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【夏風ノイズ】蝉騒の止む頃に

長編11
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【夏風ノイズ】蝉騒の止む頃に

 唐突に通信機のイヤホンから鳴り響いた爆音の次に聞こえてきたのは、兄さんの叫び声だったらしい。浄化の準備を手伝っていた私に、右京さんがそう教えてくれた。

「しぐちゃん、何らかの拍子に通信機落っことして、ボタン押されたまま戦ってんだな。あの声を聞く限りただ事じゃないってのは確かだ」

「そんな・・・助けに行かなきゃ!サキさん手伝って!」

 私が言うと、サキさんは声を荒げてそれを制止してきた。

「ちょっと待てよ、流石に露ちゃんが行っちゃまずいだろ!ってかお前さんよぉ、なんで真っ先に露ちゃんに言っちまうかなぁ・・・」

 サキさんが呆れた声で右京さんに言うと、彼はヘラヘラ笑いながら顔の前で両手を合わせた。

「すまん!だって、しぐちゃんのピンチには露ちゃんかなぁと思ってさ。ほら、ひなちゃんもずなちゃんも浄化で手が空いてないし・・・サキが憑依すれば、露ちゃんの潜在能力は最大まで引き出せるだろ?」

「んなこと言ったって・・・はぁ、手が足りないのは確かだ。俺様がいるからってお前らが安全とも限らないし、しぐるがどんな状態なのかも分からん。それでも行くか?」

「行きます。兄さんを助けなきゃ」

 私はサキさんの言葉に頷いてそう言った。兄さんを助けるには、私がやるしかないんだ。そうは言っても、怖くて足が竦みそうになる。

「露ちゃん」

 ふと背後から名前を呼ばれたので振り向くと、巫女姿の鈴那さんに連れられた黒髪の女の子が私を見ていた。兄さんの実の妹、ひなちゃんだった。

「お兄ちゃんが大変みたいだけど、よろしくね」

「あたしからも・・・しぐを助けてあげてほしいな。露ちゃんならできるよ!」

 二人から励まされ、私の中の恐怖心も少し薄らいだ。

「わかりました。私が兄さんの助けになれるなら・・・鈴那さんやひなちゃんの分まで頑張ります!」

 ひなちゃん達にそう告げると、私は右京さんに連れられて車に乗り込み、サキさんの指示で兄さんがいる場所へと向かい始めた。

「まずいな、こりゃしぐるの霊力だ。ひなちゃんの時みたいにビンビン伝わってきやがる。あいつ、暴走してんな」

 サキさんはそう言って顔をしかめ、下をチロチロさせた。

「そんな・・・じゃあ、今の兄さんは意識が無いってことですか?」

「分からねぇ。けどな、勝算ならあるぜ。俺様がヤツの中に入って力を抑えればいいだけの話だ」

 確かに、今までずっと兄さんの中にいたサキさんならそれができるかもしれない。けど、兄さんの力はひなちゃんの真逆・・・サキさんが中に入ることは難しそうだ。

「サキ、その作戦じゃ仮に入れたとしてもお前が死ぬだろ。露ちゃんと俺の力でしぐちゃんを止めりゃいい話じゃねーのか?」

 右京さんの言葉に、サキさんは首を横に振る。

「しぐるの力を甘く見るな。あいつは神の力の半分を宿してるようなもんなんだぜ!外側から攻撃してどうにかなるようなもんじゃねえ・・・内側から抑え込むしかないんだよ」

「サキさん・・・兄さんのことを心配してくれるのは嬉しいです。でも、サキさんが死んじゃうのは嫌です!だから、少しだけ私達に頑張らせてください。それでもダメだったら、サキさんにお任せします」

