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寒い...寒いよ寒い寒い 寒いよ寒い...寒いよ...
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向かいの席に座っているおばあさんが俯き、両肩を手でさすりながら寒いという言葉を繰り返し言っている。薄茶い色の上着に黒に近い紺色のズボン、紅色の下駄を履いていた。
足袋の指先が黒い。そういうデザインなのか、まるで墨汁に指先を付けた様な黒さだ。
初めはその声を無視していたが、その声がだんだん大きくなっていき、無視できなくなってきた。
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おばあさんに近づき声をかける。
「大丈夫ですか?」
おばあさんの声がぴたりと止む。
おばあさんの座るシートをチラッとみると、黒い染みが広がっているのが見えた。おばあさんの尻から染みが出てきている。
また同じ言葉をかけると、おばあさんは肩を震わせながら笑い出した。
おばあさんの体から腐敗臭が漂う。鼻を抑えないと耐えられないくらいキツイ。
「ひぃぃ.....ぃっぃっぃ」
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shake
ガシッ
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shake
おばあさんは急に立ち上がるといきなり肩を掴んできた。
顔をぐぐぐと近づけ、互いの鼻が付きそうな距離で口を大きくカッと開いた。
「兄ちゃん兄ちゃあ~ん、寒いから兄ちゃんの洋服くれんかのお。おおおおおお寒い寒いおおおおお寒い寒い」
おばあさんは叫ぶと口から油の様な液体を垂らし、その液体がこちらにも飛んできた。
「ぎゃああああ!」
ありったけの声を出し、おばあさんをつき飛ばした。
その勢いと電車の急停車によりバランスを崩し、後ろに転んだ。
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shake
体が勝手に動きシートからずり落ちた。
はっとして目を開けると誰も向かいのシートに乗っていなかった。首を少し動かすだけで痛い。
シートに座り直すついでにポケットの財布と携帯を確認し、辺りを見回した。
少し離れた席におばあさんが下を向きながら頭を左右に振っていた。それをみて、メタルファンがライブで頭を振り回す映像が浮かんだ。
おばあさんは、頭を振りながら今度は両手を叩きだした。頭の上に両手をもっていき、そこで手を叩いている。音が、痛そうな音だった。
「あれは近づいたらやばい奴だ...車両変えよう」
ゆっくり体を起こし、車両連結部のドアを開けた。
ガシャンッ!
ガシャンッ!
反対側の車両へ移ると、さっきと同じおばあさんが、優先席に座り同じように頭を振り手を叩いていた。
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シャッ シャッ シャッ シャッ
「おいおいなんでいるんだよ...さっき後ろの車両に居た筈だろ?瞬間移動したのか?」
ゆっくり後ずさりをして再び連結部分へ移動した。
ガシャン!
shake
反対側のドアが開き、目の前におばさんが現れた。
「どおしたのお?早く入り」
厚化粧をしたおばあさんが黒い革のバッグを持って立っていた。ドアを開け、手で押さえてくれた。
親切な人だと思った。
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「あんたどおしたのお、顔が真っ青よ。なんか怖い思いしたのお?大丈夫?」
おばさんは鞄から黒いキャップの口紅を取りだし、俺の目の前で唇に塗りはじめた。
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おばさんの唇が紅色に染まる。口を開けると前歯に口紅がべっとり付いているのがみえた。
「実は...こうこうこういう目に遭いまして...」
「うん...うん...」
おばさんはしきりに口紅を塗り直す。塗り過ぎなんじゃないかという程、唇が異常な赤になっている。
唇からはみだすのも構わず、だ。
「えっと...だから..その...」
「うんうん、怖い思いしたねえ。怖い思いしたねえ、うんうん。あんた、お名前なんてえの?」
「龍平って言います」
自分の意思とは関係なく勝手に自分の口が動き、自分の名前を言っていた。
反射的に言葉を出す様な勢いだった。
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「あれ、なんで自分の名前..あれ...」
おばさんは、うんうんと頷きながら黒い鞄からごそごそ何かを取り出した。
これと言って差し出されたのは赤い水筒で、おばさんはその蓋をくるくる回し外した。
「あんた、喉乾いてない?」
「いいえ、乾いてないです」
「そうかい?」
おばさんは水筒から蓋に何かを注いだ。しかし、水筒から出てきたものは液体ではなかった。
「ほらあ!」
shake
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おばさんは蓋の中身をこっちに向かって飛ばしてきた。それを手で避けようとしたが、頭にかかり手についた。
