《1》
屋上には薄紅の花びらが吹き込んで来る。淡い香りが、午後の空気を柔らかなものに変えていた。
「明日香はさ、どこに住んでんだ?」
屋上に寝転がった優が、煙草をふかしながら言った。義手の指先で挟んだ煙草には、べったりとピンクの口紅が付いている。風でタンクトップが捲れ、腹に彫った赤い花の刺青がむき出しになった。優は、クラスの女生徒から微妙に遠巻きにされている。その理由も、何となくわかる。
「西区域の下水道。そこが一番安全だから」
色々な町を見て来た。完全に荒れ果てているところもあったし、この町のように多少は文化的な生活ができる場所もあった。どうにか安心して眠りに付ける住処の条件は、どこも共通している。
「高いところに住むか、地下に潜るか、だよな」
学校の一階と二階は、完全に閉鎖されている。アパートも、普通四階以下には誰も住まない。それでも肉体の無茶が効くゾンビは登って来てしまうこともあるのだから、完璧に安全とは言えない。
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地下は、コンクリートに囲まれている。実際に住んでいる者もそれなりに多く、マンホールからの出入りは厳重に管理されているため、ゾンビもほとんど入って来られないようになっている。確かに清潔とは言い難いし、常に悪臭が漂ってはいるが、ゾンビの腐肉の臭いが誤魔化される分、まだマシだという意見も良く耳にする。
「でもさ、万が一ゾンビが入り込んだらどうするの? 逃げ道も少ないのに」
信也が横から口を出した。肩や手足の骨格と筋肉の付き方は男なのに、声は男にしては少し高めだ。黒い男物の学生服の下にはサラシを巻いていたが、豊満な胸元を隠しきれてもおらず、何だか男装をしているようだった。
「地下の方が、少しは暖かいもの。弟のこともあるし」
明日香が言うと、ミホも頷いた。
「それは、あるかも。私は南区のアパートなんだけど、夜とか結構寒いんだよね」
こんな時代だから、暖房器具なんて贅沢品は手に入らない。あっても、使えはしない。一度だけ、兄がどこからかストーブを拾って来たことがあるが、石油が見つからなかったので、結局無駄だった。
「家族は? 弟さんだけ?」
ミホに聞かれて、明日香は少しだけ居心地の悪さを感じた。傍から見れば、確かに自分たちはそうなのだろう。家族、という言葉が、どうにもしっくり来ない。
「もう一人、私と弟の面倒を見てくれる人がいるの。私は、阿方さんって呼んでる。お父さんみたいなものかしら。大人はもう一人居たんだけど、大分前に出て行っちゃったから……今は三人きりね」
三人とも、血は繋がっていない。出て行った竜二もだ。
ミュータントから邪険にされるようになって以来、ノーマルは身を寄せ合い、小さな集団を作って、各地を転々としながら生きるようになった。明日香が所属していたのも、そのような集団の一つだった。しかし、ノーマルはゾンビ化の運命から逃れられない。
仲間がゾンビ化する度、殺さなければならなかった。明日香たちは、最後の生き残りだ。地球上にあとどのくらいノーマルが生き残っているのかは、わからない。
「弟の名前は?」
「勇(ユウ)」
「へえ、私と同じ名前だ」
他愛の無いやり取りをしている間は、お互いの違いなど忘れた振りもできる。彼らも、自分も、同じ年頃の人間だ。そう言い聞かせて、どうにか誤魔化すことはできる。
明日香は、ゾンビに同情したことは無い。ノーマルの仲間がゾンビを殺すところだって、何度も見せられて来た。情けを掛ければこちらが食われる、奴らはただの化け物だ。
ただし、元は『人間だった』化け物だ。ゾンビに味方するわけではないし、墓を作ってやるとか、そういう類のことは考えたこともない。結局自分の考えなんて、非合理な偽善なのだろう。それでも、明日香は考えてしまう。
ゾンビを、食べる。それは、人間を食べることと同じだ。
ミュータントには、それがわからない。
「もし迷惑じゃなかったら、だけど……今度、一緒に出掛けない?」
赤い帽子越しに、ミホが僅かに頬を赤らめた。
「引っ越したばっかりなら、必要なものとか、色々あると思うし……私達にできることがあったら、手伝うから」
ミホのことを、明日香は心から不思議に思う。なぜ彼女は、明らかに姿かたちの違うノーマルにここまで心を開けるのだろう。
わからない。平気で人の肉を食べる姿と、今こうして明日香の為に何かをしようとする姿が、どうしても結びつかない。
「私は、いずれゾンビになる『ノーマル』なのに。あなたたちは、優しいのね」
明日香がぽつりと言う。優が、綺麗な顔で笑った。
「当たり前だろ。同じ人間なんだからさ」
同じ、人間。
「必要なもの、ね」
明日香は溜息を吐いて、生地の薄くなったシャツを軽く引っ張った。
「あんまり大荷物じゃ移動できないから、大半は置いて来ちゃったのよね。新しい服、あったら欲しいかも」
「じゃあ、今度行こうぜ。良い穴場があるんだよ」
優の言葉に、他の二人も頷いてくれた。彼らにとって、今明日香に親切にすることは、不自然なことでも何でもないのだ。明日香がもしゾンビになれば、その時は『友人』から『食料』に格下げになる。そしてミホたちは、そのことを少しも不思議がらずに受け入れるのだろう。
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《2》
