遊園地の人喰いピエロ 2

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遊園地の人喰いピエロ 2

またしばらく、憂鬱な天気が続きそうだった。最近の天気予報は当てにならない。

「温暖化の所為だって、古着売りが言ってたけど」

「年よりは何でもかんでも温暖化って言いますよね。少子高齢化も、野菜が高いのも、腰が痛いのも温暖化の所為ですから」

 バックヤードで実の無い会話をしていると、パソコンを難しい顔で睨んでいた指輪売りが顔を上げた。

「つのむし。お前、ちょっと出稼ぎに行く気は無いか?」

「出稼ぎ?」

 私は言われた言葉を繰り返して、目を瞬いた。餌を捕る為の大道芸、とは違う意味で言っているらしい。

「メールが来てる。ピエロランド、つのむし様とピピ様、だってよ」

 私の名前が先に来ていることに、違和感を覚えた。傍から見て、芸を見せるピピが主役で、私は助手以下のおまけのようなものだからだ。ピピよりも私を優先するのは、私がピピの餌係であるという事情を知る者に限られる。

「誰から?」

「知らん。初めて見る名前だ。でも、近所らしい」

 ピピを貸し出して欲しい、という依頼は、実はごく稀にだが来る。本物のピエロの芸は到底人間には真似できないし、私とピピが大道芸の真似事をするのを見て、その見事な技に惚れ込んでしまう者も多いからだ。

「遊園地? 飲み屋の余興? それとも、ライブハウス?」

 私が今までにやった外での仕事を挙げると、指輪売りは首を振って、メールの文面が見えるようにパソコンをこちらに向けた。

「ホスピタル・クラウンだ。初めてだろ?」

 私とピエロもどきが、顔を見合わせる。とうとう来たか、という思いと、できるだろうか、という思いが半々だった。ピピは、人を笑わせる天才だ。でも、こういう仕事には特別な許可が必要だったのではないだろうか。

「気を付けてくださいよ、つのむしさん」

 ピエロもどきが、不安そうに言った。

「ピピは、つのむしさんの言うことしか聞かないんですから」

ピエロもどきは、未だに誤解している。ピエロ恐怖症という病気まであるらしいが、ピエロは愉快で明るくて、全く怖いところなんて無いのだ。

「ピピの奴、たまに俺の事睨むんですよ。特に、つのむしさんと話してる時とかに」

「冗談は辞めて。で、どこの病院? 協会は何て言ってる?」

 私はメールの文面を読み返して、首を傾げた。ミゾグチレイタ。確かに聞かない名前だ。ミゾグチ、なんて病院はこの辺には無い。

「病院じゃねえよ。個人宅だ。それと、ホスピタル・クラウン協会は通していない」

 指輪売りが、昼間から開けているビールを一口啜った。

「だから、妙なんだ。どうする? つのむし」

 ホスピタル・クラウン、という職業を、初めて知ったわけではない。病院で芸を見せて笑いを提供し、病気の子供たちを元気づけるのが彼らの仕事だ。数はさほど多くないようだが、協会専属の道化師たちが全国に存在し、子供たちの支えになっているのだと言う。

こればっかりは、本物のピエロよりも人間のピエロもどきの方に向いている仕事だと思う。

「この辺のはず、なんだけどなあ」

 地図を見るのは苦手だ。私とピピは、メールで支持された住所を目指して、雨の中を歩いていた。たまに驚いた様子でピピを見上げたり、こっそり写真を撮ったりする人とすれ違ったが、私がピエロランドの社員証を掲げて見せると、納得したように笑顔で去って行った。ピピの赤くてまん丸い鼻も分厚い唇も、どうやらただの特殊メイクだと思っているらしい。

「ええと、ミゾグチ、ミゾグチ・・・あった、ここだ」

 住宅地に雨が降ると、晴れの日よりもずっと寂しくて陰気臭く見えるものだ。どんよりとした雲の下では、私が一生掛かっても建てられないようなお屋敷さえ、出来の悪いお化け屋敷のように見えてしまう。私は表札の名前をもう一度確かめてから、インターホンを押した。

「こんにちはー。ピエロランドでーす」

 我ながら、間の抜けた挨拶だとは思う。出て来た中年女性も同じ感想なのか、胡散臭そうな目つきを隠そうともしなかった。

「はあ・・・」

 合点の行かないような声を出して、私とピピをじろじろ見つめる。私は痺れを切らして、折り畳んだ紙を女性の鼻先に突きつけた。

「ミゾグチレイタさんから、ご依頼がありました」

 送られて来たメールを印刷したものだ。文面を見るや否や、女性の顔に何とも言えない表情が浮かぶ。唇をぎゅっと引き結んで眉間に皺を寄せ、目じりには薄らと涙まで滲んでいた。

