遊園地の人喰いピエロ 3

長編16
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遊園地の人喰いピエロ 3

笑わせること。それだけがピエロの特技で、存在意義でもある。ピエロに特別な力なんて無い。『ピエロもどき』のホスピタル・クラウンたちも、それは知っている。笑うことで、患者が元気になってくれれば一番良い。けれど、ピエロの提供する笑いに、万能薬のような効果を期待してしまうと。お互いにとって、とても悲しい結末になることだってある。

「はいはい、お次はウサギを出しまーす」

 遊園地のショウよりも陽気な声を出して、私はにっこりと完璧な作り笑顔で微笑む。レディース・エンド・ジェントルメン。この場に『レディース』はいないけれど。レイタの母親や他の家族が、この部屋に入ってピピの芸を見たことは一度も無い。

 赤と青の縞のシルクハットを、ピピは気取った仕草で翻した。飛び散る紙ふぶきと、風船を捩じって作った色とりどりのウサギ達。レイタが無邪気に歓声を上げた。後でこの紙ふぶきを誰が掃除するのか、なんて、私は全く考えずに両手を上げてお辞儀する。

ピピが一緒にお辞儀をすると、縞のスーツの隙間からびっくり箱のように玩具のウサギが飛び出した。ピエロらしく大げさにピピが飛びのくと、胸元で更に大きな爆発音が響き、花火の匂いと共に紙テープが舞い散る。ピンク色の爆竹の煙。キャンディーの雨。遊園地で子供を驚かすのに用いる手段だが、レイタは一瞬魅入られたように口を開けた後、惜しみない拍手を送ってくれた。涙が出るほど大声で笑って、ピピに渡された安っぽい縫いぐるみのウサギを抱きしめる。ホームページでは、まだ高校生くらいの年齢ということになっていたが、笑った顔はもっとずっと幼く見えた。最初に見た時はどちらかと言えば老けた印象だったので、これは意外な発見だ。

「あー、面白かった」

 まだ喉を震わせて笑いの余韻に浸るレイタは、白い肌に薄らと汗をかいている。

「考え直す気は無いの?」

 私はそう言って、レイタのベッドの端に勝手に腰掛けた。紙ふぶきと紙テープ、キャンディーの包みで色とりどりに散らかった白い部屋は、出鱈目に絵具をぶちまけたキャンパスみたいだった。

「もう決めた事だからさ」

 レイタが微笑むと、女の私よりもずっと綺麗な顔になるのだからずるい。レイタはピピのぶちまけたキャンディーを拾って口に含むと、水玉模様の包み紙をその辺に投げ捨てた。

「今すぐに、ってわけじゃないよ。でも、死に方くらい自分で選んだって良いだろう?」

 確かにそうだ。私は、頷くしかなかった。生き方を選ばせてもらえなかった人間なら、死に方を選ぶ権利くらいはあっても良い。

 ミゾグチレイタについて、私が知っていることは少しだけ。

 彼がまだ二十歳にもなっていないこと。

 才能ある画家で、この屋敷も、部屋の中の高価そうな調度品も、全てレイタ自身の収入から得たものだということ。

 レイタがもう、二度と絵を描けないということ。

「二度と、ってのは間違いかな。手が動かないわけじゃないから」

 枕元のスケッチブックを引き寄せて、長い指で鉛筆を握る。手の形が、少しだけピピに似ている。鉛筆を紙の上に走らせると、線と点が重なって、あっという間に形を作っていく。

「ピピ?」

「うん。似てる?」

「全然」

真っ白い空間にぱっと何かが現れるのは、やっぱり少し手品みたいだと思う。でも残念なことに、紙の上に現れたピピは全くピピではなかった。線が歪んでピピのしゅっとした輪郭が下膨れ気味になっているし、反対に唇は小さすぎる。どちらかと言えば、ピピよりもピエロもどきに似ていた。