学校に来るか来ないかは、本人の自由とされている。全く通わないまま大人になる者もいれば、大人になってから授業を聞きに来る者も居るらしい。明日香は二年生の教室の机に腰を降ろすと、まだ慣れない動作で教科書を開いた。制服が着てみたいとか、新品の勉強道具が欲しいとか、そういう我儘は流石に言えなかった。
教科書は、優が学校に置きっぱなしにしているのを見せて貰えば良い。ノートも、ミホが使わない分を譲って貰った。制服に至っては、着ている者と着ていない者が半々だ。ミホはセーラー服を着ているし、信也は男物の学生服を着ているけれど、それらだって元はノーマルのものだったのを何処からか拾って来たのだろう。
「明日香さん、だっけ? 転校生よね?」
今日も、優は休みだ。ぼんやりと外を眺めていると、クラスの女子が話しかけて来た。妙に高圧的な口調だったが、明日香にはそれが自信の無さの表れのように思えた。
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「何の用?」
女生徒は五、六人の集団だった。調理実習の時に、明日香を見てくすくす笑っていた奴らだ。一人は体毛が一本も無く、皮膚が髪の毛のように変質している。一人は、乳房が牛のように六つ並んでいて、鼻の穴が左右に平べったく広がっている。一人は、目が四つある。特に目立っていた者だけでこの有様だが、全員が明日香からすればぞっとするような外見だった。
「あの優って子とは、付き合わない方が良いわよ」
鼻の平たい醜い娘が、その穴から息を吹きながら言った。
「あの子、不良っぽいもの。あの刺青、見た? それに、あの濃い化粧!」
歯をむき出して、目が四つある娘が応戦する。刺青を入れていようと、化粧が派手だろうと、それは優の自由だろう。別に誰かに迷惑を掛けたわけではないし、この女子たちが息巻く理由がわからない。
「だから何なの?」
明日香が言い返すと、乳房の多い太った娘が、気が狂ったように机を叩いた。クラス中が一瞬、しんとなる。
「知ってる? 優って、男と同棲してるのよ。イヤらしいこともしてるって!」
まるで重大事件か何かのように声を潜めて、豚娘が囁いた。
この町は、平和なのだと思う。少なくとも、ミュータントにとっては。
「それで?」
明日香は開いていた教科書を閉じると、女生徒たちと向き合った。
「優に彼氏がいても、私は不思議に思わないわ。優は美人だから、男が放っておかないのは普通よ。あなたたちに彼氏がいないのは、あなたたちがブスだからよ。嫉妬するのは勝手だけど、他人からどう見られているか考えたことはある? ドブスな上に鬱陶しいなんて、最悪にも程があるわ」
一息に言ってのけると、醜い女子の集団は急に黙り込んだ。豚娘は鼻から荒い息を吐いて顔を真っ赤にしているし、今にも血管が切れて倒れそうだ。目が四つある娘は、四つの目を血走らせて明日香を睨んでいる。皮膚が髪の毛のように垂れさがった娘は、さっきまでのにやにや笑いが消えうせ、酷い、とか、あんまりよ、とか、ヒステリックに泣き喚きながら鼻水を啜っていた。
「明日香? 次、移動教室だって」
気まずい沈黙を破ってくれたのは、ミホだった。いつものように赤い帽子を被り、片手に花柄のペンケースとノートを抱えている。ミホは今しがた開けたばかりの戸に手を掛けたまま、教室に入るべきかどうか、迷っているようだった。
「どうしたの? 何か、あった?」
「ちょっとね」
明日香が苦笑いして逃げ出そうとすると、豚娘がその袖を掴んだ。
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「あんたの為を思って言ってあげるんだけど」
「聞きたくないわ」
「聞きなさいよ!」
豚娘は喚いて、明日香の服の袖を千切れそうなくらい強く引っ張った。
「ミホとも付き合わない方が良いわよ。ブスのくせに調子に乗って、男を手玉に取って可愛い子ぶって、本当にいやらしいったら……」
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豚娘は、最後まで言い切ることができなかった。ミホの後ろから付いてきた信也の拳が、豚娘の豚鼻を直撃していたからだ。
「明日香、急がないとチャイム鳴っちゃうよ」
何事も無かったかのように言って、信也は他の女子を睨みつけた。醜女集団は青ざめた顔を互いに見合わせていたが、信也に何か言い返すことも無ければ、仲間の豚娘を助け起こすこともなかった。
「男でもあり、女でもあることの利点は」
明日香が、横目で豚娘を見た。巨大な鼻の穴から、泣きながら大量の血を出している。
「男にも女にも、手加減無しに暴力が振るえるってことね」
ミュータントは冷静になれない。阿方はそう言っていたし、実際にその通りだと思う。
明日香は溜息を吐くと、教科書をかき集めて教室を出て行った。
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《3》
《警備隊長幸也の記録書》
最初は苦手だったが、字を書くのにもどうにか慣れて来た。練習がてら、記録書でも書こうとおもう。俺の名前は幸也。サクラ市警備隊の隊長を務めている。身体がろくに動かないし声も出せないが、頭だけはまともなつもりだ。
ゾンビの対処法については、良く知っている。でも、滅んだはずのノーマルへの対処法は、はっきり言って良くわからない。
何でこんなことを書くかと言えば、警備隊の新人がそのノーマルだったからだ。いつか必ずゾンビ化する、そんな爆弾みたいな奴を置いておけるのか? 俺が認めたとしても、他の奴らは納得するか?
