冷房が効いているはずの事務所内は、いつもより人の密集率が高いせいか、少しだけ暑い気がする。
今日ここに集まった人たちは、俺と少しだけでも関係を持った人物であり、その全員が日常とは異なる世界を見ている。
「全員揃ったか?」
露の膝上に身を置いている黒い蛇、サキが言った。
「まだ、あと一人・・・あ、来ました」
この事務所の所長であるゼロが入口を見て言った。ガラガラガラと、戸を開ける音がする。
「おっ、もう結構集まってたな」
戸が開いたことで、外の熱気が室内へと流れ込む。入ってきた人物は、俺達を見るなりそう言った。
「こんにちは、岩動さん」
呪術師連盟T支部に所属する幹部の一人、岩動さん。俺が入会するときの面接を担当してくれた人だ。体格が良く、一見は強面な印象だが、内面は優しく正義感の強い人である。彼は俺のことが目に入ると、笑顔で「久しぶり」と言った。
「お久しぶりです、岩動さん。面接のときはどうも」
「いやいや、こちらこそあの時はどうも。俺、見た目がこんなだから初対面の人から怖がられるんだけど、雨宮くんは最初から普通に接してくれて面接もしやすかったよ」
岩動さんはそう言うとゼロが用意したパイプ椅子に座った。その様子を見たサキが俺のことを見る。
「しぐる、口借りていいか?」
「えっ、俺の?ああ、構わないけど」
「悪いな。そこそこ長くお前の中で眠っていたせいか、その方が落ち着いて話せる」
そう言うとサキは俺の中にスゥッと入ってきた。
「よし、これで全員揃ったな」
サキが俺の口を使ってそう言った。俺も意識の中で改めて事務所内を見回してみると、俺を含めて10人も集まってくれた。全て、このサキが語ろうとしている物語を聞くためだけに。
「皆さん、今日は急な呼びかけにも関わらず、集まってもらいありがとうございます。えっと、まぁ、今はしぐるさんに憑依してますけど、サキさんです」
ゼロが皆にそう言いながら俺を指した。いや、俺ではなくサキか。今ここにいる全員はサキに注目しているのだ。
「サキさん、初対面の方の紹介が必要なら、そうしますけど・・・」
ゼロがサキを見て言った。その目は少しだけ睨んでいるようにも見える。彼はまだ、サキのことを警戒しているのだろうか。
「えーっと、鈴那ちゃんと露ちゃんと~、市松だっけお前?」
サキの少々乱暴な問いかけに市松さんは軽く微笑んで「はい」と頷いた。
「よし、それと~目が青いヤツ」
次にサキが示したのは昴のことだった。彼はそれに対し苦笑している。
「北上昴だよ。海中列車の件で少しだけ話したよね」
「あ~そういえばそうだったなぁ。思い出した。んで、おーまーえーはー・・・誰だ?」
サキはそう言って金髪の男性を指さした。T支部の幹部で、呪術師の藤堂右京さんだ。
「おいおい、人を指さすなよ~。俺は藤堂右京で、こっちが娘の蛍だ」
右京さんは苦笑しながら言った。彼の隣に座っている蛍ちゃんは静かにこちらを見つめている。
「右京ねぇ~、覚えとくわ。娘ちゃん可愛いねぇ~」
サキは嬉しそうに言った。コイツ・・・。
「だろぉ!自慢の娘なんでよろしくなっ!」
右京さんも相変わらずだ。サキとは結構気が合うかもしれない。
「いやぁ、お前さんとは仲良くなれそうだぜ。あ、それで最後に来たそのデカいヤツ。岩動って言ったか?」
「そうだ、霊能力者の岩動。さっきも言ったけど、怖い人じゃないよ」
岩動さんは笑いながら言った。
「へぇ~、見るからに強そうだなぁ。どんなことが出来るんだ?」
「主にPSI、一般的に言う超能力だが、趣味が筋トレだから重いものを持ったり、物理攻撃が得意だったりするぞ」
岩動さんはまた笑いながら言った。
「物理・・・除霊の時は霊を殴るのか?もちろん拳にゃ念力込めてるよなぁ」
「あぁ~勿論、除霊の時はね。込めてない時もあるけど」
「マジか、物理攻撃か」
除霊(物理)か。と、サキは勝手に何かを納得し、本題へ移ろうとした。
「よし、今ここにいる奴らがどんな人間かは大体理解できた。今から俺様が話すのは、この雨宮しぐるの妹、雨宮ひなが殺害された事件の真相だ」
俺の妹、雨宮ひな・・・素直で可愛い子だった。そして、不思議な能力を持っていた。事件後、ひなの遺体は身体中を傷付けられ、事件現場には大量の血が遺されていた。警察は殺人事件と断定して捜査を始めたものの、それらしい手掛かりは見つからず、結局事件は迷宮入りしている。その真相が今日・・・漸く分かるのだ。
○
サキから聞いた話。
赤い・・・世界が赤い。違う、血塗れなのだ。俺の視界一面が・・・。
真っ赤な世界の中心で、黒いものが渦巻いている。ヤツだ。ここに倒れている人間全員がヤツに殺された。黒色は範囲を広め、また力を増した。危険だ。俺も早く逃げなくては・・・!
