黒い竜巻が過ぎ去った後の空気は、まだ淀みを残していた。それが先程までの強力な霊気によるものなのか、それともまた別の何かなのか。それは定かではない。炎天下の林道を走り続けていると、少し開けた場所に出た。ここへ来て、ようやく霊気の正体を判別できた気がする。
誰かが、来る。
「しぐる、どこへ行くんだ?」
俺の前に立ちはだかったのは、予想もしていない人物だった。一瞬、思考の停止した俺は、なぜその人物から霊気を感じ取れたのか等と考えている余裕すら無かった。
「親父・・・」
「こんなことを聞く必要も無いか。首領様のところへ行くんだろう?そうはさせないがな」
なぜだ?なぜ親父がそんなことを言うのだ。と、そこで俺は、一昨日サキが言っていたことを思い出した。親父に、サキの姿が見えているという主旨の発言だ。
「どうしちまったんだよ親父!まさか、本当に超能力を・・・」
「これは首領様から恵んで頂いた力だ。使い果たせばそれまでだが、力の影響でお前たちのように霊や妖怪を見ることができるようになった。今日はあの蛇は連れていないんだな」
まさか、そんなことがあり得るのだろうか?異界連盟の首領とやらは、能力を他者に分け与えられる程の力を持っているというのか?
「どうして・・・どうして異界連盟なんかに!俺は昔からアンタの考えてることがさっぱり分かんねぇ!こんなこと、母さんだって望んでないだろ・・・」
「お前はまだ何も知らない。お前の母さんがどうなったのかを、その真相を」
「何、言ってるんだよ。母さんは4年前に急死して・・・」
そうだ。母さんは4年前、ひなが亡くなる約1年前に死んだのだ。まるで眠るように。若すぎる死だった。心臓麻痺とのことだったが、詳しい原因は分からなかった。
「あいつは、影世界の創造と共に魂が呑まれたんだよ。3年前にひなが死んでから少し経った頃、俺は首領様に出会い、この話を聞かされた。ひなの件を相談した霊能力者が、偶然首領様だったのだ。初めは首領様が影世界を創造したことに憤りを感じたが、影世界との融合に成功すればあいつも・・・お前の母さんも元に戻るということを教えられた。俺は彼女を救うためならば、この町など・・・!」
「ふざけんなよ・・・この町が影に堕ちたら、母さんが戻ってきたところでどう生きていけばいいんだよ!」
「町を出ればいいじゃないか。この町が異界と化すまえに家族で逃げるんだよ・・・勿論、露も一緒にな。第一、浄化とかいうのが成功したところで、ひなや母さんは戻って来ないだろう!しぐる、今からでも遅くない。俺達のところに来い・・・!」
親父はそう言うと、俺に手を差し伸べた。そうか、親父はこんなことをしてまで、俺達家族のことを想ってくれていたんだ。ずっと・・・ずっとそうだったんだ。人は精神的に追い込まれると正常な判断が出来なくなると聞いたことはあるが、今の親父はまさにそうなのだろう。俺は溢れ出した涙を半袖の裾で拭うと、一呼吸置いてから叫んだ。
「クソ親父ーッ!!!」
言いたいことなら山ほどある。だが、最初に出てきた言葉がそれだった。
「俺達だけが逃げたって、この町が無くなったら意味が無い。せっかくできた仲間も、友人も、恋人も・・・全て無かったことになるなんて嫌だ。俺は本当に、みんなを守りたい・・・!」
「しぐる・・・」
「あと俺、さっきまでひなと一緒にいたんだよ。もう霊体だけどさ。3年前のまま変わってなくて、相変わらず可愛かった。ひなは今、浄化に協力してくれてる。母さんだって、生きてたらアンタにそうしてくれって言ったと思うよ。優しいからさ。親父が・・・父さんが大事なのは、家族のことだけじゃないだろ?俺達が生きてきたこの町に、俺達の想いが残っているはず。だから、一緒に町を救おうぜ・・・」
俺が溢れだした想いを吐き出すと、それを聞いた親父は膝から崩れ落ちた。
「俺は、俺はどうすればいいんだ!間違ったことをしていたのか・・・?いや、そんなことは分かっている!おかしいのは俺の方だ。ただ・・・俺は、能力に憧れを抱いていた。親父とお前には霊能力があるのに、自分だけ力に恵まれないことに嫉妬していた。そんな中で、首領様は汚染に協力すれば力を分けてくれると言った。だから、俺は・・・」
「そんな理由かよ・・・いや、そんなの痛いほど分かる。俺だって、ひなやゼロ達の持った強い力に憧れてた。昔から霊感ばっか強くて、じいちゃんみたいに霊を祓う力は持っていないことを悔やんでた。でも、それは犠牲を出してまで手に入れていいものじゃないだろ!」
上手く言葉が出ない。親父の気持ちは死ぬほど理解できるのに、やっぱり自分の気持ちを誰かに伝えるのは難しい。
