長編13
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深紅のコート

私の話です。

 そこまでのつもりは無かったのに、期せずして他人の運命を捻じ曲げてしまった……そんな経験はありませんか?

 今回は、そんな私の過去を懺悔したいと思います。

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中学生の時でした。クラスの中心、とまではいかなくとも、そこそこ可愛らしくて、人気者の女の子がいました。

 明るい性格だったので、仮に陽子ちゃんとしておきます。

 当時女子中学生は五、六人の『グループ』を作って『グループ』外の子をつまはじきにしたり、牽制したりする意味不明な文化があったのですが、その『グループ』の中でもまあまあの存在感はある子だったと思います。

 しかし、この『まあまあ』『そこそこ』というのが曲者でして。

 完全にヒロインの立ち位置に居る子、というのは案外他人の目など気にしないのですが、ヒロインの腰ぎんちゃくというものは、異様に他人様のことを気に掛けてくださるものでした。

 陽子ちゃんも例に漏れず、「ナントカちゃんが悪口を言っていた」「ナントカちゃんは可愛くないのにナントカのブランドを着ている」等と、まあ趣味は人間観察かと疑うくらい、日頃からグループのリーダー格だった『花子ちゃん』に口角泡を飛ばして告げ口に精を出しておりました。

 どのグループにも属さず、一人で本ばかり読んでいる私は格好の獲物だったのだと思います。

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当時の中学校というものは、今もそうかもしれませんが、何の意味があるのか甚だ疑問でしかない校則がまかり通っておりまして。

 ヘアピンは紺色か黒、鞄は学校指定、髪の毛は肩を越したら結ぶ……などと言う、今思い返しても「馬鹿らしい」としか言えない規則でがんじがらめだったわけですが。

 何故か、傘やコートの色だけは指定されておりませんでした。

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 私はそれを良いことに、せめてコートだけは好きな色を着よう、と、真っ赤なダッフルコートを購入いたしました。

 お年玉で買ったので、結構な値段でした。

しかし、そのとっぷりとした深紅は私の黒い髪と紺色の制服に良く似合い。なかなかのものだ、と鏡の前で悦に入ったことを覚えております。

 他の女子生徒達は、皆茶色か灰色か黒の、今の言葉なら『アースカラー』のコートを着ていました。目立つ子でも、せいぜいが濃いめの青色か緑色……真っ赤なコートを着ていたのは、私一人だったと記憶しております。

「ねえ、紅玉さん」

 私が深紅のコートで通学するようになって、数日が経った頃でしょうか。やけに不機嫌な調子で、陽子ちゃんが声を掛けてきました。

「何?」

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 私は読書を中断されたことに幾分苛立ちつつも、礼儀としてきちんと返事をいたしました。

「誰も、あんな赤いコート、着てないんだけど」

 その時の私は、結構間抜けな顔をしていたと思います。

 何故かと言うと、陽子の言いたいことが良くわからなかったからです。

「だから?」

 私は、素直に尋ねました。当時から『人と違う』ことが大好きだった私なので、多少誇らしい気持ちもありました。

「陽子ちゃんも、着たいの?」

 陽子は確かに可愛いけれど、真っ赤よりは薄い水色か紫色の方が似合うかもしれない。

 私は、ファッションのアドバイスをしてあげるつもりで、そう言ったわけですが。

 陽子は更に不機嫌そうに『ぶん』と頬を膨らませると、黙って私の席から去って行きました。

 彼女が何をしたかったのか、全くわかりませんでしたが。読みかけの本の続きが気になったので、その時は追及せずに物語の世界へと舞い戻りました。

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 その日以来、陽子ちゃんのもっぱらの関心ごとは私のコートになったようでした。

「また、あんな赤いの着ている」

「似合うと思ってるの?」

「正直、痛い」

 私の方をちらちら伺いながら、私に聞こえるように話すので、嫌でも耳に入って来ます。

 当然、無視しました。

 何故って、私に深紅のコートが似合うことは紛うことなき事実でしたし、他人にどう思われようと構わなかったからです。

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「誰も、あんなの着てないよ」

「紅玉さんだけだよ」

「私は、紅玉さんの為を思って……」

 何度も言われましたが、そのたびに「だから?」と返しました。私の「だから?」に対して、明確な答えが得られることはありませんでした。

 そのうちに、私に直接言うことはなくなりましたが。

 グループのリーダー格だった花子ちゃんには、せっせと告げ口を続けておりました。

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花子はと言えば、陽子の告げ口におざなりに頷くか、五月蠅そうに眉をひそめるだけ……私の服装にさほどの関心を持っていないらしく、一緒になって騒がない代わりに陽子の奇行(?)を諫めてもくれませんでした。

