メール便配達のバイトの流れはこうだ。
朝出社して、朝礼の後、電動自転車と商材を社用車に乗せ、2~3人組でその日の配達地域まで出掛ける。
現地のパーキングに車を止め、自分の担当する町の商材をスキャナーでどんどん読み込んでいく。
読み込み終えたら、人によって配達しやすいように商材の順番を組み替えたりして、準備ができ次第自転車に乗ってGO!
あとは延々と町を巡ってポストに投函するだけだ。
量が多くて自転車に乗せきれない時は、「積み荷がなくなり次第車に戻り、新しく積んで再出発」という作業を繰り返す。
先にバーコードを読み込んでおくのは配達時間短縮のために必要な手順なのだが、たまに投函直前にスキャンしなければならない厄介な商材が入っていたりする。
捨てたり、誤配したりしていないかの確認なのか、読み込みの場所を非常に気にするらしい依頼主がいるのだ。
そういった商材がある場合、スキャナーの電源を入れっぱなしにして、その場その場で読み込んでいくことになる。
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とある日、私はそんなちょっと面倒な商材のお蔭で悪戦苦闘していた。
目の前に建つ庭付きの一軒家に投函しなければならないというのに、スキャナーの電源が落ちてしまったからだ。
再度オンにしようとしても点かない。
おかしい。
充電は90%以上残っていたはずだった。
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仕方がないので、車中で既にスキャンしてある商材だけ先に、近くの民家に放り込む。
実は、最近担当し始めたばかりの町だ。
ポスト探しに手間取っている内にスキャナーが復活したので、1番地ぐるっと回って例の一軒家前に戻ってきた。
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いざ、読み込もうとして、スキャナーが再びシャットダウンの準備を始めていることに気付いた。
電源をオフにする時は、その前に自動でデータ送信がなされるのだが、画面が「送信中」表示になっているのだ。
結局、送信完了した後そのまま「シャットダウンしています」の表示に変わり、切れてしまった。
また、うんともすんとも言わなくなるスキャナー。
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困る。非常に。
近場は配達し終えてしまったし、この家だけ後回しにしてまた戻ってくるというのも、本来不要な時間がかかる。
できれば配達してから先に進みたい。
というか、万が一このままスキャナーが起動しなかったら後の読み込みが全くできない訳で、早急に対応策を考えなければいけない。
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初めての事態に焦ってしまって、私は岩城さんに電話をかけた。
岩城さんというのはバイト先の先輩で、40~50代のベテラン配達員だ。
今日は私とペアだから、今頃は隣の町を配達しているはずである。
僅か2回のコールで、岩城さんは電話に出てくれた。
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「あ、お疲れ様です。今大丈夫ですか?」
「おー、どした?」
「あのですね、スキャナーがちょっと調子悪くて…。どうしたものかと…」
困り果てた私の声を聞いて、岩城さんは携帯の向こうで苦笑いしたようだった。
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「あー、悪い。教えるの忘れてた」
そんなことを言う。
「何をです?」
「今いんのって○番地の○号だろ。そこ、スキャナー使えねぇんだわ」
「あー…」
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もう既に何度か不思議を体験していた私は、なんとなく察してしまった。
つまり今回も「そういうこと」なのだ。
「道、三叉路のとこまで戻ってみ。電源入っから。もうその家は仕方ないから、そこでスキャンしちゃっていい」
「了解です。ありがとうございます」
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「あ、あとな」
岩城さんはさらりとした口調のままで、
「その家、門の中には絶対入るなよ」
と、私に警告をした。
「つっても、門のとこにわかりやすーくでっかいポストあるからなぁ。入るようなことないだろうけど」
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「え、あ、はい。まあ…そうですね」
確かに、問題の家には門の隣にオーソドックスな銀色のポストがくっついている。
少し痛んではいるが、わざわざ探す必要のない位置にあるし、大抵の商材は曲げたりすることなくすっぽり入れられる良心的なポストである。
ドアポストしかない家ならば兎も角、門扉を開けて庭に立ち入らなければならない理由などあるはずもなかった。
