俺はしばらく放心状態だった。
衝撃の光景、静寂とした冷たい空間。
今、目の前で起きている事の理解が追い付かない。
「夜川さん........?」
思わず声が出た。
か細く、弱々しい、小さな声。
声の音量を上げたり、回数を重ねた所で彼女には決して届かない。
俺はゆっくりと彼女の姿だったであろう者に近づいた。
かなり変わり果ててしまっていたが、彼女だと判断できた。
髪型、服装、体格、全て俺の知っている彼女だった。
だが、その容姿だけは俺の知っている彼女ではない。
全身が腐敗してる.......。
周りはウジやアリ、ゴキブリなどが彼女の身体を蝕んでいく。
彼女の腕には点滴の針が刺さったままだった。
いつ実行したのか.......。状況から判断するに、かなり時間が経っているように思える。
俺はここで少し状況を冷静に判断し始めた。
すると、今まで意識が状況把握に注いでいたせいで自分でもなぜ気付かなかったのか、かなりの腐敗臭が鼻に突き刺さってくる。
時間が経過した死体、今自分がここに居るだけで何らかの感染症のリスクもあるだろう。
だが、俺はそんな事より気になる点が多すぎる。
なぜ、実行したのか......。それになぜ、俺に告げる事なく黙って.....。なにか思い詰める出来事があったのか.....。
彼女の眩しい笑顔を思い返す。
思い返せば、返すほどわからなくなり、辛くなる。いったい彼女はあの笑顔の中にどんな闇を抱えていたのか。
悔しかった.....。俺は彼女にこの命を救ってもらい、彼女から生きる意義を教えてもらった。
もしかすれば、俺も彼女を救う事が出来たんじゃないか.....。彼女がどんな闇を抱えていたかはわからないが、俺は少しでも彼女に寄り添いたかった.....。そう思うと悔しい気持ちでいっぱいになる。
なぜ、俺は彼女の心の闇に気付かなかったのか.....。なぜ、俺はもっと彼女の事を知ろうとしなかったのか.....。
後悔や自己嫌悪、様々な葛藤が俺を苦しめる.....。
言って欲しかった.....。これが一番の本心だ。なにか悩みがあるなら、俺に一言でも言って欲しかった.....。解決は出来ないかもしれないが、寄り添う事や、その悩みの共有は出来たかもしれない.....。なぜ.....。なぜ.....彼女は黙ってこの世を.....。
俺は溢れるばかりのやるせない想いをこみ上げ、拳を握り締め身体を震えさせた。
もう取り戻せない。いくら俺が後悔や葛藤をした所であの時の、彼女と過ごしたあの時間はもう取り戻せない。失ってから初めて痛感した。俺は彼女に惹かれていた。恋愛とかそういうものではなく、彼女と過ごしたあの日々、笑顔を絶やすことがない彼女の時折見せる真剣な眼差し。鋭く説得力があるが、どこか優しさを感じる眼差し。そして、様々な志願者を前に怯むことのない精神力。俺はそんな彼女を素直に尊敬していた。
その想いも彼女に伝えたかった。だが、それも叶わない。もう彼女は.......。
双眸から涙が零れる。一滴一滴、彼女と過ごした日々、そのかけがえもない時間を噛み締めながら俺は泣き喚いた。
そして、変わり果てた彼女に寄り添った。届かないとわかっていながら.......それでも俺は伝えたかった.......。
俺は涙や鼻水で、かつてないほどに崩れた表情で彼女に言った。
「夜川さん.......ありがとう.......。」
腐敗した彼女の手を握り何度も.......何度もそう口にした。当然だが、いくら泣き崩れて伝えても彼女からの返事はない......。
あの優しい微笑みを二度と俺に与えてはくれない......。
静寂な空間の中、俺の嘆き声がだけがこの冷たい部屋に木霊する。
俺はしばらく彼女の手を握り続けた。
すると、握った彼女の手に違和感を感じる。なにか固い物に触れた。
腐敗した指に小さい銀色の輪が掛けられている。かなり感情的になっていたので気付かなかった。
俺はその輪をゆっくりと指から外し、確認する。
鍵だった。銀色の輪には小さな鍵が掛けられていた。
どこの鍵だろうか。
俺は思考した。
この時もう既に涙は枯れ果てていた。
小さい鍵.......。扉の鍵ではなさそうだった。
俺はしばらく思考して、思い出した。
2人目の志願者、磯部との電話を交わした後に彼女の部屋で見つけたあの白い日記.......。
あの日記の鍵かもしれない。
なぜ彼女がこの鍵を持っているのかわからないが、これがもしあの日記の鍵だとすれば.......。
確かめたい.......。
彼女の想い、彼女の心の闇が書かれているかもしれない。
自然と彼女の部屋へ、俺の脚は動き始めた。
一歩、一歩と進む度に胸が締め付けられる.......。これは彼女の日記を勝手に読み漁ろうとしている自分への罪悪感なのか.......それとも.......彼女の心情を受け止める覚悟が不足しているからなのか.......わからない。
わからない.......が、俺は確かめたかった。確かめずにはいられなかった。
そして、彼女の部屋に入る。
本棚を確認した。
本の配置は以前と変わりない。
そして、例の白い日記がある。
俺は鍵を差し込む.......。
すると、やはりこの鍵はこの日記の物で間違いないようだった。
鍵を回すと日記をがっちり締め付けていた金具が外れる。
俺はゆっくりと日記のページを捲った。
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沢辺 悠馬様へ
貴方がこの日記を読む事はわかっていました。
私の部屋を物色し、その日記に手を付けてる所を監視モニターで確認しておりました。
貴方は無理やり日記を覗く事はしなかったですが、その時この日記には何も記載しておりません。
この日記に私が記載したのは貴方がこの村を出た8月31日です。
そして明日、私は実行します。
私は貴方に伝えたい事があり、文字を綴ります。
さて、私が貴方に伝えたい事は何だと思いますか?
