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中編7
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何も知らなかった。

暑かった夏はあっという間に過ぎ、街は徐々に秋色へと染まりつつある。

見慣れていた街路樹の葉は、いつの間にか黄色く落葉していた。

先ほど交差点ですれ違った若い女性が、タートルネックのセーターを着ていたのには驚いた。

就職活動に躍起になっていると、季節感も麻痺してくるらしい。

今日も3社面接に扱ぎつけたが、正直自信はなかった。

「貴方の強みはなんですか?」

「これまで取り組んできた事はありますか?」

―――何もしてこなかった僕に、介護事業系会社の面接官からの質問に回答する術はなかったのだ。

唯一褒められたのは、

「靴、ピカピカで綺麗ですね」

と言われた事だけだ。靴なんかより、僕自身の評価をして欲しい。

部活や趣味等、何もない。

これまで特にやりたい事も夢もなく、クラゲのように漂う生活をしてきたのだから。

もちろん、一時期は希望に燃えていた事はある。バンドを組んだり、海外での生活を夢見てバイトをしたり、とにかく色々だ。しかし全て中途半端に投げ出し、何一つ達成できたという成功体験はない。

就職活動というのはある意味いい機会である。これまで自分と向き合ってこなかった僕にとって、半ば強制的に自己分析を行わざるを得ないからだ。

そして出た結論が、「自分には何もない」という事だった。

そんな自分に嫌気を感じながら、今日も惨めに帰路に着く―――

最近はもっぱらこの繰り返しである。

スマートフォンが振動し、メールを開くと先日2次面接をした外資系企業からであった。

“松本優太様

平素よりお世話になっております。先日は弊社の2次面接にお付き合い頂き誠にありがとうございます。大変残念ではありますが、今回は松本様の選考を見送らせて頂く運びとなりました。またご縁がありましたら何卒宜しくお願い致します。なお末筆ではございますが、松本様の就職活動とご健康を心よりご祈念申し上げます。”

お決まりの“お祈りメール”にもすっかり慣れてしまったが、2次面接まで進んでいただけあり、さすがにショックは大きい。更に肩を落としながら、僕は自宅のドア静かにを開けた。

今日の夕食はカレーらしく、いい香りが玄関まで漂っている。靴を脱いだのと同時に、母がリビングから顔を覗かせた。

「あら、優太お帰り。ご飯食べるでしょ?手洗ってきちゃいなさい」

忙しくそう告げると、キッチンへと戻っていった。

洗面所で手を洗い終えリビングへ行くと、父が仏頂面で新聞を広げている。僕はこの父が苦手である。無口な上頑固で、非常に厳格な人物である事も手伝い、僕が高校生の頃あたりから会話らしい会話は皆無であった。

そして、出されたカレーをスプーンでカチャカチャとしていると、ゴロッと大きなビーフの塊が現れた。それを口に頬張ると、あまりの熱さにびっくりしてしまったが、ビーフは口内ですぐに解けて舌いっぱいに旨味が広がった。おもむろにご飯をかきこみ、冷たい緑茶を喉に流し込む。

ふう、と一息つくのと同時に父が口を開いた。

「今日は、どうだったんだ。」

「何が?」

「何が、じゃない。面接に行ったんだろう。手応えはあったのか聞いているんだ。」

「まぁ、別に普通だったけど。」

「普通って何だ。受け答えがスムーズにできたとかできなかったとか、色々あるだろう。」

ムッとした僕は、テレビをつけてカレーを二口、三口とかきこむ。その様子を見た父は、大袈裟に溜息を吐き言葉を続けた。

「優太、お前の人生なんだぞ。もっとしっかりしたらどうなんだ。」

「わかってるよ、だから就活だってしてるじゃん。俺だって色々とーーー」

「わかってないからこうやって言うんだ。どうせ、面接じゃ大した受け答えができなかったんだろう。お前の様子を見れば分かるぞ。いいか、しっかりと対策を練った上で臨まんと印象っていうものがーーー」

「もう、勘弁してくれよ!なんだよ帰ってきて早々説教なんてさ、その前に“お帰り”とか、“疲れただろ”とか、言うことあるだろ。こっちだって一生懸命やってるんだよ!」

「甘ったれるな!社会はもっと厳しいんだぞ。大体なんだ、そのしわくちゃなスーツは。だらしのないお前の事だから、ハンガーにかけずに丸めて置きっ放しなんだろう。俺が面接官だったらそんな奴雇わんぞ。そういう所から心構えをだなーーー」

僕は思わず、持っていたスプーンを床に叩きつけると父にありとあらゆる罵詈雑言をぶつけた。

「死んじまえ」「お前なんかいなくなれ」「お前に何がわかるんだ、馬鹿野郎」

そんな言葉ですら、今の僕にとっては罪悪感を持たなかったのだ。

優太、と母に激しく右腕を引っ張られた時に、父に掴みかかっていた事に気付いた。

僕はハッとし、手を離すと父が床に倒れ込む。

いつの間に、父はこんなに軽くなってしまったのだろうか。あんなにがっちりとしていた体格は今や見る影もなく、痩せ細った体は弱々しさすら感じる。

激しく咳き込む父を、母は肩を支えながらゆっくりと立ち上がらせると、今まで見た事のないような表情で僕を睨みつけた。

「優太!あんた、やっちゃいけない事をしたよ!謝りなさい、お父さんに謝りなさい!」

僕は堪らず玄関に走り、無造作に履き捨てられた革靴を履くと、家を飛び出した。そして、自転車をとにかく漕いだ。目的地なんて無かったが、とにかく遠くへ行こうとした。スマートフォンが激しく振動し続ける。恐らく母であったが、僕は構わずにペダルを漕ぎ続けた。

