長編10
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マジムンの棲む森

あの森を抜けた先に、ウガンジュヤマがあるんさ。

あそこにはなぁ、何かがいるんさ。

得体の知れない何かが。

だから、絶対に近づいちゃならん。

ところが、近づかずとも向こうから呼ばれる時があるんさ。

本当に稀にだが、痺れを切らしちまうんだろうな。

でもな、呼ばれてもやっぱり絶対に近づいてはならん。

近づけてもならん。

そんな時はな、こいつを両の手で挟んでだな、こう唱えるんさ。

「ホンソワケイミィシィーチム」と。

後は、言霊に導かれたご先祖達が何とかしてくださる。

———遠く離れていても、大切に想っていればご先祖は守ってくださるよ。

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初夏の良く晴れた午後、僕は生まれ故郷へ帰ってきた。

空港へ降り立ちロータリーへ向かうと、恥ずかし気も無く手を振っている男がいる。しきりに大きな声で僕の名を呼んでいるこの男は、そう、僕の父だ。

「おぉ、元気そうだなぁ。ほれ、乗った乗った」

僕は急かされるがまま乗車し、父は車を走らせた。

「お前が帰るのも2年振りかねぇ。年に1回位は島に戻ってこいや。ママもオジーも、首ィ長くしてるよ。」

「仕事が忙しくてさ、島にはなかなかね。」

そう返すと、父は驚いたように後部座席へ首をもたげる。

「かぁ~、お前もすっかりナイチャー(外部の人)になったんだなぁ。忙しいのもわかるけど、も少しゆとりを持ってやらんと身体壊すぞ」

「島と内地じゃ感覚が違うんだよ。ここみたいにボヤボヤしてられないんだ」

「オジーの事と、内地の事情は違うんでないか?」

父の言葉に何も言い返せず、窓の外に流れる景色に目をやると、どこまでも透き通る海と、風と戯れる海鳥が新鮮に映った。誘われるように窓を開けると、懐かしい磯の香りが鼻をくすぐる。見飽きた景色や匂いの筈なのに。

「帰る前にオジーの所へいくからな。ママも先に行ってるから、向こうで合流しよう」

父の言う事は一頻正しい。

実際多忙である事に間違いはなかったが、確かにそれにかまけて訪れる事をしなかった。

———3年前、島を離れた僕は一人での生活を東京で始めた。

そこでは、価値観や考えがめまぐるしく変わり、常に新しく刺激的な物を求められる。

負けず嫌いな僕は、のめり込むように仕事に没頭した。

馬鹿にされないよう、置いていかれないよう、認めてもらえるように。

要は、必死だったのだ。

当然、島の事や家族の事はいつも想っていた。

挫けそうになった時、島へ帰ってしまおうかと何度も考えた。

だが、一度逃げ道を作ってしまうと、それに甘んじてしまう気がして、僕の方から遠ざけたのである。

だからこそ、祖父には合わせる顔がないというか、いまいち億劫なのであった。

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祖父の家に到着し居間へ行くと、母と祖母がテレビを観て座っていた。

僕の存在を確認した母は、その顔を歪めながら僕に詰め寄り胸のあたりを叩く。

「アンタ、全然顔見せんで何考えてるの。お義父さんとお義母さんに挨拶なさい。」

僕は戸惑いながら祖母へ挨拶を済ませると、居間をキョロキョロと見渡した。

「オジーはどこに?」

「こっちさぁ。ついておいで。」

そう言うと祖母は続き間になっている隣の襖を開け、僕に手招きをした。

その部屋に入ると、線香の匂いがツンと鼻についた。仏壇には祖父の笑っている写真と骨壺が飾られている。目尻いっぱいにシワを作り、少しだけ歯を覗かせていた。

祖父らしい、良い顔だった。

「いい写真だろう。オジーはさぁ、遺影は絶対これにするんさぁって聞かなかったからねぇ。ワー(私)は反対だったけどねぇ。」

優しく微笑む祖母を横目に、仏壇の前に座った僕は線香に火をつけ手を合わせた。

「お義父さんはねぇ、亡くなる直前までアンタの話ばっかしてたよ。」

いつの間にか後ろに母が座っていたようだ。

僕は振り返らず、祖父の写真を見つめる。

「1番可愛かってもらったんだよ。それなのにアンタは葬儀にも来ないなんて、本当に信じられない。何考えてんのよ。家族より大切な事ってある訳?」

母に返す言葉もなかった。

今になって、沸々と後悔の念が募る。

祖父よりも仕事が大切だったのか?

