こんにちは。こんばんは。
呪いでも恐怖でもなく不思議な感覚を
YouTubuネーム「吉野貴博」です。
えー、旅行の話です。
第二回放送の時に私がいろんな経験をするようになった切っ掛けのことを話しましたが、それ以前に一回、妙なことがありました。
高校生の時だったかなぁと時期はよく覚えていないんですが、
東京からJR東海道線に乗って大阪方面に行ったときなんですけどね、
静岡県に入りましてわりとすぐの駅に着きましたら、ホームにある名所旧跡の案内板に「沙貴寺」ってあったんですよ。さんずいに少ないの「沙」、貴重品の「貴」、でお寺です。
その「沙貴」って、当時私が好きだった女の子の名前でして、へぇと思って、そのお寺に行ってお守りでも買ってお土産に渡そうかなと思ったんですが、なにせ旅行の最初に寄り道をしたら、到着時間がどうなるか解らない。予約した宿にちゃんと辿り着けるか解らなくなるので、そのときは諦めたんですよ。
で帰りにその駅に着いたとき、お昼の早い時間だったので行けるなら行ってみるかなと電車を降りたんですが、案内板に載ってないんですよ。
あれ?と思って改札を出て、観光案内所に行って聞いてみましたら、そこのおじさんが「知らない」って言うんです。えーとびっくりしたら、おじさんが両隣の駅の観光案内所に電話をしてくれて、「サキ寺、もしくはシャキ寺って知らないか」と聞いてくれたんですが、両駅とも「知らない」と。お礼を言って電車に乗って帰ったんですけどね。
変だなーと思いつつ、その後一度2ちゃんねるのオカルト版に書いたらほとんど反応がなかったんですが、一人が「呼ばれたのかね。行っていたらどうなったかね」と書いてくれたのを覚えています。
それで最近になって、Twitterでいろいろ情報を求めていている人の書き込みをみて「そうか、Twitterで聞いてみたらいいのか」と書いてTogetterにまとめてみましたら、似た名前のお寺を教えてくれる人とか、全国のお寺が網羅されている本で調べてくれた人とか返事をくれたんですが、結局「解らない」で途絶えました。
やっぱりそんなお寺、無いんですかね。
で、私は結局〝行かなかったから〟怖い目にも恐ろしい目にも遭いませんでしたし、結末がないわけですから、厳密に言えばこれは「オカルト」でも「ホラー」でもないのかもしれません。
この「恐ろしい目にも怖い目にも遭わず不思議だなーってところで体験も話も終わる場合、それはオカルトでもホラーでもないのかもしれない」という点なんですけどね、ホラーやオカルトの原点って、感触だと思うんですよ。
たとえば外を歩いていて風が吹いてきた、その風が「心地よかった」とか「気味が悪かった」って肌感覚とかです。風が吹いたそれ自体は物理的な意味しかありません、しかしそこにポジティブでもネガティブでも感じるものがあったら、それがオカルトやホラーの根本ではないか、真っ暗闇はそれ自体は状況でしかありません、その中に入って怖いとか何かいるんじゃないかって感じることがホラーやオカルトに通じるネガティブな感覚で、安らげるとか受け入れられているってポジティブなベクトルもあるかもしれません。
ポジティブだと思っていたら罠だったってこともありますけどね。
そういう「ただ感じた」ってことなんですけど、忘れられないのが1991年1月に、オーストリーに行ったときなんですけどね、なんで1991年1月と覚えているかというと、湾岸戦争でアメリカが地上戦を開始する二日前に成田空港を出発したからです。
二週間オーストリー旅行で最初の一週間はあちこちを巡りまして、二週間目はずっとウィーンにいました。ただそのウィーン滞在の何日目だったかは忘れましたけど、クラシック音楽の大家が何人も埋葬されている墓地に行こうと思いましてね、宿で行き方を調べて、バスに乗って行ったんですよ。
バスを降りて墓地まで結構歩きまして、何の疑問も思わなかったんですけど、歩いている途中でだだっ広いところを通りましてね、大きな建物があったんです。
見た目は大型ショッピングセンターなんですけど、詳しいことは解りません。
その建物、休みなのか閉店したのか、閉まっていて、誰もいないんですよ。
だだっ広い土地は駐車場にだって使えるのに、一台も車が止まっていない。
建物には看板も貼り紙もなく、文字が何にもないんです。
入口もよく解らず、通ったところの反対側にあったのかもしれませんが、人っ子一人いない大きくて広い建物の傍を、敷地を歩いて、(へー)というか(なんだかなー)というか、奇妙な感覚を味わっていました。
で歩いて歩いて墓地に着いたんですけども、その墓地には大作曲家が何人も埋葬されているんですよ、つまり当時というかかなり昔からその墓地は観光地として拓けていたんですね。