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それから2日間、僕は友人の家に身を寄せていた。

友人からは「いい歳して、家出かよ」なんて笑われたが、確かにその通りだと、今の状況に僕自身も馬鹿らしくなり、帰宅する決意をした3日目の夜の事だった。

あまりの寝苦しさに目が覚めた僕は、明らかな異変を感じていた。体が硬直して動かないのだ。だが不思議と目は冴えて、感覚が研ぎ澄まされている気がする。

ーーーこれが所謂、金縛りという現象なんだろう、そう直感的に考えていた次の瞬間、玄関の方からゴソゴソと、奇妙な物音が聞こえる。小さなワンルームなので、玄関は部屋と直結である。

音の正体を確かめる為、首だけ起き上がらせ目を凝らすと、白いモヤのようなものが玄関を覆っていた。“それ”が段々と人のような姿へ形成されていく事に気づくのに、時間はかからなかった。

“それ”は、しばらく玄関へ留まっていたが、僕の方へ向き直り、ゆっくり、ゆっくりと近付いてくる。友人は寝息をたて熟睡しており、起きる気配もない。僕はというと、情けなさそうに口をパクパクとさせるだけであった。

一歩、また一歩と、ゆっくりと確実に僕の方へと迫ってくる。

ーーーもうだめだ。

次の日、友人の呼ぶ声で僕は目を覚ました。

「優太、おい、優太。電話、すげぇ鳴ってるぞ。起きろって。」

僕はむくりと起き上がり、辺りをキョロキョロと見渡す。

ーーー夢だったのか。

ホッと胸を撫で下ろすと、いつまでも鳴り響くスマートフォンを確認する。

母からの着信だった。

ずっと無視をしていたが、今度こそ電話を取って、“もう帰ろうと思う、ごめん”と言おう、そう考えながら液晶をスライドさせ、スマートフォンを耳に当てると、母から思いもよらぬ言葉が出た。

「あんた、何してるの!何で、何で電話も何も出ないの。あんたねぇ、あのねぇ、お父さん、お父さんが、死んじゃったよ。優太、もう、母さんどうしたらいいのか、わからないよ。」

涙声でつっかえながら話す母の言葉の意味を理解すると、僕は頭の中が真っ白になるのと同時に、何かが音を立てて崩れ落ちるのを確かに感じた。

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父が急逝したのは、昨日深夜らしい。死因はすい臓がんで、既に末期状態であった事を母は静かに僕に告げた。いつ危篤状態になっても、おかしくない病状だったようだ。

僕は、何も知らなかった。

父が、僕の疲れを気遣って好物のビーフの塊でカレーを作ってくれていた事。

いつも僕と言い合いをした後、僕から嫌われていないか、いつも心配していた事。

頑張っている僕に心配をかけまいと、ガンの事は絶対に言わまいと決めていた事。

それを悟られないよう、入院せず自宅で療養していた事。

僕の革靴を、夜中ピカピカになるまで磨いてくれていた事。

そして、誰よりも僕の事を心配してくれていた事。

僕は、何も知らなかった。

というより、知ろうとすらしなかったのかもしれない。自分の事だけで精一杯で、1番近くにいる家族の事を気にかける事もなく、ただただ文句ばかり言って日々を過ごしていたのだ。

だが父は、自分が短い命だと知りながらも、息子である僕にありったけの愛情で尽くしてくれていた。

葬儀の後、母はこんな事を言っていた。

「あの人ねぇ、本当に不器用な人でね、人一倍優しいんだけど、それを表現したりするのが苦手なの。でもね、最近珍しく酔った日があって、何を言うかと思ったら、“俺は絶対にガンなんかに負けないぞ。優太があんなに頑張ってるんだ、俺も負けてたまるか、皆で乗り越えるんだ”ってね。それで、“俺にはこんな事しかしてやれないから”って、あんたの好きなカレー作ったり、靴磨いたり、コソコソとねぇ。素直に言えば良かったのに。」

そんな事を、どこか嬉しそうに話す母の横顔がとても綺麗に見えた。

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ーーーそれから3年後の今、僕は介護福祉士として、特養介護施設で勤務している。忙しい毎日だが、とても充実した毎日を送っている。

ここに内定が決まった理由は、父のおかげなんじゃないかと思っている。父が磨いてくれた革靴がきっかけで、ここへ就職できたのではないかと、僕は勝手に考えているのだ。

そして、父が死んだあの日、父はあの白いモヤとなって最期の挨拶に訪れたのと、靴を磨きに来てくれたのだと、確信している。

あの時、父へ謝罪もできず、仲直りもできずに死に別れた事は、今では後悔していない。そんな事をしたら、僕らは僕ららしくないからだ。

ーーーだが、僕が父の事をもっと知っていれば、と考えると今も胸がチクリと痛むのだ。

だから、少しでも誰かの何かの助けになるように、一生懸命この仕事をして、しっかりと生きていく事が父に対する供養になるのだと、そう信じている。

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わたる様

コメントありがとうございます。
コミュニケーションが不得意な人も世の中にはたくさんいますが、そのような方々も別の手段を講じて、相手へ何とか思いを伝えようという努力をされていると信じています。

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