今思えば、陽子ちゃんも本当は鮮やかな色のコートを着たかったのだと思います。しかし、花子ちゃんが灰色のコートを着ていたので、自分が派手な服装をすることに抵抗があったのでしょう。

「赤いコート……」

「また、赤いコート……」

 ぶつぶつと言い続ける陽子ちゃんを、同じグループの子たちも気味悪がるようになりました。

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 私のせいで、陽子ちゃんはおかしくなっている。

 そういった自覚はありましたし、陽子ちゃんと花子ちゃんの取り巻きだった女子生徒からやんわりと苦情を言われたりもしましたが。

 無視しました。

 正直に言います。

 面白かったからです。

 私が赤いコートを着続けることで、陽子ちゃんが……クラスでも人気者で、男子生徒からもちやほやされている陽子ちゃんが正気を失いかけている。

 その事実が、たまらなく面白かったのです。

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「お前、いい加減にしろよ!」

 おそらく陽子ちゃんを好きだったらしい男子生徒から、突然怒鳴られたこともありました。

 無視しました。

 私は、好きなコートを着ているだけ。

校則違反でも何でもない。

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「だから?」

 あまりに男子生徒がしつこいので、私がにやつきながらそう言うと。彼は気味悪そうに舌打ちをして、去って行きました。

「誰も、あんなの……」

「変だよ……自覚無いの?」

 陽子が限界に近付いていることは、はた目にもわかりました。それでも私は、赤いコートでの通学を辞めませんでした。

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 驚くことに、周囲のほとんどは陽子ちゃんの味方でした。

 辞めた方が良い、と、直接私に言及して来る女子生徒も後を絶ちませんでした。

 無視しました。

 私も、意地になっていたのだと思います。

 周囲からどれだけ冷たい視線を向けられようと、陽子の壊れっぷりを毎日目の当たりにしようと。

 今更後には引けない、最後まで見届けたい、という、妙な知的好奇心の方が勝ってしまっていたのです。

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そして、その事件は起きました。

 意外なことにも私は冷静で、とうとう来たか、という気持ちがあるだけでした。

 体育の時間が終わって、生徒達が教室に戻った時。

 教室に並んだフックに掛けてあった私のコートが、ずたずたに切り刻まれていたのです。

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「あーあ」

 誰かが、大げさにため息を吐きました。

「あんな赤いの、着てるから……」

 ここで私が言いたいのは、中学生はやっぱり馬鹿だということです。小学生から急に制服を着る立場になり、大人になったと勘違いしているのでしょうが、やはり子供は子供。

 他人の持ち物を故意に破損させたらどうなるのか、全く先が見通せていないのです。

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 さて。

 私は考えました。

 親を呼び出して大事にしてやろう。高いコートだったし、今ここで警察を呼ぶと言って脅してやろう。

 いや。まずは金切り声で悲鳴を上げて、他のクラスの人たちも全員巻き込んだ上で、犯人(大体想像は付きますが……)の反応を見るのが先か……。

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 以外にも、沈黙を破ったのは陽子グループのリーダー……花子でした。花子はつかつかと私の切り刻まれたコートに歩み寄ると、隣に掛けてあった自分のコートを掴みました。

「これ、誰?」

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 たまたま、私の赤いコートの隣に掛けておいたのが悪かったのでしょう。『犯人』は、慌ててハサミを入れた際に、すぐ近くにあった花子のコートまで切ってしまっていたのです。

 灰色のコートを着ている女子生徒は、たくさん居ました。だからこそ、『犯人』も気付くことができなかったのでしょう。

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 深紅のコートの隣にあるのが、敬愛する花子のコートだということに。

