妻と幼い二人の子どもを連れて、
片道3時間をかけて
海辺へドライブに出掛けた、
ある夏の日のこと。
その帰り道、ふと立ち寄ったコンビニのそばに、とある看板を見つけた。
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「昭和最大級の獣害の地 この先」
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まだ昼の3時を過ぎたばかりで、
子どもたちもまだ遊び足りない様子だったので、
興味本意でその場所まで
足を伸ばしてみることにした。
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その地は、山脈で囲われた耕作地帯の中央を貫く
田舎道の終点にあるらしく、
40分ほど車を走らせる必要があった。
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道を進むにつれ、
みるみる民家が減り、
生活感が失われていくかわりに、
使われなくなった田畑や
山林が目立つようになっていった。
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道を進めば進むほど、
鬱蒼とした不気味さが増していくようだった。
そして、その不気味さは、
ある場所から頂点を迎えた。
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来るものを拒むような、
カラマツの巨木の並木が
延々と道路の両脇に現れたのだ。
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その樹高は軽く30メートルを超え、
太陽の光を遮り、
空気を淀ませ、
圧倒的な威圧感を放っていた。
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しかも、僕は林業に従事する身であり、
その異様さを特段強く感じていた。
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僕が見立てたところ、樹齢はだいたい70年。
木々の混み具合から見て無間伐、
つまりほとんど手が加えられていない。
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この状況で放置しておくのは
まったくの無意味だ。
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すでに木の成長は止まっていて、
このまま放置しても木は太くならず
価値は上がらない。
ただただ、腐れや虫、風雪害のリスクに晒されるだけだ。
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逆に、伐採してしまえば
200万円は下らない札束を手にすることができるはずだ。
伐採に適した時期は
とうに過ぎているはずなのだが…。
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それを放置していることが、
不思議であり、不気味であった。
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しかも、このカラマツ林の異様さは、
それだけにとどまらなかった。
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「私有地につき、立ち入り禁止」
「無断で立ち入った場合、罰金50万円」
「撮影禁止 発見したら直ちにカメラを破壊します」
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なんとも物騒な立て札が、
カラマツ林の至るところに
張り出されているのだ。
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しかも、所有者が自作したらしく、
赤いスプレーで書かれた文字は
どれも、だらしなく液垂れしている。
まるで血文字のようだ。
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所有者はよほど自己顕示欲が強いらしく、
その一枚一枚に「沢口源三郎」と
記名されている。
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「なんか、この道、不気味だね」
「まだ獣害の地に着く前なのに、違う意味で恐怖を感じるわ」
「確かに」
「沢口さんて、そうとう変わり者なのかしら」
「たぶんね!」
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助手席に座る妻とそんな会話をしているとき、
後部座席で遊んでいた二人の子どもたちが、
慌てた様子で同時に声を上げた。
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「「オシッコもれそう」」
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遊びに夢中だったためか、
本人たちが自覚した時点で、
すでに臨界点間際だったようだ。
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相変わらず不気味なカラマツ林が続いている。
「この広大な土地、全部が沢口源三郎さんの土地なのだろうか…」
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そんなことを思いながら車を走らせていたが、
こんなところにトイレなどあるはずもなく、
仕方なく、道路脇に車を停め、
適当な草むらで用を足させることにした。
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草むらに入ったところ、意外にも
用を足すにはちょうどいいところを見つけた。
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その場所にカラマツは生えておらず、
かわりに、ひとつ十数㎏はありそうな岩石が
飛び石のようにいくつか点在していた。
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小学生の息子は、
その石のひとつに飛び乗って立ちションをし、
保育園児の娘は、
妻に抱えられて石の上からシーシーしていた。
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尿意から解放され、
子どもたちが安堵の笑みを浮かべた、
その時だった!!
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「こぉぉぉらぁあああ!!!!!!!!!!」
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突然の叫び声に
家族一同がビクンと震えた。
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「そこでなにしてるぅ!!!!!!」
「立て札が見えないのかぁ!!!!!!」
叫び声はだんだんと近づいてくる!!