俺はただ散歩をしていた。森の空気がいつもと違っていることには気が付いていた。そのことに、もっと注意しておくべきだった。でなければ、あんなことにはならなかったのかもしれない。
それは偶然目に入った光景だった。邪悪な悪霊を何人もの霊能者や呪術師たちが取り囲み、一斉に除霊を試みている。しかし、どれも効果は無く、悪霊の呪と霊力は増すばかりだった。終にはそいつの怨念によりそこにいた全員が一斉に殺された。首を捥がれた者、目を潰された者。更には、全身を八つ裂きにされている者もいた。念だけでこれほどのことができるとは、恐ろしいヤツだ。人間の手助けをするつもりは無いが、俺の散歩コースを荒らされても困る。とは言え、いくら俺の力でもそいつにだけは敵う自信が無かった。それだけ巨悪なオーラを放っていた。
その悪霊は女だった。ボロボロの服と恐ろしい形相で、凄まじい霊気を放っている。俺は気付かれる前にその場を離れようとした。今の俺ではそいつに勝てない。そう思ったのだ。一瞬、そいつと目が合ったような気がした。俺は恐ろしくなってすぐさまその場所を後にした。
落ち着いたところで、あることを思い出した。1週間前、俺はとある呪術師の男に消されかけた。無論、俺は何もしていない。男が勝手に襲ってきたのだ。辛うじて逃げ出すことは出来たが、そのせいで殆どの妖力は失ってしまった。確か、その呪術師が言っていた。「もうじき、この街に大きな災害がやってくる」と・・・「私はそれを手に入れる」とも言っていた。大きな災害・・・恐らく先程の悪霊を比喩したものだろう。ということは、あの呪術師も近くにいるかもしれない。そう考えると、尚更この場から離れなければならない。
暫くうろついていると、人間たちの住宅地に出た。道路を一人の少女が歩いている。可愛らしいワンピースを着ており、髪には赤いリボンを結んである。それに何かを感じる。その少女からは霊能力を感じた。それに気づいて、俺が興味を示さないはずがない。すぐさま少女へと近付き、声を掛けた。
「よぉ嬢ちゃん、いい天気だな」
少女は俺に呼び掛けられると、一瞬肩をピクッとさせて俺の方を振り向いた。
「こんにちは蛇さん。喋れるんだね」
少女はそう言ってニコッと微笑んだ。俺は嬉しかった。正直、俺に驚いて逃げてしまうと思っていた少女は、俺の言葉に返事をしてくれたのだ。
「お、あぁ、喋る蛇さんだ。嬢ちゃん、名前は?」
「私、ひな。雨宮ひなっていうの。蛇さんの名前は?」
名前・・・名前を訊かれることなんてほとんど無かった。そんなものは、もうずっと昔に無くしてしまったのだから。
「あ、俺の名前か・・・サキだ。サキって呼んでくれ」
「サキさんっていうのね!よろしく!」
ひなという少女はそう言ってまた笑った。サキというのは古い友人が名前を無くした俺のことをそう呼んでいたのを思い出し、咄嗟に口へ出した仮の名だ。俺は少女に好意を抱いた。人の子は好きだ。何故なら喰うと美味いから。だが、この少女は違った。俺はこの人の子に、何か別の好意を持っていた。
「サキさん、どうして尻尾が火の玉みたいになってるの?」
不意に少女が言った。俺の尻尾は名前を奪われた時と同時に切られてしまった。そのせいで、尻尾の先は紫色の鬼火のようになってしまっている。
「あ、これか。昔切られちまってなぁ。そのせいでこうなってるんだ」
「サキさん、尻尾切られちゃったの!?誰にそんな酷いことされたの?痛くない?」