血の気の多い警備隊員たちが、妙な真似をしないと良いが。
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《4》
駅前には、かつてはデパートと呼ばれていた建物のなれの果てが転がっている。
ビルの鉄筋は崩れ、外壁もぼろぼろになってしまっている。
廃墟と呼ぶよりも、何かの残骸が転がっていると言った方がしっくり来る。
階段を降りるのは、危険すぎるだろうか。
阿方は、ビルを目の前に暫くの間迷っていた。
食料は、底を尽きかけている。
今夜こそ何か持って帰らなければ、子供たちを飢えたまま寝かせることになる。その上、少しでも何かが見つかりそうな場所といえば、ここくらいしか無い。
阿方はビルの中に入ると、階段の手すりに指を掛けた。気を付けて足を運ばないと、予期しない場所が崩れていたりするので、地下へ降りるだけでも時間が掛かる。基本的な手入れを何年か怠るだけで、こうまで建物は荒れるのだ。
踊り場の看板には、これから買い物を楽しもうとする客への案内が書かれている。『食品売り場』という文字はペンキで塗り潰され、代わりに別の文字が上書きされていた。
『ゾンビ肉 あり〼』
笑えない冗談だ。阿方は襲ってくる悪臭に備えて、鼻と口元を覆うバンダナをしっかりと結び直した。
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――あがぁ……あぐぅ……うぐぅ……――
くぐもった声が、あちこちから聞こえる。
天井には、辛うじて生き残った蛍光灯が、ひとつだけ下がっていた。いっそ真っ暗だったら良かったのにと思うほど、地下の様子は酷かった。
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かつて飲み物が保存されていたガラス製の冷蔵庫や、冷凍食品を仕舞っていたケースの中に、人間のなれの果てが押し込まれている。
彼らのうちほとんどは、手足を切断されていた。布切れで猿轡を噛まされているのは、共食いを防ぐためだろう。
棚の中はもちろん、リノリウムの床と漆喰の壁に至るまで全てが血塗れだ。臓物を抜き取られている者も居たが、本人は自分の胃が消えてしまったことに気付いてもいないらしい。口に咥えさせられた布を噛みながら、食欲に支配されたどんよりした目で、じっと阿方を睨んでいる。
吐き気を堪えて、阿方はゾンビだらけの冷蔵庫の間を歩き回った。蛍光灯が頭の上でちかちかと瞬く。レジの上には、プラスチックの買い物籠が乗っていた。中に、鋸と鞘付きのナイフが入っている。『万引きお断り』の張り紙の裏に、別の注意書きが、マジックで書かれていた。
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『にく は てあし などの 先端から もっていって ください
頭 は さいごまで のこすよう ごきょうりょく お願い します
のうみそ こわすと ゾンビは しんで しまいます
しんで しまうと 鮮度が おちます
みなさん ルール を まもってください』
張り紙を丸めて捨てたくなるのを、阿方はどうにか抑え込んだ。来たばかりの町で、郷に従わない行いはできるだけ避けるべきだ。
ゾンビの肉が仕舞われていない棚は、ほとんどが空っぽだった。塩などの調味料や水まで、全て持ち去られてしまっている。それでも阿方は蠅の飛び交う地下を歩き回って、どうにか手の付いていないスナック菓子の袋を一つと、いつのものかはわからないが、アイスコーヒーの原液のボトルを一つ、手に入れた。
自分たちは人間だ。ゾンビとも、ミュータントとも違う。
子供たちのためであろうと、一線を越えるわけにはいかない。
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《5》
ノーマルは抗体を持たない。故に、新人類を迫害した。
鼻から血と肉片を垂らしたゾンビの顔面に、圭介は拳を叩き込んだ。ぐしゃ、と骨の砕ける音がして、ゾンビの鼻が妙な方向にねじ曲がる。すかさず、もう一発。連続して拳を命中させるのは、圭介の得意技だ。古い映画でノーマルのボクサーの試合を見たことがあるが、圭介に比べたら遅すぎる。
「油断するなよ、もう一体来るぞ」
圭介と同じ警備隊の制服を着込んだ竜一が、武器代わりの白い杖を振り回しながら言った。盲目の竜一に、銃は支給されない。圭介もあまり得意ではないから、二人で組む時は大抵接近戦になる。
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「今日は25パーセントだろうがよ。どうなってやがるんだ」
「予報なんて当てにならないさ」
竜一はゾンビの緩慢な攻撃を避けながら、白杖を前に突き出して脇腹を抉った。若い女の姿をしたゾンビが、ぐえっと湿ったうめき声を上げて倒れ込む。杖に鉄芯が仕込んである、というのは本当らしい。
