死恐怖症(タナトフォビア)という言葉をご存じだろうか。
単純に言えば、死ぬのが怖いと思うこと。
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初めて、死、ということを深く考えたのは、小学校六年生の頃だった。
いわゆる、終末論というものが流行っているようなとき、ノストラダムスの大予言で、世界が滅ぶとされていた。
隕石が降ってきて、地球に当たって、砕けていく映像。
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そんなものを信じるなんて、馬鹿だろうが、かなり本気で信じていた。
預言の日であった夜は、どうか世界が滅びませんように。
と、泣いて、神様に請うたほどだ。
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現在、様々な動画などで爆発オチとして使われている。
あの映像を見て、よくよく、その時のことを思い出す。
幼い私自身へと、あんなものを見るべきでなかった。
そう、伝えてやりたかった。
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死ぬ、ということは、終わるということ。
死ぬ、ということは、亡くなるということ。
死ぬ、ということは、無。
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天国、地獄があって、死後にはそこへと行ったり、輪廻転生だったり、様々な答えがあるけれど、結局、本当かどうか、在るかどうかはわからない。
死んでからではないと、分からない。
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生きているものの最期は、死。
生まれた瞬間に、死は定められている。
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それを理解した瞬間、頻繁に吐き気と恐怖に苛まされるようになった。
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勉強しているとき、周囲の友人と遊んでいるとき。
『死ぬ』
テレビドラマや映画の話をして、誰かと感想を言い合い。
『死ぬ』
新作のゲームで遊び、マンガや小説を見て、楽しいと思い。
『死ぬ』
見知らぬ場所へと旅行に行って、良い思い出を作った。
『死ぬ』
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なりたい仕事を見つけて、専門学校に通う。
『死ぬ』
なりたい職業に就いて、仕事を頑張る。
『死ぬ』
好きな人ができて、付き合うことになった。
『死ぬ』
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死にたくない、と心の底から考えて、考えて、考えても足りないくらい考え。
『死ぬ』
は、頭の片隅に残り続けた。
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先輩が癌になった。自分よりもそこそこ程度に年上で、しかし、まだまだ若いといえる年齢だった。
手術をして、闘病して、数年経ち。
どの臓器にも転移はなく、再発も限りなく低いというほどもまでに快復した。
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「まだ分からないかもしれないけど・・・」
そう、前置きして、先輩は言う。
「癌って宣告されて、手術して、闘病中なんどもなんども、死ぬかもしれない。
そう考えると、怖くて怖くて、吐き気がしたんだ。人間って死ぬかもって思うと、吐き気するんだなあって初めて知ったよ」
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私は、先輩のように身近に死を感じてなどはいないけれど、
多分、その恐怖は随分と前から感じているものです。
そのように、返答することはできなかった。
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私は、今、大病を患っていない。大怪我を負っていない。
私は、今、脅され、殺されようとしていない。
私は、今、事故や災害に、遭ってなどいない。
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安全に毎日を生きている。危険なんてない。
当たり前のように、生きていて、それでもいつかと、知った時。
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あなたも。
『死ぬ』
を、恐怖してしまうかもしれない。
作者m/s