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長編9
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鏡面世界からの侵略者

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ある日、鏡の中にもうひとつの世界があることが明らかになった。

鏡の中の世界――すなわち「鏡面世界」は、僕らのいるこの世界とまったく同じだけの広がりをもっており、同時にこの世界と共通の物質が存在することがわかっている。

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たとえば、鏡面世界には僕の家もあるし、通っている大学もあるし、よく行くコンビニもある。

僕自身もいれば、家族や友人、恋人といった、全く同じ人物も存在しているわけだ。

すべてが左右対称――鏡だけに――という点を除けばだ。

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この鏡面世界の存在が確認されたのは、つい先日のことだった。

きっかけはあるTV番組で、都庁の東京都知事の部屋を訪れた番組の撮影班が、彼女が部屋に「ふたり」いるところを目撃、生放送したのだった。

ひとりは本物の都知事。

もう一人は鏡面世界人だった。

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はじめはどちらが本物かわからず、駆けつけた警察はふたりとも拘束せざるを得なかった。

その後の調べで、「ほくろの位置」などから、ひとりを偽物と断定した。

この偽物の都知事への度重なる取り調べによって、鏡面世界の存在が明らかになったのである。

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本来ならこのような大発見は、政府が極秘のうちに処理していたことだろう。

ただ今回は、TVが大々的にふたりの都知事の姿を放送してしまっていた。

政府や、政府の命を受けたTV局は、その後しばらく必死にもみ消し――ひとりはそっくりさんの芸人だった、とか――を図ったが、ネットやSNSでの議論は沈静化せず、結局政府は公式に鏡面世界の存在を国民に発表することになった。

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捕らえられた鏡面世界人の証言を信じるなら、僕らの世界と鏡の中の世界とは、完全にリンクしているのだそうだ。

この法則によって、これまで「光を反射し像を映す」と考えられていた鏡に関する常識が、根本から崩れたことになる。

鏡とは二つの世界を隔てる、ただの透明な「壁」に過ぎなかったのだ。

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つまり、僕が鏡を覗いた際、僕の姿がそこに映るのは、鏡面世界の僕も全く同じタイミングで鏡を覗きたいと考えて行動するからであり、その後バンザイをしてみたり、鏡に向かってジャンケンしてみたり、変顔をしてみたりするのも、すべて示し合わせたように同じタイミングでふたり――僕と、鏡面世界の僕――が行動するために、あたかも鏡面が光を反射して像を結んでいたように我々は「錯覚」していたわけだ。

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この報道の後、怖くて鏡を覗けなくなった者や、額に絆創膏を貼るものが街にあふれた。

後者は果敢にも鏡の中に入ろうとして、おでこをぶつけた者たちだ。

偽都知事はニュースの報道と世間の反応を見て、鏡面世界でも現在、全く同じ騒動が起こっているはずだと述べた。

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さて、こうなってくると、この偽都知事のような存在とは、一体どのように定義されるのか。

彼女は自身のことを「イレギュラー」と呼んだ。

「なんらかのきっかけ」で、ふたつの世界のリンクが途切れてしまったため、それぞれがバラバラに動けるようになったのだ、と。

彼女が事態に気付いたきっかけは、その日、自宅でふと鏡を覗いたところ、そこに自分の姿が映っていないことを発見したことだった。

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彼女は驚き慌てた。

自分はどうしてしまったのか。

鏡に姿が映らないなんて、これでは幽霊か吸血鬼のようではないか。

そう思って、恐る恐る鏡の表面に手を伸ばした。

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shake

――スルッ

彼女の手のひらは何の抵抗もなく鏡の表面を通り抜けた。

そして勢い余って身体ごと飛び込んだ先が、僕らのこの世界。

彼女からして見れば、左右対称の奇妙な世界だった。

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しかし、「鏡面世界の」とはいえ流石は都知事、肝が据わっている。