ゾンビを殺す方法は、一つだけだ。それ以外では、絶対に殺せない。鼻を砕かれ、歯をへし折られ、それでも向かってくる青年のゾンビを前に、圭介は全ての拳を握って備えた。
――ごぼぼ、ぼぽ、ぐぽぽ――
鼻と口から血の泡を吹き出し、土気色の腕を振り回して、ゾンビがうめき声を上げた。折れた歯をかちかち鳴らして、隙を見せれば噛みつかれる。奴らを動かすのは、肉を噛み千切り腹に収めたいという欲求だけだ。
――ごぼぼぼぼ……――
ゾンビが地面を蹴った。動きは決して早くない。圭介は握った五つの拳を、全てゾンビの顎に向かって振り下ろした。
――げぼぼ……――
ゾンビの顎が砕け、折れた歯が血を纏って飛び散った。ゾンビは、まだ倒れない。圭介が二つの拳をこめかみに叩き込むと、顔面が凹み、耳の穴から溶解した脳味噌が流れ出した。独特の腐敗臭が辺りに充満し、吐きそうになる。何度やっても、これだけは慣れない。脳味噌を耳から垂らしたゾンビは、眼球をぐるぐる回しながら足をもつれさせてその場でもがいていたが、やがてばったりと後ろに倒れると、そのまま起き上がらなくなった。
手と足は、まだかすかに動いている。殺してはいない。仕事のルールを破らずに済んだことに、少しだけほっとする。
「よし……! そっちは?」
「もう終わる」
鉄芯入りの白杖で、竜一は女のゾンビの首筋を打っていた。青く鬱血した首は通常ならばあり得ない方向に曲がり、ぐにゃりと曲がったその先に果実のように頭をぶら下げて、それでも女ゾンビは竜一に向かっていく。
そのゾンビの胸元に、竜一は銃口を突きつけた。圭介があっと思う間もなく、竜一は引き金を引いていた。心臓周辺の肉が爆発し、女ゾンビは目をぎらつかせたまま崩れ落ちた。
「お前、それ……」
圭介の腰に下げたホルスターから、銃本体が消えている。
「鈍いな、圭介……ほら、また来る」
竜一が白杖で正面を指した。のろのろと近づいて来るのは、少女のゾンビだった。
「嘘だろ、おい」
圭介の口から、掠れた声が漏れる。おかっぱの髪に、可愛らしい丸い目。髪は蛆とフケで汚れ、目は虚ろで涙とも体液ともつかないものがとめどなく流れ出している。さっきの成人した女ゾンビとは違う、まだ十六、七歳の少女だ。何かの間違いだと思い込もうとしたし、実際そうだったらどんなに良かっただろう。けれど、虚ろに見開いた瞬きをしない目と、だらりと前に下げた両腕はゾンビ特有のものだ。何より、内臓の腐敗が進行したことで起こる強烈な体臭が、少女が最早人ではなくなってしまったことを切に表している。
「ゾンビ化に年齢は関係無い。平均は三十代前半だけど、例外はいくらでもあるだろうさ」
竜一が白杖を握り直して、身構えた。
「ノーマルである以上、いつかはゾンビになるんだ」
少女ゾンビの口からは、まだ新鮮そうに見える血が滴っていた。歯の間からぶら下がる肉片に、茶色い縞が見える。野良猫でも食らったのだろう。あんなもので空腹は紛れない。人間に噛み付く前に、駆除しなければならない。圭介は少女との間合いを詰めた。少女ゾンビは、ピンク色のワンピースを着ている。いつものように殴り倒すか。それとも、竜一から銃を奪い返すか。それとも……。
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――オ、ニイ、チャン……――
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少女ゾンビの口から、うめき声とは別の声が漏れた。瞬間、圭介は全く動けなくなった。かちかちと血塗れの歯を鳴らし、少女ゾンビが縋りつくように圭介にもたれ掛かる。血の滴る唇が、ゆっくりと圭介の腕に近付き、生臭い吐息の温度が感じられた。
――オ、ニ……チャ……――
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突然、少女ゾンビの頭が砕け散った。飛び散る骨の破片が、圭介の頬を掠める。倒れ込んだ少女ゾンビの頭を、竜一は執拗に白杖で殴り続けていた。
「竜一……、」
圭介の目の前で、少女ゾンビは完璧な肉片に変わった。頭は轢かれたカエルのようにぺしゃんこになっている。竜一が顔を上げた。本来両目のあるはずの箇所には、何も無かった。それでも圭介は、睨まれていると感じた。
「こいつらは、ゾンビなんだ」
嫌に落ち着いた声で、竜一が言う。
「人間じゃない、ただのゾンビだ。薄汚いノーマルの、薄汚いなれの果て。肉の塊に同情したって、何になる?」
ゾンビのうめき声には、意味が無い。自我が喪失しているのだ。生前良く口にしていた言葉が、勝手に流れ出しているに過ぎない。
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「わかってるけど……」