そうではなくて、自分自身が大切だったのだと、今更ながら振り返るのだ。

———オジーに逢いたい。

今頃になって、そんな気持ちが僕の心を一杯にした。

「まぁまぁ、この子もこうして帰って来たんし、ええじゃんねぇ。オジーもほれ、笑って喜んでるよ。さ、今日はヤー(お前)が帰ってくるからってたんとご馳走用意したさぁ。腹一杯食べんしゃい。」

そう言うと、祖母は僕の肩にそっと手を置いた。

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「今日は泊まっていきんさい。明日はどうするね?友達にでも会うか?」

「うーん、とりあえず街の方に行こうかな。」

祖母にそう返すと、母が溜息を吐きながら言う。

「アンタねぇ、電話でも言ったけどお義父さんの遺品整理とか色々あるって話したでしょう。明後日には東京に戻るんでしょ?フラフラしないでこっち手伝いなさい」

「あぁ、そうだな。オジーがお前に遺してる物もあるかもしれんし、そうしなさい。仏間にまとめてるから、後で軽く見てみようや。」

そして食事が終わった後、祖父の遺品を一つずつ確認していると、昔の手紙や骨董品等に混じって、僕宛の封筒を見つけた。

開封すると、中には古びた巾着袋と一緒に手紙が同封されていた。

『お元気ですか。私は体調が優れない毎日です。もし私が死んでしまったら、同封しているこのマースを渡します。君が島を出る時に渡しそびれてしまったものです。私の代わりに、君を守ってくれます。どうかお身体に気をつけて、いつまでもお元気でいてください。』

所々読みづらかったが、確かにそう書いてあった。

すると、横から祖母が身を乗り出した。

「これはマース袋さぁ。」

「マースって、あの、御守りの?」

マース袋とは、塩が入っている御守りの事である。

「ヤンドー(そうだ)、でもただの塩じゃないさぁ。オジーがウチナー戦(第二次世界大戦)へ行く時、ワー(私)が持たせたんさ。ワーがウガンジュで1週間かけて拵えた塩だし、死なないで済んだんよ。オジーはこれをアンタにあげたかったんだねぇ。」