恐らくどれだけ頭を捻っても何もわからないことでしょう。
結論から申し上げます。
私は貴方が嫌いです。
貴方の言動、全てが嫌いです。虫唾が走ります。
貴方はこの村に自殺を目的に訪れ、実行する直前で思いとどまった。
私のくだらない一言で、いとも簡単に。
その時、私は思いました。
ああ.......なんて哀れな男なんだろうと。
人の意見に左右され、自分の覚悟を簡単に変える。いえ、そもそも貴方に覚悟なんかなかったんでしょう。
私はそんな紋々とした貴方がとても嫌いです。
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俺は言葉を失った。
冒頭は達筆な文字で書かれているが、後を追う毎にその字は歪(いびつ)に曲がっていて紙に握ったようなシワがある。そうとう嫌われてたことがそれだけで伝わる.......。
「..........」
視界はあるが、目の前が真っ白になった。
そしてじわじわと現実が押し寄せてくる。
絶望だった.......。
これが実は彼女ではない何者かの文である可能性も考えてみた。
しかし、ただの願望にすぎなかった。
本当の事はわからない。
だが、もしこれが彼女の本当の意思なら.......。
全身で感じる。どうする事も出来ない絶望感.......。
くつがえることのない真実.......。彼女の本性.......。
彼女は俺になにを伝えたかったのか.......。
この文でなにを感じさせようとしているのか.......。
俺がこの村を出た次の日に実行したと記載があったが、
何故そうしたのか、俺を嫌う事と関係があるのか.......。
なにが彼女をそうさせたのか.......。
考えても一向にわからない。
しかし、1つだけわかることは、今までの彼女の言動、俺に対してのあの優しい微笑み、それらが全て虚構だったのだ。
いや、磯部の実行が終わった後言った彼女の言葉、
『表しか視えなければ、世界はなんと美しく、色鮮やかに視えることだろうか。』
これは本心だったのかもしれない。なぜだかそう思えた.......。
俺は彼女に命を救われた。
だが、今同時にどこか深い闇.......正体の見えない暗く冷たい闇の底に突き落とされたのだ。彼女に対して完全に信頼.......尊敬していた俺は、なにか言いようのない感情に圧し潰された。
そして、どこまでも堕ちていくその深い絶望の海の中で俺は........。
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(夜川 茜)
思い返せば、幼少期が一番幸せだったのかもしれない。
あの頃は、何も考えてなかった。何も考える必要がなかった。
ただ流れゆく時間に沿って身を任せればいいだけなのだから。
しかし、私が中学2年の頃、母が病気で他界した。
父はその事を気に病み、うつ病になってしまった。今まで穏やかで幸せだった家庭とは一転して、暗く、重い家庭となった。
父はやがて会社を辞め、引きこもるようになってしまった。
こうなると家庭も裕福ではない、私は「お父さん、仕事しないの?」と訊けば、父は表情を曇らせて俯きながら、小さい声で「ごめんな.......。」と返すのみだった。
私はそんな父を見てなにも言えなかった。
私には兄がいる。生活費は兄に賄ってもらっていた。
私も大学生だと偽り、居酒屋でアルバイトをしていた。人手が少ない事もあり、店の人も私がまだ中学生ぐらいだと感づいていたが、見て見ぬふりをしていたと思う。
それでも生活は苦しく、食事は一日一食、お風呂もまともに入れなかった。
ある日、兄は父に「生活保護を受けないか?」と尋ねた。
しかし父は首を縦に振らない。父は世間の目をかなり気にする人だった。気が弱いくせにプライドだけは無駄に高い。
兄も私もそう思いつつも、弱りきった父を見ると強く言えなかった。
学校の制服もボロボロでクラスのみんなはもう察しがついていたと思う、微かに「夜川さんって......あれ、絶対そうだよな.......」とひそひそと男子の話声が聴こえる。私は聞こえないふりをして机にうつ伏せた。
辛かった.......。
「なんで私だけこんな目に.......。」と何度も思った。
それでも唯一の支えがあった。幼少期から今に至る私を全て知っていて、それでも、こんな私と仲良くしてくれる親友の亜美の存在。
亜美はいつも私に話かけて来てくれる。「茜、おはよ~」と毎朝、長くサラサラと綺麗な黒髪をなびかせ、大きなキラキラとした双眸を開いて眩しい笑顔で私に声を掛けてくれる。
「今日学校終わったら遊びに行かない?」などと頻繁に遊びにも誘ってくれる。
私はいつも表情を曇らせ「ごめん....今日もバイトが.....。」と亜美には私のアルバイトの事も当然話していた。
「そっか.......。」と亜美は残念そうに答える。
「ごめんね.......。」と私は再び謝る。
すると亜美はかぶりを振って「ううん、仕方ないよ、でも.....無理しないでね。」と私に気遣って言ってくれた。