「もう、前みたいには描けない」

 病的に白い手には、赤黒い火傷の痕が残っている。手を握ったり開いたりするたびに傷が引き連れて、どこかぎくしゃくとした動きになってしまう。

 思うような絵が描けないとわかってから、レイタは部屋の外に出られなくなった。食事も受け付けなくなり、体力がどんどん落ちて眠っているだけの日が多くなった。ホームページの更新は止まったまま。今のレイタを知る人は少ない。それでも、いつかは全てをさらけ出さなければならない日が来るだろう。

「絵を描くの、楽しくないの?」

「楽しくないよ。楽しかったことなんて、一度も無い」

 無残なピピの絵は、スケッチブックの向こうから力なくこちらに微笑みかけている。ピピ自身も、まさか自分を描いた絵だとは理解できないようで、首を捻りながらスケッチブックを逆さまにしたり、横から覗き込んだりしていた。色の無いピエロ、なんて。

「僕の家族は、僕が絵を描くのに反対だったんだ」

 レイタが静かに言った。彼の絵がつまらない理由がわかった。

ピピはピエロとしての本能に従って人を楽しませている。ピピも楽しいから、見ている方も楽しい。自分が楽しめないもので、他人を喜ばせられるわけが無い。

「絵を描いてると母が発狂したみたいに怒るから、それが面白くって。何枚も何枚も描いてやったよ、自分の親の怒った顔をね。破かれたって構わなかったさ、元々好きで描いてる絵じゃないんだから」

 不幸なことに、望まない才能にこそ恵まれるものだ。

レイタがホームページに面白半分に載せた怒れる家族の絵は、多方面から高く評価された。額に刻まれる深い皺、きつく引き結んだ口元、睨みつけているはずなのに、今にも泣き出しそうに涙を浮かべた歪んだ瞳。私がレイタの母親の顔を見た時に感じた違和感が、そのまま描かれていた。年取った良い大人なのに、駄々をこねる子供みたいな怒り方をしている。

息子の目から見た親という生き物を、ここまで残酷に、無常に曝け出した絵は他に無い。子供が自分の思い通りに育たなかったというだけで、まるで自分が被害者であるかのように悔しがる子供っぽい感情、それをお得意の緻密で正確なタッチで描くのだから、何とも言えない不快さと共に記憶に刻みつけられてしまう。

思春期で変容する精神、反抗期と家族への反発。自立への憧れ。

 それらしい言葉に埋め尽くされた賞賛の声を、レイタとその家族はどう受け止めたのだろう。

 レイタの親がレイタに望んだことは、目立たずに一生を終えることだった。ひたすら目立たず、世間の日陰に隠れ、誰からも注目されることなく、平凡に身を縮めて生きて行く。それが楽しいかどうかは問題では無く、目立つことは恥だ、悪だと教えられて育った。

「不良になること。派手な色の服を着ること。有名過ぎる大学に入ること。全部恥ずかしいことだと思ってるんだ、あの人は。目立つのが嫌すぎて、運動会で一着になった小学生の僕を叱ったくらいだからね」

 レイタがおかしそうに笑う。ピエロとは、いや、私とも対極の人生だ。自分がレイタの立場だったら、と思うと、吐気がこみ上げた。

「僕の家族にとっては、今の状況だって死にたいくらいに恥ずかしいだろうね。けど、もう何も言えないんだ」

 レイタは既に、世間から評価されている。あの無教養なピエロもどきでも知っている程、有名な存在になってしまっている。両親が否定したり、今更絵を描くのを辞めさせたりすれば、それこそ息子に理解の無い異常な両親として悪目立ちしてしまう。

「僕を自慢に思ってるような振りをして、作り笑いを浮かべ続ける。これ以上目立たないためには、もうそれしか無い」

 間の悪いことに、レイタの父が務めていた『平凡で目立たない中小企業』が倒産した。競争の激しい現在、平凡な行動をしていればどうなるか、なんてわかりそうなものだ。同時に、『平凡な主婦として』パートに出ていた母親も、レイタの活躍をやっかんだパート仲間に注目されていることに気付き、耐え切れずに仕事を辞めてしまった。

