早朝からゼロに呼び出され、海へ来ている。夜が明けたばかりで、潮風が心地よく波も静かだ。
「風が心地いいですね」
「そうだな」
ゼロも同じことを思ったようだ。俺は頷いた。昨日は右京さんの仕事を手伝ったので疲れていたが、大事な話があると言われたので仕方ない。本当に最近は忙しすぎて、休む暇も落ち込む暇も無い。
「それにしても、なんでこんな早朝から・・・」
「へへ、夏だしたまにはいいかなと思って。それに僕、今日は少し予定が詰まっているので」
「そうか。まあ、確かに朝の海は悪くないかな」
こんな時間に呼び出してまで話さなければいけないこととは、余程重要なことなのだろう。
「今、話しておかなければいけないことなので」
俺が思ったことをゼロは口にした。
「そっか」
俺はそう言って海を見た。
○
ゼロから聞いた話。
「今回の件で、皆さんを巻き込んでしまい、申し訳ありません」
僕は頭を下げた。
「ゼロが謝ることじゃないだろう。悪いのは本部の連中だ」
岩動さんはそう言って僕の肩に手を乗せた。
「それよりゼロ、大丈夫なのか?無理してないか?」
強面な外見に反して性格の優しい岩動さんは、僕が父親を攫われたことに傷心していないか心配してくれているようだ。
「大丈夫ですよ。父さんなら平気でしょう」
正直、少し強がりもあった。でも、父さんには何か考えがある。僕はそう思っていた。いや、確信かもしれない。父さんのことだから、上手くやってくれている。そんな希望が僕にはあった。
「まあ、神原一門の当主だからな。業界では名のある祓い屋だ。ゼロの言うとおりかもしれねぇぞ」
長坂さんの肩に乗っている小さな黒蛇のサキさん、彼のことはまだよく知らないが、警戒する必要はあまり無さそうだ。
「サキさんもありがとうございます。人の事情に関わらせてしまってすみません」
「んなこと言うな、しぐるも関わってる問題だろうが。それなら俺様にも関係がある」
サキさんは、しぐるさんの妹を守れなかったことを気にしているのだろう。それだけではない・・・しぐるさんの記憶にも干渉してしまったことだって、仕方の無いことだったのかもしれないが、本人は悪いと思ってしまうのだろう。
僕は椅子に座って、今この事務所にいる全員を一人ずつ見た。神主でありながら裏の顔は禁術使いの長坂さん、妖怪のサキさん、念動力者の岩動さん、狐憑きの市松さん、結界師の昴さん、妹の琴羽、全員が僕のことを見ている。みんな不安なのかもしれない。琴羽は特にそうかもしれない。
「皆さんにご報告があるのですけど」
不意に口を開いたのは琴羽だった。
「ん、どうしたの琴羽?」
ぼくが訊くと琴羽は少し安心した表情で微笑んだ。
「お父さん、暫く本部で働くことになったから家に戻れないって。安否もちゃんと確認できたよ。寂しくなるけど、父さんは無事」
「本当なの!?そんな情報どこで・・・」
僕が驚いた顔で言うと琴羽はおかしそうに笑った。
「お兄ちゃん、私の能力忘れたの?さっき支部に残ってたお父さんの思念から伝わってきたの。詳しく話すとね、攫われたって言えばそんな感じなんだけど、本部に引き抜くって話を持ち掛けられて任意で同行したみたい。でも、あくまで本部のしていることを探るだけだから、敢えて向こうの思った通りに事を進めたらしいの。斬島さんにはそこまで伝える余裕が無かったのね。本部にはお父さんの仲間もいるから、きっと大丈夫。心配するなって言ってた」
僕はホッとして肩を撫で下ろした。そうか、琴羽の超能力は情報収集に特化したものだった。予知も占いも、思念から人の状況を読み取ることもできる。僕は焦っていたのか、そんなことすら忘れていた。なんだ、琴羽より不安を感じていたのは僕だったのか。
「よかった・・・やっぱり、父さんなら大丈夫です」
「ゼロくん、少し落ち着きましたか?」
市松さんが僕の顔を見て言った。まるで僕が不安に感じていたことを初めから察していたかのようだ。
「はい、ありがとうございます。もう大丈夫」
僕はそう言って笑った。今度は本当に安心できている。でも、まだ話すことはある。
「長坂さん」
僕が名前を呼ぶと、彼は顔をこちらに向けた。
「はい、何だい?」
「あなたには幾つか聞きたいことがあります。とある少女のメモ帳の件と、龍臥島の件です」