圭介が決まり悪そうに呟いた。ゾンビは恐ろしい存在ではない。動きは鈍いし、知能は無いし、ミュータントが噛まれたところで、旧人類のようにゾンビ化するわけでもない。
「助けよう、なんて考えるなよ。どうせ最後は腐って死ぬ」
警備服のポケットからナイフを取り出すと、竜一は何も見えていないとは思えない手さばきで少女ゾンビの『解体』を始めた。垢だらけの皮膚を切り裂き、脂肪の層を剥がし、少女だったものは見る間にただの肉塊へと変わっていく。
「無駄にするぐらいなら、さ……」
臓物の中で、腐敗を免れていたのは心臓だけだった。こんな身体で、良く生き続けることができたものだ。
「本当に生きている人間が、有効に使ってやった方が良い。そう思わないか?」
頬に飛んだ血を、竜一は舌の先で器用に舐め取った。
ゾンビとなった少女に、墓場は必要ない。彼女は、『デパート』へ行くことになるだろう。
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《6》
アパートのドアを開けた途端、良い香りが漂った。妹のミホが、夕飯の支度をしている。「ただいま、ミホ」
圭介は血の付いた警備員の制服を脱ぐと、三本ある腕をぐっと頭上に掲げて、大きく伸びをした。長身の圭介が伸びをすると、一番長い腕は天井にくっ付いてしまいそうになる。
「お兄ちゃん、お帰り」
フライパンから煙が上がる。ミホは手を伸ばして、台所の窓を開けた。本当は換気扇を使いたいのだが、電気は大切にしなければならない。
「確率二十五パーセントなんて、当たらねえもんだな」
若い男は、大体が町の警備の仕事に就いている。町中にいるゾンビの制圧をしたり、出没率の高い区域を立ち入り禁止にしたり、することは様々だ。
「今日は病院の警護だったからさ。楽だと思ったのに」
「あはは。いつも、お疲れ様」
「ミホの弁当があれば、いくらでも頑張れるよ」
圭介が手渡してきたビニールの包みを、ミホは受け取って冷蔵庫に入れた。警備員は、正規の給料の他に、働きに応じて現物支給がある。
「悪いけど、早めに料理してくれ。デパートの配給にも回せないような腐りかけだったんだ」
「えっ、大丈夫なの?」
「ああ。食えそうなとこだけ、切り身で貰って来た」
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普段はあの特殊な『目』を隠しているとは言え、ミホはやけに勘の鋭いところがある。兄の顔色があまり良くないことに、すぐに気付いたのだろう。フライパンに手を掛けたまま、ミホは帽子越しに圭介を見上げた。
「お仕事、何かあったの?」
圭介は何も言わずにミホの肩に手を置くと、四本の腕で強く抱き締めた。
「お前ぐらいの女の子だったんだ」
肉を仕舞った冷蔵庫を指して、圭介が呟いた。ミホは兄が何を言いたいのかを悟って、ただ黙ってその背に自分の腕を回した。
両親は、兄妹を残して消えた。今は生きているかもしれないし死んでいるかもしれないし、ゾンビになっているのかもしれない。
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「ノーマルは、みんなああなるんだ。わかってるけど、でも……」
「お兄ちゃんは、間違ってないよ」
今や、兄妹にとっての家族はお互いだけだ。しっかりしなければ、と、圭介は自分自身に言い聞かせた。竜一が言う通り、ゾンビはただの歩く肉塊だ。けれど、その肉塊にも、昔は家族が居て、生活があった。
「お兄ちゃんは、私たちが安心して暮らせるように警備隊に入ったんだよね? ゾンビになった人は可哀想だけど、仕方ないんだと思う。今、ちゃんと生きている人たちが、一番大事なんだから」
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ミホは、家でも帽子を外さない。そうしていないと、見えすぎるからだ。赤い帽子を僅かにずらして、巨大な瞳で直に兄を見つめる。
フケだらけのおかっぱ頭で、ピンクのワンピースを着た少女のゾンビが、潰れた声帯から濁った鳴き声を吐き出していた。
――オニイチャン……――
「そうだよな」
圭介は小さく微笑んで、ミホの身体に回した腕を少し緩めた。ミホには、嘘は通じない。ずれた帽子を、圭介は優しく直してやる。
「ミホ。お前のためなら、俺は何だってできる」
ミホと違って、圭介は顔に奇形が無い。その代わり、身体には余計な部分が多かった。左腕は肘の辺りで分離して二本に分かれているし、右腕の方は手首から分離していて、それぞれ真逆の方向を向いた手のひらが二つある。腕は脇腹からも一本生えており、そのせいで圭介のシャツはいつも半分くらい捲れ上がっていた。
ミュータントの兄妹なんて、ノーマルの親にとっては気味が悪いだけの存在だっただろう。両親を許す気には全くなれないが、その気持ちがわからないわけではない。
「お兄ちゃんは……間違ってないよ。ミュータントがやっていることも……ノーマルだって、悪い人ばかりじゃないと思うけど……」
