”弱ってる時、落ち込んでいる時、自暴自棄になってる時に現れる。連れていかれるって聞いたこともあるな、どこに連れていかれるかは分からないけど”
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「やっと終わったー、ふあー眠い」
大袈裟に伸びをすると肩の骨が鳴った。激務が終わり緊張が解けたのかどっと疲れが押し寄せてきた。体のあちこちが凝り固まっている。唸りながら身支度を整えると携帯をみた。
メールの履歴が1件、友人の名前があった。
「加藤お疲れ、連休はゆっくり休めよ」
shake
ポンッ
後ろから肩を叩かれ、大袈裟に身体が跳ねた。平静を装いながらひとつ咳払いをし、まだ帰れない先輩に言葉を返した。
「お疲れ様です、先輩も疲れとって下さいね」
separator
職場から出ると近くのコンビニでエナジードリンクを2本買い、一本を飲み干した。勢いをつけたせいか、口の端を液体が伝う。身体に何重もの鉛が巻き付いている様に重い。口を拭うという簡単な動作でさえ億劫に感じた。ドリンクのおかげで頭はさっきよりも冴えた気がしたが、意識は遠くにあった。意識と体が切り離され、自分という意思が自分という体を操縦しているような。
幽体離脱をしたらこんな風なのか、いつかテレビでみた幽体離脱の映像を思い出した。
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帰路の電車を待っている間、返信していなかった友人からのメールをみた。
“相談に乗って欲しいことがある、メッセージだと伝わらないから会って話を聞いてくれないか?”
この友人は余程の事がない限りこのような文を送ってこない。
以前連絡があった時は確か、家に知らない人が居るという内容だったか。普段からは想像できないくらいに取り乱していたのを覚えている。
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待ち合わせ場所には既に友人が待っており、此方に気が付くと軽く手を振った。ずれたわけでもないのに黒縁眼鏡の位置を直した。
「久しぶり!元気にしてた...元気じゃなさそうだね、夢明」
「そんなに悪くない、まあまあだ。将は相変わらず元気そうだな、お前と話すと元気がでるよ。仕事で疲れ切ってるのに呼び出して悪かった。会えてよかったよ」
友人は疲れ切った顔を隠すように笑うと、下を向き黙った。数本の髪が前に垂れ、顔に影を作った。
「なんだよー最後の別れみたいな言い方、もうすぐ死にますみたいな雰囲気やめてよー」
暗い雰囲気にさせまいと努めて明るく言った。友人の肩を叩こうと手を伸ばすがスルリと避けられ、そのまますたすたと近くの店へ入って行ってしまった。その後を慌てて追いかける。
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wallpaper:40
店の中は空いていて見渡す限り、お年寄りしか居なかった。新聞を読んだり、談笑していたり様々。
店の一番奥の席に案内され、適当に注文をした。背中をつけて深く座るとミシッと皮が鳴った。
その音を聞いて目の前の友人の顔が緩んだのがみえた。さっきの硬い表情が少し崩れた気がした。
「少し話が長くなるかもしれない、いいか?」
「長くなっても大丈夫」
この話が後に自分に関わることになるとは、知る由もなかった。
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その日は急遽準夜勤業務を一人でやるように頼まれた。普段は2人ペアでやるところを、どうしても一人でやって欲しいと。一緒に勤務する予定であったスタッフの子供がインフルエンザで倒れたので定時であがりたいと申し出があったそうだ。
上司にどうにか交渉して一人スタッフを20時までという条件付きでつけてもらった。上司は何度もすまないと謝っていたが、上司の言葉は耳に入ってこなかった。20時を過ぎたら自分一人で患者達を看る事ばかり考えていた。一人で準夜勤をやっても問題はないのだ、自分は入ったばかりの新人ではないし。ただ、アレさえなければ...