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「誰?」

 袖のところがざっくりと切れたコートを持って、花子は繰り返しました。

 私は、何だか面白いことになったな、と思って、周囲の生徒達を見回しました。

 推理小説など嘘っぱちだな、と、この時に思いました。

 犯人は笑い出したりしません。冷静に言い訳を並べ立てたりしません。

 犯人は……陽子は、真っ青になって震えながらぼろぼろと涙をこぼしていました。

 自白しているようなものです。

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「陽子なの?」

 花子が詰め寄ると、陽子は千切れるくらいに首を振りました。

「陽子さ。体育の時間中に、トイレ行ったよね?」

 花子の尻馬に乗る形で、私も言いました。

「本当にトイレだったの?」

 陽子はきっと私を睨みましたが、私もお人好しではありません。

「他の人はさ、誰もトイレに行ってないんだけど」

 私が笑いを堪えながら、真面目な顔でそう言うと。いつか私に「いい加減にしろ」と、意味不明なつっかかり方をしてきた男子生徒が、またもや口を挟みました。

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「やめろよ。陽子だって証拠はあるのかよ」

 私は「男って哀れだなぁ」といった顔をして男子生徒を見つめました。

「証拠は無いよ。私は被害者だし、確認したいだけ」

 私が近づくと、男子生徒は気味悪そうに後ずさりました。

「それとも。陽子じゃなくって、自分がやったって言いたいのかな? それじゃあ、弁償だね。このコート、二万円はしたんだから」

 男子生徒は青くなって首を振り始めました。

「俺じゃない」

「じゃあ、陽子なの?」

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 私自身よりも、『弁償』『二万円』という単語に恐れをなしたのでしょう。男子生徒は、無言で頷きました。

 そもそも、当時の男子と女子は体育の授業を別々に受けておりました。男子が校庭なら女子は体育館、といった感じです。ですから、彼が陽子の犯行現場を目撃することは不可能なはずなのに。

「陽子だってさ」

 私は陽子に向き直りました。その時には、陽子ばかりでなく、花子までが困惑した顔をしていました。

「彼氏に、裏切られちゃったね」

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 陽子は一瞬、かっとなったように私を睨みました。男子生徒も、怒った顔で何か怒鳴ろうとしたようでした。

 その時、誰かが呼んだのか、担任の先生が駆け付けました。

 遅い。

 私も皆も、そう思ったはずです。

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 教室の周辺にも、疎らではありますが人だかりができていました。娯楽の少ない集団生活において、こういう事件を生徒達が見逃すはずがございません。

「ほら、皆自分の教室に戻って!」

 担任の女性教師は、私のずたずたになったコートと、花子の袖の切れたコートを見て一瞬、顔色を失いましたが。

 すぐに厳しい口調でもって、教室周辺の弥次馬どもを解散させました。

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 丁度良いタイミングで、休み時間終了を知らせるチャイムが鳴りました。キンコンカンコン、というあの音は、緊迫した場面にはあまりに不似合いで、滑稽ですらありました。

 体育終了後の十五分休みでしたが、まだ誰も着替え終わってはいませんでした。担任はとりあえず全員を教室に入れると、私の赤いコートと花子の灰色のコートを教壇に置きました。

「誰ですか?」

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 怒鳴ったりはしませんでした。静かに、全員の顔を見ながら、女性教師はそう尋ねました。

 陽子は何も言いませんでした。ただ、俯いて肩を震わせながら、制服の袖でしきりと目元を拭っておりました。

 事情を良く知らない担任にとっても、誰が何をやったのか一目瞭然だったと思います。

 しかし、すぐに犯人を名指しするような真似はしませんでした。

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クラスメートたちの顔を順に見回しながら、人の持ち物を勝手に傷つけるのは器物破損といって立派な犯罪行為であること、冬の防寒具は決して安いものではないし、私達生徒の両親が働いた分のお金で買っていること、等を淡々と説明していたように思います。

「花子さん、どう思いますか?」

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 担任が、より被害の甚大だった私ではなく、花子の方に先に声を掛けたのは、陽子に対してカマを掛けたつもりだったのでしょうか。

「こんなことをするなんて、卑怯な人だと思います」

 花子は、陽子の方を見ようともしませんでした。陽子はグズグズと鼻を啜りながら、少し驚いたように花子の顔を見つめました。

「私のことが嫌いなら、直接言えば良いのに」

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 ここが陽子の限界でした。わっと声を上げると、机に突っ伏してしまったのです。まるで自分が可哀そうでたまらないとでも言いたげに、ひんひんと情けない声を上げて泣く陽子を、私も心から可哀そうだと思いました。

 彼女がもう少し賢かったなら、自分のしたことの代償がどんなものになるか、予測できたはずなのに。

「陽子さん」

 担任が静かに声を掛けると、陽子は涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を上げて、縋るように花子を見ました。

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「花子じゃない! 花子のコートだって、知らなかったの!」

 それから、美少女の面影も失せた顔で私を睨みました。

「紅玉が悪いんだもん! あんな赤いコート、他に誰も着ていないのに! 何回も注意してあげたのに!」

 地獄は、ここから。

 私は陽子が本当に可哀そうになりました。

「陽子のお父さんとお母さんに、私、ちゃんと言うよ。私の大事なコート、陽子さんが壊しましたって」

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 正当な権利を主張したつもりですが。

何故か担任が、やんわりと止めに入りました。

「紅玉さん。後は先生が聞くから、ね……」

 担任に肩を抱かれるようにして、陽子は教室の外に連れて行かれました。急遽自習となった教室はまだ少しざわざわとしていましたが、私は図書室から借りた本を取り出して読み始めました。

