長編11
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5月●日

従妹のエイミーから聞いた話です。生粋の日本人なのですが、仇名がエイミーなので作中ではこの名前で通すことにします。

 今回のお話は、ひょっとしたら一般的な『怖い話』とは異なるかもしれません。そもそも実在の人物だったのかどうかすらわかりませんし、本当にあった事件なのかも、今となってはわかりません。

 もしも事実だった場合、関係者様方に多大なご迷惑と不快な思いをさせてしまうかも……という考えから封印しておりましたが、あれから十年以上経過していることもあり、この場を借りてお話させて頂きたいと思います。

 読んだら呪われるような話では(多分)無いので、そこは安心して頂いてよろしいかと思います。

最初にエイミーから電話で話を聞いた後に、私が自分で調べたり補足したりした部分もあります。もし間違っていたとしても、素人の書いた文章と思って大目に見て頂けると助かります。

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 エイミーがまだ二十歳そこそこの年齢だった頃でしょうか。市役所に用事があって、一人で出向いて行ったそうです。日付は5月の●日、平日のうららかな日でした。

 窓口で必要な書類を記入して来るように言われ、エイミーはペン等が置いてあるカウンターに移動したそうです。行ったことのある方なら大体イメージが付くと思いますが、市役所には申請書の記入例にペン、老眼鏡やパンフレットが置いてあるカウンターかテーブルが必ずあります。

 自分の書類をカウンターに置き、ペンを取ったエイミーは、『あれ?』と思ったそうです。

 エイミーが寄り掛かっているカウンター。そのすぐ隣に、ある物が投げ出されるようにして置いてありました。

 戸籍謄本(こせきとうほん)でした。

 戸籍謄本というのは、戸籍の内容を記した書類です。法改正前の縦書き(昔は印刷技術も無かった為、全て手書きだったようです)のものは一通750円、改正後の横書き印刷のものは一通450円で購入することができます。

 エイミーが見つけたのは、平成6年の法改正後……所謂最新の戸籍で、横書きのものでした。

 ちなみに、家族全員分の情報が記載されたものを謄本(とうほん)、個人の情報だけが記載されたものを抄本(しょうほん)と言います。

エイミーが見たのは謄本の方だった為、ひと家族丸ごとの情報が載っていました。かなりの枚数があるらしく、少しこんもりとした束になっていたようです。

 どうしたんだろう。

 エイミーは咄嗟に周囲を見回しました。戸籍謄本は個人情報の塊、それを見ればその人がどこで生まれたのか、両親の名前は何か、いつ結婚したのか、いつ何処で死亡したのか……全てが一発でわかってしまいます。極端な例になりますが、生年月日どころか出生地や両親の名前まで記載されるので、両親が未婚のまま生まれて父親が認知をしないと、『父』の欄は空白のままになります。

 実のところ、当時のエイミーはそれが『戸籍謄本』という名前であることさえ知らなかったのですが。非常にプライベートで、人目に付くところに放置すべきものではない、ということはすぐにわかったようです。

 持ち主はどこに行ったのだろう。お手洗い? せめて、封筒(住民票や戸籍謄本を受け取った際、プライバシー保護の為に大抵の役所では封筒が用意されています)に入れるか何かして隠せなかったのかな? 

 しばらくの間きょろきょろしていましたが、それらしい人物は見当たりません。

 どうしよう。これって、悪い人に悪用されちゃったりしないのかな。隠してあげた方が良いのかな。でも、持ち主さんが戻って来た時、気付かないかもしれない。私がずっと見張ってる? いや、でも、それも何か変だし……私だって用事があって来たんだし……。

 弁護をするようですが、エイミーは悪い子ではありません。確かに不用心で子供っぽいところはありますが、悪意があって何かをする、ということは彼女に限って考えられないのです。

 本当に、エイミーに悪気はありませんでした。

 ですが、いつまでも現れない持ち主に業を煮やして、ちらちらと伺ううちに。

つい、その放置された戸籍謄本の『中身』を、読んでしまったそうです。

 松山竹男。

 最初に目に飛び込んで来たのは、そんな名前でした。

 戸籍謄本の一番最初に記されるのは、筆頭者……語弊があるかもしれませんが、その世帯の代表者の名前です。ほとんどの場合、その家族の中で『父』か『夫』の役割を果たす人の名が記され、後に『母(妻)』『子』が続きます。法改正により親子三代をまとめて記す方法は廃止されたので、祖父母の名前は記載されません。

 この場合は、松山竹男さんが『お父さん』ということになるのでしょうか。エイミーはそのまま、ずるずると視線を落として、謄本の更に先を読み進めました。

 松山竹男、昭和●年五月●日生まれ。両親は松山竹蔵と松山竹。松山竹男自身は、二十五歳で結婚。

 そうか、二十五歳で結婚か。私もそろそろかな。

 いけないことをしている、という自覚はあったそうですが、エイミーは好奇心に負けてしまったようです。

 結婚相手は二歳年下。婚姻届けを出したのは六月……ジューンブライドというやつでしょうか。思わず口元を綻ばせたエイミーは、しかし『婚姻』の下に書かれた項目を見て表情を強張らせました。

 『死亡』

 口に出すのも憚られるような言葉でさえ、お役所の書類の中では酷く無機質に扱われます。

 平成●年、五月●日。

 え?