 レイタの両親は、一番嫌いな相手の収入に縋るしか無かった。

 お互いにとって、苦痛な日々の始まりだった。

「家に居たくなかったんだ。学校をずる休みして、色んなところに行ったよ。スケッチは数えきれない程した」

 ピエロもどきがやたらと褒めていた、レイタの風景画を思い出す。写真のような正確さと緻密さは、見ていると何故か不安になる。本物のようでいて本物ではない、その不気味な差が空恐ろしくなる。

「こんな家、最悪だ。消えてしまえばいい」

 白いペンキを塗ったドアの隙間から、一対の目がじっとこちらを覗き見ていた。レイタの母親だろう。ピピが風船細工の子犬を差し出すと、怖いものでも見たように悲鳴を上げて階段を駆け下りて行く。

 レイタの気持ちが、少しわかるような気がした。

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ミゾグチレイタが、生まれて初めて遊園地を訪れたのが一年前。それが最初で最後になってしまった。

「子どもの頃に連れてって貰えなかったんですか? ピエロランドじゃなくても、他のもっと有名なとことかに・・・」

「うちでも良くやるけどさ、ショウの最中に子供をステージに乗せたりするじゃん? あれが駄目だったみたい」

 私が答えると、ピエロもどきは信じられないと言うようにピンク色の鬘を掻いた。

「随分、窮屈な家ですね・・・」

 ステージに上がれば、嫌でも注目を浴びることになる。断っても、やはり注目を集めてしまう。ステージの上でゲストの素人に求めることなんて、大したことではないのだけれど。

「せいぜい手品師のアシスタントですよね。ナイフ投げの的になる、なんてのは、つのむしさんみたいに慣れてる人じゃないと」

「まあ、死ぬ危険のある裏方か、安全なステージか、って言われたら前者を選ぶような人たちらしいからね」

 レイタの家族だけが、余りに異常・・・とは、言えないのだろう。私とピピも、大道芸の最中に色々言われることはある。

 大勢の前で見世物になることが、恥ずかしくないのか。両親はこの稼ぎ方をどう思っているのか。将来のことは考えているのか。

 私がピエロランドの社員証を見せて、これも営業なんです、と笑顔で答えると、大抵のお節介なお客(大体が男で、中年手前か老けた大学生程度)は、ばつが悪そうに舌打ちをしながら去って行く。ピピはピエロなんだから家族がいないのは当たり前だし、私もずっと一人で生きている。ピピの顔の模様は生まれつきなのであって、メイクや刺青のように自分の意志で入れたものでもない。そもそも、私とピピが彼らの予想通り、見世物芸だけで生活している社会不適合者だったとして、彼らの人生に何の影響があると言うのだろう。

「あれっ、これ俺ですか? 感激だなあ」

 私の持ち帰ったスケッチを見て、ピエロもどきが嬉しそうに言った。本当はピピの絵なのだけれど、最早ミゾグチレイタのファンにさえ、何を描いたのか正確にはわからないらしい。

「どう思う? 前みたいには描けないって言ってたけど」

「そんな風には見えませんけどね。この線の感じとか、ほら、ホームページに載ってた絵と同じじゃないですか」

 こんなに喜んでいる人間に、本当のことを告げる勇気は無い。

 私は冷蔵庫を開けると、冷蔵肉の残りをチェックした。暑い時期ではないとは言え、鮮度には気を使わなければならない。肉の塊ひとつひとつを包んだビニールは、底に血が溜まっている。

「つのむし、帰ったのか? 店の方も見てくれよ」

 後ろから冷蔵庫を覗き込んだ指輪売りが、肉の塊と一緒に仕舞い込んだビールの缶に手を伸ばした。ビニールの端が破れて缶に血が付いていたが、気にする素振りさえ見せない。

「指輪だけじゃなく、ご婦人向けの雑貨も扱ってるんだぜ」

 編み物売りと並んだ路上販売の店舗には、アクセサリーに混じって女性向けの衣服や鞄が並んでいる。

「この鞄、あの女子高生の? メリーゴーランドに乗ってた・・・」

「いや、あれは売り物にならん。中身がカッターの傷だらけでな」

 ピピは、今日も子供たちに囲まれている。折角のお休みだというのに、こんな古臭い遊園地にしか連れて来て貰えなかった気の毒な子たちだ。おんぼろのジェットコースターどころか観覧車までが整備不良で止まってしまったので、彼らの不満は最高潮に達している。

