長編9
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チャペル

柔らかな日差しで輝くステンドグラス。祭壇へと真っ直ぐに伸びたバージンロード。

今まで何度も足を運んできたけど…今日は特別。

何故なら、これから祝福を受けるのは、私だから。

子供の時から憧れていた花嫁…そして今、私は純白のドレスを纏い、ここに立っている。

「お姫様、まだ早いですよ」

振り返ると、チャペルの入り口に体を持たれて、ユウジが微笑んでいた。私の夫になる、運命の人。

「貴方まで、お父さんとお母さんの口癖真似て…」

「当然だろう?君は大事な姫君なんだから…綺麗だよ、とっても」

「…ありがとう。ユウジも、とっても素敵」

私達はすぐに恋に落ちた。好きなブランド、好きな事…そして体の相性も。

たったの1年で婚約…でも、私はすぐにでもユウジと結ばれたかった。

「姫、こっちにおいで」

「だから、姫って…もうやめてよ」

一人娘の私に、両親はこれ以上に無い程、愛を注いでくれた。

お姫様、と呼ばれて恥ずかしかった時期もあるけれど…それは私の、確固たる自信に結び付いた。

だからこそ、ここに…ユウジという相手を連れて辿り着く事が出来た。

私は何でも手に入れられる。その為なら努力を惜しまない。全てが努力の結果。

後ろめたい事は何も無い。綺麗さっぱり清算した。あとは…このバージンロードを歩いて、誓いを立てるだけ。

穢れの無い思い出が完成する。

ユウジに手を引かれ、チャペルを出て回廊を歩く。中庭には、時折小さな虹を作り出す噴水と、色とりどりの花々。楽園と見間違うような光景…

「夢みたい…私達、おとぎ話の主人公ね」

「ああ、怖いくらい幸せだ」

「ねえ、お父様とお母様は?今日は、ご家族全員来るのよね?」

「ああ、勿論!結婚式なんだから…当然だろ?もうじき来ても良い時間なんだが…」

「きっと、道路が混んでるとかじゃない?」

「だと良いけどな…母さん…寂しがってたからな」

「可愛いお母さんね!あなたの事…とっても愛しているのね」

「ああ…そうだね」

腰に回された手が体を這い、ドレスの胸元に近付く。私はユウジの太股に置いた手を更に奥へと…

「サヤカ様?遠野サヤカ様ー?どこにいらっしゃいますかー?」

チャペルの方で誰かが呼んでいる。きっと式場の人間だろう。

「どうしたのかしら?」

「さあ…でも、呼んでるから行かないと、ほら…」

微笑むユウジに優しく、撫でるように背中を押されて、私は声のした方へ向かった。

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「あの…どうかしましたか?」

そう声を掛けたけど、チャペルには誰も姿が無い。さっき、この辺りで声がした筈なのに…

この教会は、今日は私達の為に貸し切りで、今はユウジと私だけしかいない。

だから、新婦の名を間違えるなんて事は絶対にあり得ないし、確かに私の名前を呼んでいた。

「すみません、誰か…」

辺りを見回して探すも…近くには見当たらない。

一体、どこに行ってしまったの?もしかして…家族の誰かが来たの?

私は、チャペルの外に出た。芳しい新緑の匂いが体を包む。けれど…そこにも、誰の姿も見当たらなかった。

「何だったの…」

思わず首を傾げてしまったが…ここまで分からなかったら、聞き間違いと思う他は無い。

私は踵を返して、回廊に残してきたユウジの元へと戻ろうとした。しかし…その時、

「遠野サヤカ様ー」

背後で、またあの声が聞こえた。さっきと同じ…女性の声。今度は、今いる場所から少し奥に入った、森の方から聞こえる。

そこには…挙式の後のパーティーが開かれる、披露宴会場とホテルがあった。

私は、ドレスのスカートを少したくし上げ、声の方角に向かう。

仄かに視界にデジャヴが漂うのを感じながら…もしかしたら、ユウジか私の家族が来ているのでは…そう、期待に胸を躍らせた。

ユウジ以外の誰にも見せなかった、私だけの特別なウェディングドレス。

この姿を見たら、お父さんもお母さんも、どんな反応をしてくれるだろう…きっと、泣いちゃうかも…そう思いながら。

だけど、その期待はすぐに消えた。

さっきと同じで…披露宴会場にも、ホテルにも姿が無い。それだけじゃない。友人ですら、まだ会場に来ていない。

風に靡く、背の高い木々が揺れているだけ。シンと静まり返ったホテルの入り口のガラス扉に、私の姿がポツンと映り込んでいる。

「なん、で…?」

この日の為に、私は沢山の人を招いた。今の私と関わってくれた人達…親友、知人、私が祝福して欲しいと思う人全員…

でも、今はその誰1人の気配も無い。

式の開始まであと僅か…私の中に、焦りと苛立ちがチラつき始めた。

取り残される、私が大嫌いな空気…

「どういう事よ…何でよ、サトミ…」

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────サトミ?