ニュータイプの力は、制御が利かないことも多い。圭介に何が起こっても、どう隠し通そうとしても、ミホの大きすぎる瞳にはあっという間に見ぬかれてしまう。
「人前で帽子は外すなよ。絶対にだ」
ミホは何か言おうと口を開きかけたが、すぐに小さく頷いた。大切な妹だ。傍に居られるのは、自分しかいない。何があっても、守ってみせる。
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《7》
町の警備隊の八割が男、二割が女だ。身体が成人以上に成長していることが条件で、定年退職は無い。年齢も外見も様々だが、個人個人の実力に応じて勤務に当たらせているので、ここ数か月、子供が噛まれるなどといった目立ったゾンビ被害は起きていない。入隊に制限があるわけでもなく、当然、ミュータントでないものがこの仕事に就いても、何も問題は無いはずである。
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それでも、その男が警備隊に入った時は、憶測で好き勝手な噂を立てる者も少なくなかった。
「なあ。新人の阿方って奴……」
「ああ。ノーマルなんだろ?」
仲間から声を掛けられ、圭介は噂の中心になっている人物を振り返った。男は長身の圭介から見ても大柄で、引き締まった兵士のような身体つきをしている。浅黒い顔に髭を疎らに生やし、目つきは鋭く、他のミュータントたちをたじろかせる程だった。
「どう見ても四十五は過ぎてるよな。いつ発症してもおかしくない」
圭介と同じ制服を着た晃(あきら)が、眉を潜める。晃と話をする時、圭介は思いきり屈まなければならない。晃は、常に逆立ちをして生活しているからだ。
「どうする? 仕事中にあいつがゾンビになっちまったら……」
「どうかな。旧人類の年齢で四十歳まで発症しなかったら、五十歳くらいまでは大丈夫だって言うぞ」
「俗説じゃねえか。俺は、中年のゾンビだって随分狩ったぜ」
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晃は言って、本来は『足』と呼ぶであろう場所で握った銃を振ってみせた。晃は、どこかで体の設計図を間違えて生まれて来たらしい。足の生えるべき場所に腕が生え、腕の生えるべき場所からは、二本の足が生えている。何も知らない者が見たら、両手に靴を履いて逆立ちで遊んでいるようにも見えただろう。しかし、高く掲げたズボンの裾からは、手のひらが突き出している。
「おい、幸也。お前はどう思う?」
晃がベビーベッドに横たわる幸也に話しかけると、先天的に手足の無い幸也は、二股に分かれた尻尾状の触手を使ってホワイトボードとペンを手繰り寄せた。優のような『ニュータイプ』ではないものの、器用さで言えば幸也の勝ちだ。
『少なくとも、今のところ発症の兆候らしいものは見られない。だから、安全と見ても良いだろう。俺たちは誰も、あの人のことを知らない。仲間にするか、しないかは、実際に仕事をしてみて、それから決めれば良い』
「ちぇっ。相変わらずクールなもんだね」
晃が言うと、幸也は一つしかない目で笑った。
「幸也の言う通りだ。はっきりとは聞いてないが、家族が居るらしい」
圭介が阿方の方を見る。雨さえ凌げれば何でも良い、と言うなら、空き家は山のようにあるし、食べ物だってデパートの『配給』だけで良いなら金は必要無い。けれど、管理する者のいない空き家は、いつゾンビに入り込まれてもおかしくない。ノーマルにとって、『配給』の肉を食べるのは危険な行為だ。だから、やはり金は必要だった。
「とにかく、お前らは自分の仕事に専念しろ。阿方とは……」
圭介が仕事の名簿に目を落とした。新しく書き込まれた阿方の名前の隣に、圭介と竜一の名が並んでいる。
「どうせ、俺たちが組むことになるんだ」
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《8》
細い身体を壁に預けて、竜一は煙草を吸っていた。本当ならば二対の眼球が存在するはずの場所には、包帯が巻かれている。竜一、圭介、それに阿方。今日の『汚れ仕事』に阿方を混ぜ、一番優秀な二人と組ませることで、幸也は阿方をテストする気なのだろう。
「初日だから、今日は俺に従って貰う。それで良いな?」
圭介が声を掛けると、阿方は素直に頷いた。警備隊の制服は、阿方に良く似合っている。本日のゾンビ出没率は、病院のある西区域が10パーセント、学校と公園のある東区域が15パーセント、住宅地と商店街の南区域でさえも20パーセント程だ。こういう日は、警備隊にとって決して好ましい日ではない。
特に、腕の良い隊員として信頼されている者たちにとっては。
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「ゾンビの出没率が下がるのは、奴らが移動するせいだ」