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「柴田さん、柴田さん!大丈夫ですか?」
shake
「はい!」
いつの間にか休憩室で眠ってしまったようで、突然の声にはっとして目を開いた。椅子から立ち上がり辺りを見渡す。
「大丈夫ですか?柴田さん」
自分の横には腕を組み仁王立ちした男が立っていた。
「お前先に帰ったんじゃなかったのかよ、わざわざからかう為に残業か?杉元さん?」
「たまたま休憩室に寄ったらお前が魘されてたから声をかけたんだよ」
「魘されていたのか...」
「そういえば今夜は一人で準夜勤だそうだな」
「一人スタッフが20時まで残ってくれるから、なんとかなるだろう」
「何か聞こえても何か見えても、気のせいだと思え。怖いと思うから見えたり聞こえたりする、俺はそう思うようにしてる。お前は激務が続いて疲労困憊だから、それに...」
杉元はなにか言いかけたが、その先は言わなかった。
「だからさっきみたいにいつの間にか寝るのか、不眠も続いてるから余計に疲れる」
「なぁ、疲れる=”憑かれる”って意味になる話知ってるか?」
「知らねーよ」
sound:26
ガチャッ
ノックも無しに休憩室の扉が開き、二人の肩がビクッと動いた。杉元は驚いた拍子に椅子に脛をぶつけたのか、脛をさすりながら悶絶していた。
「お二人の声が廊下まで聞こえています、もう少し静かにお話下さい」
sound:26
ガチャ
声の主は言いたいことだけ言ってドアを閉めて行った。声は穏やかだったが目が笑っていなかった。
「怖ぇな...」
「怖...」
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休憩室から戻ると20時まであと30分もなかった。片付けや次の日の準備など色々やっている間に時間は過ぎて行った。
「柴田、時間だぞ!」
時計をみたら20時を過ぎていた。頑張れ!と気合の入った言い方で肩を叩かれた。試合前に選手を応援するコーチの様だと思った。
もう少し残ろうか?と先輩に言われたが断った。上司から20時以降残業させないように言われていた。
「大丈夫か?なにかあったら連絡しろよ」
「ありがとうございます大丈夫ですよ」
「ビルの鍵締め忘れないように」
「わかりました、お疲れ様です」
先輩が帰り一人になると病室はシーンと静かになった。患者が残り3人になった時、それは始まった。
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music:3
shake
パーン!...パーン!...パーン!...
少し離れたベッドの方から音がした。生理食塩水のパックを叩く音だと後に分かった。
ぐっと腕を組み、寝ている患者のベッドの方へ移動した。正確には避難した。
数分経っても音は止まなかった。このままではだめだと意を決してその音のなる方へ行くことにした。
shake
パーン!...
一度音が鳴ると、そこから音がぴたりと止んだ。生理食塩水のパックだけが左右に振り子の様に揺れていた。内心ホッとし、揺れているパックを止めた。これくらいだったら平気だと思った。
そこから向かいのベッドに行き、明日の準備を始めた。カルテやファイルを整理していると視界の端に何かが見えた。自分の近くのベッドの横にある少し出っ張った壁に何かが見えた。
「なにも見てない、なにも見てない」
自分に言い聞かせるように言った。しかし、また視界の端になにか見えた確かに動いている、またさっきの壁のところだ。
壁の方を見ると...
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music:3
スッ
白い何かが隠れたのが見えた。見間違いだと思って作業に戻ろうとすると、さっきの壁から再び何かが出てきた。
ヌッという効果音がつきそうな動きで壁から出てくる。眼だけを動かしてそれを確認する。
自分よりも背の高い真っ白な人型のものがそこに居た。しかも完全に隠れていない、顔と思われるものを半分壁から出していた。顔を完全にそっちに向けると完全に隠れた。これを何度か繰り返した。体毛なのか髪なのか分からないざんばらな毛も見えた。
「あれが皆が言っていたやつなのか」
休憩室で杉元から聞いた怖い話を思い出し寒気がした。怖いと思うからいけないんだ脳が勝手に怖いものを見せているんだ、あれは絵なんかと同じで本物じゃないと自分に言い聞かせた。
だが、こんなものは何の役にも立たなかった。アレはまだしっかりそこに居た。目だけ動かして姿を確認するとスッと壁に隠れ、時折此方を窺うように半分身体を壁から出してきた。
顔が異常に大きく、口を開き笑っていた。女にも見えるし男にも見えた。目が合ったとおもった瞬間名前を呼ばれた。
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「柴田さん!」
shake
「はい!」
奥のベッドの患者からの声だった。心配そうな顔で大丈夫かと言われ、張り詰めていた気が緩みそうになったところをぐっと堪えた。
「はは、大丈夫ですよ、終わりの準備しますね」
「一人だから大変だよね、頑張ってて偉いよ」
「大丈夫ですよ、ありがとうございます」
