「ロン」
ありかちゃんの無情な宣告が、牌を捨てたばかりの六佑の右手を石化させる。
「紅孔雀はアリでよかったな?」
パタンと倒された牌の列びは、索子(ソーズ)の5を頭に、同じく索子の1、7、9と、中(チュン)の刻子(コーツ)で完成していた。
ローカルルールでは役満としてアガリ役になることもある、紅孔雀だ。
知らない人のために説明するが、麻雀には、撥(ハツ)と索子(ソーズ)の2、3、4、6、8のみで作る緑一色(リューイーソー)という美しい役満がある。
今挙げた6種の牌には、文字に緑以外の色が使われていない。
よって、完成した形がまさに緑一色となるのだが、紅孔雀はこの緑一色(リューイーソー)と対を為す成り立ち方をしている。
撥(ハツ)の代わりに赤一色でできた中(チュン)を用い、索子(ソーズ)の中でも字に赤を含む、緑一色には入れられない牌…すなわち1、5、7、9を使うのだ。
これはこれでとても美しい見た目になるのだが、そもそも使用可能な牌が緑一色より少ないし、2、3、4のように連続している数字がないため順子(シュンツ)にすることができない。
緑一色よりは多少難しく、俺はまだアガったことのない役だった。
一索(イーソウ)を俺から鳴いているから、四暗刻(スーアンコ)まではつかないのが不幸中の幸い…と言えるかどうか。
ローカル上等ルールアリアリで遊んでいる俺たちの内では、ダブル役満も勿論アリなのだ。
……うん、麻雀やらない人には呪文みたいだよね、きっと。
まあ、ありかちゃんが一番強い役をアガったんだけど、それが緑と赤だけでできた統一性のある見た目だって話かな。
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「てめェ…憑かれてンな?」
硬直していた六佑が、低い声でぼそっと言った。
……は?
「いや、六佑……流石にそれ、男らしくないんじゃ……」
ドン引く俺。
確かにありかちゃんは稀に見る霊媒体質で、しかも憑かれているのかいないのか、非常にわかりにくい厄介な子ではあるけれども。
なおかつ、今日は何故か鬼強く、これで開始以来連続5回目の役満だった。
だから、気持ちはまあ…わからなくもない。
とは言え、半荘(ハンチャン)終了した時点で、一番負けが一番勝ちにジュース1本奢りという小学生みたいなレートでの遊びだ。
そこまでムキになるような話ではない。
六佑も俺もとっくにハコテンだったが、そこで終了ということにはせず、到底勝ち目のない戦いを続けていた。
「悔しくて言ってるわけじゃねーよ。今までこいつがアガった役言ってみろ」
「えっと、…最初が大三元(ダイサンゲン)、次が四暗刻(スーアンコ)」
「字一色(ツーイーソー)、天和(テンホー)ときて、今回の紅孔雀だな」
「うーむ、特に引っ掛かりも統一性もない気がするんだが」
「役自体にはな。ただ、毎局絶対に刻子(コーツ)で揃ってた牌があったろ」
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なんだろう。
引っ掛かるものを感じつつも俺が答えを出せないでいると、ありかちゃんが正解を口にした。
「中(チュン)か?」
「それだ」
大三元と紅孔雀以外の役満は中必須ではないけれど、確かに今回のありかちゃんの手牌には必ず入っていた。
しかし…
「偶然じゃね?流石に…。幽霊様がありかちゃんの手に、中絡みの役満積み込むってーのも意味わからんでしょ」
俺は次の局の準備をするため、残ったツモ牌と各自の手牌を崩し始めた。
ジャラジャラという五月蝿い音と共に、勢い余って弾き飛ばされた牌がひとつ、卓上から床に転がり落ちる。
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「あ、悪い」
拾おうとして、絶句した。
赤い。
……中(チュン)だ。
赤いのは当然、でも、違った。
白いはずの背景までもが真っ赤に染まっている。
今まで何の違和感もなく使っていたその牌は、一瞬にして血に塗(まみ)れていた。
血臭。
くらりとする。
何故か頭の後ろで、銃声が響いた気がした。
『勝ったのは、…俺だったのに』
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対面(トイメン)から、地獄の底を這うような呪詛の声。
確かに男の声だったが、そんな訳はない。
俺の向かいはありかちゃんだからだ。
鉄錆の臭いが、濃さを増しーー…
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「在処」
静かに、六佑がその名を呼んだ。
部屋に充満していた血臭がかき消える。
転がった中(チュン)には白色が戻っていた。
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「ん?なんだ?」
けろっとした顔を六佑に向けるありかちゃん。