この人は禁術使いだ。しかし、悪い人とはあまり思えない。だから、今までこの人が御影としてやってきたことについて聞いておかなければならないのだ。
「蛛螺の件については昴さんから聞きました。あれは恐らく、何者かがあなたの仕業に見せ掛けるために偽装したものでしょう。しかし、他は違います。中学生ぐらいの女の子が落としたメモ帳に呪詛をかけたことがあるでしょう?」
「うむ、確かにそれをしたのは俺だ」
「なぜ、そんなことを?」
「龍臥島の件と関係があってな。しぐるには話したが、俺が龍臥島に放った怪物は、龍臥島に溜まった霊を喰わせるためのものだったんだ。黄昏時にしか姿を見せぬから人に危害は無いと思ったんだが、神原くんの言っている少女がその件に首を突っ込んでいると耳にしたので、ちょっと怖がらせてあげようと思っただけなんだ。懲りてくれると思ってな。妙に勘が鋭い子で驚いたよ」
「そういうことでしたか・・・」
何となく予想は出来ていた答えだった。この人ならそんなことをしそうだ。今なら分かる気がする。
「残念ながら、あの子はそんなことで懲りるような子じゃないですよ。オカルト大好きですから。それに、勘が鋭いのは彼女が潜在的な超能力者だからです。全く、意外と似た者同士が集まるものですね。この街は」
本当に、気付いたら仲間が増えていた。神原家の長男として生まれた僕は見える人たちと初めから関りがあったけれど、それは家族だったり、父の友人だったりと、僕の友人ではなかった。けど今は、ここにいるみんなや、鈴那さんや露ちゃん、そしてしぐるさんもいる。全員が僕の友人だ。
「ほんと、増えたね」
昴さんは微笑みながらそう呟いた。彼も僕と同様に祓い屋の一家で生まれたが、同じ世界が見える友人が欲しかっただろう。だからきっと、今が楽しいはずだ。
「そうですね」
僕は笑顔で言った。
○
ゼロの話を聞いているうちに、日差しでアスファルトは温められたようで、手を付くと熱を感じる。
「親父さん、無事でよかったな」
「はい、母さんには騒動のことは伝えてないので、ただ父さんが本部へ行ったことだけを・・・余計な心配はかけたくないので」
「そうだよな・・・」
愛する人が危険な目にあったら、どんな気持ちになるか。俺にもわかる。全てがわかるわけではないが、俺なりには理解できる。もしも鈴那が、もしも露が・・・正直、そんなことは考えたくない。
「鈴那、寂しくないかな」
思わず口に出てしまった。そうだ、昨日は鈴那とスマホでやり取りしただけで、直接会えてない。自由にやってくれてるといいけれど、時々、心配になってしまうことがある。それは余計なお節介だろうか?
「鈴那さん、早く課題終わらせて夏休みの最後はまたみんなで遊ぶんだって張り切ってましたよ」
「なんだ、そうなのか。それなら心配ないかも」
余計な心配だったようだ。そうだ、事を片付けてから、また楽しめばいいのだ。
「さて、事務所戻りましょう」
「そうだな」
俺たちは立ち上がると服に付いた砂を手で掃い、アスファルトの土手を歩き始めた。
「俺さ、このあと長坂さんのとこ行ってくるよ」
「そうですか。何か御用が?」
「うーん、ちょっと訊きたいことがあってさ。昔のことなんだけど」
「なるほど、では、事務所まで行ったらお別れですね」
「うん、ありがとな。色々教えてくれて」
「いえ、早くからすみません。お気を付けて」
そんな会話をしながら歩いているうちに、すっかり昼間の陽気になってしまった。相変わらず暑い。でも、夏はそれでいいかなと思った。
ゼロと別れてから長坂さんの居るであろう神社までの道を歩いてると、歩道から河を眺めている中年の男性が目に留まった。
「長坂さん」
「お、なんだしぐるか」
ここで会うとは、神社まで行く手間が省けた。
「ちょっと、訊きたいことがあるんです」
「ん、何だい?」
俺は一呼吸置いてから話し始めた。
「長坂さん、俺に幾つか嘘を教えてますよね。何故ですか?」
長坂さんは表情を崩さずに俺の目を見た。
「まあ、今のお前では気付くよな。特に深い意味は無かったのだ」
「除霊は霊を強制的に消してしまうこと。浄霊は魂を清め浄化すること。それが事実ですが、あなたは俺に間違った意味で教えていました。それを今まで訂正しなかったのは、あなたが禁術使いの御影だからですか?」