私はそれだけで泣きそうな気持ちになった。こうして私を気遣い、優しい言葉をかけてくれるのは本当に亜美しか居なかった。私は自分の人生を憎んでいたが、友人には恵まれている。亜美と話をする時間だけが私の癒しだった。
アルバイトがない日は亜美と公園で日が暮れるまで話をした。家庭の事、アルバイトの事、私の心情、亜美は親身になって私の話しを聞いてくれる。一緒に笑ったり、怒ったり、悲しんでくれる。楽しくて時間があっという間に感じた。
「あっ、もうこんな時間......そろそろ帰ろっか!」と亜美は言う。
私はいつもこの瞬間が名残惜しく感じる。
「.....うん。」と私は言葉を返す。
「じゃあ、また明日ね!」と亜美は手を振り、太陽のような笑顔で私に言う。
自然と私も笑顔になり「うん!」と手を振って答える。
そして、家に帰るとまた重い時間がやってくる。一言も会話がない冷たい空間、私は中学を卒業したらこの家を出て働くつもりだった。
でも、兄は「高校は出とけ。」と私に強く言う。
私は「なんで?私もうこの家出たい。」と反論する。
すると兄は「今の世の中、高校ぐらい出てないとまともに扱われない。ずっと後ろ指をさされて生きていく事になるぞ。」と高校を中退して働いている兄の言葉には説得力があった。
なにも言い返せなくなる。
私は近くの公立高校を目指して、アルバイトの時間を少し削ることにした。
放課後、図書室で亜美と一緒に勉強してる最中に私はふと「なんで高校出てないと世の中は認めてくれないのかなぁ.......。」とぼそっと呟いた。
すると亜美は「う~ん......。」と言って、カバンから携帯を取り出して私に画像を見せてきた。
犬の画像だった。
「これうちの犬なんだけど、どう思う?」と亜美は訊いてきた。
私は「かわいいと思う。」と言った。
すると亜美は「私はかわいいと思わない。私、犬のこの黒目の部分が嫌いなの。でも、私が今の茜の立場だったら「かわいい。」って言ってたと思う。人ってそれぞれ価値観は違うけど時には自分の意見に反した多数派の答えを言わなければいけない。それがこの世界のルールであってモラルでもあると思うの。学歴で言えば、その人の中身とは関係なく低い学歴の人を評価せず、見下す人もいる。それに比べて高学歴の人は中身とは関係なく評価される。人って多数派に流れるもんだよ。」と豪語した。
「なんか......不公平だね。」と私は言った。
「うん。でも、高学歴の人はその分努力してるんだから評価されるのは当たり前だと思うよ。」と亜美は言った。
私は言い返す事がなくなり、黙って下を向いた。
すると亜美は「でもさ......私はそんな表面上のみの人間になりたくない。多数派に沿って、みんなと同じこと言って、それがいかに真実であるって顔したくない。私は、嫌いなものは嫌いって言えて、綺麗な景色は素直に綺麗って言える。そんな人間になりたい。自分の感性に正直に生きたい。確かに人の中を覗こうとすると、時には汚れてて、醜いものに視えるかもしれない。視たくない現実を視なくちゃいけない。視ない方が楽なのはわかっていても......。」と、どこか切ない表情で口にした。
「でもそれって難しい事だよね......。」と私は言った。
亜美は「うん......。」と答えてしばらく間を空けた。
そして、「私の死んだおじいちゃんが昔言ってた言葉だけどさ、『表しか視えなければ、世界はなんと美しく、色鮮やかに視えることだろうか。』ってもう半分ボケてたけど、その言葉だけはなんか妙な説得力があったの思い出すなぁ~。当時の私は意味がわからなかったけど、今はなんかわかる気がする......。」と少し微笑みの表情を浮かばせながら亜美はそう言った。
「そうだね......。」と私は返した。
「さ!そんな事より勉強再開しよっか!」と亜美はしんみりとしてしまった空気をかき消すように私に優しい笑顔でそう言った。
私は亜美のこの天使のような笑顔が大好きだった。自分のちっぽけな悩みなんて全て吹き飛ばしてしまう。そんなエネルギーを亜美からは感じた。
だから私も「うん!そうだね!」と笑顔で答えた。
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そしてしばらく経ち、私は中学3年生になった。
夏休みが終わり、皆どこか憂鬱な表情で登校して挨拶を交し合っている。
私は特に話す相手は居ないので机にうつ伏せて気配を消していた。
夏休みの間は地獄だった。
家庭もあれから変化がなく、エアコンを使うわけにもいかないので毎日昼間は図書館で勉強して、その足で居酒屋のアルバイトをして生活をしていた。
休みの日に亜美に会うことがなかったので、幸せな時間はなかった。
なので実は学校が始まるのが密かに楽しみでもあった。亜美とまた話ができる。また私の癒しの時間が訪れる。
そして、しばらくして「おはよ~茜。寝てるの?」と亜美の声が聞こえた。
私は嬉しくなり、すぐに顔を上げ、「おは.....」と言いかけた時、違和感がした。
長く綺麗な黒髪は金色に変色し、以前はしてなかったであろうピアスが耳朶に複数付着していた。