墓地の正面玄関に多くの路線のバスが発着してるんです。
え?と。
え?なんであのバス停で降りたんだ?思い出せません。
論理的に考えて、宿に一番近いバス停の路線で行き方を調べたから、墓地から離れているバス停で降りたんでしょうけど、帰りは正面入口のバスに乗って宿に帰りました。建物の傍を通ることはありませんでした。
うん、不思議でも何でもないんでしょうけど、え?あれ?となんか奇妙な感じはします。
もう一つ、これは不思議な話というよりも旅の醍醐味でしょうが、長野オリンピックのときですから1998年2月、パートのおばさんたちからバレンタインのチョコレートをもらって電車の中で食べましたから13日ぐらい、能登半島に行ったんですよ。
電車に乗ってバスに乗って、宿の最寄りバス停に降りたのが夕方で、予約した時間に間に合うかなとか、宿の場所解るかなとちょっと不安だったんですけど、もう日没の時間なんです、結構な田舎でネオンなんてありません、電灯がぽつんぽつんとあるだけの、余計な光なんかない土地だったんですけど、黄昏の青色が、天のてっぺんから自分の足元まで、全部の空間が綺麗な青に染まりまして、日没から時が経つにつれてどんどん深い青になっていくんですよ、こんなことは初めてでした。
後に旅行中出会った人にその話をしましたら、
「そこは港町だろ?海が黄昏の光を反射して空間全部を染めたのかもしれない」と言ってまして、そうかもしれないなぁと。
でもこれは旅に出ている人なら経験することがあるんでしょう、怖い話ではありませんし、不思議なことでもない自然現象です。木原さん中山さんの「新耳袋」の中に、緑色の太陽を見たという話がありましたが、これネットで検索すると「グリーンフラッシュ現象」と言われるものらしく、貴重なことではありますが怖くはない、不思議でもないみたいで、そういう部類のものなのでしょう。
一人で歩いていて、気がついたら目に見える範囲に誰もいないというのはちょくちょくありまして、1988年に中国の北京市に行ったとき、あの人が大勢いる北京市でも目の届く周囲には誰もいなくなるところがあって、帰ってからそれを言うと「強盗に遭ったらどうするんだ!」と怒られる羽目になるのです。
他に不思議なことと言えば、前回話した神様に出会って以来、旅に出ると必ず小雨が降るようになりました。ぎりぎり傘がいらないかなという程度の小雨です。水の神様だから仕方がないというか、神様が守ってくれていのかなと思うと邪険にするわけにもいきません。
ただ、圧倒的に「晴れの状態から小雨」なんですが、2015年8月、鳥羽水族館に行ったときなんですけどね、台風が鳥羽に上陸したんですよ。25日です。
鳥羽駅に着いたときはもう風がびゅうびゅう吹いていてヤバいなと思ったんですが、水族館まで結構近いので歩いて行けたんですが、開館五分前くらいに着きまして、大雨になりました。
こんな開館すぐにはほとんどお客がいなかったんですが数人いまして、さらに時間が経つと団体客がやってきて、混むんです。台風の日にも来るんだなぁと思うのですが、前もって予定を立てていた人が来ているだけで、突発的に鳥羽水族館に来ようと思う私の方が少数なんでしょう。
魚たちを見ていて、駅に戻るとき、どーしよと思っていたんですが、なんと都合のいいことでしょう、見終わって駅に戻るかってときに、小雨になったんですよ。風は強いままでしたけど。
おぉラッキー!と思って、小雨の中駅に戻ろうとしたんですが、なんか小高い丘に公園がありまして、そっちにも行ってみようと寄り道したんですけど、門の鍵が閉まってたかなんかありまして、諦めて駅に戻りました。駅員さんに名古屋行きが何番線かの確認をしましたら
「ではあの電車に乗ってください。前の電車が様子見で出発していなかったんです。間もなく発車します」と言われて、乗り込みました。
その後は電車の方角と台風の進路が違ったのか、晴れ間の中電車は走り、名古屋駅に着きましたけどね、これもただの自然現象と言うべきか、神様のご加護と言うべきか、神様のおかげと言いたいですね。
ただこの間清里に行ったときは、神様のご加護も保たず、大雨が降って傘を買わざるを得なくなりました。お昼までは保っていたんですけどね、清流があるからと言ってみたら、前日の雨で道がどろどろで閉口したのですが、その行き帰りに雨が降らなかったのはとても助かりました。
とまぁそんなこんなで私の一人旅歴というのはそれなりにあるのですが、電車のホームを間違えたとか、道に迷ったとか、間に合わないんじゃないかという恐ろしさは何回もあるのですが、いわゆるオカルト話の恐ろしい話というのは一回だけありました。
