中編6
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ラブホ

つきあい始めたばかりの彼女と、I県の海に泊まりでドライブに来ていた。

日中は海で彼女の水着姿にドキドキし、夜は適当なチェーンの居酒屋で、夕食がてら彼女に好きなだけ酒を呑んでもらった(俺はドライバーだからノンアルコール)。

今回のドライブの最大の目的。それは、彼女との初めてのHにこぎつけることだった。

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といっても出発前に「夜は適当なところに泊まる」と、俺の方から軽く前ふりしておいたから、彼女にしてもそのつもりだったはずだ。

食事が済むと、俺はあらかじめネットで調べてあったラブホを目がけて一目散に車を走らせた。

車通りの多い明るい市街地からものの20分で、人家もまばらな真っ暗な山の中にいた。

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ヘッドライトの光にうっそうとした木々が浮かび上がる。

カーステレオからはFMの音楽番組が小さく流れていたが、お互い口数は少なかった。

彼女がさっきから、俺のTシャツの左袖を軽くつまんでいる。

ふたりとも、心地よい緊張と興奮に浸っていた。

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やがてカーナビが目的地周辺に到着したことを告げる。

目の前の暗闇に、フェンスに囲まれた大きな建物が現れた。

それがお目当てのラブホのはず、だった。

一見してそうと確信が持てなかったのは、建物の窓にほぼ明かりが見えなかったからだ。

よく見ると「空き室あり・なし」の看板もあったのだが、その電気も点いていない。

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『営業…してるのか?』

俺は一気に不安になった。

ここまで来て、また別のラブホを探して移動してなんて、興ざめもいいところだ。

同じように不安を顔に浮かべた彼女に「大丈夫だよ」などと言いながら、車を降り、荷物を持ってエントランスまで歩く。

祈るような気持ちでドアを開けると、無人の明るいロビーに薄くBGMが流れていた。

どうやら営業中らしい。

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ほっと胸をなで下ろすと、壁のタッチパネルで空き室を確認する。

全室パネルの明かりが点いており、選べる状態だったので、宿泊で一番料金の安い部屋を選択した。2階の部屋だった。

さてどうすればいいのかと思って受付を覗くと、カーテンがかかっており、人の気配はなかった。直接部屋に行けばいいのか。

いまいち案内の悪いことに不満を抱きつつ、薄暗い階段を彼女と並んで昇っていく。

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2階の踊り場に着いて、狭い通路を覗き込んだ時だった。

俺は思わずぎょっと息を飲んだ。

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sound:21

通路の左右に並んだ全室のドアが開いていた。

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週末の21時過ぎ。

普通のラブホなら、すでにある程度部屋が埋まっているはずだ。

それが、この様子だと清掃中、ということなのだろうか。

どれだけ流行っていないホテルなんだ。

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ラブホで人にすれ違うのも気まずいものだが、この建物に入った時から人の気配がまったくないのが不気味だった。

建物自体もリノベーションをしているようなのだが、半面、妙に古くさい感じがした。

気をそがれるのを感じながら、天井の誘導灯に明かりが灯った(唯一扉の閉まった)指定の部屋に入室する。

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狭い玄関の脇に、自動の精算機がある。

玄関正面のドアはトイレのようだ。

狭く短い通路の左奥が洗面台と風呂場、そして奥がベッドルームだ。

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『部屋自体はまあ普通だな』と思いながら、薄暗いベッドルームに踏み入れた時だった。

ベッドの上に、女性ものの赤いショールが無造作に投げ出されているのが見えた。

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「やだ……忘れ物?」

彼女がかたわらでつぶやく。

使用後はスタッフによる清掃もあるだろうに――現に今、別の部屋は清掃中だ。スタッフの姿は見ていないが――これほど目につく忘れものを放置するだろうか?