私は驚いて「え?どうしたのそれ?」と言葉を発した。
すると亜美は「それ?あっ、髪のこと?」と訊いてきた。
私は「うん.......。」と答えた。
亜美は続けて「どう?お洒落じゃない?」と訊いてきた。
私は「あっ、うん.....いいんじゃない......。」と、どこかぎこちなく答えた。
「なにその返事~」と亜美は笑っている。
それと同時にチャイムが鳴り、亜美は自分の席に戻った。
なんだろう......。
私は、なんだか自分が置いていかれるような嫌な予感がした。
夏休みの期間、亜美になにがあったのか......一刻も早く聞きたかった。
私はホームルームが終わるとすぐに亜美に駆け寄り「今から図書室で勉強しない?」と誘った。
すると亜美は「あっ、ごめん!今日彼氏と会う約束してるの!」と言った。
私は露骨に戸惑いを露わにし、「そっか......。」と答えた。
「ごめんね!あっ、今度彼氏紹介するね!」と亜美はそそくさと教室を後にした。
私が感じた予感が的中していたのだ。どこか私とはもう住む世界が違う気がした。なんだかその彼氏に亜美を取られたような感覚に陥った。今まで私のすっぽり空いてしまっていた心の穴を亜美は埋めてくれていた。その穴が再び空いてしまったのだ。私はいつかこの日が来るのではないかと内心怯えていた。そして、ついに来てしまったのだ。私はこのどうする事もできない感情を抑え込み、その日は家に帰った。
~次の日~
学校が終わると亜美は私に駆け寄り「茜、この後時間ある?」と訊いてきた。
私は今日アルバイトがなかったので「うん。」と答えた。
内心ホッとした気持ちだった。まだ、こんな私と一緒に居てくれるんだ。と嬉しい気持ちになった。
でも、亜美は「昨日言ってた彼氏、紹介するね!」と言った。
「え......?」と私はまた戸惑いを露わにした。
すると亜美は「え?だめ?」と私が意外な反応をしたかのように感じたのか、そう言った。
そして、私は特に断る理由も思い浮かばなかったので、仕方なく了承した。
いつもの公園のベンチに私と亜美はその彼氏が来るのを待っていた。光景自体はいつもと変わりはなかったが、私はどこか気持ちがソワソワして違う光景に視えた。
そして数分が経過して亜美がおもむろに立ち上がり「あっ、こっちこっち!」手招きをしだした。
「あ~ごめんごめん。」と言って、Tシャツにジーンズ姿の背がスラりと高く、金色の髪をワックスでかなり遊ばせ、肌が黒い、恐らく年上であろう男性がこちらに近づいてくる。
私は「初めまして、亜美の友達の夜川です。」と挨拶した。
すると男性は「あっ、亜美の彼氏の智樹です。君が茜ちゃん?」と多少チャラついた言い方で口にし、私をなめるような視線で眺めてきた。
恐らく私の見た目が気になるんだろうと直感で理解した。私は制服もボロボロだし、髪もぐしゃぐしゃでお洒落とは無縁の存在だった。それが不思議に思えたんだろう。
私は「はい。」と答えた。
それから私の見た目には一切触れることなく、ベンチで他愛もない、どこか惚気話しのような内容の会話が行われた。「これって、私居る必要ある?」と内心で思い、少し腹が立っていた。
彼は今年から大学に入り、夏休みの期間たまたま街で亜美を見かけて声を掛けたそうだ。いわゆるナンパだった。私は少し亜美が心配になった。年齢差もあるし、そもそもこの男性のどこに惹かれたのか。私は疑問を抱いていた。
しばらくして、「なにか飲まない?喉乾いちゃった。」と亜美が言った。
「確かに喉乾いたな。でもごめん!俺今日金持って来てねぇや。」と彼は言った。
しばらく間が空いて、亜美が私の方に視線を向ける。
私は悪寒が走った。
「茜、バイトしてるでしょ?奢ってくれない?」と亜美は言った。
私は困惑した表情を浮かばせた。
確かに私はほぼ毎日アルバイトをしている。だが、それは遊ぶ金が欲しくてやっているわけではない。生活費のために、私の未来のために......。家が貧しいのは亜美だってわかっているはずなのに......。
すると亜美は「どうしたの?私たち友達でしょ?」と口にした。
私の中でなにかが崩れる音がした。亜美のその顔は、いつもの微笑ましい表情ではなかった。どこか訝しむような鋭い目線、蔑んだ表情、淡々とした口調、いつものような私の好きな亜美の姿とはかけ離れてた。
そして私は唐突に立ち上がった。
「ちょ、茜!?」と聴こえる亜美の声を無視して私はそそくさとその場を逃げるように離れた。
まっすぐ家に帰り、私は部屋に籠って頭から布団を被せて考えた。
亜美からすれば「たかが飲み物ぐらいで」と思うかもしれない。でも、私はそこじゃなかった。
『私たち友達でしょ?』
私は亜美を最高の友達だと思っている。でも、亜美が私に抱く『友達』とはどのようなものなのだろうか。どこか私を突き放すようなあの口調が頭から離れない。
そして、その日の夜、メールの通知音が鳴った。
画面を見ると亜美からだった。
私はさっきの出来事のことだと、息を吞んで内容を確認する。
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さっき何で逃げたの?
