「月が綺麗ですね」
仕事帰り、人気のない夜道を歩いているとそう耳元で囁かれた。
男性の声だった。
空を見上げてみると確かに月は綺麗だったが、周りを見回しても男性どころか人影すら無かった。
「月が綺麗ですね」
もう一度左耳の方から聞こえた。
もしや、と思い、私は
「悠くん?悠くんなの?」
と問いかけた。
不思議と恐怖は感じず、そこには安心感があった。
姿の見えない彼が優しく微笑んでくれたような気がした。
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私は当時、ストーカーに悩まされていた。
ストーカーの正体は同じ大学で同じゼミの鈴木だった。
もちろん警察には相談していたし、警察の方も尽力してはくれていた。
けれど、鈴木は神経に来る細かい嫌がらせをやめてはくれなかった。
そんなストーカーから私を守ってくれたのが彼氏である悠くんだった。
鈴木の嫌がらせを受けていた私に大丈夫だよ、と言って励ましてくれた。
しかし、ある時鈴木が私の家にまで押し掛けてきた。
「警察呼びますよ!」
と咄嗟に言った私に逆上した鈴木は包丁を持ち出してきて、私に襲いかかってきた。
逃げる間どころか悲鳴をあげるのも忘れてしまっていた私の代わりに刃を受けたのは悠くんだった。
「悠くん?悠くん‼」
震える手ですぐに救急車を呼んだが心臓をひと突きだったようで、このまま悠くんは帰らぬひととなってしまった。
私は鈴木への復讐を誓ったが、鈴木は悠くんを刺した後、怖くなって逃げ出し、信号を無視してトラックにはねられたそうだ。
やり場のない憎しみと怒りで茫然とした日々を送っていた私だが、あれからようやく3年。
なんとか就職もし、段々と立ち直りつつある。
彼の後を追うことも少なからず考えたけれど、悠くんはそんなことしても喜ばない。
生きて鈴木を見返してやる、というよく分からない意地もあった。
私に出来る悠くんへの供養は、ただ頑張って日々を送ること。
そう考えて毎日を生きてきた。
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「月が綺麗ですね」
I love you.
私はあなたを愛しています。
三回目を囁かれ、私の目からは涙が溢れて止まらなかった。
「悠くん…
ずっと、一緒にいようね。」
「ああ。もちろんだ。」
…?何か違う。
これは…悠くんの声じゃ、ない…?
これは…
「ね、ねえ…姿を…見せて、くれな、い…?」
恐怖
憎しみ
怒り
悲しみ
いろいろな感情がない混ぜになって声が震える。
「しょうがないなぁ、咲は。」
男の姿が月明かりに浮かび上がってくる。
「ずっと、一緒に、いような。」
そう言って現れたのは、
私のストーカーだった男、
鈴木だった。
作者退会会員
こんにちは。こんばんは。にゃんころべえの6作目をお読みくださり、有難うございます。
作中の鈴木、嫌な感じで描いていますが、私自身は特に鈴木さんに恨みなどはありません。
お読みくださった鈴木さま、すみません。
前作の「ツマラナイ」が思いの外好評でしたので投稿に少し勇気が要りました。
これからも気が向いたら読んでくださると嬉しいです。