 ピピが鋭いナイフを空中に放り投げた。息を飲む音。しかし、落下して来たナイフは、ピピに突き刺さる直前で花束に変わってしまう。受け止めた花束を一振りすると、貧相な造花の花弁が一瞬でキャンディーやチョコレートに変わった。子供たちの目が大きく見開かれる。凄い、どうやったの、といった好奇心むき出しの質問に答えようともせず、今度は風船を破裂させて中から玩具を取り出した。

毒々しい色のぬいぐるみ、紙でできた模型の飛行機、吹くと風船の膨らむ笛。ピピが玩具とお菓子を配り始めると、子供たちは歓声を上げて我先に手を伸ばした。家に帰れば色あせてしまう、今この瞬間だけが美しい思い出の破片。

「忘れちまってもいいんだ。いつか、きっと思い出す」

 指輪売りが、浅黒い顔で微笑んだ。

「本物のピエロを見たってことが、最高の思い出になるはずだ」

 いつの日か、もっと大きな、それこそピエロランドなんて足元にも及ばないような、ジェットコースターが動かなくなることの無いような、立派な遊園地にも連れて行って貰えるだろう。けれど、そこに本物のピエロはいない。  

彼らは運が良い。いつかは大人になる。いつか、再びピピに会いたくなる日が来る。ピピは、いつでも彼らを待っている。

生まれてから一度も、ただの一度もピエロを見たことの無い子供なんて、今は珍しいものでもない。本物どころか、ピエロもどきすら居ない遊園地だって沢山ある。日本で一番有名な遊園地は、キャラクターの着ぐるみばかりで、ピエロは一匹も置いていない。

「時代っすよねえ。あんな大規模な遊園地なのにピエロが居ないなんて、昔は恥だったそうですよ」

 ピエロもどきが、子供たちに配る為の風船にヘリウムを注射しながら言った。赤、黄、青、緑、ピンク。色の組み合わせも配置も考えない滅茶苦茶なパレットが、白い曇り空にぷかぷか浮かんでいる。

「実際のところ、ピエロより着ぐるみの方が子供にウケますしね」

「着ぐるみ、着たい?」

 私が尋ねると、ピエロもどきは驚いたようにメイクした目をしばたいた。マニキュアを塗った手から赤い風船がすり抜け、空高く跳び去って行く。

「・・・考えたこともありません。でも・・・」

 スタイルが良く、手品も玉乗りも楽器の演奏も何でもこなせるピピに比べ、太っていて人間並みの芸しかできないピエロもどきは日陰の存在だ。でも、着ぐるみを着れば注目されるかもしれない。可愛いウサギや猫の着ぐるみ。うん、悪くない。

「俺は、ピエロになりたかったんですよ。いや、違うかな。ピエロみたいに、人を笑わせたかった・・・? うーん・・・」

 ピエロもどきが、腕を組んで唸った。

「俺は、どう頑張ってもピピにはなれませんけど。逆に、人間だから良かったって思えることも、少しはあるんですよ」

 ピエロは人間から餌を貰わなければ生きて行けない。人間の遊園地には、必ずピエロが必要だ。

私が失敗したのは、余計なことばかり考えていたせいかもしれない。一度も遊園地に連れて行って貰えなかった子供は、どんな大人になるのだろう。レイタの絵には笑いが無い。人を描いても、景色を描いても、正確なのにやけに偽物っぽくて、しんとしている。

「つのむし、お前、これ・・・」

「騒がないで」

 私が頭をがつんとやった中年の男は、まだ両手足をびくびくと動かして逃げようとしていた。きちんと着込んだ白いシャツが赤く染まっている。

「暴力沙汰で女房子供に捨てられて、挙句女房のストーカーか。情けねえ奴だ」

 指輪売りが顎髭を撫でる。シャツに血を、ズボンに尿の跡を付けた男は、這いつくばったまま呻き声を上げた。凹んだ頭の傷からねばねばしたものが染み出していたが、それが脳味噌なのか、他の一部なのかは良くわからない。

