高校生になっても特にやりたいことが見付からず、部活動もしていなかった。
そんな生活を何となく続けていると、気付けばもう三年生になってしまっていた。仲のいい友人も居なかったので、普段することといったらゲームか散歩ぐらいだ。
その女性とは、下校中に海沿いの道を自転車で漕いでいる時に出会った。いや、俺が一方的に気になっただけなのだ。
土手の上に立ち、白いロングスカートを風に靡かせているその姿に、思わず目を奪われてしまったのかもしれない。その間は、まるで時間が止まっているかのように思えた。
彼女は俺の視線に気づいたのか、土手の下にいる俺のほうを振り向くと優しく微笑んだ。その顔を見た瞬間の気持ちを何と言い表せばよいのだろうか?一番近いものに当てはめるのならば、それは・・・一目惚れだった。
俺は自転車を降りると土手への階段を上り、彼女の元へ近付いた。
「こんにちは、おかえりなさい」
「こ、こんにちは。ただいまです」
俺は彼女の優しい言葉におどおどしながら答えた。近くで見て分かったが、彼女の碧い目には涙が浮かんでいた。何か、悲しいことがあったのだろうか。一人の時間を邪魔してしまったならば、申し訳ないと思った。
「あ、ごめんね。海を見ていたら、なんか泣けてきちゃったの」
彼女はそう言ってはにかむと指で涙を拭った。
「あ、邪魔してしまったなら、すみませんでした」
俺が咄嗟に謝ると、彼女は笑いながら俺の頭に手を乗せた。
「邪魔されたなんて思ってないわ。だって、私が君をここへ呼んだのだから」
彼女はそう言いながら頭を優しく撫でてくれた。俺はその言葉の意味がよく分からなかったので「え?」と言ったが、彼女はまた口を開いた。
「謝るのはこっちよ、勝手に呼び寄せてごめんなさいね。いつも君がこの道を通っているのを知ってたから・・・覚えてるかしら、君は二年前に虐められてる私のことを助けてくれたの。その時はお礼も出来ずに怖くて逃げてしまってね」
彼女の言っていることには覚えがあった。
そうだ、俺は二年前に中坊二人から虐められていた一匹の白い野良猫を助けたことがある。あの時、二人が嫌がる猫を押さえつけて棒で殴っているのを見て、咄嗟に怒鳴り声を上げた。
「何やってんだ!!」
中坊たちは声に驚いてビクリとした後に俺を睨んだが、それから何か文句を言いながら棒を捨てて去ってしまった。俺は猫が心配で近付こうとしたが、猫はひどく怯えている様子で俺を見ると右足を庇うようにトコトコと逃げて行ってしまった。ということは、彼女が・・・。
「私、もうすぐ旅に出なくちゃいけないから。だから、最後にお礼を言いたくて君を呼んだの」
そんな・・・旅って、どこへ行くのだ?彼女の言葉に違和感を覚える。目の前にいる女性があの白い猫だとしたら・・・俺が口を開きかけると、彼女は人差し指を俺の口元に当てて微笑んだ。
「ありがとう。ずっと、言いたかった」
そう言って彼女は涙を流した。唇に当てられた指は冷たかったが、どこか温もりを感じた。俺はその指をそっとどかして口を開いた。
「右足、まだ痛むんですか?」
「うん、もう治らないのよ。でも、それでいいの。遠くへ行ったとき、この怪我のおかげで君のことを思い出せるから」
俺は、彼女のために何も出来なかった。あの時、せめて何かをしてあげればよかったのに・・・。
「俺・・・あの後、怖くなって逃げたのに・・・」
俺は涙を堪えながら言った。彼女はそれに優しく笑いかける。
「私ね、わざと道路に飛び込んだの。もう、それでいいと思ったから。分からない、ひょっとしたら君の気を惹きたかっただけなのかもしれない。でもね、死んでからもずっとここで君のことを見てた。やっぱり、君に拾って欲しかったのかも・・・なんてね」
あの後、逃げた白猫は道路へ飛び出して車に轢かれてしまった。俺はその一部始終を見ていた。そして、怖くなって逃げたのだ。
俺は涙を堪えきれなくなり、ポロポロと泣き始めた。彼女の冷たい指がそれを拭う。
「私、そろそろ行かなくちゃ」
「どこに行くんですか!」
俺の問いに彼女はゆっくりと答えた。
「風に乗っかって、どこか遠い所へ、それは私にも分からない。誰も知ることができない場所へ・・・」
その言葉ののち、海の方向から強い風が吹いてきたので俺は思わず目を瞑った。
風の音に混ざり、猫の鳴き声が聞こえた気がした。
目を開いたとき、そこに彼女の姿はなかった。
「さようなら。か」
そう言っているかのように思えた。
この風の行方は、誰も知らない。
作者mahiru
風猫(かぜねこ)