智樹もビックリしてたよ。
いつも遊んであげてるのに意味わかんない行動しないで。
---------------------------------
と書かれていた。
少しでも私のことを心配してくれている事を期待していた私は馬鹿だった......。
『いつも遊んであげてるのに』と亜美は私にこのような感情を常に抱いていたのか......。
それは亜美の裏の顔なのか、それともこの休みの期間で変化したものなのか......。
ちょうど思春期の時期、感情の変化が起こりやすいのはわかるが......。
それでも私は悲しかった......。
久しぶりに声を出して泣いた......。母が亡くなって以来、ずっと抑えてきた感情が崩壊したように泣いた。
希望をなくした私はその日を境にバイトも辞め、不登校になった。
本当は次の日、直接亜美に「昨日はごめんなさい。」と謝る事がベストなのはわかっていた。でも、怖かった。もしそれで罵られでもすると私はもう立ち上がる事さえ出来ない気がしていたから。私は亜美に依存しすぎていたのかもしれない。心の癒しを全て亜美に託していたのだ。
あれから亜美と連絡を交わす事はなくなり、私は高校の進学をすることもなく、家を出た。
separator
兄が言っていた通り中学卒業だけでは昼の仕事はどこも雇ってはくれない。
私は仕方なく夜のスナックで働くことにした。
常に暗い表情を浮かべていた私は、よくお客様に「お前は客を楽しませるのが仕事だろうが!」という怒鳴り声が頻繁に店の中に飛び交う。居酒屋でアルバイトをしていた経験はあったが、あの時とは気持ちが違う。
それでも私は必死だった。
学歴もなければ、世間も知らない今の私はお金が全てなのだ。
数年間、無我夢中で働いた。
そして、仕事もだいぶ慣れた頃、私は一人の男性に出会う。
スナックの常連だった彼は私よりかなり年上だが、魅力的な男性だった。
私は初めて恋というものを実感した。
頭の中が彼のことでいっぱいになっていた。
そしてある日、なんと彼の方から私にアプローチしてくれ、付き合う事となった。
初めての恋愛。
彼は優しく朗らかな笑顔でいつも私に接してくれる。
色んな場所に連れて行ってくれる。
こんな私に優しく「愛してるよ。」と言ってくれる。
私は初めて人に必要とされる存在になったんだと実感していた。
でも、違った.....。
全て嘘だった.....。
ある日私が働いてるスナックに一人の女性が怒鳴り込んできた。
私に鋭い視線を向けて、数々の暴言を吐かれた。
そう、私の恋人だと思っていた彼は既婚者だったのだ。
私は信頼していた彼に裏切られ、スナックもクビになった。
私は本当に人生のどん底だった.....。
しかし、不幸はそれだけでは収まらなかった.....。
兄が交通事故で亡くなったと父から連絡を受けた。
私は急いで病院に行った。
すると、兄の顔には白い布が覆いかぶされていた.....。
そして、隣で父が泣いている.....。
私もつられて泣いた.....。
一体私は人生でどれだけ泣かなけばいけないのか.....。どれだけ泣けば、この涙は枯れるのか.....。
その後、私は久しぶりに実家に帰省した。
父と二人、母が亡くなった時よりもひんやりとした空間.....。会話もない.....。
すると、ふいに父が私の近状を訊いてきた。
私は決して芳しくない今の状況を大まかに伝えた。
父は「そうか.....。」と言って会話は終わった。
それから私は実家で抜け殻のような日々を過ごしていた。
もう生きる希望が見えない.....。これから生き抜く理由も見つからない.....。
「私なんで生きてるんだろう.....。」と何度も思った。
それでも心のどこかで希望を探していたんだろう。
父も同じ気持ちなのだろうか.....。あれから一向に自室から出てこない。
私は心配になって父の自室を覗いた。
夜なのに電気が消えている。
私は「お父さん?」と言って電気をつけた。
すると.......父の脚は宙に浮いていた.......。
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私は放心状態でその光景を眺めていた。
しばらくして、我に返った。
そして、急いで救急の連絡を入れた。
だが、もう遅かった.......。
医師が言うには、既に数日は経過したいたらしい.......。
つい最近見た光景.......白い布が父の顔に覆いかぶさる.......。
私の家族は崩壊したのだ.......。
その後、私は警察に事情聴取された。
長々と訊かれたくない質問を受け、言いたくない話を長々とした。
そして、警察も私の心情を察してくれたのか、かなりの同情を受けた。
その帰り道、今はクリスマスのシーズンなので街は賑わい、幸せそうなカップルや家族が私の横を通り過ぎていく。そんな中、私は夜空を見上げて思った。
