北海道に住む僕とその家族に起こった、とある出来事についてお話しします。
結婚から半年、妻が初めての子どもを妊娠しました。
期待を胸に産婦人科の検診を受け、めでたくオメデタが判明。
さらに、二度目の検診で、医師から思わぬ言葉が…。
「一度目の検診で見落としていたようですが、もう一人いますね」
そう、なんと双子だったのです。
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その喜びをすぐさま、お互いの実家に報告しました。
妊娠の喜びに加え、双子というサプライズもあり、妻の両親も僕の母親も、かなりの舞い上がり様でした。
その喜びは亡き天国の父にも届いたことでしょう。
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赤ちゃんはお腹の中ですくすくと順調に育っていき、双子ということで、あっという間にお腹が大きくなりました。
なので、早々と産休を取り、実家に里帰りしながら、お産をすることになりました。
病院も、それまでの名寄市立病院から、妻の実家に近くて高度な産婦人科医療を受けられる砂川市立病院に転院することになりました。
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転院後、初めて砂川市立病院で妊婦検診を受けたときのことです。
2週間前の検診では順調だったので、転院したとはいえ、今回も無事に検診を終えられると思っていたのですが…。
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妻が診察室に入ってまもなく、看護師が緊張した面持ちで慌ただしく動き回りだしたのです。
そして「ご主人様よろしいですか…」と、診察室に呼び出されると、何故か車椅子に座らされている妻の姿が…。
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そこで医師は、第一声で僕に告げました。
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「うちの病院では手に負えません」
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妻と顔を見合わせ、頭の中が真っ白になった瞬間でした。
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医師の説明によると、子宮の入り口が胎児の重さに耐えられず開いてきてしまう「子宮頸管無力症」と、胎盤から双子に流れる血液がどちらか一方に偏ってしまう「双胎間輸血症候群」の2つの異常を、同時に発症してしまっているとのことでした。
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この時点で、胎児を救う手段はただひとつ…。
北海道で最高レベルの産科小児科医療を受けられる旭川厚生病院の医療技術に委ねることでした。
今にでも破水してしまいそうな切迫早産のという状況。
妻はストレッチャーに寝かされ、絶対安静を余儀なくされました。
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救急車が到着すると、妻と一緒に僕も乗り込みました。
救急車はサイレンを鳴らしながら、一般車両の列をくぐり抜け、高速道路を経由して旭川厚生病院に緊急搬送。
その間、僕たち夫婦は不安をかき消すように、お互いの手を握りあっていました。
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病室の準備が整うと、ベッドに横たえられた妻は全身に管を通され、食事や排泄どころか、起き上がることすら許されず、ただ不安そうに病室の天井を眺めていました。
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その間、医師はなんとかして胎児を救う手だてを探ってくれていました。
しかし、このまま母胎に留まり続けることは極めて困難であり、逆に出産の道を選んでも週数が早すぎて生かすことは困難である、ということでした。
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つまり、選択できる手段は、ただひとつ…。
留まることができない胎児を母胎が自然に出産に導く、「その時」を待つしかないということ…。
「その時」とはつまり、流産であり、死産ということです。
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つい数日前まで、いつものように「順調ですよ」の一言を聞きに行くだけのつもりで妊婦検診に赴いた僕たち夫婦…。
まさか、その数日後に、双子の命を諦めなければならない状況になるとは思っても見ませんでした。
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それまでの幸せが一転。
これでもかというくらい、病室でふたり、声をあげて涙を流しました。
しばらく泣いたあと、僕たち夫婦はまったく同じことを考えていたらしく、まったく同じ言葉を口にしました。
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「ふたりに名前をつけてあげなきゃね」
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流産なので、もちろん戸籍には残りません。
でも、僕たちは一生懸命頭をひねりました。
そして、名前をつけてあげました。
(大切な名前なので、ここでは内緒にしておきます。ちなみに、一卵性の男の子の双子です)
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不思議なもので、名前をつけた途端、ふたりへの愛情がより一層強くなりました。
あとわずかの限られた命ですが、せめて今だけは、母親のお腹の中でたっぷりの愛情に満たされてくれれば…と願うばかりでした。
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その数日後の深夜のことです。
「その時」が来ました。
突然の陣痛に、苦しみを訴える妻。
寝ずに付き添っていた僕は、ためらうことなくナースコールを押しました。
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深夜病棟の静寂を破り、看護師が一人、病室に駆けつけると、スライド式の大きな防音扉の向こう側へ、妻を慌ただしく運んでいきました。
そのあとすぐに僕も防音扉の中に通され、分娩室の外の長椅子に腰掛けました。
分娩室は3部屋あり、妻がいる分娩室以外は入り口は解放され、照明も全て消されていました。
僕は不安な気持ちに駆られながら、妻のためだけに忙しく動き回る医者や看護師の姿を、静かに眺めていました。