北区域に向かう道すがら、圭介はサクラ市のゾンビの性質について説明した。
「なるほど。ということは、北区域にゾンビが集結しているというわけだな」
ノーマルでありながら、家族を連れて生き抜いてきただけあって、阿方は飲み込みが早い。血脂の浮いた解体用ナイフを見て、阿方は呟くように言った。
「肉を大量に確保するには、もってこいの日というわけか」
「その通り。それと、少しでもゾンビを減らすのにももってこいの日だ。でも、絶対に油断するなよ……ここのゾンビは、あんたが今まで殺して来たゾンビとはわけが違うぞ」
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北区域周辺は有刺鉄線でぐるりと囲まれ、『立ち入り禁止』の札がそこかしこに掲げてある。圭介たちが武器を持って近づくと、監視役の年取った警備員は敬礼をして、それから鉄線を外して隙間を作った。
「まともな人間は、この区域には残っていない。碌な食料も物資も残っちゃいないんだ。ゾンビ天国だよ」
捕獲したゾンビを入れるための鉄製の網、ハンマー、鋭い歯の付いた鋸。警戒は、いくらしてもし過ぎることは無い。ゾンビは動きが遅いとか、鈍いとか、そういう偏見も北区域では通用しない。濃く溜まったウイルスがゾンビの溶けた脳味噌に余計な刺激を与えるのか、それともまた別の理由があるのか。北区域に留まるゾンビは、通常以上に凶暴で貪欲だ。たかがゾンビと舐めて掛かった仲間が片足を食いちぎられ、退職せざるを得なくなったこともある。
「ばらばらになるよりは、固まった方が良い。竜一、阿方さん、俺から離れないようにしてくれ」
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圭介が先頭を進んだ。阿方、竜一の順で、後に続く。北区の様子は、前に来た時とあまり変わっていなかった。残念なことに、前にあれほど狩ったにも関わらず、ゾンビはさほど数を減らしていないらしい。
竜一は杖を手に、辺りを探りながらゆっくりと二人の後に付いて来る。阿方は時々立ち止まって、竜一がはぐれないように待ってやった。
「その目は」
竜一の『目』を見て、阿方が口を開く。ミュータントは大体が、人体の設計図を間違えて生まれて来たような姿をしている。竜一も例に漏れず、両目が然るべき位置に付いていなかった。普通よりも大きな眼球が、首筋の左右に瘤のようにくっ付いている。
「誰に、やられたんだ?」
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竜一の首筋には何かで切られたような深い傷痕が残り、眼球は割れて、白く濁っていた。阿方の問いに、竜一は薄く笑って答えた。
「ノーマルに、だよ。他に何か聞きたい?」
「ああ。全く見えないのか?」
「残念ながら、ね」
阿方は何か言いたそうに口を開きかけたが、結局それ以上は何も尋ねなかった。先頭の圭介が、足を止める。
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「近くにいるぞ」
圭介が拾い上げたのは、血の付いた骨の破片だった。動物のものではなさそうだ。だが、色は黄色く変色していて、血は生乾きにも関わらず、既に腐敗臭を漂わせている。
「ゾンビの骨だ。この辺の奴らは、共食いする」
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人間の住まない場所にいる奴らにとって、食料と呼べるものはお互いの肉だけだ。腰の銃を抜いて、圭介は身構えた。肘から分離した腕と、脇腹の腕の拳を握り、目指す相手の気配を探る。竜一は杖を握り直した。阿方はハンマーを目の前に構えて、襲撃に備えた。
「……来るぞ」
建物の影から飛び出して来たのは、男のゾンビだった。かなり腐敗が進んでいる。顔の半分が溶け崩れ、腐った声帯から血の滴と腐敗汁をまき散らし、それでも抜けかけた歯をがちがちと噛みしめて三人に襲い掛かる。
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「殺して良いのか?」
阿方が叫んだ。
「不味そうな奴だけ、殺せ」
圭介が叫び返す。阿方はハンマーを振り下ろした。鈍い音をさせて脆くなった頭がい骨が砕け、崩れかけた脳が一気に溢れ出した。
「一匹やったからって油断するな。北区の奴らは、群れで襲ってくる」
蔦の巻き付いた建物は、ゾンビの共同宿泊施設でもあったらしい。ぼろぼろの縫いぐるみを引きずった女ゾンビや、腰の曲がった老婆のゾンビ、カツラがずれて禿げ頭を晒した中年のゾンビまでが、一斉に飛び出して来る。鉄芯仕込みの白杖で、竜一は中年ゾンビの頭を打った。何十年も禿げ頭に乗りっぱなしだったカツラが空高く舞い上がり、中年ゾンビは意味の無い鳴き声を上げた。