「私の人生ってなんなんだろ.....。幸せってなんなんだろ.....。」
友人との絶縁、恋人からの裏切り、家族の崩壊。
もう充分だった。もうこの世に希望なんてない。そう確信する材料としては充分すぎた.....。
もう涙すら浮かばない.....。
「死のう.....。」
私はそう決意した.....。
separator
『自殺村』
スナックで働いていた時に何度か耳にした。そこでは理由を問わず安楽死ができるという噂である。
私はどうせ死ぬなら最期は楽に逝きたいという願いから半信半疑だったが、調べて連絡を入れた。
すると、あっさりと引き受けてくれた。
私は日程を伝え、場所の指定を受けた。
そして、その村に訪れた。
入口にはハッキリとした文字で『自殺村』と書かれていた。
どうやらここで間違いないみたいだ。
村に入ると建物の中から女性と思しき人物が出てきた。
「アンタが夜川さんかい?」と、やや掠れているが朗らかな声で訊いてきた。
「はい。」と私は答える。
おそらく50~60代の少し白髪が混じった女性。そして、その澄んだ双眸からはこれだけ人間不信になった私でも一瞬で信用してしまう、妙な安心感や魅力を感じ取った。
女性は「アンタの志願を担当する東条です。」と言い、そのまま続けて「今ちょうど食事しようしてたんだ。アンタもよかったら一緒にどうだい?」と誘ってきた。
「いや、私は......」と言いかけたが、彼女の朗らかな表情を前にすると断れなかった。
「はい......。」と言って私は食事を共にすることにした。
食事中、最初は他愛もない世間話していたが、その後彼女は自分の身の上話を私に聞かせてくれた。
「ここはね、安楽死を求めて多くの人が今まで脚を運び、私は多くの人の死に際を見てきた。皆、どこか「自分の人生に悔いはない」って表情をしてたよ。私はね、それがなんだか尊く、誇らしげに感じたよ。」と語る。
そう語る彼女は朗らか表情で、これまでの志願者を本当に誇りに思っているのだと心から伝わる。私はそんな彼女もまた尊く感じる。
食事が終わると彼女は「さぁ、アンタもだいぶ苦労してきた顔をしてるね。そろそろ始めようか。」と言った。
私はもう自分の人生に後悔はない........。
だが、私はなぜか「あの.....ここで働かせて下さい!」と自然と言葉が出た。
自分でも驚いた。私は死ぬ覚悟は出来ていた。
でも、なぜか......私は彼女を、東条さんの人生を近くで見たい。そう強く思った........。
彼女は眼を円くさせて驚いていた。そして微かに笑みを浮かばせ、「フフ、正直驚いたよ。そんな事言われるのは初めて経験だ。でも.....アンタなりの考え、アンタなりの覚悟があるんだね?」と訊いてきた。
私は迷わず「はい!」と答えた。
こうして私は彼女と共に様々な志願者を目の当たりにした。
彼女の言うように皆、どこか尊く、自分の人生に誇りを持って最期を迎えていった。
私はそんな人々を彼女と同様に尊敬し、素直にかっこよく思えた。
separator
そして数年が経ったある日、彼女は客室に私を呼んだ。
私はおおよそ察しがついていた。
「ついにこの日が来たのか........。」と思い客室に向かった。
ドアを開けると案の定、彼女は実行する準備を整えていた。
私は「ついに実行されるのですね........。」と言った。
彼女は最期も朗らかな表情で頷き、「ああ....。」と答え、それ以上なにも語らなかった。
私は理解していた。
今まで見てきた多くの人々.......そのどれもが果敢に自分の人生に向き合い、自分の運命を自分で決め、未練なくこの世を去っていった。
そして彼女もまた、そんな人々に魅了され、自分の人生に終止符を打とうしている。
私もそんな彼女に敬意をはらい、ゆっくりボタンを押した。
彼女はゆっくりと全身の力が抜け、満足した表情で静かに息を引き取った.......。
私はもう泣かないと決めた。多くの人々、そして彼女....東条さんもそうだったが、私も自分の運命は自分で決め、誇りを持って自分の最期を迎えよう。
そう心に誓い、この村を引き継いだ。
separator
私はまず、この村のホームページを設立した。
そこまでこの村の知名度はなかったから、今までは噂を耳にしたごく少数の人が半年に1人来る程度だったからだ。
そして、わざとふざけたようなデザインにした。この方が世間の信頼性を感じさせず、噂を耳した者だけが志願しやすい環境だと感じたからだ。
案の定、それから志願者は増えた。
私はもっと多くの、尊い死に際をこの目で確認したかったのだ。
自分に胸を張った最高の生き様をもっと見たかった。
そして私自身、最高の最期を迎えるため.......。
私はまだ自分に胸を張れない.......。自分を誇りに思えない.......。
これから私は一人で志願者と向き合わなければならない。
それにはまず、この暗い自分の表情を何とかしなくては志願者に失礼だと思った私は、しばらく思考した。
