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長編11
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涼子。

と、下の名前で呼ぶのは…かつての名残だ。

知り合って最初の頃は、それこそ、一緒にランチを食べたり、仕事終わりに買い物に行ったりと、仲の良い同僚の一人として付き合っていた。

だが…ある時から突然、本当にいきなり、涼子からキツく当たられるようになった。

給湯室の狭い通路をすれ違う時、「ちょっと失礼」と声をかけたら、「さっさと行ってよ鬱陶しい!」と…険しい口調で言われたり、

仕事のミスが発覚すると、「あなたがちゃんとチェックしないから!」と…何故か全て、私のせいにされたり。

指導的で、キビキビした性格だって事は、最初の時から何となく分かってはいたけど…ここまで当たりが強くなるとは夢にも思ってなかった。

自分が何か怒らせるような、失礼な事をしてしまったのか?というのは真っ先に考えたが、思い当たる節は無く、

だとしたら、仕事かプライベートで何か嫌な事があったのか、それとも生理前のイライラか…?と、

色々と自分なりに原因を探ってはみたが…結局分からず仕舞いで、その間も、涼子の当たりはエスカレートする一方だった。

だからいつの間にか、態度には出さなくとも私は段々と涼子に怯え、涼子も、

「あの子、なんか分かんないけど嫌いなの(笑)」

と周りに話していたせいもあって、元の関係に戻る事は無かった。

それでも、いつかはまた仲良く出来たらな…と、微かな期待はしていたのだが…もう、彼女はいない。

つい2日前、彼女の訃報を知らせる社内メールが届いたのだ。

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仕事を何とか終わらせて、葬儀場に向かう。

本当は今朝まで、参列すべきか迷っていた。好きでもない相手が弔いに来るなんて…嫌がるかも知れないと。

それでも参加したのは、別の同僚、祐樹が「とりあえず…なんか欠席も失礼だしね」と、誘ってくれたからだ。

署名をしてご霊前を預け、焼香の列に向かう。と…その時、既に焼香を終え、会場から出てくる祐樹の姿を見つけ、声をかけた。

祐樹は、涙こそしていなかったが、表情に影を落としていた。

仕事を勝手に取られたりと、彼女も涼子から色々されていたのだが…やっぱり、いざ亡くなって棺を目にすると…何とも言えない寂しさがあるのだろう。

しかし、

「咲良、あとでちょっと飲みに行こう、待ってるから」

祐樹はそれだけ言って、そそくさと会場を後にしていった。

大きめのセレモニーホールだったし、わざわざ外で飲まなくても、会食会場で話せるのに…

と、疑問に思っていたが、焼香の番が近づくにつれ、その理由に納得がいった。

祭壇の上部…飾られた遺影に映ってい涼子は…まるで別人だったのだ。

どれくらい違うかと言えば、目鼻の形や位置から、何とか彼女だと認識出来るレベル。

写真の中の涼子は、頬がふっくらとした穏やかな表情を浮かべているが、私が知っている涼子は違う。

細長くややこけた頬に、真一文字に結んだ薄い唇と切れ長の眉と目。

私に当たってくる時は、その目元が釣り上がり、ギリッと睨んでくる。正直、お世辞にも美人とは言えない顔なのだ。

でも、写真の中の顔は、そんな素振りを微塵も見せない、満ち足りているとでも言うように、可愛らしい笑みをこちらに向けている。

違和感だらけの中、自分の番になり…何とか作法通りに焼香を終えて会場から出た。

普段何もなくても、ふとした悲しい気分でほろほろと泣いてしまう厄介な癖を持っているから、気を付けようと思っていたが…

涙が出る所か、むしろ安堵していて…弔うという気持ちすら、どこかに行ってしまった。

と言うより…写真の事が気になり過ぎて、自分の中に少なからずあった、死者に対する気持ちが消えてしまった、という感覚。

焼香越しに、祭壇の右側に座る親族が目に入ったが、似た顔立ちの人が数名いたから、やっぱりあれは涼子なのだと思う。

だとしても何故…やっぱり違和感しかない。

引出物を受け取り、祐樹のもとに向かう途中…何事も無かったように振る舞う、他の弔問客やスタッフの様子に云い様のない不安を覚えた。

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駅前の居酒屋まで、私も祐樹も無言のままだったが…店に入り、アルコールを流し込んだのをきっかけに、2人とも堰を切ったようにいつものテンションに戻った。