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「マズイね(((・・;)」
家族を慌てて車に乗せると、
僕は車を急発進させた。
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数十メートル進んだところで、
草むらの中から飛び出してきた
叫び声の主の姿が
バックミラーに映り込んできた。
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歳は70歳くらいだろうか。
身長は180センチくらいの大柄で、
肩や腕はがっしりとしていてガタイがいい。
動物の毛皮のチョッキを羽織り、
アゴには髭を蓄えていて、
まるで熊のようだ。
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薪割りでもしていたのか、
手には大きなマサカリが握られていた。
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「あの人が、沢口源三郎さんかな…
たぶん追いかけては来ないと思うけど…」
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僕は妻と子どもを落ち着かせてから、
「悪いのは僕らの方だね。
怖い思いをしたけど、
せっかくここまで来たんだし、
獣害の地を見てから帰ろうよ」
と、
気をとり直して目的地へ向かった。
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どこまでいってもますます不気味さを増す道の終点に
「獣害の地」はあった。
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その悲惨さのためか、
積極的に観光地化しているわけではないようで、
復元された事件当時の家屋や、
あらましを記した解説用の看板、
慰霊碑が建立されているだけの、
寂しげな場所だった。
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ただ、周囲は鬱蒼とした木々に覆われ
夕日が沈みかけている時間ということもあり、
まさしく、いつ熊が出没してもおかしくはない
異様な雰囲気だけは、
しっかりと堪能したわが家だった。
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沢口さんに待ち伏せされていないか
不安を感じた帰り道だったが、
無事に人里まで戻ることができた。
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その安堵感の中、
もっと詳しく事件のことが知りたくなった妻は
スマホでWikipediaを検索し、
その内容を、運転中の僕に伝えてくれた。
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事件のあらましはこうだ。
・・・
・・
・
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太平洋戦争末期、昭和20年のまだ寒さの厳しい3月。
記録的な大雪のため、
陸の孤島と化した小さな集落で、
その事件は起きた。
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雪で孤立した家々を、
巨大なヒグマが次々に襲ったのだ。
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このヒグマは、
体が大きすぎるがゆえに、
冬籠もり用の巣穴を掘ることができず、
空腹のまま、獲物を求め、さ迷い歩く
「穴持たず」であった。
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穴持たずは、体の大きさや凶暴性においては
他のヒグマと比較にならないほどで、
襲われた人々はひとたまりもなかった。
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しかも、時は戦時中。
集落には男手がほとんどなく、
オンナ子どもがなすすべなく
ヒグマの餌食にされていった。
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この状況を救ったのは
退役し、ただ一人、集落に残っていた
沢口源一郎だった。
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彼は元軍人だけに
銃の扱いに長けていて、
源一郎はヒグマの寝床を突き止めると、
その隙をついて、一撃で急所を撃ち抜き、
仕留めたという。
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源一郎は仕留めたヒグマの生首を持ち帰り、
春になり、ようやく孤立状態から回復した後、
隣の集落に赴き、
この悲惨な事件について報告した。
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この事件で犠牲となったのは
女性と子どもばかり12人。
源一郎は集落でただ一人の生き残りであった。
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犠牲者の遺体のほとんどは、
ヒグマが食い散らかしてしまい、
わずかな食べ残しだけで、
遺体の身元を特定するのは不可能だった。
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胃袋に納めてしまったものは、
その巨体ゆえに
源一郎一人ではどうすることもできず、
生首以外は寝床に置き去りにするしかなかったという。
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その後、隣の集落の男たちが隊を結成し、
ヒグマの寝床を捜索したが、
結局発見することができなかったという。
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Wikipediaには、ヒグマの生首を掲げた
源一郎の姿を映した白黒写真も掲載されていた。
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「ふぅ~ん…」
ここまで聞いたとき、
この事件になにか引っ掛かりを感じた僕は
気の抜けた返事をしてしまった。
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それを察知した妻が言う。
「なんか納得してないみたいね」
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ドラマ「アンナチュラル」にはまった僕は
何かにつけて、事件には裏があるんじゃないかと
疑う癖がついてしまっていた。
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「真相は違うって言いたいの?」
「あくまで仮説、というか妄想だけどね」
僕は語り始めた。
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「そもそも、犠牲者は本当にヒグマに殺されたんだろうか?