「あーそうか、何か言ったようだな。私は」
頭を掻いて目を瞑り、暫し何事か考えたあとで、苦笑いしながら一言宣う。
「もしかして、一昨日雀荘に遊びに行ったのが原因か?」
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……………。
だからさ、なんで大して強くもないのに、女の子がひとりでそういうとこ行っちゃうのかな。
今日惨敗の俺が言っても説得力ないけど。
それに、俺の偏見が強いだけで、近頃は女性のおひとりさまでも行きやすいクリーンなイメージの雀荘も多いんだろう。
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でもなあ…、
ありかちゃんがそういうネカフェやカラオケみたいなノリのとこ、選ぶとも思えないんだよなあ。
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六佑が無言で、牌をケースに片付け始めた。
「やめるのか?まだ東(トン)ラスだぞ?」
ありかちゃんは、ちょっと不服そうだ。
まだ東場(トンバ)のラスト…ありかちゃんの親が終わっていない。
つまり、試合の半分にも達していないのだ。
本日絶好調のありかちゃんが残念がるのも無理はなかった。
「ジュースじゃなくて夕飯奢ってやるから。その雀荘案内しろ」
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で、そういうことになった訳だが、
出立前、最後のケースに牌を片付けていたありかちゃんが、ラストの撥(ハツ)をパチンと嵌めて首を傾げた。
「……牌が余った」
ンなバカな。
麻雀牌は、4箱のプラスチックケースにぴったり収まる数で全てだ。
隙間の空いているケースはない。
けれど、ありかちゃんが差し出してきた余りモノは紛れもなく雀牌(ジャンパイ)で…
乾いて褪せた赤茶色がこびり付いた、5個目の‘中’だった。
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実は、この後話すべきことはほとんどない。
件の雀荘に案内されて行ってみると、店に至る階段にはお馴染みの黄色いテープが張られ、警察による現場検証が行われていたのだ。
次の日目にしたニュースによると、どうも大金を賭けた麻雀の末勝利を手にしたはずの男を、対戦相手のお仲間が背後から撃ち抜いたようだった。
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勿論、店を閉めたあと秘密裏に行われた一勝負である。
試合に使われた麻雀牌と卓はまだ血塗れのまま、店の倉庫に隠されていたらしい。
暫くして、ありかちゃんに憑いていた霊の気配は完全に消えた。
俺にはわからないので、六佑曰くである。
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「最後にアガったの、紅孔雀だったんかねぇ」
学食のいつもの席。
空になった昼飯の皿を前に、俺は呟いた。
「アガれたかどうか、わかんねーぞ」
と返事するのは、当たり前のように六佑だ。
「ん?」
「どうせ殺るなら、牌片付けてからの方が汚れなくていーだろ」
「まあ、そーね」
「それでもわざわざ牌を汚したってーのは、勝ちが確定して有頂天になった瞬間を狙ったっつーことなんかなと」
「あー、なるほど」
大金が動く話だ。冷静になれば、警戒するのが必然だろう。
ならば、楽な内に仕留めた方がいい。
「ま、‘中’に執着してたみたいだったから、最期のロン牌だったのかと思っただけだけどな」
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気怠げな六佑の声をBGMに、俺は緑と赤だけで完成した美しい手牌に、死の赤が散る様を思い浮かべていた。
それは、紅色の孔雀が羽根を広げたかのように、見えはしなかっただろうか。
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「邪魔するぞ」
これまたいつものように、よく通る声が響いて、ありかちゃんが顔を見せた。
水と、見るからに辛そうなキムチうどんを、手にしたトレーに乗せている。
六佑は、隣に腰掛けて割り箸を割るありかちゃんから、然り気無く視線を反らして仏頂面した。
その口許がごくごく僅かに緩んでいることは、恐らく俺にしかわからない。
「いただきます」
「アレからなんともないのか」
そっぽ向きながらも、さらっと気遣う台詞が出てくるあたり、流石六佑だと言えよう。
ありかちゃんは食べ始めようと構えていた箸を置いて、ちょっと神妙な顔をした。
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「それがな」
「……なんかあんのか」
「いや、私がどうこうという話ではないんだが…」