迷い込んだ世界を勇敢にも偵察しようと考えたのだ。

そして、いなくなってしまった自分の半身、もうひとりの自分を探すために、真っ先に思いつく場所を目指した。

――都庁へ。

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もうひとつの東京の街は、実に奇妙であった。

よく知っている景色が左右反転している。

進むべき方向があべこべで、頭が混乱した。

方向を確認しようと無意識に目に留める看板の字がすべて鏡映しになっていることも、かえって混乱を招いた。

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それでもなんとかたどり着いた都庁の入り口。

もちろん、警備などは顔パスだ。

なんといっても都知事なのだから。鏡面世界のだけれど。

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そして「あれ?さっきまで部屋の中にいませんでした?」と不思議がる秘書の目の前を通り過ぎ、都知事の執務室へ。

奥のデスクには山と積まれた書類に目を通す、もう一人の彼女の姿が。

「――誰?もう取材の時間?」

そう言って顔を上げた彼女は、訪問者の顔を見て一度固まり、頭を振って深呼吸した後、落ち着いてゆっくり眼鏡を取り出して顔にかけ、今度こそじっくり訪問者を見て、ニッコリと微笑むと、

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shake

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」

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都庁が震えるほどの悲鳴を上げた。

それはそうだろう。何の気持ちの準備もなかったのだから。

彼女にしてみれば、まさに「ドッペルゲンガー」に出逢ったようなもの。

そんな驚きの現場に、タイミング良くなのか折悪くなのか、TVの撮影班が到着したのだった。

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――と、まあ。

ここ最近世間を驚かせた出来事を語ってきたものの、この僕、加賀美(かがみ)圭一にしてみれば、さしたることでもなかった。

「イレギュラー」は極々稀にしか発生しないことがわかったため、「僕らの世界が鏡面世界人に乗っ取られる!」とかいうハリウッド映画のような展開にはならなそうだったし、僕自身、もっと大きな問題に直面していたためでもある。

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すなわち、恋人の佐々木美羅(みら)と、別れるか別れないかの瀬戸際だったのだ。

若者にしてみれば、たとえ明日世界が滅びようが、色恋沙汰の方が大問題なのだ。

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別れ話になったきっかけはもう覚えていない。

「納豆定食を食べた直後に、僕が彼女にキスをしようとした」とか「彼女がデートに着てきた卸したてのワンピースに、僕が納豆をこぼした」とか「ドライブで立ち寄った道の駅で食べる、変わった味のアイスは、まず納豆味を探す。僕が」とか、そんな些細な出来事の積み重ねだったのかもしれない。

女性の気持ちとは神秘的過ぎて、いつの世も男性には理解しがたいものなのだ。

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そして今日、僕は決死の覚悟で彼女の一人暮らしの部屋までやってきた。

なんとかもう一度、やり直してほしいと告げるつもりだ。

手ぶらではなんなので、絶品の水戸納豆を土産に持ってきた。これで彼女の機嫌も直るはずだ。

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玄関のチャイムを鳴らそうと指を伸ばしたところで、

shake

――ドタン!バタン!

――ちょっと!やめて!

――離して!アンタなんか!

荒々しい物音と、言い争うような声が聞こえてきた。

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僕は思わずドアを叩き、彼女の名を呼んだ。

物音は相変わらず続いている。

渾身の力でドアに体当たりをしてみた。

びくともしない。

体当たりでドアが破れるのは映画の中だけなのだ。

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ノブに手を伸ばしてひねると、簡単に開いた。

鍵はかかってなかったようだ。ぶつかって損した。

靴を履いたままで部屋の中に上がり込む。

もう物音はしていなかった。

廊下の突当りのドアを勢いよく開くと、

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ふたりの彼女が倒れていた。

どちらも衣服の腹部を鮮血に染めている。

手には双方、ナイフ。刺しあったのか。

床には割れた鏡の欠片が散乱していた。

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僕は混乱した頭で、必死に状況を理解しようと努めた。

彼女――美羅が双子だったという話は聞いていない。

ということは、倒れているふたりのうちのひとりは、今話題の鏡面世界人に違いない。

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見たところ、彼女たちは重傷を負っている。瀕死の状態と言ってもいい。

この場で僕が、最優先に助けなければいけない人物。

それは、「僕らの世界の美羅」だ。

ふたりのうち、どちらが「本物」か、見極めなくてはいけない。

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テレビで見た都知事のケースでは、「ほくろの位置」が見分けるポイントになっていた。

鏡面世界人は左右あべこべだ。

そう思って、美羅の顔をまじまじと覗きこむ。

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彼女の目の下には、かわいらしい泣きぼくろがあった。

それに、口元にも、頬にもあった。

顔の左右、どちらにも。

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shake

これじゃ見分けがつかないじゃん!