小説投稿サイト「呟怖」に書きました「名古屋のホテルで」という話なんですけどね。
(「名古屋のホテルで」 http://bit.ly/2Z22V2E )
という話でして、これもまた結末は〝不明〟なんですけどね。
最後に、東北の「座敷童子が出る宿」に行ったときの話で今日は終わりたいと思います。
正確な日時は覚えていませんが、女の子と神様に出会った後で、女の子がまだ大学を卒業しなくて働いていた時期でした。女の子にこの話をしましたから。
東北の宿に座敷童子が出るという話自体はラジオかなんかで聞いていたんですが、予約が殺到して取れないと知っていましたので、ずっと興味は持ちませんでした。
しかし桜金造さんの本で、座敷童子の出る宿に泊まったときのことが掲載されていまして、それを読んだら行ってみたくなりましてね、東北旅行の中で泊まることにしたんです。
宿に電話をして何月何日に一人なんですけど~といいましたら「いいですよ」。では、と受話器を降ろそうとして、いやいや「座敷童子が出る部屋ですよね?」と確認したら「そこはもう他のお客様の予約が入ってます。どうしますか?」と言われ、考えまして、うん、どんな宿だかは知りたいし、どこにあるのかも知りたいから、ここは普通の部屋でも泊まろうと思いまして、「ではその日に一人、お願いします」と言って電話を切りました。
宮沢賢治の記念館に行ったときだったか、八幡平に行ったときだったか、どうも思い出せませんが、行きまして、駅を降りてガイドブックに書かれていたとおりバスに乗りまして宿に行きました。なんだ歩いても行ける距離じゃねぇかと帰りは歩くことを心に決め、宿に入りましてね。
その日はその町でお祭りというかイベントがありまして、手作りの豆腐を食べました。その後その周辺を散歩しまして、まだ明るい内にお風呂に入りまして、渡り廊下に米内光政という総理大臣の揮毫があって、(あれ?米内さんって総理大臣やってたっけ?)と太平洋戦争中の中途半端な知識を思い返したりしておりました。
夕食の時間になりまして、晩ご飯を食べていたんですけど、宿の人が来まして、
「座敷童子の部屋を予約したお客様が遅れておりまして、覗くだけでしたら」と言われまして、神様のぬいぐるみとともに部屋に行きまして
「座敷童子様座敷童子様、何々の間に泊まります吉野貴博という者です、よろしければ部屋にいらしてください」とお祈りしまして。
部屋に子供向け人形がたくさん置かれていまして、このぬいぐるみを欲しがられたらどーしよ、と思いつつ部屋を後にしました。
それで、その旅行で桜金造さんの本を持っていかなくて、時間を勘違いして覚えていましてね、その本、いま手元にないのでざっくりですが、金造さんが不思議な体験をしたのを、深夜三時だったとします、勘違いして二時に起こったと覚えておりまして、タイマーを二時にセットしたんですよ、いや金造さんが三時に体験したからといって私の時もその時間に何かあるとは限らないのですが、まぁまぁ。
深夜の二時に起きて、神様に「座敷童子さん、来ますかねー」と話していて、どれだけ時間が経ったか解りません、突然
「座敷童子にお願いしたら、昔話をたくさん聞かせてもらえるよ」
という声が頭をよぎったんです。それも一瞬で。
飛び起きましたね。
ざしきわらしにおねがいしたら、むかしばなしをたくさんきかせてもらえるよ、
三十四文字、どんなに早く喋ったって、一瞬は無理ですよ。
言われて、あぁなるほどと。
みんな「座敷童子に会えたら幸運がもらえるよ」といいますけど、実際座敷童子は長いことその宿に、土地にいるんですから、いろんなことを見聞きしてきたでしょうよ、民話的昔話ではなく、この土地の歴史を教えてくれることでしょう。
さらにこの言葉、座敷童子が言ったのではありませんよね、この宿って座敷童子以外にもなんかいるんじゃん、でもみんな、座敷童子が出る部屋以外には興味がないから泊まらない、だからそのなにかに会うことがなくて、なにかがいることを知らないのでしょう。とはいっても私も神様と一緒だったから声が聞こえたのかもしれませんが。
あーと思いつつ、寝まして、翌日家に帰りました。駅までバスに乗らず歩いて。
これで今回の実話体験談は終わりです。旅行自体にもいろんな話があるのですが、それはテーマと違いますので割愛します。
次回は何を話しましょうか、まだ決めておりません。
本のことを話すか、コレクションのことを話すか、でもそんなに不思議な話って、ないんですよね。何話しましょう。
というわけで吉野貴博でした。それでは、またお会いしましょう。
作者吉野貴博
“沙貴寺”をご存じの方いらっしゃいましたら、教えてください。(_ _)