 五月●日?

 エイミーは思わず、市役所の壁に貼ってあったカレンダーを見つめました。五月●日。それはエイミーが役所にやって来た『今日』の日付でもあったからです。それも、今から丁度一年前の『今日』……エイミーは何とも言えない気持ちになりました。

 昨年の今日、松山竹男さんは亡くなった。生まれた年から亡くなった当時の年齢を計算すると、まだ四十代だったはずです。

 自分のお父さんより、ずっと若い。お人好しなエイミーが、悲しい気持ちになったことは想像に難くありません。

 病気でしょうか。不幸な事故だったのでしょうか。もっと、もっと生きたかったかもしれないのに。

 残された奥さんは、どうなったのだろう。

 エイミーはどうしても気になってしまい、やはり『いけないことだ』と自覚しつつも、戸籍謄本の続きを読んでしまったそうです。

 そして、すぐに『読まなければ良かった』と後悔しました。

 奥さんの名前は、松岡梅子。結婚して夫の姓を名乗り、松山梅子となる。そこまではまあ、日本の古い慣習としては普通のことでしょう。

 問題は、その後でした。

 『死亡』

 無機質な印刷の文字が、エイミーの視界に刺さります。

 平成●年、五月●日。

 ……え?

 思わず、声が出そうになりました。

 五月●日。奥さんの梅子さんも、旦那さんの竹男さんと全く同じ年代、同じ日に亡くなっているのです。

 と、いうことは。

 エイミーは、その瞬間に悟りました。

 病気ではなく、事故だったのか。

 夫婦が揃って全く同じ日に亡くなる、ということは、原因が病気とは考えにくい。いや、あり得ないわけではないが、可能性は低い。

 同乗していた車、或いは電車や飛行機や新幹線等が事故に合い、二人とも助からなかった……と、考えるのが妥当だと思います。災害、という原因も考えられますが、エイミーと私が覚えている限り、平成●年五月●日にエイミーの住む市町村で死者が出るような災害は起きておりません。

 自分が住む市町村で、夫婦が亡くなるような事件が起きていたのに知らなかった。それも、去年の話です。エイミーは多少がっくりしたような、悲しいような、そんな気持ちになりました。

 私が不思議だと思うのはここからなのですが、エイミーはどうも、束になった戸籍謄本を自分の元に引き寄せ、次々に紙を捲り上げて中身を確かめていたらしいのです。

 赤の他人の戸籍謄本、当人の出生から死亡まであらゆる事がわかってしまう個人情報の塊……普通であれば、市役所の職員がたしなめると思います。それが無くても田舎の話、エイミーと同じ野暮用で来ていた第三者が何かしら言ってきたとしても不思議はありません。

 しかし、その日に限ってエイミーの邪魔をする人物は一人も現れませんでした。

「後でお母さんに聞いたらわかったんだけどさ。その、松山さん一家? の、家族の名前が並んでるんだけど。皆、名前の横に四角く囲った字が書いてあったんだよね。何か、『排除』の『徐』に『戸籍』の『籍』って」

 除籍謄本(じょせきとうほん)、って言うんだって。

 エイミーの電話口の声は、少し興奮していたように思います。

 除籍……結婚して新たに戸籍を作り直したり、或いは亡くなったりした際には、その人物は戸籍から外れてしまいます。

 家族全員が戸籍からいなくなってしまうと、『戸籍謄本』は『除籍謄本』という名前に変わります。昔は除籍になった人物は名前の上にバツが付けられていましたが、今はただ単に無機質な『除籍』の字を印刷されるだけです。

「家族全員、名前の横にその字が付いてるの。松山竹男さんって、子供はいっぱい居たんだけどさ。十人くらい? 大家族だよね、うん。でもね、皆……」

 無機質な『除籍』の文字。

 そして、出生日が書かれた欄のすぐ下には。

 『死亡』の欄が設けられ、日付は。

「皆、五月●日なの。同じなの、皆去年の、五月●日に死んじゃってるの」

 電話の向こうで、エイミーは泣きそうな声でそう言いました。

「よっぽど酷い事故だったのかな? でも、そんなニュースあった?」

 エイミーの声を聞きながら、私の頭には全く違う単語が浮かんでいました。

 一家心中。

 いや、考えすぎか。

 しかし、一家が同じ日に全員亡くなるような事故があったとすれば、ニュースくらいにはなっているはず。そもそも田舎の話なのだし、そんな大事があれば格好の噂の的になるだろう。

 でも、彼らが自ら命を絶ったのだとすれば?