何やら、まだ後日談があるらしい。
俺は聞き役に徹することを決め、背筋を正す。
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「中(チュン)が見つからんらしいのだ」
「てェと…?」
「例の事件の際に使用されていた雀牌の中から、中がひとつ消えていたんだと」
そう言って、ありかちゃんはごそごそとポケットを探った。
「恐らくここにあるのが、そうだ」
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テーブルの上にコトリと置かれたのは、いつぞや見たのと同じ、赤茶に染まった雀牌である。
っていうかそれ、直にポケットに入れてたんかい。
殺された誰かさんの血が付いてるんだぞ。しかもべっとり。
六佑の眉間にも、見るからに皺が寄っている。
そんな俺たちの気も知らず、ありかちゃんは真剣な面持ちで「証拠品として提出しにいくべきだと思うか?」と問うて来たので、ふたりして全力で止めておいた。
説明のしようがないし、変に疑われかねない。
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未解決ならば兎も角、事件自体も概ね片付いているのだ。
無闇に藪をつつく必要もないだろう。
っていうか、ニュースで流れていない「現場から‘中’が見つからない」という話を、何処で仕入れてきたのか謎過ぎるよ?ありかちゃん。
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「にしても、紅孔雀で死ぬとはな…。天衣無縫なら、俺もアガってみてェけど」
パイプ椅子の背にどっかりと凭れ、六佑が溜め息のように言葉を吐き出した。
天衣無縫ーーすなわち九蓮宝燈(チューレンポウトウ)。
アガれば死ぬと言われている役満である。
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・・・
「さて。折角だし、こないだのリベンジ戦でもやろうぜ」
ありかちゃんが食べ終わった頃を見計らって、六佑が言った。
戦場はいつも、大学から一番近い俺の家である。
「いいな、やろう」
アナログデジタル問わず、ゲームと名のつくものには目がないありかちゃんが、目を輝かせて賛同する。
「いいけど。面子(メンツ)どうすんの?」
麻雀は基本、四人用のゲームだ。
この三人では足りないので、大抵その辺のクラスメイトをひとり掴まえて打つことになっているのだが、今日は近くに誰もいない。
四人目を探してきょろきょろと周りを見渡していると、ありかちゃんと六佑が、変な顔でこっちを見ていた。
そして、
「こないだもそうだっただろ」
などと言う。
「ん?最近三人打ちした覚えなんて…」
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そうだ。……ない。
確かに、麻雀の面子が足りない時は牌の数を減らしたりして三人で遊ぶこともできる。
できるが…、三人で卓を囲んだ最後の記憶は半年くらい前である。
中(チュン)の事件の日ーーあの日は絶対に四人打ちだ。
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牌も通常通り全部あったし、ツモ牌も4山あった。
手番にだって、違和感はなかった。
それなのに…、一緒に打っていたはずの「もうひとり」の顔を、俺は全く思い出せないのだった。
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「ま、そういうこともあらァな」
いつの間にかトレーを持って席を立っていた六佑が、ニヤリと笑って俺の肩…、
いや、俺の肩の少し上、何もないはずの空間をポンと叩く。
耳元で、ひんやりとした風がそよいだ。
作者いさ
ありかちゃんシリーズ②
麻雀を知らない方には不親切すぎる本文であったことをお詫び致します。正直読み飛ばしても大丈夫かもしれません。
【麻雀用語大雑把解説】
・牌(ハイ)…トランプでいうカードのこと。
・ロン…人の捨てた牌でアガリを宣言すること。
・役満…一番強い役の総称。役満がふたつ重なるとW役満になる場合もある。
・索子(ソーズ)…トランプでいうスーツの一種。ダイヤとかスペードみたいなもの。1から9まで各四枚ずつある。
・刻子(コーツ)…同じ牌を三枚揃えて一組にした状態。
・撥(ハツ)、中(チュン)…字牌という、数字の区別のない牌のひとつ。刻子にすると一役になる。
・鳴き(喰い)…人の捨てた牌をもらってくること。鳴いているかいないかで役数が変わったり、そもそも役にならなくなったりする場合が多々ある。
・順子(シュンツ)…同じスーツの牌を「1、2、3」や「3、4、5」のように三枚続きで揃えて一組にした状態。
・半荘(ハンチャン)…1試合のこと。
・ハコテン…持ち点がマイナスになった状態。