祖母は、”ユタ"と呼ばれる巫女であり、所謂シャーマンであった。つい最近、ユタを引退したと聞いていた。

そして、どこかで聞き覚えのあった言葉について、僕は聞き逃さなかった。

「オバー、ウガンジュってなんだっけ?」

「アンタ、そんな事も忘れてるの。御先祖やウカミ(神様)にお祈りする場所さぁ。ユタしか立ち入れない聖域でな。御先祖達の声を訊きに行く場所さぁ。」

昔の記憶が、徐々に蘇ってきた。

幼い頃、祖母がウガンジュで祈祷した話等をよく聞かされた事を思い出した。

また、祖父の話していたウガンジュヤマの事も。

「ウガンジュ…ウガンジュヤマ。ウガンジュヤマの事?昔、オジーが話してくれた。」

僕の言葉に、祖母は一瞬ぎょっとした表情を見せると、首を横に振った。

「ウガンジュヤマは、悪い所よ。ウガンジュだけど、ウカミも御先祖もいない、マジムンが住むヤマ(森)さぁ。立ち入るのは許されんよ。ワーも行った事なんてない、ない。」

マジムン、とは、魔物を意味する。

祖父が昔話してくれたウガンジュヤマの”何かがいる"とは、マジムンの事だったのかもしれない。

「オバー、どこかのウガンジュでオジーの事を祈ったりするの?」

「いんや、この辺りのウガンジュはナイチャー連中の開発のせいで大分無くなってしまったし、もうワーも歳をとり過ぎてな、御先祖の声が訊こえないんさ。」

「ウガンジュヤマは、まだあるの?」

「あるが、あそこはウガンジュであってウガンジュじゃないしねぇ。大昔、まだこの島が琉球だった頃はそうじゃなかったと聞いてるけんどねぇ。」

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その夜、祖母へ出掛けると伝え家を出た。

僕は決心した。

自分でも馬鹿げていると思ったが、自分の感情が抑えきれなかったのだ。

祖母は、大昔はまだウガンジュとして機能していると話していた。

万一つにも、祖父の温もりに触れられる可能性があるとしたら———

そんな淡い期待を胸に、朧げながらに記憶の糸を辿ってとある小さな森に着いた。

そう、ウガンジュヤマのある森である。

注連縄が辺りに張り巡らされていたが、構わずに中に入って行った。

スマホのライトを最大にして進むと、小さな獣道ような回廊が続いている。

かなり苔むしていて、長い期間人の往来が無かった事は明白であった。

自分の足音以外は静まり返っていて、時折聞こえてくる夜鳥の鳴声が不気味さを一層感じさせる。

蒸し暑く、シャツが汗でじわりとベトつき、一筋の汗が頬を伝う。

その時だった。

何か、声が聞こえた。

僕は歩みを止め、耳を澄ませる。

確かに聞こえる。しかも、僕の名前を呼んでいるのだ。

次の瞬間、ハッキリわかった。

この声は、祖父の声であると。

僕は声の方へ走った。

すると、暫くし開けた場所に出ると、中央にそれは存在していた。

人工物であろう、古びた大きな石が規則的に並べられていて、真ん中に台座のようなものがある。

その奥には崩れかけの御堂があった。

大昔のユタ達は、ここで祈りを捧げていたのだろうか———

そう考えると、こんな場所でさえも神聖であると思えてくるから不思議である。

その声は、御堂から聞こえているのは明らかだった。

何か聞きとれないが、確かに祖父の声だ。

耳から、というより、頭の中に直接響く感覚である。

僕は思わず御堂に向けライトを照らし、こう言った。

「オジーか?俺だよ、逢いに来たんだ。」

すると、僕の声に反応するかのように、それはゆっくりと、ずるっ、ずるっ、と、御堂から這い出してきた

祖父だと思われたそれは、僕の想像を容易く壊した。

身体は蛇のようだが、胴体からは手のようなものが数本生えている。

顔は筆舌に尽くせぬ程醜悪だ。

そしてその風貌は———まるで化け物そのものであった。

それが僕の名を呟くと、息と混じって大変な悪臭が鼻を刺激する。

その声は、既に祖父ではなかった。

僕は走った。

元来た道かわからなかったが、真っ暗闇の中全速力で走った。

ところが、突如激しく転倒した。

息を切らせながら足下に顔をやると、月明かりに照らされたあの化け物が手のような器官で僕の足を掴んでいるではないか。

おいで、おいで

こっちおいで、こっち、こっち

化け物はそう呟きながら、僕の足をずるずると引っ張り、僕をどこかへ連れて行こうとした。

抵抗しようにも、金縛りにあっているかのように体が動かない。

そいつは僕の顔を見るとニヤリと笑みを浮かべ、ゆっくりと元いた場所へ戻ろうと引き続けた。

———オジー、助けて

その時、胸ポケットから何か落ちた。

祖父のマースだった。

不思議な事に体が突如動かせるようになると、僕はマースを両手で握り、つっかえつっかえあの言葉を唱えた。

ホンソワケイミィシィーチム、ホンソワケイミィシィーチム、ホンソワケイミィシィーチム

昔祖父が教えてくれた言葉だった。

忘れていた筈なのに、何故か突然頭に浮かんだのだ。

目を瞑り唱え続けた。

すると、フッと体が軽くなり足下を見ると、そこにそいつは居なかった。

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それからしばらくして、フラフラと家の近くに辿り着くと、祖母がいた。

