※この噺はどう考えてもフィクションです。
あと、ラーメン好きの方は読まないでくださいね。
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「よお、久しぶりに飯でも食いにいかないか」
「飯って言ったって、お前の場合はラーメン一択じゃないか」
学生時代の友人である小池からの電話に、とあきれ声で俺は返した。
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小池は大のラーメン好きで、それは学生の頃から社会人になった今でも変わらない。
高校で生物の教師となった小池だが、休日は全国を飛び回り、新たなラーメン屋の開拓に余念がないと聞く。
一方で俺はというと、「3食ラーメンでもかまわない」と豪語する彼につきあわされて、若い頃、ラーメン屋をハシゴしてまで食べ続けた結果、好きでも嫌いでもなかったラーメンが、いつしか嫌いな部類に入る食べ物になってしまった。
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それでも、たまに二人で会うときくらいは、渋々ラーメン屋に同行してやっている。
小池は下戸で酒が飲めないし、ラーメンを食べている時が、この友人が一番盛り上がるからだ。
「そんなだからお前は、昔から彼女のひとりもできないんだ」と俺がくさすと、
「俺はほら、メンクイだからさ」とつまらない冗談で返すのが、彼の常だった。
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週末、俺たちが出向いたのは、地元の駅前のとある個人店だった。
時刻はまだ11時を過ぎたばかりだというのに、さびれた駅前のシャッター街に似つかわしくないほどの行列が、店の前にできあがっていた。
俺はその店の看板を見て、疑問を抱いた。
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「あれ?この店、前からなかったっけか?
以前はこんなに繁盛してなかったように思うんだが……」
となりに並んだ小池が、真冬だというのに額の汗をぬぐいながら答えた。
ラーメンの食べ過ぎで形成されたラーメン腹は、常に熱を生み出すものらしい。
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「ふっふっふ。そうだ、この店は2年ほど前からあったんだ。
開店当初から閑古鳥でな。早晩潰れるかと思っていたら、ここに来ての大人気だ。
一度、食ってみる価値はあるぜ?お前のラーメン嫌いも治癒するはずだ」
「ラーメン嫌いを病気みたいに言うなよ。俺からしたらお前の方が病気みたいなもんなんだから。
だいたい、俺がラーメンが苦手になったのは、元はと言えば、お前が原因じゃないか」
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俺たちが並んでからも行列は伸び続けていた。
手持無沙汰な俺は、何の気なしに後ろに並ぶ客の顔を眺めた。
男子大学生のグループ、スーツを来た中年男性、若いカップル、5歳くらいの子供を連れた夫婦、杖を突いたかなり高齢者……。
老若男女さまざまな客がいるが、不思議なことに、皆一様に落ち着かない様子で待っている。
爪を噛む者、頭をかきむしる者、足を踏み鳴らすもの……。
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「……なんかちょっと、この連中おかしくないか?」
「そうか?」
そっけなく応える小池だったが、額から流れる汗の量は尋常でなく、その挙動は他の客同様、どこか切迫した様子を感じさせるものだった。
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しばらく待って店員に店内に招き入れられると、カウンターとテーブルが2卓しかない狭い空間は、話し声一つせず、麺とスープをすする音だけに満たされていた。
「ここにはメニューは2種類しかない。普通盛りと大盛りだ。
俺は大盛りにするがな。お前はまあ、最初は普通でいいだろう」
小池がこちらの意見も聞かず、すぐさまカウンターの奥に注文を出す。
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ややあって目の前に出された丼の中には、沼のように黒ずんだスープしか見えなかった。
スープの表面には油膜が張り、獣くさい臭いが立ち上って俺は思わずえづいた。
「……おい、これか?」
俺はやや恐れを抱いて小池に尋ねると、彼はすでに、もう然と箸を動かし漆黒のスープから麺を引きずりだすと、凄まじい勢いで口へと運んでいるところだった。
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そしてくちゃくちゃと咀嚼しながら、小池は「まずは一口、食ってからにしろ」と俺を促した。
仕方なしに麺をすくい上げる。やや太めの面はスープの油膜をまとってテラテラと不気味に光っていた。
ラーメン嫌いが悪化しそうな見た目だな、と思いながらも一口すする。
思ったよりもしつこい味ではなかった。
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「この店は店主が1年程前にメニューを変えてから急に繁盛し出したんだ。
味はそこそこなんだが、一度食べると3日と置かずにまた食べたくなる、って噂でな。
俺も初めは疑ってかかったんだが、実際その通りで今じゃ常連さ」
あっという間に大盛りを完食し、落ち着いた様子の小池が語りだす。
「中毒性のある麻薬でも入っていたりしてな」
shake
――ズルズル。
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「ははは。ところでな、俺は今高校で生物を教えているが、なんといっても面白いのは、極小の世界の住人たちだよ。つまり蟲だな。
彼らは様々な姿形をとってこの世界に存在している。
そして中には、変わった能力を持った奴らも存在しているんだ」
他の生物を操る能力だ――グラスの水をぐびりと喉の鳴らして飲み干す。
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「例えば蟻に寄生するある蟲は、宿主の腹を植物の実のように紅く変色させてしまう。
同時に目立つ動きもさせて、他の動物に食べられやすくしてしまうんだ。
また、例えばカマキリに寄生する蟲は、自らの出産に有利なように、宿主を水辺に移動させるんだ。
まったく、生物界の不思議だよな。誰がどうしてそんな能力を彼らに与えたのか……。神様の存在を想像したくなるよ」
食事中に蟲の話とは……せっかくの飯がまずくなるだろうが……。
shake
――ズルズル・ズルズル。
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「今言った寄生虫のどちらもが、線虫という、紐のような形状をしたやつらだ。
昆虫に寄生するような奴は小型のものが多いが、大型の哺乳類に寄生するような奴になると、何メートルにもなるそうだぜ。
そう、ちょうど、その麺くらいの長さと太さの――」
shake
ブッ!
俺は思わずむせてしまう。
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「馬鹿野郎、気色の悪い話をするな」
幸い、店員や他の客には聞こえていなかったようだが、袋叩きにされても仕方ない会話だ。
冗談だ、と小池は笑う。眼鏡がくもっていて、その眼は見えない。
不意に、
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shake
――チャプン。
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なにかが丼の中の真っ黒なスープの中に跳ねたような気がした。
「ところで、大島」
友人が俺の名を呼ぶ。
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「ラーメンは好きか?」
こいつはさっきから、何を馬鹿なことばかり言っているんだろう。
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「好きに決まってるだろ」
小池は満足そうに笑った。
―了―
作者綿貫一
こんな噺を。