賑やかな店の雰囲気がそうさせたのかも知れない。

最初に沈黙を破ったのは祐樹で、グラスを飲み干すなり、「はぁ~疲れた!!」と、ため息交じりに笑いを浮かべた。

つられて私もビールを飲み干し、「ああいうの、肩凝るよね~」と相槌を打つ。

それから、通夜帰りという事など忘れるかのように、他愛のない話題を肴に呑み進めた。

そうして、時間が過ぎて酔いもそこそこ回ってきた時だった。

「私ね…咲良を待ってる間に…変な事聞いちゃったんだ」

祐樹が、独り言のようにそう呟いた。

聞けば、会場内の隅にある喫煙所で一服している時、その近くで、中年女性数人がひそひそ談笑しているのを聞いたのだという。

話し方からして、涼子の親戚という感じだったそうだ。

でも、その内容というのが…

──ねぇ、「なまなり」で済んで良かった~

──本当よ~、「しんじゃ」までいったら怖いわ!

──お通夜までして、何のつもりかしら…

──あなた、告別式は行くの?

──やぁだ、冗談きつい!

──わざわざこんな葬儀しなくてもいいのに…

──そうよねぇ…

──遺体が無いのに、どうやって火葬するのかしら?

なまなり?しんじゃ?遺体が無いってどう言う事?

「…ねぇ咲良、私さ、明日の葬儀、行ってみようと思ってるんだけど」

「え!…そこまでする義理無いでしょ」

「そういう意味じゃなくて…気になるの、遺体が無いのに葬儀って…咲良、安川さんの死因、知ってる?」

そう言えば…と気づく。訃報のメールには、ただ「お亡くなりになられました」とだけしか、書かれていなかった。

普通、「かねてよりの持病が原因で」とか…書いてあってもおかしくはない。

実際、数年前に定年退職した他部署の部長が亡くなった時は、○○年に肺の浮腫が見つかって、闘病を続けて…と、生前の詳しい病状まで通達されていたのだ。

「何にも知らないのよね。というか、さっきだって、結局私達以外来てなかったみたいだし…」

「…そういえば見かけなかったね。ほら、来週商談あるみたいだし…忙しいのよ」

「そーかな、そーだろうね、まあ、私は明日行ってみるから。咲良は?」

「私はいいや、わざわざ行く事でも無いし…」

「そっかあ~、フフッ、ふ~ん」

祐樹の頬は赤らみ、とろんとした目つきで私を見ていた。鼻歌交じりにゆっくりとした喋りになるのは、彼女が完全に酔っぱらった証拠だ。

こういう時の祐樹は、明け透けで冗談交じりに悪戯な事を話し出す。

よほどストレスから解放されたのか…ただの酒の力か…

「あ~、別に義理とかじゃないからね?好奇心?ってやつ…」

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翌日は休みとあって、布団の中でうつらうつらとしながら昼過ぎに体を起こすと、ベッドのどこかに転がったスマホのバイブが鳴っていた。