曲がった腰で僕の元へ駆け寄ると、僕の頬をピシャリと叩いた。

「アンタぁ、ウガンジュヤマに行ったな?ワーがわからん筈ないさ、あれだけ悪い臭いがすればフラー(馬鹿)でもわかるさ。あれほど行くなって言ったのに何で行った、このフリムン(馬鹿たれ)、フリムンが!」

祖母は泥だらけになった僕のシャツを掴み、震えながら怒鳴るとそのまま座り込む。

そして、僕の顔を指差しこう言った。

「アンタぁ、まさかマジムンと言葉を交わしたか?連れてきよったね。憑かれてるよ。」

———その後は、大騒ぎだった。

地区のユタを名乗る人達が1日かけて必死に御祓いをしてくれた。

その中には、祖母の姿もあった。

「ワーにはもう御先祖の声も訊こえないけどね、ワーも、オジーも、アンタの為ならなんだってやるよ。」

その言葉が印象的であった。

御祓いを終えた次の日、あの夜の事を祖母に話した。

祖母によれば、祖父のマースとあの呪文の様な言葉があったから、マジムンに連れ去られる事はなかったのだという。

その代わり、マジムンは僕にしぶとく憑く事で、隙を見て再び引き込もうとしていたのではないか、という事だった。

「アンタぁ、暗い気持ちで島に来たもんだから、マジムンに初めから魅入られたな。でもワーが居て手を出せないもんだから、向こうさんが強引に呼ばれたのかもしらん。アレらは人の心につけ入るからねぇ。」

そう言い祖母は冷たいお茶をひとすすりすると、僕はマースを手に取りながら訊ねた。

「オジーに昔聞いた、ホンソワケィ…なんとかって言葉、あれってお経みたいなものなの?」

「あのまじない言葉はねぇ、ウガムンって言うてな、言霊みたいなものだね。ユタの古い、古い言霊さぁ。御先祖を呼ぶ言葉。アンタに憑いてたのも相当に古いマジムンだったからねぇ、向こうさんもデージ(すごく)驚いただろうね。オジーにお礼しんさいよ。」

ほいでよぉ、と、祖母は言葉を続けた。

「オジーには逢えたんか?」

僕は一呼吸置いて、縁側から空を仰いだ。

「オバーの言う通りだった。分かってたよ、オジーに逢えないって事くらい。でも逢って、きちんと謝りたかったんだ。ちゃんとお別れできなくて、ごめんて。」

「ジュンニ(本当に)大切なんは、オジーを大切に想うチムグクル(心)さぁ。アンタぁ、きっと訳があって帰らなかったのでしょ?ヤーは昔から優しいワラー(子供)だっからねぇ。最期は逢えなかったのかもしらんけども、アンタがいつもオジーを想っている事は、ちゃんとオジーにも伝わってるさぁ。」

「だから———」

「そうよぉ。だから、アンタは守られたんさ。全部が全部、言葉にしたり形にしなくたって、わかる人間にはわかるんさ。」

僕の頬を優しく撫でると、祖母はニッコリと笑った。

南から吹くそよ風が、庭に咲くティンサグの花を時折優しく揺らしている。

僕には、それがオジーだと思わずにいられなかった。

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@あひるちゃん さま

コメントありがとうございます。
沖縄は琉球王国時代の名残で、本土とは違う独特な雰囲気や慣習がありますよね。
また機会がございましたらお読み頂けますと幸いです。

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@さかまる さま

コメントありがとうございます。
大変恐縮です、今後もお読みくださると幸いです。

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素晴らしいですね。
作品の世界に引き込まれました。
この作品の前では、言葉で表そうとするのも気が引けるので、素晴らしかったとだけ。

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@あんみつ姫 さま

コメントありがとうございます。
綺麗に集約頂き恐縮です。
土着している言い伝えや風習は、時に薄寒さすら覚えますね。
またお読み頂けますと幸甚です。

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沖縄な、まだ行ったこととないので行きたいです。

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@アンソニー さま

コメントありがとうございます。
沖縄地方が舞台ですが、不思議な逸話がたくさんあると聞きます。
こんなご時世ですが、落ち着いた頃アンソニーさまも沖縄地方へ行かれる機会があった際は、何かに魅入られないようお気をつけください。

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