従妹のエイミーから聞いた話です。生粋の日本人なのですが、仇名がエイミーなので作中ではこの名前で通すことにします。
尚、少しだけ昔の時代のお話となりますので、現代とは良識・常識等が多少異なっている点はご了承ください。
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高校生の頃、エイミーは霊感のある先輩と交流があったそうです。目が大きい先輩だったそうなので、仮にヒトミ先輩としておきます。
エイミーには優しかったそうですが、お世辞にも優等生とは言い難い人種だったようでして。現在はエイミーの夫であり、当時は男友達だった尾崎君と同様、不良……とまではいかなくとも、素行の悪い生徒として有名だったようです。
「授業は、わかんないからずっと寝てるかさぼるって。出席日数? 一応学校には毎日来てたけど、どうだったんだろ」
夏休み明けには、ヒトミ先輩の髪の毛は茶色くなっていました。当然生活指導(この言葉も、今考えるとわけがわかりませんね……アル中の万年ジャージ教師が、何の生活を指導すると言うのでしょう)に目を付けられるわけですが、染め直すことは無く。
「三年のクラスじゃ浮いてるみたいだ、って、尾崎君も言ってた。不良仲間みたいな人はいたけど、先輩霊感持ちだからなー」
やはり、何処かが違うと言うか、避けられてしまう部分はあったようです。
具体的な例を挙げますと。
皆が写っているだけの、何の変哲もない写真の空白を指さして、「ここに霊がいる」と騒ぐ。夜に人気の無い駐車場などにたむろしている時、「今霊の声が聞こえた」と言って、女子の不良仲間を怯えさせる。
そんなことが度々あり、それも嘘や冗談ではなく、本当に見えた、聞こえたと言い張るものだから、次第に孤立するようになってしまったとか。
「でも、実際に見えてるなら仕方ないと思うんだよねぇ。ヒトミ先輩だって好きで霊感持ちになったわけじゃないし。霊がいる、って教えてくれるのは、私が危ない目に合わないように気を使ってくれてるからでしょ?」
エイミーのような子は、何だかんだ、変わったところのある人間を惹きつけるのだと思います。
ヒトミ先輩も例に漏れず、エイミーを気に入って一緒にゲームセンターに出かけたり、立ち入り禁止の屋上で話をしたりしていたそうで。
度々霊感の話をする以外は、ごく普通の、面倒見の良い先輩だったそうなのですが。
「先輩、本当に凄いんだよ。フードコートでお茶してる時にさ、後ろに座ってる男の人の方、ちらっと見て。『女の生霊が憑いてる。酷い別れ方をした婚約者がいるはず』ってさ」
……言葉だけなら、何とでも言えます。口から出まかせだって、そもそも他人には『見えない』設定の霊なのですから、確かめようがありません。まともな人間なら、とても信じないような戯言……私だったら、先輩ということも忘れて笑い飛ばしたことでしょう。
実際、その方が良かったのかもしれません。
ヒトミ先輩の『霊感』は、エイミーが無邪気に信じ続けるのを良い事に、段々とエスカレートして行きました。
「ねぇねぇ、どうしよう! うちの学校、呪われてるんだって! 昔『コックリさん』をやった生徒が、ちゃんと帰って貰わなかったから、『コックリさん』の祟りで生徒に不幸が訪れるって!」
「うちの学校、墓地だったところの上に建ってるんだって! 先生は隠してるけど、校庭掘ったら人骨が出て来るはずだって!」
「理科室の白骨標本、あれ本物の人骨なんだってさ! お家に帰りたいって泣いてるの、ヒトミ先輩何度も見たんだって!」
……電話で毎週のようにこんな報告をされる私の気持ちを、ヒトミ先輩とやらは知っているのでしょうか。
私は話半分に聞きながら、とりあえず『霊感の無い人間には霊も手出しできないって聞いたから、安心するように』とだけ伝えました。
まあ、私以上に苦労していたのが、エイミーの男友達である尾崎君だったわけですが……。
「あのな、エイミー。ヒトミ先輩のことなんだけど」
ある日、尾崎君は言いづらそうにそう切り出しました。
今も昔もそうですが、男性には男性の、女性には女性の人付き合いというものがあります。尾崎君は当時からエイミーと仲が良かったのですが、エイミーの交友関係についてどうこう言うことは滅多にありませんでした。
「先輩、最近何か変なこととか無いか?」
尾崎君はこの時点で、何らかの異変を感じ取っていたのでしょうか。或いは、同じ不良仲間から、ヒトミ先輩の件で注意を促されていたのかもしれません。
「別に。何もないけど」
既に先輩の霊感話を当たり前だと思っていたエイミーは、不思議そうに首を傾げました。
「っていうか、尾崎君、また煙草吸った? 私、嫌いだって言ったのに」
エイミーが頬を膨らませると、尾崎君は幾分ばつの悪そうな顔をした後で。
「校舎裏で聞いたんだけど」
と、言い出しました。『校舎裏で』『不良仲間が集まって』何をしていたのかは、詳しくは書かないことに致します。
「ヒトミ先輩さ、最近その……霊感? ってのに、磨きがかかってきた、っていうか……そういうの、無いか?」
最近まで、ヒトミ先輩と一番親しくしていたのはエイミーです。エイミーは頭を捻って、ヒトミ先輩との会話を思い出しました。
「あ、それなら。何か、先輩を恨んでる霊に憑りつかれたかもしれない、って言ってた」
その瞬間、尾崎君の顔色が変わりました。
「本当に? 本当に先輩がそう言ったんだな?」