 一家がどんな問題を抱えていたのかはわからない。が、心中と言う最期を遂げたのであれば、残された親族が何らかの揉み消しを行ったとしても不思議は無い。

 でも……。

「私ね、全員分見ちゃったんだ。止められなかった」

 エイミーが鼻を啜る音が聞こえました。

 無機質な『死亡年月日』の印刷文字、全て同じ日付。

 平成●年、五月●日。

 エイミーは『松山』さん一家の、子供たちの生まれた日付を見ました。そして、亡くなった日から逆算して、子供たちの亡くなった時の年齢を割り出してみたそうです。

「一番上の子が、高校生くらい。一番下の子は……」

 松山桃子、享年十八歳。松山杉郎、享年十六歳。松山杏、享年十五歳。松山彬雄、享年十四歳……。

 謄本の束を捲るごとに、子供の年齢は幼くなって行きました。下の子ほど戸籍の後ろに記載されるので、当然なのですが。

 紙を捲りながら、エイミーは妙な汗が出て来るのを感じていました。役所の中に響いていたはずの呼び出しのアナウンスすら、聞こえなくなっていました。しん、と冷え切った頭の中で。エイミーはただ、子供たちの誕生日と死亡年月日が書かれた紙を凝視することだけに全身の神経を集中させていました。

「何で? 何で十歳の子が死ななきゃいけないの? 小学生の子も、幼稚園くらいの子も、皆……」

 松山桃花、享年十二歳。松山李花、享年十歳。松山桃枝、享年七歳。松山林蔵、享年五歳。松山梅香、享年三歳……。

 見たくないのに、見ずにはいられない。その時のエイミーの心情はそうでした。どんどん幼くなる子供の年齢、どんどん近づいて来る誕生日と死亡年月日。

 震える手で、最後の一枚を捲りました。

 松山桜花。

 誕生日は、一昨年の五月●日でした。

 そして、死亡日はやはり、昨年の五月●日。

 と、いうことは……。

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「一歳」

shake

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 耳元で、ぞくりとするような声が響きました。

 エイミーが慌てて振り返ると。

 そこには、綺麗な髪の毛を肩口で切りそろえ、清潔感のある化粧にシンプルな春物のカーディガンを着た女性が微笑んでいました。

 唖然とするエイミーの耳に、役所のアナウンスが飛び込んで来ます。ホールで順番を待つ人たちのざわざわとしたお喋り、職員同士の会話、主婦に連れて来られた子供の泣き声や、耳の遠い老人に職員が大声で話しかける声……全ての音が、一気に蘇って来たようでした。

 手が震えるのも構わず、エイミーは除籍謄本の束を差し出しました。そうしなければいけないような、何か脅迫されているような感覚があったそうです。

 春物の薄紫のカーディガンを着た女性は、当然のようにそれを受け取ると。微笑んだまま、除籍謄本のある個所を指さしました。

ベージュを基調に、端に薄紅の小さな水玉を二粒だけあしらったマニキュアが、やけに印象的だったとエイミーは言っています。

 『死亡年月日』の、更に下。

 届出人、松川さくら。

 届出人、とはその名の通り、役所に死亡届を提出した人を示します。エイミーが顔を上げると、カーディガンの女性は、やはり優しく微笑みながら、静かに首を振りました。

「可哀そうね。本当に、可哀そう」

 そして女性は、そのままくるりと背を向けると。鼻歌でも歌いだしそうな様子で、すたすたと軽やかに去って行ったそうです。

「あの人が『松川さくら』さんだったのかな。ううん、わかんない。でも、どうしてあんなに楽しそうだったの?」

 一家が、何故同じ日に亡くなったのか。

 事故だったのか、或いは私の予想通りの一家心中だったのか。

 仮に心中だとするなら、何故末の子の満一歳の誕生日を選んだのか。

 除籍謄本をエイミーが見つけたのが、一家の命日でもある『五月●日』だったのは本当に偶然なのか。

 赤の他人である私達には、知る由もありません。

「帰ってからネットとかで調べたんだけど。やっぱり、去年そんな事件は無かったみたいだし……」

 エイミーはその後、せめて地元のニュースに何か載っていないかと、わざわざ図書館に行ってまで去年の新聞を調べたそうですが。

「本当に、何にも無かった。っていうか、役所の人にもちょっと聞いたんだけどさ。プライベートなことはお答えできません、とか言いながら、うーん、何て言うかなぁ……『そんな女の人いたっけ?』みたいな態度でさ」

 戸籍謄本は個人情報の塊なので、普通に考えればカウンターに放置というのはあり得ないはずです。市役所の職員なら、猶更そのことはわかっているはずです。カウンターには役所の職員の目が届くようになっていますし、もし職員が放置された戸籍謄本に気が付けば、その場で持ち主を探すか、封筒に入れて隠すかはするでしょう。

 誰もそれをしなかった時点で、何かがおかしい。

「私、何か夢でも見てたのかな」

 白昼夢、ということにしておいた方が、良いのかもしれません。

 一歳で死んだ、不幸な子供など。

 十人もの子を道連れに死んだ、不幸な夫婦など。

 道連れにされた、不幸な子供たちなど。

 実際にはいなかった方が、ずっと良いに決まっています。

 でも。

「カウンターにさ、落ちてたんだよね……ベージュにピンクの水玉の、着け爪……」

 ティッシュに包んで、受付窓口の職員に渡すと。職員は少し困惑した表情で、『忘れ物』と書かれた箱に仕舞ったそうです。

 『松川さくら』が取りに戻ったかどうかは、わかりません。

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