「そうだよな・・・」
親父はそう言ってゆっくりと立ち上がり、ため息を吐いた。
「俺が力を持てば、何かが変わると思っていた。だが、実際はお前たちの浄化を邪魔する以外の用途も無い。結局、この力は誰かを救えるわけでもない、破滅の力だ」
「その通りだ」
不意に聞こえてきた声は、どこかで聞いたことのある男の低い声だった。上を見上げると、木に腰掛けている赤い蛇模様の白い和服を着た長髪の男が目に入った。確か、婆捨穴で遭遇したロウの仲間だ。
「キノ様!」
親父は男を見てそう言った。その表情は、彼のことを激しく恐れているようだった。
「首領様がお前に与えた力は、この町を、世界を破滅へと導くもの。その力を我々のために使ってもらわねば困るね」
「お前、どうしてここに!」
俺がそう訊くと、キノはニヤリと笑い木から飛び降りた。
「その男、貴様の父親の心に迷いが見えたからな、正しいほうへ導きにやってきたのだ。ついでに、貴様も始末しようと思ってな」
キノがそう言い終える頃には、既に俺の目の前まで迫ってきていた。俺は咄嗟にバリアを張り、念動力でキノの力を押し返す。
「ほう、なかなかやるようだな。しかし、以前見た時の貴様はこれ程の力を持っているように思えなかったが・・・何が起きた」
「お前には関係ない!」
俺は足で地面を蹴り、念動推進力で身体を大きく前進させた。さすがに身体が軽い。慣れていないためジェットコースターのようで少し酔いそうだが、これなら予備動作無しで超能力を使えそうだ。
「食らえ!」
精一杯の念力を込めた拳はキノの服を掠り、俺はコケそうになりながらも再びキノに目を向けた。が、先程までいた場所にキノの姿は無い。
「どこを見ている」
声のしたほうを見ると、キノは親父の首を掴んで立っていた。
「親父っ!」
「貴様がこれ以上攻撃するならば、父親の命は無いぞ」
卑怯な真似を・・・俺は拳に溜めていた念力を抑え、キノを睨み付けた。
「しぐる・・・俺に構うな」
親父が苦しそうな声で言った。そんなことは出来ない。今ここで親父まで死んだら、俺はもう・・・。
「ほう、お前はもう私達に協力する気が無いということでいいのだな」
キノの言葉に、親父は首を掴まれたまま僅かに頷いた。
「この町が消えるくらいなら、目の前で我が子が殺されるくらいなら俺は・・・!」
親父から強い念波が感じ取れる。その刹那、親父はキノの首元に向けて念力の刃を放った。キノはギリギリのところで防いだが、その反動で親父の身体は解放された。
「成る程な、我々の敵になるならば、お前も用済みだ」
キノはそう言うと、瞬時に親父の前まで移動した。俺はそうはさせまいとキノに殴りかかったが、不意にヤツの足元から現れた赤い大蛇に襲われた。まさか、サキと似たような能力を・・・。
「クソッ!」
呑み込まれそうになりながらも大蛇を消し去った俺がもう一度キノに目を向けた時には、再び親父の首が掴まれていた。咄嗟に構えたせいか、勢いで通信機が放り出されてしまったことにも気付く。
「もう遅い」
キノがニヤリと笑みを浮かべ、そう言った。
「がァッ!」
そんな声と共に、親父の胸からは鮮血が飛び散る。キノは血に塗れた自身の右腕を抜き出すと、まるでゴミを捨てるかのように親父の身体を放り投げた。
「全く、使い物にならん。次は貴様だ」
俺は頭が真っ白になり、目の前で起きたことを理解できずにいた。理解したくない。こんなことが・・・。
「お前・・・ッ!」
考えている間もなく、俺の身体は自然と力を放出させてキノに飛び掛かった。自分でも訳の分からない叫び声を上げながら何度も攻撃を浴びせ、目の前の相手を地に叩き付ける。
「まさか、これほどまでの力を持っていたとは・・・いいぞ、怒りの感情に支配された人間は実に素晴らしい!」
キノが何かを言っているが、そんなことは関係無い。圧力に耐えきれなくなった地面は崩壊し、大きな窪みが形成されて土の塊が宙に浮く。地へと拘束したキノの首に強い念力をかけ、形が変わるまで押さえつけた。声にならない声でもがくキノの姿が目に入ったのを最後に、俺の意識は赤く染まりきった。
この後、何が起こったのか詳しくは分からない。1つ確かなことは、俺が影の力に呑まれて暴走したということだけだ。
作者mahiru
明けましておめでとうございます。第34話です。
先に藍色妖奇譚を投稿する予定でしたが、こっちのほうが早く書き終えてしまいました。最近は忙しかったり、絵本制作の方に力を入れてたりと、なかなか続きを書くことができずに気付けばもう2月の後半・・・遅くなって申し訳ないです。
35話もすぐに投稿するので、今年もよろしくお願い申し上げます。