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とうとうお腹の中の赤ちゃんが出てくるというとき、僕に立ち会いが許されました。
流産といっても、陣痛→破水→出産と、普通の出産となんら変わることのない手順で進んでいきました。
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まず一人目が取り出されました。
すぐさま二人目も取り出されました。
ふたりとも、取り出された直後は手足をバタつかせ、まだ生きているようでした。
ただ、自発呼吸はまだできないので、産声をあげることはありませんでしたが…。
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生まれたばかりのふたりは、すぐに別室に連れていかれました。
数十分後、次に出会ったときには、ふたりとも冷たくなった状態で、小さなダンボールのような箱に入れられていました。
真っ白なタオルの上に仲良くふたり並んで寝かされ、両手を胸の前に組んだ状態で、さらにもう一枚のタオルが、掛け布団のように掛けられていました。
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300グラムと400グラムしかありませんでしたが、身長は25センチほどあり、想像以上にしっかりとした人間の姿をしていて、顔つきもハッキリしていました。
なぜなら、もしあと一日、流産が遅れていたら、週数的に「早産」の扱いとなり、戸籍も残っていたほどなので。
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ふたりは夫婦どちらにも似た特徴を持ち合わせていて、「れっきとした僕たちの子どもだね」と思わせるほどで、思わず笑みがこぼれました。
名前を呼びながら、慎重に一人ずつ抱えて、夫婦二人で順番に抱っことキスをしてあげました。
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本当は悲しいハズなのに、4人で過ごしたそのひとときは、とても幸せな時間に感じました。
気付けば、透き通った朝日が、病室に差し込んでいました。
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そしてこの日の午後、お見舞いに来た親戚と一緒に、ふたりの「誕生日」をお祝いしました。
ふたりを囲んで歌を歌ったあと、病院の外で買ってきたケーキをみんなで食べました。
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退院してしばらくしたある日、妻がこんなことを言いました。
「あのとき、違う部屋で出産してる人いたよね。ふたりも」
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「へ?」
僕は妻がなにを言っているのか、理解できませんでした。
だって、分娩室は3部屋ありましたが、僕は廊下に出ていたので、妻のいる分娩室しか使われていないのを知っていましたから…。
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「産声がハッキリ聞こえたよ。2回も」
なぜか、妻は自分と同じ時間に、他の分娩室で、赤ちゃんがふたり生まれていたと思っていたようです。
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「その産声はどこから聞こえたの?」
「どこからかはよくわかんないけど、なんとなく遠くの方から…」
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僕はとにかく説明しました。
病院の構造や、僕のいた場所、医者や看護師の動きを具体的に。
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まず、間違いなく、分娩室は他に使われていなかったこと。
そしてそもそも、この旭川厚生病院の産婦人科は、日本屈指のレベルだけあって、廊下の広さなど施設の構造自体が他の階とは違うくらい、妊婦のストレスを軽減するための工夫が施されていること。
分娩室と一般病棟とは、分厚い防音扉と長い渡り廊下で隔たれていて、赤ちゃんの泣き声すら絶対に聞こえてこないこと。
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何度も言いますが、あの夜、他に出産した人はいないし、どこからか赤ちゃんの産声が聞こえてくるハズがないんです。
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なんと親孝行なふたりだったのでしょう。
妻にだけは聞かせていたのです。
不思議な産声を…。
僕たち夫婦は、今度は幸せな涙をいっぱいいっぱい流しました。
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今、わが家のお墓の横には、小さなお地蔵さんが建っています。
双子地蔵というもので、お地蔵さんが二人寄り添い、優しいほほえみを浮かべています。
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不思議な産声の話は本当は夫婦二人だけの秘密にしているのですが、こうして今日、ついついしゃべってしまいました。
何故なら、今の僕は浮かれてしまっているからなのです。
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なぜ浮かれているのかって?
それはね…。
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もう数日間のうちに誕生する赤ちゃんのことで、ワクワクが止まらないので…。
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≪後日談≫
2010年3月、2800グラムのとっても元気な男の子が誕生しました。
その2年後の4月、元気すぎておてんばな女の子も誕生しました。
そんな二人も、今は小学2年生と保育園の年中組です。
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毎週末、家族とお出掛けするのですが、いつも必ず持っていくものがあります。
それは、双子の身代わりとして、あの「誕生日」の日に、僕の妹がプレゼントしてくれた、2匹のカエルのぬいぐるみです。
一見すると普通の4人家族ですが、実は、わが家はいつだって仲良し6人家族なのです。
作者とっつ
純度100%の実話です。
固有名詞も出して、初投稿当時よりも詳しく書いてみました。
怖い話ではありません。
「霊」とも少し違います。
「心」のお話、というのがしっくり来るかもしれません。