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ところがだ。
その町の配達にも慣れてきて、電源の入らないスキャナーに違和感を覚えなくなった頃、事は起こった。
件の家に配達に行くと、珍しく(というか、私が見るのは初めて)家主が土弄りをしていたのである。
ご年配の女性だ。
まだ何も植わっていない花壇の前にこちらに背を向けてしゃがみ、文字通り土を触っている。
曰くあり気な家屋の居住者に内心構えつつも、私は「こんにちはー!メール便でーす」と一声掛けて、商材をポストに滑り込ませようとした。
が、投函完了するよりも早く、女性は振り向いて気さくに微笑んだ。
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「あらご苦労様。ソレ、もらうわ」
そう言ってこちらに右手を差し出す。
……手を伸ばして頂き大変恐縮なのですが、すみません、渡せません。
花壇は家のすぐ手前、つまり庭の奥にあり、門の外からでは投げ込みでもしない限り届かない。
手渡しするためには、どう考えても敷地内に入らなければならなかった。
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通常であれば、失礼しますと言ってお邪魔し、商材を届けて来るだけの簡単なお仕事だ。
集合ポストが一階にあるにも関わらず、三階のドアポストまで配達しろと宣う方々もいる中、庭にちょっと足を踏み入れる程度どうということはない。
「ポストに入れるな、何階まで持って来い」と貼り紙しておきながら、行くと塩対応な企業もまあまあ普通にある。
郵便ではなくメール便だからある程度は仕方ないけれど、「だったらポスト使わせてくれてもいいんですよ??」なーんて思ってしまう現実も存在する訳で…、
にっこり挨拶を返してくれるおばあちゃん相手なら、本当は喜んでお手元までお持ちしたい。
けれど、私は岩城さんの忠告を忘れてはいなかった。
曰く、『門の中には絶対入るなよ』。
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申し訳なさを感じながらも、「いえ、ポストに入れさせて頂きますねー」と精一杯の笑顔を振り撒き、商材をポスティング。そそくさとその場を後にした。
ちらりと後ろを振り返ると、彼女は庭仕事に戻っていて、もうこちらを見てはいなかった。
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その後も何度か土弄りをしている彼女に遭遇したが、声を掛けられる前に投函・投函と同時に挨拶、を徹底し、「ソレ、もらうわ」を回避していた。
言われることも皆無ではなかったが、「スミマセンもう投函しちゃいました」テヘペロ作戦で、何とか事なきを得ていた。
伸ばされた彼女の土に塗れた手を思うと、少しの罪悪感は無視できた。
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ポストがあるのに、わざわざ汚れた手で受け取ろうとする理由はなんだというのだろう。
いつまで経っても、花壇には相変わらず何も育っていなかった。
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ある日、その家のポストがテープで封鎖されていた。
投函できない。
(なんだ、引っ越したのか…?)
そう思って踵を返そうとした時、花壇の丁度真上にある一階の窓がカラカラと開いた。
ーーあの人だ。
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「ソレ、もらうわ」
にっこり。
貼り付けたような笑顔。
「あっ、えと、スミマセン、間違えました。別のお宅宛です」
咄嗟に嘘が出た。
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商材は、ただの紙切れ一枚の広告だ。
投函不可で持ち帰ったところでクレームには繋がらないし、大丈夫。
自分に言い訳をしながら、逃げるように自転車に跨がる。
彼女の顔をもう一度確認する気にはなれない。
家の中にいたはずなのに、伸ばされた手はその日も土で汚れているように見えた…。
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それ以来、そこへの配達物は全て「ポスト閉鎖」という理由で持ち帰っている。
ポストがなかったり使えなくなっている場合、投函不可で返品するのがルールだから何も問題はなかった。
彼女の姿はあれきり見ていない。
花壇は今も、土色のままだ。
作者いさ
メール便の配達アルバイトをしている私のちょっとだけ不思議な体験談その⑥
最近暇らしく、定時より早くおうちに帰されます(真顔)
作品毎に割とテイストが違う(ような気がする)ので、「あのシリーズは読みたいけど、ほかはそんなに読みたくなーい」という方向けにシリーズタイトル付けることにしました。シリーズとは言え何処からでも読んで頂けますので、どうぞお気軽に。