僕はかすかに怒りを覚えた。

しかしすぐに冷静になる。

何もほくろの位置だけがヒントではない。

服装にしたって、鏡面世界人は左右あべこべなのだ。

彼女は趣味で変な柄のシャツをよく買って着ている。

腹部が血で紅く染まったTシャツの柄を、まじまじ見てみると、

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大きなフンコロガシのイラストが描かれていた。

ちょうど中央に。

左右対称に手足を広げている。

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shake

だからこれじゃ区別がつかないじゃん!

倒れている彼女には悪いが、怒りがこみあげる。

他にも、左右同じ指に同じ指輪をはめているし、転んで貼ったと思われる膝小僧の絆創膏も両脚の同じ位置にしてあった。

なにかの嫌がらせのように思える。

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「そうだ!」

そこで僕はひらめいた。

表面にばかり気を取られていたのがいけなかった。

もっと簡単に確認できるものがあったではないか。

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僕は倒れている彼女たちのうちのひとりの傍にしゃがみこみ、胸に耳を押し当てた。

だいぶ弱ってはいるものの、心臓の鼓動が感じられる。

少しだけ安堵したものの、すぐに気を引き締め、鼓動の位置を確認する。

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――左。

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念のため、もう一人の方も確認する。

――こちらは右。

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僕は迷わず心臓の鼓動が左から聞こえた美羅を腕に抱えると、病院へと駆け出した。

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「結局ですね、『イレギュラー』の発生原因は、心のストレス、葛藤なのです。

本人も気が付かない、無自覚な葛藤こそがふたつの世界のリンクを破壊し、境界を超える力を持つ『イレギュラー』の存在を生み出すのです。

事の発端となった都知事の場合、『バリバリ仕事をしたい』と思う反面、 『休みたい』と思うところがあったのでしょう――」

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TVでは鏡面世界の専門家が、最新の研究結果を説明している。

あれから五年が過ぎた。

美羅の部屋でふたりの彼女が倒れているのを発見し、そのうちのひとりを助けた――もうひとりを見殺しにした――あの日から。

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「圭一さん、なに見てるの?」

妻の美羅がソファの背後から顔を覗かせた。

「『イレギュラー』が発生する原因の話だよ。

ねえ、美羅。よかったら教えてほしいんだ。

あの時、君は確かに『イレギュラー』になっていた。この学者の話が正しければ、心に葛藤があったはずなんだ。

君が抱えていた葛藤って、何だったんだろう?」

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妻は穏やかな顔で微笑んだ。

「私はあの頃、迷っていたの。

ちょうど貴方と喧嘩して、別れ話になっていたものね。

私の中で、『貴方と別れたい』という気持ちと『別れたくない』という気持ちが、自分で考えているよりももっと大きな形でせめぎ合っていたんだと思う。

だから、私は、ふたりになっちゃったのね。きっと」

疑問が湧いた。

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「じゃあ、『君』はどっちの気持ちの代弁者だったんだい?

こうして僕と結婚してくれたってことは、『別れたくない』ってことでよかったんだよね?」

すると妻は意地悪な顔になった。

「わからないわよ?『別れたい』派の私だったかも。

それでも私のことを助けてくれた貴方に惚れ直して、貴方と結婚したのかもしれない」

そう言ってクスクスと笑った。

「じゃあ、貴方。私、お買い物に行ってくるから、お部屋のお掃除をお願いね。

夜は貴方の好きな納豆ハンバーグにしてあげるから」

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ひとりになった僕は、居間の窓を開け、換気をしながら掃除機をかける。

ついつい調子に乗っていると、掃除機が当たって、棚の上のファイル類を床に落としてしまった。

やれやれと思って書類を拾い上げていると、そのうちの一枚に目が留まった。

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病院の診断書だった。

美羅のものだ。初めて見る。

ディフォルメされた人体の胸のあたりに、ペンで丸がしてある。

そして「内臓錯位」の文字。

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どうやら彼女の心臓は、

元々、右側にあったようだった。

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