東条さんの様な朗らかな笑顔は私には出来ない。
東条さんのような立派な心を、いや、もはやまともな人間の心すら私はもう持ち合わせていないから.......。
でも、出来るだけ明るく、笑顔を絶やさず志願者を迎え入れたい。
演じるしかない.......。
今までろくな人間関係を築いてこなかった私は.......。
それでも唯一知っている人間を模範することにした。
あの頃の......まだ仲がよかったあの頃の亜美を演じよう。
私はそう決断した。
separator
それからまた数年が経った。
東条さんと共に働いていた時と同様に志願者は皆、誇りのある最期を迎えていった。
亜美を演じ続けている内に私もいつの間にか志願者達と同様に自分に誇りを持ちかけていた。
「私もそろそろ.......。」と考え始めた時だった。
彼に出会った。
『沢辺 悠馬』
彼に出会った時に私は直感で思った。
「私に似ている」と。
自分に自信がなく、どこか逡巡とした立ち振る舞い。
この村に訪れたあの時の私に酷似していた。
そして、今までの志願者と比べ、どこか実行を躊躇しているように思えた。
私は内心、腹が立った。
なんだか私や、これまでの尊い志願者、それに東条さんを否定されているような気持ちに陥った。
私は彼の真意を確かめる為に、私にはなかったこの世に対する希望を口にした。
すると、彼は涙を零しながらあっさりと実行を辞めた。
私はそれを見てさらに腹が立った。
彼はまだ本当の絶望、この世の果てを知らない。
年齢的にも仕方がないと思いつつも、私はどうしても他の志願者を彼に見せたかった。そして、そんな人々の最期の瞬間を心で感じて欲しかった。知って欲しかった。
そう考えた私は彼をここで働かせることに決めた。
私は心情とは裏腹に演じ続けた。亜美の無邪気な仕草、真意のある言葉、彼を前に崩すことなく演じ続けた。
すると、彼は徐々に私に信頼を抱き、明るい表情へと変化していった。
そして彼にとって最初の志願者が訪れた。
『中尾 末広』
彼はもう覚悟は決まっているように思えた。
若いが自分の意思をしっかりと持っていた。
私は沢辺に一人で幇助に行かせる事にした。その方が、より身近に志願者の尊さを感じるであろうと判断したから。
しかし、意外にも沢辺は中尾の覚悟を鈍らせてしまった。
それは私にとって予想していない結末だった。
「違う.......。私が伝えたかったのはそういう事じゃない.......。」と内心で思いながら私は表情を変えずに沢辺に接した。
だが、沢辺はどこか自分に誇りを持ちかけていた。
私とは違う.......。別の形の誇りを.......。
そして二人目の志願者。
『磯部 アリス』
彼女はどこか、あの時の亜美に似ていた。
この世に不満を持ちながら、それを一切表情に表すことのない澄んだ双眸が亜美と重なって視えた。
すると、私は磯部から客室に呼ばれた。
客室へ入ると「話がある。」と言われ磯部の前の椅子に腰を落とす。
そして、「夜川さんってもうじき死ぬ気?」と唐突に訊かれた。
私は内心驚いた。
磯部の澄んだ双眸はまっすぐこちらを向き、私の真意を完全に読み取っていた。
なので私は表情を変えず、まっすぐ磯部を直視して「はい。」と答えた。
すると磯部は頬を緩め、微笑みを浮かばせながら「やっぱりかぁ~。私もそうだから何となくそう思ってた。しかも私って昔から人を観察するのが好きで、ずっとやってたらなんか人の心読むのが得意になっちゃったんだ。それもあってかなぁ。夜川さんからはどこか覚悟みたなものを感じとれた。」と言った。
私は「磯部さんも、もう覚悟は決まってるんですね?」と真剣な表情で訊いた。
「うん。だからそんな夜川さんにしっかりと私を見届けて欲しい。私がどんな最期を迎えようと.......。やっぱり一人寂しく死ぬのって嫌じゃん。」と磯部はここで初めて本心からの自然な笑顔を私に見せてくれた。
私は「かしこまりました。」と一礼をした。
そして磯部は、死に方こそ異様だったが、それは彼女なりの考えでそうしたのであろう。と私は眼をそらさずにまっすぐ彼女を見据え、彼女の最期を見届けた。
そして最期の志願者。
『加藤 勝』
彼は特殊だった。自分をジャックと名乗り、数回に分けてあの奇妙な手紙をこの村に送り続けてこちらの神経を煽りにきていた。
こんな志願者は初めての事だったので私も少し身構えていた。
しかし、意外にもあっさり実行を終えた。
これには沢辺も、そして私も驚いた。
そして翌朝、あのニュースが流れた。
私は一応沢辺にそのことを報告し、案の定どんよりとした空気が流れる。
そしてその日、沢辺はこの村を後にした。
私は彼の前で、最期まで自分を偽り、演じ続けた。
彼は私を疑うこともなく、元の生活へ戻った。
私は彼を送り、村に戻ると最期の仕事へ取り掛かる。
明日、この命に終止符を打つことは以前から決めていた。