 怒っているような、悔しがっているような。思い通りにならないことにかんしゃくを起こしている、子供みたいな表情だ。

「僕だよ、母さん。僕が頼んだんだ」

 お屋敷の二階から、精一杯に張り上げた掠れ声が聞こえた。

「本当に来てくれたんだ。良かった」

 あの声の主が、『ミゾグチレイタ』なのだろう。私がにっこり微笑むと、中年女性はきっとなった目で私たちを睨んだ。

「・・・どうぞ」

 言葉とは裏腹に、歓迎されていないのは明らかだった。しかし、依頼者本人がああ言っているのだから、ここで帰るわけにも行かない。私とピピは遠慮なくお屋敷に上がり込むと、勝手に階段を上がって二階に向かった。スリッパは用意されていなかったので靴棚の横にあったものを拝借したが、中年女性は何も言わなかった。

「本当に来てくれたんだ」

 ピピが立ち止まった先のドアを開けると、そこは一面真っ白な世界だった。真っ白いカーテンに真っ白い壁。真っ白なベッドの真っ白なシーツに横たわった男は、背景に負けないくらい色の抜けた顔で微笑んでいる。窓の脇に立てかけられたイーゼルと絵具箱が、この部屋の僅かな個性を演出していたものの、布地のキャンパスはやはり真っ白で何も描かれていなかった。

「出張ピエロです」

 何と言って良いかわからなかったので、私はライブや飲み屋の余興でするのと全く同じ挨拶をした。協会に属してもいないのに、勝手にホスピタル・クラウンを名乗るのは気が引けたのだ。

「ミゾグチレイタさん? ええと、その・・・」

「いいよ、レイタで。君が『つのむし』だね」

 レイタという青年が酷く綺麗な顔をしていることに気付いて、私は急に恥ずかしくなった。私ときたら、服は古着のワンピース、髪はぼさぼさ、首にはピエロランドのダサい社員証という有様だ。

「母が失礼をしたね。本物のピエロに会えて、僕は嬉しいよ」

 本物の、ピエロ。ピピに面と向かってそう言う人は珍しい。と言うより、今まで会ったことが無い。素人にとっては、ピエロもピエロもどきも等しく『本物』だからだ。ピエロが人間とは全く異なる生き物なのだと、知っている者の方がずっと少ない。

 私は、僅かながら胸騒ぎを覚える。

 何故、レイタは私たちのような素人を選んだのだろう。ピピは本物のピエロだが、所詮は遊園地のピエロである。それも、古臭くて大入り満員には程遠い遊園地だ。ホスピタル・クラウンを必要としているなら、もっと他にやりようがあっただろうに。

「君たちに頼みがある」

 レイタの澄んだ目が、真っ直ぐに私を見つめた。

「僕を、食べて欲しい」

 雨粒が屋根を打つ静かな音が、しんとした部屋に響いていた。ピピが赤い唇を開くと、白く尖ったダイヤのような牙が、ぎっしりと並んでいるのが見えた。

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懐かしの我が家、もといピエロランドに戻ると、ピエロもどきが待ちかねたように駆け寄って来た。

「指輪売りは知らないって言いましたけどね、とんでもないですよ。ミゾグチレイタって言ったら、今も作品が高値で取引されてるんですよ」

 話が見えなかったので、私は興奮するピエロもどきを落ち着けて、彼が見つけて来たホームページを確認した。

 天才画家、ミゾグチレイタ。

 あのキャンパスの意味はわかったが、それ以上の感想は特に無かった。芸術に疎いので価値は良くわからないが、ホームページには緻密なだけの退屈な風景画が延々と並んでいる。これなら、写真を撮った方が早い。私は大した感動も無く絵を見続けていたが、あるページに釘付けになった。

「これ・・・」

「そうなんですよ。彼、このピエロランドに来てたんですよ」

 ピエロもどきは何故か誇らしそうに言って、アクリル絵の具で描かれた豪奢なメリーゴーランドを指さした。

「宣伝になりませんかね? あの天才画家が訪れた遊園地、とか、うまいキャッチコピーを付けて」

 レイタは、今はもう絵を描いていない。彼の寝室にあった、悲しいくらいに真っ白いキャンパスを思い出す。

 ホームページの更新は、昨年の今頃で止まっている。皆はレイタの絵には興味があっても、レイタ自身には興味が無いらしい。

「ミゾグチレイタ、今は何を描いてるんですか? 大作に取り掛かってるとか、留学準備中だとか、ネットじゃ色々言われてますけど」

 私は溜息を吐いて、パソコンを閉じる。

「忘れたの? 私達、ホスピタル・クラウンとして行ったの」

 その一言で全てを悟ったのか、ピエロもどきの顔が曇った。

「そんなあ・・・」

 どちらにしろ、彼の絵は好きになれない。レイタが画家だろうとそうでなかろうと、私とピピにはどうでも良いことだ。

 とりあえず、レイタがあんなお屋敷に住んでいた理由と、彼の母親が悔しがりながらもレイタに逆らえない理由はわかった。

 冷蔵庫から肉を出して置いておくと、常温に戻るに従って断面から水っぽい血が滲んで来る。死後硬直だとか血管の収縮だとか、推理小説に出てくるような用語の意味を正しく知っているわけでもないけれど、傷んでいないかどうかだけのチェックは怠らない。バーコード禿げのおじさんは皮下脂肪が厚過ぎて身体に悪そうだったので、アニメ好きの青年の肉と半々にして与えることにした。