ふと出たその名前。思わずハッと口を押さえた。

手を離すと、シルクの手袋にピンクの口紅の跡が付いている。

その艶やかな色を見た途端に、脳裏に焼けるような痛みが一瞬走ると共に、ノイズ混じりの声が頭を駆け巡った。

「貴女は大事なお姫様」

「僕達の可愛い姫」

「サヤカちゃん素敵よ」

「プリンセスは綺麗でいないとね」

「姫を苛める奴は許さない!」

「遠野って可愛いなぁ~」

「俺が狙ってるんだ」

「何なの?姫って(笑)」

「サヤカを泣かせるな!消えろ!」

「これあげる!サヤカちゃんはお姫様だから!」

「サヤカに全部あげるね」

「仕方ないなぁ~まあ許すよ(笑)」

「全部あげる」

「好きなんだ?でもダメ、彼は」

「姫、俺は君のもの」

「さすが私達のお姫様ね!」

「君は天使だ!この世の全てだ!」

「嘘でしょ…本気?」

「どうしてこんな事!?」

「いいよ…もう、疲れた…」

────皆、貴女のものだよ────

そう、これでいいの。これが本来のあるべき姿。皆、認めてくれた…当然の事。

私がユウジと結ばれるのは必然なの。サトミ。

貴女は身の程知らず。私がどんな人間か、一番側に居て、知っていたのにね…

私は、祝福されて然るべき人間なの。

せめてもの感謝と贖罪を込めて、私はここに来たのよ。ユウジと共にね…

だから、大人しく見守っててね、サトミ。

「どうした?大丈夫か?」

すぐ後ろに、いつの間にかユウジが立っていた。

「ごめんなさい!聞き間違いだったみたい…」

「さっきのかい?」

「うん、そう…」

「本当かなぁ?」

「やだ!怖い事言わないで!」

「ごめんごめん、でも、ここってさ…」

「知ってる、墓地が有る事くらい…だって、教会よ?」

「そうだね…」

「それより、みんな遅くない?何で1人も来てないの…?式までもう時間が無いのに…」

「……」

「私のお父さんとお母さんも、ユウジのご家族も来てないのよ!?何で…ねぇ、連絡したの?」

「ああ…」

「ああ、って…!どこに居るのよ一体!式が台無しになるじゃない!ユウジ!」

「…サヤカ」

「どうにかしてよ!!」

「サヤカ…式はね、とっくに終わっているんだよ」

もう、10年も前にね────

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「ねえ…ほら、ここ!ここじゃない?」

「待ってってば…ああ、ふくらはぎ痛てぇ…」

「大丈夫?もう着くからさ!ここで休憩しよう!」

「…ったく、こんな辺鄙な場所に…お袋も何で…」

「仕方無いじゃん!ママは体力的に無理だよ。でも、こんな所にね…私初めて聞いたよ」

「まあそうだな…自殺だったんだな、サトミ叔母さん。婚約間近で…今のお前と同じ、22だっけか?」

「そう。私達まだ子供だったから、あんまり知らなかったけど…元彼って、今頃どーしてんだろうね?お墓参りとか…もう忘れてんのかな?」

「あれ?もしかして…知らねぇの?」

「え、兄ちゃん、ママから他に何か聞いてるの?」

「ここ、昔はホテルとか披露宴場があって…で、叔母さんの元彼、別の人と式をしたって」

「えっ、マジ…」

「なんか、叔母さん亡くなって間も無く、婚約したらしいよ?でもさ、式の直前…新郎新婦共々行方が分からなくなったって…」

そうなのだ。

母親の妹にあたる、サトミ叔母さんの元彼と新婦の女性は、結婚式を挙げるその日に、忽然と姿を消した。

この…サトミさんの眠る教会で。

姿が見当たらないと、スタッフや家族が名前を呼んで周辺を探したそうだが…とうとう見つからないまま、長い時間だけが過ぎた。

そして今、甥と姪にあたる俺と妹は…1ヶ月前に、母親から叔母についての詳細を告げられ、この教会を訪れる事になったのだ。

…未だに、2人の痕跡は見つかっていないらしい。

「え?え?何それヤバ…待って、今からそこ行くんだよね?ウチら」

「別に心霊スポットに行く訳じゃねえんだから(笑)」

「まあ…今日は、叔母さんのお墓参りに来てる訳だけどさ…てか、それ怖いじゃん!」