「別に心配してるわけじゃ・・・いや、俺様もしぐるにゃ助けられたからな。義理は果たさなきゃならねえ。わかった露ちゃん、そこまで言うなら俺様も全力で手助けしてやる」

「サキさん、ありがとうございます!」

「蛇の恩返しかよ。妖怪のくせに律儀だなぁ」

 右京さんがそう言うと、サキさんは苦笑しながら「バカ野郎」と言った。

「上手いこと言ったつもりかよ。ところで、娘ちゃんは連れてこなくても良かったのか?いつもはお前さんのほうがベッタリだろ」

「蛍は浄化の準備を手伝ってる。島に結界を張るには、人形術が有利だからな」

 そういえば、島を離れる前に蛍ちゃんが人形たちを使って力を集中させているのを見たけれど、それを聞いて納得した。

「おい、近いぞ」

 不意にサキさんが表情を変えて言った。窓から外を見ると、黒い霊力が竜巻のように渦を巻いているのが見える。

「おいおい、本当にひなちゃんと同じじゃねーかよ」

 右京さんはそう言って適当なところに車を停め、通信機のイヤホンのボタンを押してから「しぐちゃん見つけた。何かあったらまた連絡する」とだけ伝えた。

「兄さん・・・」

 私は車を降りるとサキさんに憑いてもらい、身体の主導権を委ねた。木々の上から蝉時雨の降り注ぐ中、サキさんは走りながら視界に入った植物達へ強い命令信号を送り、それらを次々に操ってゆく。黒い竜巻・・・兄さんを目前にした頃には、大量の植物を従えていた。

「しぐる・・・荒れてんなぁ」

 サキさんは私の声でそう呟き、少しずつ兄さんの元へと近付いていった。ふと横に目を移すと、白い和服を着た人がボロボロで倒れているのが見えた。

(サキさん、あの人・・・)

「おう、ありゃ妖怪だな。状況は大体わかった。そういうことか」

 サキさんはため息交じりに言うと、別のほうに目を移して拳に力を込めた。

「クソ、あの野郎やっぱり霊能力を・・・露ちゃん、あんまり見るなよ。しぐるの親父が死んでんだ。おそらくあの蛇柄着た妖怪にやられたんだな。それを目の前で見たしぐるは暴走して、今の状況ってとこだろ。まさかこんな事態になるとは」

「そんな・・・」

 視界の端に映る真っ赤な光景は、お父様の血がそう見えているんだろう。さっきまで私の中にあった恐怖心が、再び蘇ってきた。

「露ちゃん、今はしぐるを助けなきゃどうにもなんねぇ。いくぞ!」

 そうだ、今はそうするしか無いんだ・・・人があんなに残酷な死に方をしているのを見たのが初めてで、すごく怖いけど・・・私には大事な役目があるんだ。

「悪い、遅くなった」

 追い付いた右京さんは、視界に映った世界を見て表情を変ると、手で口元を押さえた。

「右京、しぐるの霊気抑えられるか?そしたら俺様がこいつらで一斉に取り押さえる。その作戦でいくぞ」

 右京さんは険しい顔をしながらもサキさんの提案に頷くと、一瞬だけ首を傾げて苦笑した。

「声が露ちゃんだから、一瞬ビビった。お前サキだったか」

「・・・いや、どうでもいいことに触れてんじゃねーよ!とにかくやるぞ!」

 人が目の前で死んでいるのに、この人達は何を話しているんだろう・・・。右京さんは「りょうかい」と言いながら両手に紙人形を持ち、キレよく構えをとってそれらを宙に舞い放った。

「龍の舞!」

 右京さんの周囲を取り囲むように乱舞していた紙人形は、一斉に黒い竜巻目掛けて飛び出した。一瞬は攻撃が当たったように見えたけれど、紙人形たちは竜巻の放つ霊気で細かく切り刻まれてしまった。その直後、竜巻は幾つもの霊力の弾丸を生成し、こちらに殺気を向けたのがわかった。

「まずい、やべーのがくるぞ!」

 サキさんは叫びながら自分の操る木の根に飛び移り、放たれた無数の弾丸を避けた。右京さんも何とか避けきれたようで、地面に手をついて着地すると冷や汗を拭った。

「うおぉ、やべぇなこれ・・・斯くなる上はこの清め塩で!」

 右京さんはそう言うと、ウエストポーチから取り出した袋入りの塩を手で鷲掴み、竜巻へと向かって投げた。塩は当然のように、ただただ竜巻に呑み込まれてしまった。

「お前さん、さっきからクソザコ感がすげぇぞ」

 サキさんが呆れた様子で言うと、右京さんは頭を掻きながらそれに反論した。

「うるせぇ相手は生身の人間だぞ!なんとか傷付けないようにって試してんだよ」

「んなことしたって無駄だぞ!あの黒い渦を止めねえ限りしぐるの霊力は暴走したままだ」

 その言葉を聞いた右京さんは、ため息を吐いてからまた別の体勢に構えた。

「呪撃・影縛りの陣」

 右京さんの足元から伸びた影が、素早く地を這い竜巻を取り囲む。今度は手前で防がれることなく、しっかり届いたらしい。

「あの野郎、いつになく真面目な顔してんな。いいぞ!そのまましぐるの霊力を消耗させといてくれ!」

 サキさんがそう言いながら植物に再び命令信号を送り、木々の根や蔓などが竜巻を覆うように渦を巻いた。

「しぐちゃんの霊力が強すぎて、影縛りが持たねえ・・・早めに頼む」

「わかった!」

 サキさんの命令で、何重にも絡まりあった植物達が竜巻を囲い込む。お願い兄さん、目を覚まして・・・!