少女は心配げな顔で俺を見た。
「え、いやぁ今は全然痛くねぇよ。ちょっとな、俺が悪いことしちまったから、その罰で切られたんだ。だから、こうなったのは俺が悪いんだ」
「そう・・・なんだ。えへへ」
少女はそう言って笑いながら俺の頭を撫で始めた。
「なっ・・・」
「なでなでされるの嫌だ?それとも、人にされるのが嫌なだけ?」
「いやぁ、全然!慰めてくれんだな。嬉しい」
「よかった」
少女はそう言うとまた微笑んだ。俺は何とも言えない気持ちになった。妖が人を嫌っているということを、この少女は知っている。だが実際そこまで嫌ってはいない。人間が好きな妖者も沢山いる。俺だって・・・俺だって、人が好きだ。この少女は、人だけでなく妖の気持ちまで理解しようとしているのか。そう思うと、何だか目頭が熱くなった。
「お兄ちゃんがね、幽霊とか妖怪には近付いちゃだめって注意するんだけど、私はたまにこうやって妖怪さんとお話するのが好きなの。だって、悪い妖怪だけじゃないもん。サキさんみたいに、優しい妖怪もいるでしょ」
「へぇ、兄がいるのか。いい兄貴だな。確かに悪い妖ばかりではないが、容易に関わるのは駄目だぜ。ひなちゃんみたいな可愛い子は狙われやすいからな。たまには、兄貴の言うことも聞くんだぜ」
「お兄ちゃんの言うことはちゃんと聞いてるよ。お兄ちゃん、優しいから。でも、ちょっと心配性なの。自分だって身体弱いのに、私のことばかり気にかけて」
少女は苦笑しながら話した。何だか微笑ましい。
「仲いいんだな、兄貴と」
「うん、今年も夏祭り一緒に行こうねって言ってくれたの。去年はお兄ちゃんが病気で入院して、行けなかったから」
それから少女はしばらく兄のことについて話した。俺はそれに相槌を打ちながら聞いていた。
「ひなちゃん、本当に兄貴のことが好きなんだな」
「うん」
また笑った。本当に可愛い笑顔だ。ふと、何かの気配を感じた。先程と同じ、あの邪悪な気配・・・。
「まずい、ひなちゃん逃げろっ!」
俺が見た少女の目は、赤く光っていた。透き通った美しい赤色に。
「ダメだよ・・・こんなすごいの、逃げられない」
少女の赤い目から大粒の涙が零れ落ちる。
「やめろっ!力を使うな!」
「無理だよぉ・・・!力が抑えられない・・・」
この少女は自分の膨大な力を恐れている。何故ならばそれを制御しきれていないからだ。
「待ってろ、俺がお前に憑依して力を抑えてやる!そしたら逃げるぞっ!」
「だめっ!」
少女は叫んだ。今までで一番大きな声で。
「私に憑いたら、サキさんが死んじゃう!そんなの嫌だ!」
俺がこの少女に憑依すれば、俺の力は少女に吸収される。そんなことは百も承知だ。彼女の能力はそういうものだ。だから強大な悪霊の霊気に触れて自然に発動してしまったのだろう。その力を呑み込むために。
「やってみなきゃわからねぇだろ!俺の力が消える前に、お前の力を抑え込めばいい話だ!」
俺はそう叫んで少女に憑依しようとした。その瞬間、少女を黒い霊気の渦が取り囲み、軈て少女の中で悪霊の霊力が暴走し始めた。
「おい・・・嘘だろ」
俺は呆然と見ていることしか出来なかった。今この少女に近付けば、俺は跡形も残らず消えてしまう。どうすればいい・・・。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
九字?誰が切っている!?