「怖いって…ああ、ゴメンって!そうは言ってもな…」

その時、俺達の前を何かが通った気がした。

そう感じたのは…自然の風とは違う、まるで「誰か」が、目の前を横切って走り去った時のような…そんな空気だったからだ。

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穢れの無い思い出。

正直…本気で好きだったかは分からない。けど、それでも俺は…突然、大事に思っていた存在を失って、後悔と絶望に苛まれた。

代わりの女を隣にして…こんなに心が乱されるなんて、思いも寄らなかったよ。

「好きなモノを手に入れる努力は惜しまないの」

気付いた時には、もう手遅れだった。何もかも。

彼女と別れる選択肢は、絶たれていた。祝福されてしまったんだ。

愛情が無かった訳じゃない。けど、単純に…君の喪失を埋めたかっただけかも知れない。

神様は見ていたんだな。俺の弱さを。

愚かさを認めず、面の皮でしか相手を見れず、馬鹿なプライドにしがみついていた事を…

だから。

あの時、俺は既に気付いていた。ここは「現実」じゃない、と。

いつまで経っても来ない招待客。姿の見えない式場スタッフ。鳥のさえずりも、風の音すら聞こえない…上空では、雲が形1つ変えず浮かんだまま。

永久に抜け出せない。でも、これで良いんだ。

皆が…俺が、サトミを追い詰めたのだから。

サヤカが起こした過去の卑しい出来事を、隠し切れない粗を…サトミに全て押し付けた。

お姫様の為。穢れの無い思い出。穢れの無い幸福な人生の為に。

サトミ、お前から全てを奪った花嫁は、まだこの「現実」に気付かないままだ。

同じ所を…同じシーンを、同じセリフを、延々と繰り返し続ける。

「夢みたい…私達、おとぎ話の主人公ね」

綺麗な終わりが来る事なんて、もう無いのに。

「ねえ、お父様とお母様は?」

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「着いた着いた、すご~!立派なチャペル!」

「言ったろ?心霊スポットじゃないって」

「だね(笑)あっ!ほら見て、結婚式やってる!」

目の前に現れたのは…いかにも歴史がありそうな、白いチャペル。ちょうどその入り口から、新郎新婦が誓いを終えたのか…出てきた所だった。

ライスシャワーを浴びながら、「おめでとう」と参列者の祝福を受ける、満面の笑顔の2人。

「いいなあ~」

「お前も良い相手を見つけな(笑)」

「うっさいなぁ!…はぁ、素敵だな…花嫁」

「でもな、肝心なのはこの後なんだぜ?ゴールじゃないんだよ、結婚式ってのは…今はあんな風に微笑んでるけど…この先、嫁姑のバトルとか待ってんだぜ(笑)」

「もぉ~折角見とれてたのに、現実的すぎ!」

「ほんとだって!まあ、俺は苦手だな…なんか」

「え、何で?」

「なんかなぁ、取って付けたような華やかさ、っていうのかな…幸せアピール?ってのがまじまじと見えるんだ」

「ひねくれすぎ~(笑)」

俺達がそんな会話をしているのも露知らず、新郎新婦とそれを囲む集団は…チャペルの左奥にある、木立へと消えていった。

俺と妹が、それと反対方向へと歩いていく。途中の立て看板に、「←左 ウェディング 霊園 右→」と書かれているのを見て…なんだか変な気持ちになった。

祝福と冥福…どっちも福だけど、俺には後者の方が落ち着く。不謹慎か?だろうな…でも…

「兄ちゃん、花束上に持って、花びら落ちちゃうよ」

「あ、ああゴメン…で、えーっと…サトミ叔母さんの墓石は…」

目の前に、大小様々な墓石と、広い空が映る。遠くの山々から、柔らかい風が吹いてきた。

ここには、安らかな空間がある。穏やかで安らかな。

────あの、誰かいませんか────

「えっ?」

「ん?どうかした?」

「ああ、いや…なんか誰かの声がしたような…」

「も~、怖いから(笑)空耳だよ、きっと」

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