隣に住んでいた御婆さんが亡くなった。
80歳位だったらしいけど、こちらからすれば既に鬼籍に入っている大正生まれの祖父母よりも、若々しい感じだったし、何よりも足腰もしっかりしている印象で、いわゆる認知症に繋がる様な前兆も無く、「まだまだ若いんだからしっかりしなきゃ」と、こちらの背中や肩をパンと叩きながら、笑みを絶やさない人だっただけに、呆気(あっけ)無い最期のいわゆるピンピンコロリを地で行った感じであった。
然し、今年は新型ウイルスでの密集を避けたいとの意向が有って、大がかりな送り方はこれだと難しかろうとなり、限られた人数で………との話だったのだが、良くして貰ったのと、隣に住んでいたのも有って、両親と共に喪主の手伝いとして公休を使って葬式の席を手伝っていた。そう、マスクを着用して。
そんな中、孫とおぼしき若者がこちらに怪訝(けげん)な顔をして訊いて来る。ああ、思い出した。昔は幾度か遊んでくれたりしたが、進学したか就職したかで地元を離れたらしく、近年はやり取りする機会が無かったので、奇妙と言えば奇妙な再会ではある。年上の筈のその人は私が老け顔なのもあってか、こちらより年下にも見える。
私───園部元蔵は、「何で部外者がしゃしゃり出て来てんだ」とでも言われるのかと、腹の底で身構えたが、存外異なる問い掛けであった。
「なァ君。いや元蔵君、花火大会が有った日の事なんだけども。ちょっと訊きたい事が………」
「?」
今年はそれこそ新型ウイルス蔓延の絡みで、花火大会が中止になった為、幾年か前からの話なのだろうと踏んで、夜空を彩る美しい光景を思い浮かべる。
「毎年やってましたっけねェ。夜空に大輪(たいりん)の花が咲く感じで」
「………だったよね。その時に、いつもうちの婆さんが何でか」
「!」
えーと、確か御婆さんがその時は、と………そうだ、そう言えば、花火大会の時はいつも居なかった。それどころか、急に行方不明になって隣家の家族と一緒に捜し回った記憶さえ蘇って来る。
「あら、御免なさいね」
花火大会が終わると、ひとしきり御婆さんを慌てて皆で捜し回っていると、必ず私の後ろから穏やかな声でニコニコしながら現れたのを思い出す。
決まって、私が縁側を背にしていたのも。
「うーん」
縁側の延長線上に在る、自宅の両親の寝室が浮かぶも、御孫さんと共に御通夜や告別式、火葬と言ったほぼ喪主を手伝う家族同然に、バタバタとそこからは時間に追われた。
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数日後に御孫さんが訪ねて来て、たまたま両親は勤めに、私はサービス業で平日が休みの為、その人を上げて縁側の延長線上に在る両親の寝室へと案内する。
ガラリと何と無く押し入れを開ける。
畳まれた布団、住人の物の出入りしか使い道の無い場所、ふと異変に気付いたのは御孫さんだった。
「何でしょうね、これ」
不思議そうに押し入れの壁に刻まれた違和感有る傷を指差す。
「これは知らんかったなァ」
素直な感想を私は返す。
引っ掻き傷としか思えない様な形状、私はそれと無く布団をそこからどかすと、今度はこちらが違和感を覚えた。
オレンジ色のウレタン、男の小指位の大きさ………
「………耳栓?」
ハタと気が付く。
御婆さんに騒音が気になると相談されて、いわゆる百均で買って来た耳栓をあげた事を思い出す。
「寝る時に騒がしかったりする際に、頭から布団を被ってと言うのは、昔の漫画でも良く出て来るけど、これは………」
布団………押し入れ………耳栓………それと、御婆さんがいつも行方不明になっていた、花火大会の日………
「………元蔵君?」
私の頭の中で、ヒュルルル………と言う花火の打ち上がる光景とは対照的に、もう一つの光景が現れて来る………
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空襲警報のサイレンと共に、サーチライトの追尾をものともせず、悠々と飛びながら焼夷弾を落として行く爆撃機の群れ、防空頭巾を被り燃え盛る夜の市街地を逃げ惑う人々………
ヒュルルル………ドォーン………
「!!………まさか、空襲の」
私の発した言葉に目を丸くしている御孫さん。
「もし、その仮説を成り立たせるとすると………私の家の押し入れに飛び込んで布団を被る、その前に耳栓を詰めて、花火大会が終わる迄息をひそめながら、終わったのを見計らって急いで被った布団を元に戻して、何喰わぬ顔で私が向こうを見るタイミングで、いつも御戻りになったと」
「………!!然し、自宅で無くて何で元蔵君の家の御両親の寝室に」
「恐らくは、御自宅から出て来て自分が隠れているのを知られたくは無かったのでしょうかね………」
「だとすると、私は婆ちゃんにいつも花火大会の話をしてたから、何て酷い真似を………」
祖母を亡くして日が浅いのも有ってか、若しくは今迄葬式に追われて涙を流せなかった所為か、御孫さんから、鼻をすする音が聞こえて来る。
「だからこそ、戦後75年の今年にたまたま花火大会が無いのを知って、今迄張って来た緊張の糸が切れたんではないでしょうかね」
「安心したのかな………婆ちゃん………」
涙を拭っていた御孫さんが、私の目を見る。
「良く考えたら、家族の居ない時に元蔵君が、いつも婆ちゃんの傍に居てくれたね。そうだ、君が居たからこそ、空襲の恐怖を忘れたり出来たのかも」
友達の居ない私だったから、たまたま御婆さんと話していただけだったのかも知れないのに、むしろこちらが、御婆さんに感謝しているのだけど。
「むしろこっちも、御婆さんに何回勇気付けられたか………有難う御座います」
不思議な御礼の言い合いが続いて、御線香を変わらず上げに来て欲しいと御孫さんに言われて、こちらも鼻をズーズーすすってしまい、御互いに笑ってしまった。
御孫さんは、私の後ろを見て驚いた顔をしたけれど私が後ろを見ても、誰も居ない。
───何でも巨大なおじさんが、眼鏡を外して嗚咽(おえつ)していたのが見えたらしいが。
作者芝阪雁茂
もしかすると、こんな体験をしていた人も居るんではないかと、ふと思いを馳せた怖いと言うより、少々悲しい話を。
もしかしたら、今年がこんな状態だったからこそ、安堵して旅立った人も居るのではないかと。