遺体はほとんど残ってない訳だし、
胃袋に遺体が収まっているはずのヒグマの死体は結局見つかっていない。
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そもそも生き残りは源一郎だけだし、
Wikipediaのあらましも、
結局は一番最後に括弧書きで(沢口源一郎氏・談)になってるでしょ?」
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「全部嘘だって可能性があるってこと?」
「まあね。僕が考えた真相ってのはね…」
僕は得意気に語り始めた。
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「恐らく源一郎は、
男が自分一人であることをいいことに、
大雪で集落が孤立した状況を利用して、
集落の女たちを襲い、
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口封じのために、
自分以外のオンナ子どもを殺した。
遺体はどこかに隠したんだと思う。
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そして、ヒグマの事件に見せかけるために、
山奥で冬眠中のヒグマを襲い、生首を持ち帰った。
そして、嘘の獣害事件をでっち上げたんだ」
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「なるほどね。でも、そんなことになんの意味があるの?」
「本当の目的はここからさ。
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夫たちは戦争に駆り出され、
集落の妻と子どもがヒグマに殺されたら、
そこにあった畑は
もう誰も管理できない土地になる。
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そこで源一郎が、
放棄された土地を全て手にいれ、
大地主となる。
そもそも、源一郎はヒグマ退治のヒーローだ。
地位も名誉も金も思いのまま、って寸法さ」
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「つまり、源一郎はヒグマ退治のヒーローなんかじゃなく、
欲にまみれた大量殺人犯ってこと?」
「そういうこと。
そもそもさ、ヒグマの生首の写真をよく見てごらん。
12人も人間を喰ったヒグマの頭にしては、
小さすぎると思うけどね」
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ハッとしたような表情のあと、
妻の顔がみるみる青ざめていく。
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ちょっと驚かせるつもりで
妄想を膨らませただけなんだけど、
思いの外、リアリティがあって、
信じ込んでしまったみたいだ。
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「ゴメンゴメン♪
今のは全部僕の妄想!
歴史に残る獣害事件の真相が、
大量殺人事件だなんて、
安物のファンタジーだよね、まったく♪」
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ネタばらしをしたのに、妻の表情は固いままだ。
なんの罪もないヒグマ退治のヒーローを、
悪人に仕立てあげてしまった妄想は、
我ながら悪趣味だと思う。
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そんな僕をよそに、妻が語りだした。
「犠牲者って、12人だったよね。あのさ…
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車を降りてオシッコしたとき、
飛び石みたいのがあったけど、
わたし、たまたま数えたんだ…
それが全部で12個」
「えっ?」
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「しかもさ、立て札にあった源三郎さんて、
名前からして、
源一郎の孫とかにあたるんじゃないかな?
んで、親子代々、
祖先の土地と秘密を守り続けてるんじゃないのかな?
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源三郎さんが、必死で私たちを追い払ったり、
木を伐採しないで守り続けてるのも、
あの飛び石の下に眠っているものを、
隠し通すためじゃないのかな…」
「えぇっ?」
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「ヤバいよ、うちの子たち、
墓石にオシッコかけちゃったみたいなもんだもん。
バチが当たるかも…」
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僕の妄想が、妻の推論によって、信憑性が増してしまったようだ。
「いや、でもまさか、
『ふたりにバチが当たる』なんてことは、
ないと思うけど…」
今度は僕の表情が凍りついた。
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僕は焦りを隠せなかった。
気づいてはいけないものに、
気づいてしまったのかもしれない、
ということに…。
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そう…。
言い伝えられた歴史の影に、
まったく違う真実が隠されているかもしれない、
ということに…。
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その時だった…。
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遊び疲れて後部座席で
仲良く熟睡中だった子どもたちが、
なにやら寝言を言っているのに気づいた。
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根拠のない推理ごっこに
夢中になってしまった僕たち夫婦は、
ここで一息つきたくて
ほとんど無意識的に
子どもたちから癒しを
求めていたんだと思う…。
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だがしかし、
僕たち夫婦を待ち構えていたのは
この日最大の衝撃だった…。
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いつもの可愛らしい寝言だと思い、
ふたりで耳を凝らして聞いてみると…
・・・
聞き取れた言葉に
僕たち夫婦の背筋が凍りついた。
・・・
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「重い…
重いよ…
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石の…
…
…
お布団…
…」
作者とっつ
旧作の再編集投稿も飽きたので、新作書いてみました。
後半が雑になってしまいました。
書いてたら思いの外、長くなってしまって…。
あとで、書き直すかも…。
↓↓↓↓↓
ということで、誤字脱字を修正し、
ラストシーンを加筆しました。
よろしければ再読してみてください♪