「離れろっ!」
少女の後ろに誰かが立っている。和服姿の男だ。そいつが退魔術を試みている。
「おいアンタ!霊能者か?」
俺はその男に近付き声を掛けた。
「お前は、妖怪がこんなところで何をしているのだ?」
「話は後だ!この嬢ちゃんを助けてやってくれ!」
俺が叫ぶように言うと、男は難しい顔をした。
「済まんが、彼女の命は保証できんぞ」
「俺様も力を貸す!だから何とか何ねぇのか!」
この時の俺は必死だった。何故この少女一人を守るためにここまで必死になれたのかは分からない。だが、俺はどうしてもこの子に死んでほしくは無かった。雨宮ひなを守りたかった。
男は少し考えてから言った。
「貴様、あの少女に憑依できそうか?」
「なっ・・・」
「俺が術でサポートする。その間に憑依して、出来るだけ彼女の能力を抑えてやってくれ。その間に俺が除霊してみる」
「わかった」
俺は迷わず即答した。男は退魔術で霊気の渦に風穴を開けて叫んだ。
「いけっ!」
俺は男がそう言い終わるや否や、少女を目掛けて風穴に飛び込んだ。
そこからはどうなったか、あまり覚えていない。気が付くと、俺はコンクリートの地面に倒れ込んでいた。少し顔を上げて、俺は絶望した。少女が、倒れていた。
「おい、意識はあるか」
不意に頭上から声が聞こえた。顔を上げると、そこには先程の男が右腕を押さえて立っていた。
「テメェ、怪我してんじゃねーか」
「大したことはない。それより・・・」
男は少女の方を見てから目を閉じて俯いた。
「済まなかった。しぐる・・・ひなちゃんを、守ってやれなかった」
しぐる・・・少女が言っていた。彼女の兄の名前だ。不意に、誰かの視線を感じて振り返った。そこには一人の少年が立っていた。少年は隣の中年男に声を掛けた。
「長坂さん、ひなは・・・?」
おそらく彼が少女の兄だろう。俺は思わず顔を伏せた。
「しぐるか・・・ごめんな、しぐる。約束、守ってやれなかった。本当に、ごめんな」
男がそう言い終えた直後、少年は男に掴みかかった。
「なんでっ!なんでひなが死ななくちゃいけなかったんだよ!長坂さん!」
何も言わず俯いている男に、少年は泣きながら縋り付いた。そこで俺はやってしまった。仕方なかったのだ。
俺は少年に憑依し、精神を乗っ取った。
「こいつの記憶、俺が弄っとくわ」
俺がそう言うと男は驚いて顔を上げた。
「おい、それはまずいだろう・・・」
「大丈夫だ。つーか、そうするしかねぇだろ。雨宮ひなは殺人事件に巻き込まれて死んだ。こいつは何も知らないし何も見ていない。それでいいだろ」
正直、俺も限界が近かった。このままでは時間の経過と共に消えてしまう。
「なぁ、暫くこいつの身体を借りててもいいか?今の俺様じゃ起きていられるのがやっとだ。記憶の処理が終わったら俺様は眠りにつく。そんで、次に目覚めたとき、こいつに全てを話そう」
「お前、ただの蛇妖怪だと思っていたが、どうやら少し違うらしいな。そういうことなら任せた。それが今の最善策だ」
そうして俺は男と共に少年の家まで行った。俺は少年の記憶を弄り、今日あったことは全て忘れさせた。そこから俺の意識は曖昧だが、その後、少女の遺体が発見されて事件となった。俺もあの中年男も、その事件からは目を背けた。
○
サキはいつの間にか俺から出て、露の膝の上に乗っていた。気付けば、俺は涙をポロポロと零していた。
「と、それが真実なんだ・・・しぐる、悪かった」
サキが俯きながら言った。俺は、なんだか気怠くなってきてしまった。
「はぁ・・・人の目を見ろよ、サキ」
俺はサキを見て言った。サキはゆっくりと顔を上げ、無言で俺と目を合わせた。
「・・・思い出したよ、全部。お前と長坂さん、ひなを助けようとしてくれたんだな。ありがとう」
俺は目から溢れる涙を袖で拭いながら言った。サキは何も言わず、ただ俺の目を真っ直ぐ見ていた。外から聞こえてくる蝉の声が遠く感じる。暫く何もせずに、ただその声だけを聴いていたい。あの時と同じ夏の音色で、耳を塞いでおきたい。何となく、そんな気分だった。
作者mahiru
投稿頻度を上げようと頑張って書いていたのですが実際はネトゲばかりやってました。