「お前、頭おかしいよ」

 陽子を庇った間抜けな男子生徒が、悪態を吐きました。私は何も言い返しませんでした。

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真冬にも関わらずコートが無くなってしまったため、その日の私と花子は親に連絡を入れて学校まで迎えに来て貰いました。

 後日改めて謝罪の場が設けられましたが、両親と共にやって来た陽子は、頬を赤く腫らしていました。おそらく、親のどちらかに殴られたのでしょう。私の母と花子の母親も同席していましたが、私の母は特に私の赤いコート姿を気に入っていたため、まるで汚いものを見るような目で陽子を見下ろしていました。

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「あのコートは、娘がお年玉で買ったものです」

 静かな怒りを含んだ声で、母が言いました。

「娘が、貴方に何かしましたか?」

 陽子は項垂れて首を振りました。陽子の両親は、気の毒なくらいに何度も頭を下げていました。陽子のお母さんは陽子そっくりの綺麗な方でしたが、涙で化粧が崩れていました。

 例えば、私が陽子に直接的な暴力を奮ったり、悪口を言って傷つけたりしたなら、コートの一件も復讐として成立はしたでしょう。

 しかし、今回はどう考えても陽子が悪い。

 校則の範囲内である以上、好きなコートやカーディガンを着るのは個人の自由です。私は陽子の自由を侵害するようなことは何もやっていません。陽子が私と同じ真っ赤なコートで通学を始めたとしても、何も言うつもりはありませんでした。

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 あの時の陽子は、憔悴した……というより、ぼんやりした顔をしておりました。彼女が何を思って謝罪の場にやって来たのか、今となっては推測するしかありません。ただおそらくは、どうしてあんなことをしてしまったんだろう、という朧げな後悔……いえ、一旦燃え盛った炎がある程度沈下した後のような、過去に自分の中にあったはずの奇妙な執着が消え去ったような、ある種の虚しさのようなものを感じていたのではないでしょうか。

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 可哀そうな陽子は、貯めていた自分のお小遣いから二人分のコートを弁償する羽目になりました。足りない分は親に出して貰ったようですが、そのお金も少しずつ返して行くよう、その場で約束させられていました。

 私は、陽子のお金で同じような深紅のコートを買いました。流石に全く同じものはもう残っていなかったので、今度はダッフルコートではなく、少し男っぽいデザインのロングコートにいたしました。

 花子が灰色のコートではなく、淡く桃色がかったような白っぽいコートを選んでいたのが、意外と言えば意外でした。

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 陽子は、部活も辞めさせられてしまいました。

 結構な大事になってしまったため、陽子の両親が辞めさせたのかもしれません。

「陽子さ。大会、行きたがってたんだよ。練習、頑張ってたんだよ」

 全てが解決した後になっても、わざわざ私にこんなことを言いに来る女子は何人かいらっしゃいました。まるで、陽子が部活を辞めた原因は私だと、そう思い込んでしまっているようでした。

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 陽子は、部活でもとても活躍していたそうです。彼女が部活を辞めさせられなかったら、高校もその部に関連したところを選んでいたかもしれません。

 でも、私に言われても困ります。

 全ては陽子が撒いた種、陽子自身の責任ですから。

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 その後は特に校則が変わることもなく、私も花子も好きなコートで通学できる、はずだったのですが。

 私と花子は担任から直接呼出しが掛かり、『思春期』という時期はとても複雑なものであること、普通なら全く気にならないことで大きく傷ついてしまったり、ちょっとしたきっかけで心のバランスを崩してしまうこと、を、やはり淡々と説明された後、「できたら、通学は華美でないコートで」と、お願いされてしまいました。

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 結局新品のロングコートは私服ということになり、私はその後の冬を母のお下がりの黒いコートで乗り切ったわけですが。

「私ね。陽子のことも、あんたのことも嫌いだった」

 生徒指導室を後にする際、花子が私に話しかけて来ました。丁度夕方の時刻だったため、廊下には冬の陽がさしておりました。

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「でも、あの赤いコート。あんたに、すっごく似合ってた」

 にっ、と笑った花子の言葉が、本心だったのか、それとも彼女なりの嫌味かユーモアだったのかはわかりません。

 私と花子は、別段仲良くなることもなく、そのまま卒業の日を迎えてしまいました。

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 でも。

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 いつか同窓会があったら、また深紅のコートを着て行こう。

 そんなことを、今は企んでいる次第です。

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