鳴っていたのは分かっていたけれど、きっとメルマガやニュースの通知だろう…と放っておいたのだ。が…画面を見ると、そこには祐樹からの着信が5件も入っていた。

尻押し?まだ酔っぱらってる?…と、何の気無しに折り返しの電話を掛けると、ざわざわとした雑音の中、呼吸音が聞こえ始める。

「祐樹?もしもし?」と数回声をかけると…ようやくといった溜息と共に、祐樹が応えた。

「咲良?やっと繋がった…あのね…」

居酒屋での話は、酔った勢いの冗談では無かった。祐樹は言葉通り、葬儀会場に足を運んでいたのだ。

昨日、居酒屋を出て駅で別れた後…祐樹は引き返して、喪服のまま駅前のネカフェで一晩過ごし、会場に向かったそうだ。プライベートの友人を誘って。

その友人は動画撮影が趣味で…どうせなら撮影してみようという話になり、不謹慎を承知で、葬儀に参加したのだという。

小型カメラを襟に仕込んで、祐樹は遺体の無い葬儀がどんなものか、友人は何かあろうと無かろうと、葬儀の様子をカメラに収めて、後で観返して楽しむ予定だったらしい。

そうして式を待つ間に、祐樹は会場で、見覚えのある女性と出くわした。

「咲良…私が昨日話した…喫煙所の近くで変な話してたっていうおばちゃん…その中の1人がいたの。でも…」

2人はその中年女性に声をかけ、涼子の「友人」だと名乗った。そして、通夜の時にたまたま聞いてしまった、という体で話を進めていく予定だったのだが…

「なまなり」

という単語を祐樹が話した途端、女性は血相を変えて、2人に早く帰るよう言い始めた。

「あんたら友人でも…ここは駄目。ね、帰んなさい…いい?何も見ちゃ駄目…」

「どうしてですか?」

「はぁ…お嬢さんあんた、涼子に色々されなかった?」

「…実は…まあ…」

「ごめんねぇ…不憫だけど…仕方が無いのよ」

「あの、ご遺体が無いってどういう事ですか?」

「知っても良い事ないわよ、さ、今の内に…私は一応親族だから、無理して仕方なーくいるけど…ね」

「気になるんです、何なんですか?なまな…」

「2度とそれを言わないで!…何も知らされて無かったなら教えてあげる。あの子はね…『心を喰われた』のよ…」

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なまなりは、「生成」と書く。能の面で、「般若」になる前の姿だという。