「うっわ...うっわ...」
頭をはたき、下に落ちた物をみた。
それは細長い芋虫だった。
声を出そうとすると、嗄れた声しか出ない。
「ほらあ!ほらあ!ほらあ!」
おばさんは歯にべっとり口紅を付け大声で叫ぶ。
左手に持った水筒の中から多量の芋虫がうねうね動きながら外へ飛び出している。
芋虫の体にある縦の線がくっきりと鮮明に見えた。
「うあああああああ!」
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「ねぇ、お兄さん大丈夫?」
また、はっと目を開けると目の前に茶髪の女が立っていた。
薄いベージュのカーディガンを肩にかけ、ドレスの様なワンピースを着ている。
「夢...夢か」
「お兄さんちょー魘されてたよ、大丈夫?」
周りには自分と目の前の女以外に客は居なかった。ガタンガタンとリズミカルに音がするだけだ。
シートに座り直し、携帯と財布を確認した。
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その様子を女は足をクロスさせながらじっと見ている。女が動くと赤いヒールがカツンと鳴った。
なぜだか、あのヒールで踏まれたら痛いだろうなと考えている自分がいた。
エナメル質で、先端が鋭利に尖ったヒール。魔女が履いて居そうなヒールだ。
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「くすくすくす...」
女が急に笑い出した。
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「っふ、ぶふふふふふ....ぶはははははははは!ぎゃははは!」
急に狂ったように足で地団駄踏みながら笑いだした。口が裂けそうな勢いで大口を開けて笑うその様に、かなりの恐怖を感じた。
“Next station is 〇○”
車内放送で流れる停車駅は、俺の降りる駅だった。
笑い暴れる女の後ろの窓の景色が、もうじき停車駅であることを教えてくれた。
窓には、俺が一人で暗い顔をして此方を見ているのが映っている。
その時、背中に冷たいものがスーッと伝った。
“○○、○○”
停車駅に着くと急いで電車から降り、勢いがつき過ぎたせいでホームで派手に転んだ。
前につんのめり、ポケットからタイミングよく携帯が飛び出した。
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shake
「はああ~!」
情けない声を出しながら、地面に膝と肘を打ち付けた。傷口がじんじんと痛む。
掌を開くと擦過傷から真っ赤な血が流れている。地味に痛い。
「あ!携帯携帯携帯!」
跪いた姿勢のまま、転がった携帯を掴む。
「はあ...終わった...」
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携帯の画面は粉々になっていた。保護シートを張らなかった自分を呪った。
暫く携帯を眺めていたら、後ろから声をかけられた。
「どうしました?」
後ろにいたその人物は、俺の目の前に移動し、再び声をかけてきた。
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「怪我してる..駅員さん呼びますね?」
「いいえ、大丈夫です...転んだだけなので」
声の主はどこかへ駆けて行った。
携帯の画面が割れたことにショックを受け、その場に項垂れた。
ポツ...ポツ...地面に何か落ちてきた。自分の髪を払うと、細長い芋虫が落ちた。
「気持ち悪...」
俺は立ち上がると無言で芋虫を靴で踏み潰した。
「はあ、今日は変な日だ。これも夢なのか」
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試しに頬を抓ってみた。痛い。けっこう痛かった。
ため息をつき、割れた携帯画面を何度も撫でる。
「はあ、はあ...これ、どうぞ」
さっきの声の主が戻ってきた。その人は黒いロングヘアーで、制服を着ていた。スカートが風にひらひら動く。
手渡されたのは水だった。自販機で買ってきてくれたのだという。それに加えて、ポケットティッシュもくれた。
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「ありがとうございます。お金払います、幾らですか?」
「いいえいいえ、お金は結構です!私が勝手にやった事なんで...」
相手は照れ笑いをしながら言った。手を胸の前でもじもじ動かしている。
「帰り道気を付けて下さいね」
相手はそう言うと去って行った。
その後ろ姿を見ながら、貰った水の蓋を開けた。
その、ただの水が、美味しく感じた。
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あなたも帰り道気をつけてください、とその女装おじさんに言おうと思ったがやめた。
作者群青
友人が電車内で体験した話を元に書きました。
夢が現実になる...良い夢だったら良いですが、それが悪夢であった場合は勘弁してほしいですね。
誤字脱字などございましたら、ご指摘して頂けると幸いです。
最後まで読んで頂きありがとうございます。