「元妻が子供とピエロランドに来たのを見て、自分も後をつけて来たようです。会社はクビになってますし、消えても誰も困らない奴ですが・・・」

 ピエロもどきが言葉を切って、困った顔で私を見つめた。

「つのむしさん。これ、どうします?」

 笑顔の死体でなければ、ピピは食べることができない。男の顔は苦痛で歪んでいる。

一撃で仕留められなかったのは、いつかの無能刑事以来初めてだ。いつものようにピピが笑わせて、私が殺す。たったのそれだけだったのに。

「笑え」

 私は中年男の耳元で、そう囁いた。女の高い声で脅したって、大して効果は無いだろうけど。

「つのむしよぉ、もう聞こえてないんじゃねえか?」

「人間ってさ、死ぬぎりぎりまで、耳は聞こえてるんだって。だから、多分大丈夫」

 何が大丈夫、なのかは、自分でもわからないが。私はナイフの刃を中年男の爪の間に差し込むと、テコの原理でべりっと動かした。悲鳴が上がる。動かないと思った身体が、魚のように跳ね上がる。

 良かった。痛覚は死んでいない。

「笑わないと、死なせてあげない。もっと痛いことするよ」

 爪は十本ある。もう三枚くらい剥がしてみた。五枚目に突入する、と見せかけて、血塗れのナイフを男の口の中に突っ込んだ。歯と歯茎の間に切っ先をねじ込み、テコの原理で動かしたけれど、根っこでしっかり繋がっている歯はなかなか『すぽん』とは抜けてくれない。歯医者さんは、やっぱりプロの職業だ。

「笑えってば。爪は残り六枚だけど、歯は三十本くらいあるんだからね」

 めりめりと音を立てて、歯がようやく抜けた。手が草臥れる。これを後二十何回かやって、駄目なら諦めよう、と思ったところで、やる気のなかった餌に変化が見られた。

「つのむしさん、見てください!」

 笑ってる。血で満杯になった口を横に広げ、額に脂汗を一杯浮かべて、死にかけた男は最期の笑みを浮かべていた。両目からぼろぼろと涙がこぼれている。歪んで戻りそうになる笑顔を、必死にその顔に留めようとしているのだ。

 この瞬間を、逃すわけにはいかない。

 私はバールを振りかぶると、男の頭にもう一度叩き付けた。さっきと同じところを狙ったので、今度こそ脳味噌が潰れただろう。ようやく笑顔で死んでくれた餌を見下ろして、私は安堵の溜息を吐く。

「やりましたね。流石つのむしさんだ」

 ほっとした顔をしているのは、ピエロもどきも同じだった。

「しかし、珍しいな。つのむしがやり損なうなんてよ」

指輪売りが頭を掻いた。

「出張先で、何かあったのか?」

 質問には答えずに、私は餌の解体に取り掛かった。無理矢理な笑顔を張り付けた死体は、凄くわざとらしくて、レイタが描いた両親の絵みたいに不気味だった。

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夕方の風景だ。薄曇りの空に、静かに振り続ける雨が柔らかな光を纏っている。ジェットコースターの青いレールにメリーゴーランドの金色、ゴーカートの赤色は、濡れて鮮やかなのにどこかよそよそしくて、それで遊ぼうとする者は一人もいない。

雨降りの遊園地、ピエロランド。一見、ホームページにあった作品と似ているようだが、決定的に違う点がひとつある。

レイタの作品を見ても欠伸しか出なかった私も、この絵には釘付けになった。私が素直な感想を述べると、レイタは照れたように笑って、火傷の残る手で首筋を掻いた。

「未発表作。まだ、誰にも見せてないんだ。こんなのを公表したら、やっぱり散々酷評されるんだろうなあ」

 言いたい奴には言わせておけば良い。絵なんて好きなように描けば良いのだ。

「気に入って貰えて嬉しいよ。勝手に君を描いたりして、怒られるんじゃないかって心配だったんだ」

 絵の中心に居るのは、私とピピだった。アクリル絵の具で描かれた絵なのだから、写真とは違う。でも、私とピピを一度でも見たことのある人なら、すぐに誰を描いたのかわかってしまうだろう。