途中で自分は何を訊きたいのか分からなくなった。意味は無い。その言葉を聞いたにも関わらず、禁術について触れた。
「そのことを間違って教えてしまったのは、確かに俺の除霊法に禁術が含まれていることがあったからだ。今のお前なら分かるだろう。俺のやり方は神式とは少々違う。勿論、神式のお祓いもするが、正直あれは苦手だ。それを知られたくなかった。純粋なお前に・・・すまんな」
長坂さんは真っ直ぐ俺の目を見て言った。
「いえ、まあ、分かってました。何となく・・・」
俺は苦笑した。それに釣られてか、長坂さんも苦笑した。
「今の俺も、長坂さんのことを嫌ってませんよ。だって、俺の知ってる長坂さんは禁術使いの御影じゃない。ひなを守ろうとしてくれた恩人であり、俺の師でもあります」
「そうか、お前でよかったよしぐる。しかし俺は、闇を深く覗きすぎてしまった。実は、もうこの仕事は辞めようと思う」
突然の告白に俺は少し戸惑った。
「えっ、辞めてしまうんですか?」
「うむ、この歳になって漸く他にやりたいことが見つかったのだ。これを機に、呪術師からも神職からも身を退こうと思う」
「そう、ですか」
俺はそう言って微笑んだ。少し安心したのだ。この人はもうこの危険なことに関わらなくなるんだなと。
「しぐるは、この仕事を続ける気なのか?」
俺は少し考えた。どうするのだろうか。俺には能力があるから、祓い屋の仕事は続けていける。けれど、他にやりたいことは無いのだろうか?
「わか、りません。他にしたいことがあるのかも分からなくて、まだ考え中・・・ですかね」
「そうだな、焦らんでもよい。俺だって、この歳でやっとそれが見つかったのだ。もし望んでいた道に進めていなかったのならば、もう一度始めればいい。お前は真面目だから色々気を使ってしまうかもしれんが、そこがいい所だ。流れゆくままに、進んで行けばいい」
「ありがとうございます」
師匠が長坂さんでよかった。照れ臭くて、心の中だけでそう呟いた。
「あら、こんなところに」
不意に後ろから聞き覚えのある声がしたので振り返ると、イズナを肩に乗せた女性が微笑み顔で立っていた。
「あっ、市松さん」
「おお、なんだね君か」
そういえば、長坂さんもこの前会っていたのだった。市松さんは長坂さんに軽く頭を下げると、俺に目を向けた。
「ゼロくんに訊いたら、長坂さんの所へ行ったって聞いたから。お迎え来ちゃった」
市松さんはそう言って笑った。笑い顔は微笑んでいる印象の強かった人だが、こんなふうにも笑うのか。
「え、お迎えって?」
俺が訊くと、市松さんは右手に持った車の鍵を掲げて言った。
「しぐるくん、ちょっと私とドライブデートしない?」
俺はその言葉を聞いて戸惑った。
「で、でーと・・・ですか!えっと・・・」
「鈴那ちゃんがいることは知ってるわ。例えよ例え。面白い場所に連れてってあげる」
市松さんは笑いながら言った。この人、こんなキャラだったのか?印象が一気に変わった。
「あ、はい。では・・・」
「いいなぁしぐるは、モテるなぁ」
長坂さんはそう言って俺を茶化した。
「や、やめてくださいよ」
俺は苦笑した。
「ウフフ、しぐるくんイケメンだもんね。車、そこに停めてあるから。用が済んだら行きましょ」
「はい、もう大丈夫です」
こうして俺は、狐憑きのお姉さんと一日だけデートをすることになった。鈴那には、絶対に黙っておかないと・・・そう思いながら、茜色の軽自動車に乗り込んだ。
「そういえば、今日はまだ午前中なんだよな」
と、独り言を呟きながら。
作者mahiru
夏風ノイズの続きです。呪術師連盟の話に繋がってます。
嬉しいことに、相関図を作ってほしいというお声を頂けたので、簡単ですが作りました!初めてだったので上手に出来ず、見にくいかもしれません><
ありがとうございました!
相関図(ネタバレ注意)
https://natsukazedou.jimdo.com/%E5%A4%8F%E9%A2%A8%E3%83%8E%E3%82%A4%E3%82%BA-%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96/