「いけねぇ!」

 右京さんが声を上げたその瞬間に影縛りが解かれ、竜巻を覆っていた植物も凄まじい轟音と一緒に全て散り散りに切り裂かれてしまった。

「うそだろ・・・どうすりゃいいんだこれ」

「だから言ったろ!外側から攻撃してどうにかなるもんじゃねぇって!」

 サキさんはそう言って私の中から抜け出した。途端に私の身体は軽くなり、一瞬だけ浮遊感に襲われる。

「ちょっとサキさん!なにしてるんですか!」

「右京、ちょい身体貸せ!俺様に考えがある」

 そう言い終えるや否や、サキさんは問答無用で右京さんに憑依した。

「影縛りッ!」

 右京さん・・・いや、サキさんは影縛りで再び竜巻を取り囲み、兄さんの霊力を抑え始めた。

「この術、霊気を吸い取ることができる。消耗させた霊力をこのまま俺様のもんにして、影を媒体にしてしぐるの中に入れりゃ上手く抑えられるかもしれねぇ!」

「そういうことですか・・・!でも、それをやったらサキさんが!」

「構わん!しぐるが助かるなら俺様がしぐるの一部になってでも助けてやる!」

 サキさんの霊力が途端に強くなったのが感じ取れた。すごい、私の時とは比べものにならない力だ。

「お前さんの潜在能力、最大まで引き出させてもらうぜ!」

 強い念動力でサキさんの立っている地面が窪み、より一層術にも力が入る。その時、強い力を放つ光の矢が竜巻の頂点を突き刺し、黒い霊気の渦を一瞬にして消し去った。光はそのまま兄さんの中へと入り込み、先程までの爆風が嘘のようにこの場を静まらせてしまった。

「おいマジかよ・・・影の力を一瞬で抑え込みやがった」

 サキさんは右京さんの中から出ると、そう言ってひょいと地面に降りた。

「何が、起こったんですか・・・?」

 私の問いに、サキさんが「ありゃ千堂だよ」とだけ答えた。

「マジかよ!会長が・・・?」

 右京さんも驚いているようで、尻餅をつきながら口を開きっぱなしにしている。会長、千堂さんってあの人だ。呪術師連盟の会長・・・でも、どうしてあの人が兄さんに入ったのだろう?

「千堂のやつ、しぐるの一部になって影の力を調和させるつもりだ。思い切った真似しやがって」

 サキさんはそう言いながら兄さんのところへ這っていくついでに、倒れている和服の妖怪へと近付いてその中に入り込んだ。和服の妖怪はゆらゆらと立ち上がり、奇声を上げながら身体を振るわせて再び倒れ込んだ。