 描かれていたのは、餌やりの風景だった。

 私はチェーンソーを振りかぶって、足元に横たわる『餌』をバラバラに切り刻んでいる。ピピは、切断された『餌』の腕に齧り付いている。私は古着のワンピースのスカートから血と雨の滴を滴らせ、痩せっぽちの脚で『餌』の胴体を踏みつけている。胸元もスカートも赤く染まり、ぬるぬると身体に纏わりつくその不快な感触までが、やけに生々しく蘇って来る。

去年のあの日も雨だった。ずっと降り続く雨だった。でも、雨の冷たさよりも血の生暖かさが嫌だった。髪の毛は血と汗でくしゃくしゃに縺れ、顔目がけて飛び散る返り血に悪態を吐く。チェーンソーは重くて、腕はだるくて痺れていて、それでも私は笑っていた。遊園地には、笑いが似合う。ころんと転がった生首も楽しそうに笑っていて、どことなく牧歌的な匂いを漂わせている。

「綺麗だった。凄く、綺麗だと思ったんだ」

 一年前、独りでピエロランドを訪れたレイタは、閉園の音楽が鳴っても帰らなかった。多分、帰りたくなかったのだろう。

「ちゃんとした警備員もいないみたいだし、あの太ったピエロもどきさんの見回りもいい加減だったから、帰りそびれちゃった」

 レイタがくすくす笑った後で、急に真面目な顔になる。

「そこで、君達を見つけた」

 見られていたなんて、気付かなかった。でも、レイタは悲鳴を上げもしなければ、走って逃げようともしなかった。

 ただ、黙々と。

 雨の中で、スケッチを続けた。

「ピエロがあんな生き物だなんて知らなかった。僕は、現実だけを描いて来たつもりだったのに」

 カラフルな絵具で描かれたピピは、ピピ以外の何者でもなかった。真っ白い牙がダイヤの色に光っていて、滴る血が白い顔を鮮やかに染めている。濡れて色の濃くなった縞のスーツ、水滴が飾り玉のように光る、くしゃくしゃのコバルトブルーの長髪。笑った唇の形も、黒い小さな目も、遠くから見ただけで何故、これほど正確に写しとれるのだろう。布のキャンパス一枚を隔てて、ピピが、もう一人存在しているみたいだ。

 私は・・・。

 私は絵の中の『つのむし』を見て、ごくりと喉を鳴らす。ピピに餌を与える時の私は、いつもこんな顔をしているのか。笑った口元に汗ばんだ額、瞳孔の開いた目がぎらぎらしている。返り血以外のお化粧は全くしておらず、美人には見えない。

「綺麗だった。僕の手で、絵の中に閉じ込めてしまいたいと思った」

 レイタがうっとりと呟く。引きつった動きの指が、絵具で盛り上がったキャンパスを愛おしそうに撫でた。ふいに私は、この絵の違和感に気付いて愕然とする。

「つのむし。君を、もっと描きたかった」

中心に描かれているのは、ピピではない。

 私は慌てて目を逸らそうとしたが、間に合わなかった。レイタの澄んだ瞳は相変わらず宝石みたいで、私の脳味噌まで鷲掴みにされてしまう。やけに騒がしいと思ったら、私の心臓だった。レイタの唇が動く。傷だらけの手が、私の指先に触れそうになる。

「その手で、僕を殺して欲しい」

 レイタが微笑んだ。私は空振りした手のひらを見つめていた。

 ピピが私の肩を掴んで下がらせなければ、本当にレイタに手を握られていたかもしれない。ピピの顔を見上げると、ピピはいつもと変わらない優しい目で私を見下ろしていた。ピピが一度もレイタと目を合わせていないことに、私は初めて気が付いた。

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