「かわいいでしょ?ほら、かわいいでしょ?」
僕のご近所さんに、ひとりへんなおばさんがいる。
毎日毎日、ああして自宅の玄関前に立っては、
「かわいいでしょ?ねぇ・・・」
そう言って、クマだかウサギだかよくわからないヌイグルミを、だいじそーに、愛おしそーに抱えながら、道行く人たちに見せびらかしてる。
通行人たちにとっても、それはもはや見慣れてしまった光景で、ほとんどの人がおばさんには目もくれずに通り過ぎてゆく。
おばさんの家は、通りを挟んで僕の家の向かいにある。
だから僕はいつも興味本位で、自室の窓からおばさんの様子を見ていた。
聞いた話じゃ、おばさんにはひとり娘さんが「いる」、あるいは「いた」らしい(この辺がなぜ曖昧なのかは僕にはわからなかった)が、僕は生まれてこの方、それらしい子を見たことがない。
separator
雨の降る日だった。
こんな日でも、おばさんは相変わらず外であのヌイグルミのコマーシャルを続けている。
自室の床に寝っ転がって耳を澄ますと、古ぼけたスピーカーのように間の抜けたおばさんの声が聞こえてくる。
「かわいいでしょ?・・・かわいいでしょ?・・・」
・・・?なんだか何か「溜め込む」ような声の調子に、僕の頭上には疑問符が浮かんだ。
直後、それは爆発した。
nextpage
shake
「あ ん た も 返 事 く ら い し な さ い よ ! !」
僕は体も心臓も飛び上がる。
その直後、雨の中を誰かが駆けていく音が聞こえてきた。
こんなこと今までにない。明らかな異常事態だ。何事かと思って僕は窓から通りの様子を見る。
そこにおばさんはいない。
ただ、道の上に例のヌイグルミが背中を向けてうち捨てられていた。
よく見るとヌイグルミの背中に、なにか文字が書いてある。
僕は双眼鏡で覗いてみた。
「〇〇美」。女の子の名前が書いてあった。
separator
後日、おばさんが亡くなったとの知らせを聞いた。
なんでもあの雨の日に、車にはねられたのだそうだ。
おばさんは病院に搬送されたのち、死の間際にとても安らかな面持ちで、奇妙なことを言っていたという。
「〇〇美・・・、こんなところにいたのね・・・」
それはまるでそこにはいない、いるはずのない誰かに向かって語り掛けているようだったという。
nextpage
おばさんが亡くなったのち、向かいの家は空き家になった。
作者つぐいら。
今回の話ですが、本編だけでは少しわかりにくかったでしょうか?
劇中で存在がほのめかされていた「おばさんの娘さん」は、すでに故人となっております。
シングルマザーであったおばさんは娘を失った現実を受け入れられず、その遺品であるヌイグルミを、娘だと思い込むことにしたようです。
「かわいいでしょ?私の娘」。そう人々に問いかけ続けることで、このヌイグルミこそが、娘本人である、ということに確信を持ちたかったのでしょう。
でも、いくら愛情を注ごうが、どれほど話しかけようが、所詮はモノ。なんにも答えやしませんし、当の娘さんはもういません。
そのことを認めざるを得なくなったおばさんは、ヌイグルミを打ち捨てて、吹っ切れてどこへともなく走っていった先で、事故にあったのでしょう。
死の間際におばさんが見たものは、お迎えか、はたまた幻か。
後に残ったのは、住人のいなくなった、あの家だけとなりました。