「サキさん・・・なにしてるんです?」

 私が訊くと、またもや和服の妖怪が立ち上がって、今度はサキさんの声で普通に話し始めた。

「こいつの身体、丸ごと俺様のもんにしてやったぜ。いやぁ流石はしぐるをこんなまでにするだけのことはあるな。すげぇ妖力を持ってやがる」

「お前・・・えげつないことするな。でも、そいつの意識が目覚めたらサキ負けるんじゃね?大丈夫なのか?」

 右京さんの問いに、サキさんは人差し指で自分の頭をトントンとしながら答えた。

「完全に精神を破壊してやった。人間も妖怪も、気を失ってるときが一番無防備になんだよ。こいつはもう俺様のもんだ!」

 サキさんはそう言うと、身体を縮めるように元の蛇の姿へと戻った。

「あ、戻れるんですね」

「妖怪だからなぁ。実体があるとはいえ、生物じゃねぇ以上はいくらでも姿を変異させられる。力を取り戻した俺様の手にかかればな。さてと、おーいしぐる大丈夫かー?」

 サキさんは思い出したように兄さんの元へ行くと、細長い舌で頬をチロチロと舐めた。その後、私と右京さんも倒れたままの兄さんに駆け寄り、目が覚めるまで声をかけ続けた。

   〇

 赤く染まりきっていた俺の意識は、気付けば明るく晴れ渡っていた。何が起こったのか、全く分からない。だが、目の前には誰かがいる。見覚えのある、あの中年男性だった。

「しぐるよ、目を覚ませ」

「千堂さん、どうしてここに」

「ここは君の精神世界だ。君は影の力に呑まれ、暴走していた。今は私がそれを抑えている。気分はどうだ?」

 千堂さんの言っていることを理解するまでに少し時間がかかる。俺には暴走する寸前までの記憶が残っており、自分が力に呑まれたという自覚は辛うじてある。そうだ、親父がやつに殺されて俺は・・・。

「ぐっ・・・!」

「落ち着けしぐるよ、あの妖はもう倒された。君は苦しいだろうが、今は浄化を成功させねばなるまい。よく聞け、私が君の心の一部となり、影の力を私自身の力と調和させる。さすれば、もう暴走することもないだろう。君と私は、文字通りの一心同体となるのだ」

 千堂さんの声を聞いていると、なぜか気持ちが落ち着いてくる。目の前に立っている彼の姿が徐々に薄くなりはじめ、俺の黒い力が浄化されていくのが分かった。

「そうだ、このまま私に身を委ねよ。影の力が調和されたとはいえ、案ずることはない。これだけの強い力を持ってすれば、影世界の領域に足を踏み入れることは可能だ。君ならば、必ず汚染を阻止することができる。信じておるぞ、雨宮しぐる」

 次第に俺の意識は遠退き、次に目が覚めた時には目の前で露や右京さん達が俺の名前を呼んでいた。

「あ、兄さん!大丈夫?本当に、本当に無事でよかった・・・」

 露はそう言いながら大粒の涙を流し、その雫は俺の頬に落ちた。

「露・・・なんでここに?」

 俺は上半身だけを起こし、周囲を見回す。キノの姿はなく、血塗れになった親父の亡骸だけがあった。サキと右京さんから事の顛末を聞かされた俺は、自分の身に起こったことも全て話した。

「しぐちゃん・・・親父さんのことは、本当に・・・」

 右京さんは俯きながらそう言った。俺はまだ泣き止まない露の頭を撫でると、その場に立ち上がり親父のほうを見た。

「もう、家族がみんな死んじゃったなぁ。仕方ないけど」

 俺は親父に歩み寄り、手を合わせた。せめて、安らかに眠れるように。

「サキ、お前がキノに止め刺してくれたんだよな。ありがとう」

「まぁ、しぐるが倒してくれたから呑み込めたんだけどな。おかげさんでそこそこ妖力も戻ったぜ」

 サキがそう言いながら姿を変え、人型を形成し始めた。

「待て、今その姿を見ると殺意しか湧かない」

「あ、悪い・・・」

 慌てて姿を元に戻したサキは、露の後ろに隠れてチラリと俺を見た。珍しく素直だ。俺に気を遣っているのだろうか?それが無性におかしくなり、思わず吹き出してしまった。

「冗談だよ、もうヤツはいない。それがサキの新しい姿ってことでいいだろ」

 サキは俺の言葉に苦笑しつつ、露の頭の上に飛び乗った。

「そいつはちょっとなぁ・・・俺様もこっちの姿のほうが落ち着くし、小さけりゃ露ちゃんの頭にも乗れるからな」

「サキさん、正直そこに乗られるとバランスとるの大変なんですから、なるべく控えてくださいね」

「うぇ、すんません・・・」

 いつの間にか泣き止んでいた露は、そう言って頭上のサキを掴んで両手に乗せた。俺は露たちのところへ戻ると、右京さんに頭を下げた。

「本当に、お騒がせしてすみませんでした。俺、行ってきます」

「いや、謝ることなんて何にもないさ。あとは俺達に任せて、しぐちゃんは思いっきり戦ってきてくれ」

「兄さん、気を付けて・・・全部終わったら、また一緒にお出掛けしようね!」

「しぐる、お前ならできる!3年間世話になってた俺様が保証するぜ!」

 2人と1匹から激励を受けた俺は、目頭が熱くなりながらも「ありがとう」と、一言ずつ噛みしめるよう声に出す。蝉騒の止む頃に、巨大な悪意の渦巻くほうへと向けて歩き出した。

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