後はこの日記になにを記載するか.......。
彼に、なにを伝えようか.......。
separator
~エピローグ~
(私の本心)
実は少し心が揺らぎ始めていた.......。
沢辺の言動、心情の変化。
最初は腹が立って仕方なかったのだが、その気持ちも段々と薄れていく感じがした。
私と彼は似た者同士。と思っていたが、この村で彼は彼なりになにかこの世の希望を見出したようにも感じた。私とは違う、私にない彼なりの希望を.......。
それでも私は彼に対して嫌悪感を抱いていることは変わりない。
私はこの日記に......いずれ彼が読むであろうこの日記に、私の本心を書くことに決めた。
そして、感情に任せて私はひたすら文字を綴った。
数々の暴言、怒り、嘆き、「これが私の本音......私が貴方に感じる素直な本心.......。」
そう思いながら文字を綴り続けた。
すると、突然視界がぼやけ始めた。どこか私の本心とは別の感情が腹の底から湧き上がってきた。
「あれ?なんで私泣いてるんだろう........。もう泣かないと心に誓ったはずなのに........。」
日記に涙が零れ落ち、シワができる........。
私は彼になにを感じて欲しかったのだろうか.......。この世の理不尽さ.....?裏切られた絶望感......?それは私の歪んだ感情.....私の感じるちっぽけな価値観.....ただの身勝手な想いなのではないだろうか.......。そう思うと次第に文字がまともに書けなくなり、歪んでいた。
思い返せば、あの志願者、『加藤勝』が本当に殺人を犯していると私は世間に公表される前に察しがついていた。行方不明者リストを確認していた際に磯部の背中に刻まれていた名前とリストの『加藤勝』が一致したからだ。まぁ、それだけで確信は出来なかったが........。
だがあの時、私はなぜか沢辺に帰宅することを勧めた。無意識に他人の身を案じたのだ........。私にまだこんな感情が残っていたことに私自身驚いた........。
私は自分の本心が視えなくなった........。
日記を書き終え、時計に目をやると0時をまわっていた。
私は予定通り客室に向かい、最期の準備を整える。
針を腕に刺し、もうボタンを押すだけの状態になった。
まだ残暑が残る季節だが、この空間だけはなんだか冷たく感じた。
そして、自分の人生を思い返した。
これまで色々あったが、ようやく楽になれる。
私は安堵の表情を浮かばせていた。
私はもう自分の人生に悔いはない。今までの志願者のように、そして東条さんのように私も最高の最期を迎えるつもりだった。
だが、一つだけ心残りがある。
あの日記のこと........。
私はなぜあの日記に言葉を綴ろうと思ったのか........。
沢辺はあの日記を読み、私が自分の人生の中で感じた裏切りの絶望を感じるだろう。
そこから彼はどう行動するだろうか........。
そして、私は彼にどう行動して欲しいのだろうか........。
ひょっとしたら私は、彼に微かな希望を抱いているのかもしれない。
私にはなかった世の中への希望........。
心の奥底で震え上がるこの感情........。
おそらく、這い上がって欲しいと思ったのだ。私からの理不尽な暴言、そして裏切り........。
それを乗り越えて這い上がって欲しい。私はそう心の奥で願っていた........。
あの日記の文そのものではなく、この本当の私の想い......それが彼に届く事を心の奥では願っていた。
本当はその想いをあの日記に綴りたかった........。しかし、それでは意味がない。彼が自分の意思で、それを乗り越えれば、それはきっと私にとって理想の姿になることだろう。彼に、私が歩めなかった理想の人生の続きを歩んでもらえるだろう。
これは私の小さな魂の叫びだった........。
私は最期に、身勝手な自分の理想論を彼に押し付けたのだ。
でも、彼ならきっと大丈夫......。
私はなんとなくそう思えた。
「.............」
「ふっ.......。」
私は少し失笑し、かぶりを振った。
「もう逝こう........。」
私はゆっくりボタンを押した。
そして、次第に全身の力が抜けていく.......。
薄れていく意識の中、あの時彼に訊かれた事がなぜか脳裏に過る。
「そういえば、夜川さんって何でここで働いてるんですか?」
あの時は答えを濁したが、今なら答えられる。
「自分の誇りを取り戻したいから.......。」
~完~
作者ゲル
これまで拝読してくださった方、誠にありがとうございますm(__)m
これにて『自殺村』終了です。
どれぐらいの方が読んで頂いたのかわからないですが、もしよかったら怖ポチやコメント頂けるとありがたいです!
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