なにが大丈夫なものか、この状況が大丈夫だと言える人がいるなら自分と代わって欲しい。早く帰りたくて堪らなかった。
亡くなる患者の病室に黒い人が現れるという怖い話を聞いたことがあったが、あの白いものは聞いたことがなかった。
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wallpaper:4318
病室の片付けを終えると次は患者が帰宅したか確認しに部屋をまわる。自分達の休憩室や更衣室も一応確認する。最後がトイレだ。この作業が一番嫌いだ。
「誰もいませんかー?」
声をかけながら扉を開けてまわる。心臓がいつもより速く、体の動きがぎこちなくなった。焦りと恐怖で手が震えるのが分かった。手を握ったり揉んだりしても治まらなかった。頭や体が重くなっていき、意識が朦朧としてきた。不眠と過労によって自分の体は限界だった。
sound:27
ビルの鍵を閉める手も震えた、あとはもう帰るだけなのに気持ちが焦り落ち着かない。
チャリン
鍵がから落ち、慌てて拾おうとしゃがんだ。下を向いた時、居た。
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music:2
落とした鍵の少し後ろに立っていた、黒いものが。疲れのせいなのか、直ぐに立ち上がることができなかった。重い岩を背負わされているんじゃないかと思うくらいに体が動かなかった。
この時、休憩室で聞いた杉元の言葉を思い出した。
”弱ってる時、落ち込んでいる時、自暴自棄になってる時に現れる。連れていかれるって聞いたこともあるな、どこに連れていかれるかは分からないけど”
この時、ああもう自分は死ぬんだ、自分を迎えに来た死神なんだと思った。
「あんた...俺を迎えに来たんだな、そうか...はは」
死んでもいいかもしれない、と全てどうでも良くなってきた。連れて行くならどうぞ連れて行って下さい、とも思った。早く楽になりたい、と。
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すると、急に頭が軽くなり体が動くようになった。鍵を拾い立ち上がると黒いものはいなくなっていた。眼鏡を直しエレベーターのボタンを押した。
チーン...ガラガラガラ...
無人のエレベーターに乗り込んだ。。
チーン...
ドアが完全に閉まるまでの数秒開いた隙間に白いものが見えた。上から見下ろし嘲笑うかの様な顔を睨み付けた。あんなに怖がっていた自分はどこへ行ったのか、今まで感じていた恐怖は引いていた。
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「おつかれさま...」
「お疲れ様です」
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エレベータから降りると、ドアが閉まり再び上昇していった。
ドア開けると冷たい風が自分の首を撫でた。
shake
ブルッ
身体が寒さに震える、首 背中と汗をかいていた。
「おつかれさま...」
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wallpaper:40
「え...本気の怖い話...相談に乗って欲しい事ってこれ?!」
「そうだ。俺が本気じゃない怖い話するわけないだろう」
「うん...その後どうなったの?幽霊は?」
「あれ以来、白い方は見なくなった、黒い方は...あ!」
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柴田は加藤の背後を震える指で指した。加藤は慌てて後ろを振り向く。
shake
ビクッ!
後ろには誰も座っていないソファーと、薄く開いたメニュー表がテーブルに置いてあるだけだった。
「もー!またそうやって驚かすー!」
「なぁ真面目な話、お前の家幽霊いるだろ」
「.....」
「.....」
「いないよ、いないない。いるわけないよいないよ、あははっ怖がらせるの止めてよー」
目の前にあったグラスを手に取り、一気に中の水を流し込んだ。近くに置かれた伝票を取ると、意味もなく折ったり開いたりした。
「冗談だよ...怖がらせようと思って言った...はは」
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いつの間にか店内にいる客は加藤と柴田の二人だけになっていた。周囲を見ていると厨房に立つスタッフと目が合い、気まずくなって目を逸らした。
目の前の加藤は俯き、ぶつぶつ言いながらまだ伝票を弄っていた。
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wallpaper:531
ふと外に視線をやると、横断歩道に立つ黒い男がこちに向かって手を振っているのが見えた。
「あー...来てるね...」
作者群青
最後まで読んで下さりありがとうございます。以前投稿した「ダレ」と関連している話です。
友人から聞いた話に少し手を加えて書きました。登場人物の心境やリアクション等は本人に聞いて書いたところと、想像で書いたところとあります。
最後、手を振っていた男は一体何者なのでしょうか...
誤字脱字などございましたらご指摘頂けると幸いです。お気軽にコメントして下さい。