「食べないの?」

 珍しく、ピピに食欲が無かった。切り分けた肉を両手に持っているだけで、それを口に運ぼうとはしない。コバルトブルーの爪を伝って、赤い血がぽとりと地面に落ちる。

「おいしくなかった? ごめんね。次はもうちょっと健康そうな人、狙うからさ」

 ピピは聞き分けの良いピエロなので、普段はあまり好き嫌いを言わない。デブだろうと年寄だろうと不細工だろうと、顔さえ笑っていれば喜んで食べてくれる。

まさか、具合が悪いのだろうか。私は心配になって、ピピの顔を覗き込んだ。赤い唇は、相変わらず陽気そうに笑ったままだ。黒い小さな目が、私の目を見返す。黒曜石のように深い、人間よりも優しい瞳。ピエロが何故消えるのか、死ぬということがあるのか、私は何も知らない。ピピがそうなったとしても、対処法がわからない。私は泣きそうになって、ピピの鮮やかな衣装の端をぎゅっと掴んだ。万が一にも、ピピがこの手から消えてしまわないように。

――クゥウ・・・――

細い鳴き声が聞こえて、私は顔を上げた。ピピの指先に、真っ白な鳩がとまっている。鳩は私の顔を見ると、首を小さく傾げて、もう一度クウと鳴いた。嘴には、桃色の花を咥えていた。

「ピピ・・・」

 ピピは鳩の嘴から花を受け取ると、私の髪に差した。甘い香りがする。花の匂いではない、人工的なフルーツのような香りだ。

「ピピってば、脅かさないでよ」

 香料を振りかけた、ビニールの花。私は急におかしくなって、くすくすと笑う。本物のピエロは、動物の扱いも上手い。正確に動物の心を読んで、あっという間に友達になってしまう。

「それ、レイタにもやってみせたら? きっと喜ぶよ」

 レイタの家には、来週また行くことになっている。できる限り、毎週来て欲しいと言っていた。かなり法外な出張料をふっかけてやったつもりだが、天才画家様には痛くも痒くもないらしい。

「うわっ、何ですかそれ」

 ベンチに座った私を見て、資材を運んでいたピエロもどきが声を上げた。

「ああ、これ」

 私は髪の毛に手をやって、また少し笑った。

「ピピのプレゼント。似合う?」

「じゃ、なくて! その造花、血塗れじゃないですか」

 花に触れた手を見ると、確かにべっとりと血が付いていた。ピピが血だらけの手で掴んだので、花にも血が移ったのだろう。まあ、良いか。桃色の花も好きだが、赤い花はもっと好きだ。

「ねえ、似合う? 綺麗?」

 私はスカートの両端を抓んで、くるりと回って見せた。今時女の子向けの漫画でもやらないような芝居がかった仕草で、私には似合わないのだろうと思うと余計におかしい。

髪にこびり付いた血が、額を伝って頬に赤い線を残した。生温い感触がくすぐったい。ピピは手にした肉片を捨てて私に近付くと、私の顔に付いた血を長い舌で舐め取った。

あまりに自然な仕草だったので、ピエロもどきも私も、しばらくは何も反応できずに固まっていた。

「お、お前、ピピ、何やって・・・」

 ピエロもどきが何事か叫んでいる。

 私はピピが投げ捨てた肉片を拾い上げると、滴る血を両手に塗りたくった。餌係として、やるべきことはやらなければならない。

「食べな」

 両手で包み込むようにして、青年のものだか中年男のものだかわからなくなった肉片を差し出す。両手の血の海の中に、ピピは素直に唇を近付けた。ピピの息遣いを感じる。剃刀のように鋭い歯が、手のひらを優しく撫でるのがわかった。舌が手のひらを舐め回す。くすぐったくて、つい、笑い声を漏らしてしまう。

「つのむしさん・・・」

「大丈夫。私に噛みついたりはしないから」

 ぴちゃぴちゃという音が辺りに響く。体調が悪かったわけではないらしい。私はほっとして、残りの肉も同じようにしてピピに与えた。血塗れだった私の両手は、ピピが餌を食べ終わる頃には綺麗に舐め尽くされて、元の通りになっていた。

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