角が生え、恨みつらみと憎しみと怒りで歪んだ、女の顔を模した面…

生前の涼子の顔…言われてみれば、生成そのものだ。

思い出すと不思議と可笑しくて、不安がる祐樹を前にして、吹き出してしまった。

「安川さんね、子供の時から虫とか蛇とか嫌いで、よく殺してたんだって。家族が止めても、『こんなの生きてる価値無いから』って…」

女性曰く、涼子の母方…特に女性は、代々、どこかしらに残虐的な要素を持って生まれて来るそうだ。

女性は父方の親戚で、涼子の母親(既に鬼籍)を昔から見てきたというが…虫や鳥といった小さな生き物を、特に理由も無く殺していたらしい。

むしろ、そうしていないと自分を保てない…まるで、何かの義務に駆られるかのような時さえあったという。

そしてその要素は、必然的に、涼子にも受け継がれた。

あの遺影の写真は、以前旅行先で撮った家族写真を切り取ったもので…運良く、まだ「生成」になる前の姿を収めたものだという。

涼子はその後、年を追う毎に「あの顔」の形に変わっていったそうだ。

「しんじゃ、ってね…真の蛇って書くのよ、その名の通り…人間じゃなくて蛇の姿になった、般若よりも怨念が強い姿なんだって。そうなると…ヤバいって…」

「どんな感じでヤバいんだろ…」

「分かんない…でも私、安川さんがいるとさ…話さなくても、居るだけですっごく疲れたんだ…そのせいだったのかな」

光の反射とか、レンズの汚れでそう見えると言われれば、そうかも知れない。

だが、祐樹のカメラが撮影した映像には、半透明の、太い紐のようなものが終始うねっているような…そんなものが所々にあった。

「私達が何したっていうの…マジで意味分かんない…」

「私と祐樹が何かしたんじゃなくて…そうしてないと自分を保てなかったのよ、その…お母さんと同じで」

「何で私達だったの…」

「さあ…特に理由は無いと思うよ。…もしかしたら私達、『生気』を吸い取り易かったのかもね」

生成や真蛇といった言葉は、あくまで親族の女性が思い付いた例えの表現だった。

能を観るのが趣味だった為、幼馴染の変わり様を面に例えて話したら思いの他ウケて、それからずっと、親戚間で話す際に、隠語として使い続けて来たという。

「遺体が無い謎は、分かったの?」

「それだけは教えてくれなかった。この話も、本当は親族以外の他人に話すものじゃないって…友達がどうにか食い下がって、話してくれた感じなの」

「祐樹…涼子の事知って、どうするつもりだったの?ああ、あの…別に否定するわけじゃないから…涼子そういえば、あれダメこれダメって…そればっかだったね(笑)」

「別に…ただの好奇心なだけ。でも…なんかね…家系云々で片付けられちゃうって…腑に落ちないな」

腑に落ちない

私にとっても、その言葉が全てだった。

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安川さん。

に、ついての話題が再び出たのは、葬儀の事などだいぶ忘れてきた、半年後の事だった。

休憩時間、先輩方がスマホで何かを見ながら盛り上がっていて、

その様子を眺めていたのを気付かれた私は、「ちょっとこれヤバイんだけど」と、先輩から画面を見せられた。

スマホのデータ整理中に、ふと何の気なしに再生したという映像…それは1年前の、部署主催のバーベキューの記録だった。

当然、私や祐樹や、先輩方の姿が映っていて…この時も私は、途中から遅れてやって来た安川さんに、

「あなた仕事遅いんだから、これやって!」

と…ゴミ捨て係を仰せつかり、やっと食べ物にありつけると思った時には…

「焼くの遅い」「それじゃダメ」「邪魔なの」と、背後からボソボソされた思い出がある。

ただ、いつもと違ったのは、その様子を偶然見た数人の同僚と先輩に助けられ、

加えて安川さんに「仕事じゃないんだからさ~(笑)」と、やんわり言ってくれたお陰で、結果楽しめたのだ。

しかし、過去の動画を思い返して見てるだけかと思っていたのは、最初の内だけだった。

「ほら、やっぱこれヤバイ」

「うわ、こっち見た!顔…こっわ(笑)」

河川敷の端…目をギリッと吊り上げ、口元を歪めてこちらを見つめる女。

今にも、画面の中から私を蔑んでやるとばかりに、かつて涼子「だった」ものが、そこに佇んでいた。

「ぶっちゃけ私、安川さんの『仕事デキます』アピール苦手だったわ~」

「わかるわかる!」

「湯島さん(私の苗字)、あなた大変だったわね~、あ、幸田さん(祐樹の苗字)もか!」

「つうか、あの子って辞めたの?もうずーーーっと仕事休んでるよね!」

「───え?」

「…ん?もしかして湯島さん知らなかったの?」

「うそ~やっと気付いたの(笑)安川さん、無断欠勤してそのままなのよ~、ねぇ部長?」

私と祐樹以外、誰も彼女が死んだ事を知らない。

履歴をくまなく調べたけれど、いつの間にか…訃報のメールは消えてしまっていた。

「祐樹…あのね、皆が涼子の事──」

「咲良、その話止めよう…」

祐樹は友達に連絡して、あの葬儀で撮った映像を全て削除した。

「彼女の事思い出すと、私まであんな風になっちゃう気がして、怖い」

「でもさ、あれは家系でしょ?」

「…ほんとそれ、腑に落ちない…」

考えると、思い出すと引っ張られる。死んでも尚、私達から生気を吸い取ろうとしている…そんな気がしてしまう。

仮に、彼女が生き永らえたとして、「真蛇」になっていたら…

いや…もう、考えるのは止めよう。

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───ぁあぁああ!出して!熱いよオオォ!──

「はぁ…涼子…不憫だけど仕方ないわよねぇ…」

「まさか、あんなに母親そっくりになるとは思わなかったわね(笑)あのままだったら、先が思いやられるわ!」

「私ら、迷惑ばっかり被ってきちゃったもんねぇ」

「…これで、母方の血筋はぜーんぶ絶える…」

「やだ、あたしらも人の事言えないわねぇ~うちらってもしかして、般若?」

「ホントだわね!アッハハハハハハハ!!!」

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@アンソニー様
ありがとうございます!
いつも的確な一言ですね(笑)

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