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俺は不機嫌にそのショールを取り上げると、ソファの脇に放り投げた。

俺と彼女の初Hを邪魔をするものが、今の俺にとっては不快だった。たとえそれがなんであれ。

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俺は彼女を抱きよせ、長い口づけを交わした。

それだけで彼女は再び酒に酔ったようにとろんとした表情になり、俺の胸に顔をうずめた。

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「汗、流してくれば?」

俺は出来るだけそっけなく彼女にそう言った。

彼女はこくりと頷くと、風呂場に向かった。

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ひとり部屋に残された俺は、ベッドの脇に設えられたソファに腰を降ろした。

風呂場からシャワーの音が聞こえてくる。

『いよいよだ……』

気持ちが浮足立つのを感じる。

気を紛らわすべく、テレビでも見ようとソファ脇の低いテーブルにリモコンを探したときだった。

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一冊の傷んだ大学ノートが目に入った。

「思い出ノート」と表紙にサインペンで書いてある。

へえ、と思って思わず手にとる。

ペラペラとページをめくる。

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『今日はアキくんとつきあってから初めてホテルに来ちゃいました!

アキくん、大好きだよ。ふたりずっと一緒にいようね!

20○○/○○/○○ ゆみい』

『海行ってきたー!

今日は一日ずーっとカレにかわいがってもらってまーす!

by みみか』

『(へたくそなピ○チュウの絵)』

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書き綴られたいくつものメッセージ。

割合的に、女性が書いたものが多いように見える(下手くそなイラストは男性かもしれないが)。

こういう場所で、こういうノートに思い出を書き記す、という行為自体が俺には共感できなかったが、その場のノリというか、旅の恥はかき捨てというか、そういうものなのかもしれないと想像した。

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『昼間食べたカフェのケーキが絶品でした。

○○○ってお店。皆チェックしてね! by サヤ』

『ここのラブホ安くていいけどアメニティしょぼすぎですー。もっと充実させてください』

『この部屋なにかいる byゆか』

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テーブルに置いたノートのページをパラパラと見ていると、視界の右上、暗い床の上を裸足の白い脚が覗いた。

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もう彼女が風呂から上がったのか、と思って顔を上げる。

しかし、そこには誰の姿もなかった。

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「あれ?」

見間違えだろうか。

風呂場からはあいかわらず、彼女の流すシャワーの音が聞こえていた。

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だけど、と一瞬前の記憶を思い返す。

暗い床に見えた、白い脚。

その足は濡れていた。

部屋の明かりが、肌にとりついた水滴に光っている映像が、たしかに脳裏に残っている。

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女の脚だった。

そう判断したのは、色の白さと足首の細さ。それに、

マニキュア。

そう、赤いマニキュアが、爪に――。

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ぞくぞくと寒気が足元から昇ってくる。

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『この部屋なにかいる byゆか』

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メッセージの文字が濡れていた。

水滴が落ちて、「部屋」という文字の部分がにじんでいる。

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汗?

俺の?

垂らしたのか?

いつ?

俺、汗なんかかいてない。

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shake

sound:39

「きゃああああああああああああああああああああああ」

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風呂場から悲鳴が聞こえてきたかと思うと、部屋のドアが勢いよく開いて、一糸まとわぬ彼女が飛び込んできた。

待望の彼女の裸だというのに、ただならぬ様子に俺は面食らってしまう。

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「ど、どうした?」

shake

「ねえ、ここやだ!出る、今すぐ出よう!早く!」

パニックになりながら、涙目の彼女は言った。

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山から降りる車内、いまだ肩を震わせる彼女に、俺は部屋にあった大学ノートのこと、『なにかいる』というメッセージのこと、そして濡れた白い脚のことを話した。

そして「お前も、女を見たのか?」と訊くと、彼女は首を振った。

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「シャワーを浴びていたらね、窓の外から猫の声がしたの。

ただの鳴声じゃなくて、発情期の猫の声。

オアーとか、オギャーとか。

でも、途中で『あれ?ここ山の中だし、周りに民家もなかったけどな』って思ったら、猫の声に聞こえなくなったの。

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赤ん坊の泣き声だったんだ、それ。

山の中のラブホで、窓の外から赤ちゃんの泣き声がするって異常でしょ?

髪洗ってたんだけど、気持ち悪いって思って急いで出ようとすすいでたら、耳元で聞こえたの。オギャアって」

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その日、俺たちはそのまま家に帰った。

初Hはお預けだった。

入室からたった1時間で宿泊したのと同じ料金を払う羽目になったことも、俺にとっては二重に悔しいところだった。

〈了〉

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