが、アキラの家族が親戚付き合いを止めて何処かへ行ってしまった為、詳しいその後は分かりません。
アキラの浮腫みは、事件後1週間程で回復したと云います。
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シンの実家の井戸は、シンが退院して戻る頃には、すっかり塞がれていたそうです。
鳥居も撤去され、中庭には誰も入れない様に、庭木がびっしり植えられていたと云います。
井戸を塞がれた中のモノが、どうなったかは誰にも分かりません。
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最後に、シンの話をさせて頂きます。
シンの家族は事件後、親族に家屋を譲ると、遠く離れた現在の住まいに引っ越しをしました。
シンはこの事以降、酷いトラウマと霊感を抱える羽目になり、高校生になるまでEDに悩まされる事となりました。
女性に対して拭えない恐怖心を抱いているシンは、現在でも女性との距離がある程度、近付くと発汗と呼吸困難を引き起こし、パニック症状に陥ります。
ED克服に至ったのは、高校生の頃……『爆発的に素敵な(シン談)男性』に出会った事が、切っ掛けだそうです。
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僕の知る人の中で最も霊感が強く、ともすれば最も危うい魂を持つシン。
彼とは、様々な怪異と遭遇したのですが、それは又、別の機会にお話させて頂きたいと思います。
作者怪談師Lv.1
長い駄文を最後までお読み頂いて、有難うございます。
前半でご気分を害された方は、お読みにならない事を、お勧め致します。
◆Special thank you◆
・まりか様 背景(井戸)提供
本当に沢山の事をお助け頂きました。
まりか様、有難うございましたm(__)m
・修行者様
ご催促(笑)有難うございました。
楽しんで頂けると宜しいのですが……
前編
http://kowabana.jp/stories/26635?copy