――ブチョウ……ブチョウ……ゴルフ……セッタイ……――
「竜一、そいつは殺すなよ」
「わかってるって」
ゾンビの牙を杖で受け止め、全身の体重を掛けて圭介の方へ押しやる。バランスを崩した中年ゾンビは、自ら圭介の方へ転んで行った。
「圭介、パスだ」
「任せろ!」
ノーマルのプロボクサーが見たら腰を抜かしそうな速さで、圭介はゾンビの肩に四つの拳を叩き込んだ。肩の骨を砕かれた中年ゾンビは、それ以上攻撃して来なくなったので、圭介は網を広げてその中にゾンビを蹴り込んだ。
「次!」
縫いぐるみの女ゾンビは、なかなか厄介だ。巨大な熊の縫いぐるみを胸に抱え込んでいる上、物凄く太っているせいで、肝心な場所に攻撃が当たらない。クッションのように跳ね返されてしまう。
「銃を使う。どいてくれ」
圭介が引き金に指を掛ける。しかし阿方は、冷静にそれを制した。
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「必要ない」
ゾンビの倒し方なんて、百通りは知っている。友人が、恩人が、仲間が。つい昨日までは人間だったはずの者が呻くだけの肉塊に変わるのを、阿方は何度もその目で見て来た。
阿方は女ゾンビの背後に回ると、そのだぶついた首に自身の腕を巻き付けた。顎をしっかりと抑え込まれているため、女ゾンビは噛み付きたくても噛み付けない。肉体の限界を知らないゾンビは、女や年寄でさえも、信じられない力を発揮する。事実、女ゾンビは激しく暴れ続け、肘が阿方の腹を何度も打った。それでも、阿方は少しも姿勢を崩さなかった。
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「危険だ。離れろ!」
「大丈夫だ」
阿方の腕に力が加わる。そのまま自身の身体をねじるようにして、ゾンビの頭を崩れた建物の壁に叩き付けた。ぴし、と、固いものに罅が入るような音が響く。女ゾンビが、血の泡を吹いた。じたばたと動かしていた手足が少しずつ動きを弱め、最後には完全に動かなくなった。
「ゾンビ化の症状が出た時点で、人間の常識は通用しなくなる。心臓を抉っても死なない。生首だけになっても、しばらくは生きている」
息ひとつ乱さず、阿方はぐったりとなった女ゾンビを見下ろして言った。
「だが、脳を完全に破壊すれば、死ぬ。だから、頭を攻撃させてもらった。軽く、だがな。死んではいない。気絶しているだけだ」
女ゾンビの頭は血だらけだったが、身体には傷一つ付いていない。今のうちに縛り上げてしまえば、かなり新鮮な状態で肉を提供できるようになる。
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「すげえ」
圭介が、心底感心したように言った。
「気に入らないね」
竜一が呟く。
鉄の網の中は、いつの間にか、気絶したゾンビで一杯になっていた。銃の弾薬は全く減っていないし、圭介も以前に来た時のような激しい疲労は感じていない。阿方が捉えた個体には目立った傷が無いので、高値で取引できるだろう。
今日は、ついている。
「初日から、随分働かせちまったな」
「良いさ。それが仕事というものだ」
蔦のからまった建物に寄り掛かって、阿方は口角を持ち上げるようにして笑った。圭介は、少しこの男が好きになりかけていた。
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「あんた、食い物はどうする気なんだ?」
「俺たちノーマルはゾンビを食えない。菜食主義にでもなりたいが……」
「こんな時代じゃ、難しいな」
建物に絡む蔦の葉は、ゾンビの腐肉を餌に育っている。圭介は青々としたそれを千切り取って、匂いを嗅いだ。
「阿方さん、これは?」
「名前を知らない草は、食わない方が……」
阿方は、途中で言葉を切った。
「どうした?」
圭介が不思議そうな顔をする。
「静かに」
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辺りが、妙にしんとしていた。この辺のゾンビを大分狩ったせいもある。しかし、北区のゾンビを全滅させたわけではない。それにも関わらず、この異様な静けさは。
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「竜一、気を付けろ」
離れた位置に立っていた竜一に、阿方は声を掛けた。竜一が振り返る。一瞬の隙を狙ったのか、それとも偶然か。
竜一に噛み付いたゾンビは、勝ち誇った勝利の雄叫びを上げている。
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「竜二……!」
阿方が叫んで、走り出した。鋭い視線は、竜一を見ていなかった。全く別の、他の誰かを見ているようだった。
作者林檎亭紅玉
登場人物が更に増えてきました(白目)