「う、うん……先輩みたいな霊感強い人でも、幽霊に憑りつかれちゃうんだ、って思って。でも先輩、自分で祓えるから心配いらないって言ってたよ」
お寺や神社の生まれでは無いし、特別な修行をしたわけでもない。
ですが、ヒトミ先輩には霊を祓う能力まで備わっているらしい。
この時点で胡散臭さ満点ですが、尾崎君は「そうか」とだけ言って、それ以上は追及しませんでした。
しかし、それが良くなかったのでしょうか。
ヒトミ先輩の『霊感』は、その日を境にどんどん悪化して行ったのです。
「やばいよ、紅玉ちゃん。先輩に憑りついてるの、かなり強い悪霊なんだって」
「もう何人も、霊感の強い人が殺されてるって」
「どうしよう。先輩、すっごく怯えてる」
電話口でのエイミーの様子が、切羽詰まったものに変わって行きました。
「酷いよ、誰も信じてくれないの。先輩、あんなに痩せちゃって……」
泣き出さんばかりのエイミーを宥めつつ、どうにか話を伺うと。
『悪霊』に憑りつかれたヒトミ先輩は、どんどん痩せて、顔色も悪くなっているそうです。肌も荒れて十代とは思えない程水気が無くなり、髪を染めたりするくらいお洒落だったのに、身なりにも構わなくなって皺と染みだらけの制服で登校するようになったとか。
「悪霊がいつも、先輩を監視してるんだって。歯までぼろぼろになっちゃって……先輩、あんなに綺麗だったのに……」
エイミーは声を詰まらせました。
私はこの時点で『ある可能性』について考えていたのですが。ヒトミ先輩とエイミーの気持ちを考え、今回はちょっとした探りを入れるだけにしておこうと決めました。
「……え? 先輩が香水? うん、使ってるけど……食欲は無いみたい……悪霊のせいだよね。……ああ、生理不順? それも悪霊のせいだってさ」
私はいくつかの質問に答えて貰うと。その日はそれ以上の追及はせず、ただエイミーと先輩を気遣うようなことだけを言って、電話を切りました。
もう遅い時間ではありましたが、私にはもう一つすることがありました。私は父のスコッチウイスキーを口に含んで気合いを入れると(当時私も高校生でしたが、大目に見てください)、エイミーに以前聞いておいた電話番号を押して、受話器を耳に近づけました。
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「……もしもし? 尾崎君?」
会ったことも無い従妹の男友達に電話する、この緊張感は味わった者にしかわからないでしょう。私は電話の向こうにいる、思いのほか低い声の主に向かって自分の推論を述べると、一度深呼吸して再びウイスキーを口に含みました。尾崎君は一度も口を挟まずに私の話を聞き終えると、一言『わかった』とだけ言って電話を切りました。
数日後。
エイミーから、また電話がありました。
「今日ね、尾崎君がヒトミ先輩と話してた。何の話? って聞いたら、先輩の悪霊の事だって」
もう先輩一人では手に負えないだろうから、専門家に頼むしかないだろう。エイミーは『専門家』という言葉を、プロの霊能力者か、或いはお寺のお坊さんだと解釈したようですが。
「ヒトミ先輩、泣いてたの。学校の先生もさ、見て見ぬ振り、っていうの? 先輩の事、空気みたく扱ってるって。先輩のお父さんとお母さんもそんな感じみたいでさ、酷いよね。先輩はあんなに悪霊に苦しめられてるのに」
ひとつ言っておきますが、エイミーは悪くありません。彼女は彼女なりに、ちゃんと先輩を心配しているのです。
ヒトミ先輩の『霊感』という嘘を、この時点でもまだ信じていたのは、エイミーただ一人でした。
青ざめた顔に痩せた体を引きずって、先輩はそれでも毎日学校には来ていましたが。次第に、エイミーのことも避けるようになりました。ただ青白くやつれたと言うより、土気色と言った方が相応しいような、何とも表現できない顔色だったようです。
「先輩は悪くないんだよ、全部霊が悪いんだよ、って言ったら、先輩、また泣き出しちゃって」
ほとんど全て、私の予想通りでした。やせ細っているのに食欲は無く、酷い便秘と不眠に悩まされていました。
染めていた髪は頭頂部だけが黒く伸びて斑になっており、歯は脆くなって、少し欠けてしまっていました。
「先輩ね、学校辞めるんだって。尾崎君が言っていたみたいに、専門の人にお祓いしてもらって、その後で霊能者の修業もするから暫く会えないって」
すすり泣きながらエイミーが電話してきた夜、私は何とも言えない気持ちになっていました。
これで良かったのだろうか。
いや、これで良かったんだ。
エイミーが事実を知るのは、もっとずっと後になってからで良い。
ヒトミ先輩だって、その為に霊感があるという嘘をずっと貫いて来たんじゃないか。
それで、尾崎君は何て言ってるの?
私の問いに、エイミーは鼻を啜って答えました。
「仕方ない、って」
ヒトミ先輩が学校に来た、最後の日。先輩は土気色の顔でエイミーの教室を訪れると、ぎょっとしたようなクラスメートと、警戒するような顔の尾崎君を見て、力なく微笑んだそうです。そしてエイミーと尾崎君を連れて、一緒に屋上まで上がったとか。
「何か先輩、ちょっとすっきりしたみたいな顔してた。ちゃんとお祓いしてもらえるって決まったからかな」
購買の缶ジュースを片手に、先輩は照れたように笑って、もう悪霊に勝たなくても良いや、と言ったそうです。エイミーが驚いていると、強い霊能力者になりたかったわけじゃないから、と。
「あんなに凄い霊感持ってたのに、勿体ないなって思っちゃったよ」
ヒトミ先輩が納得しているようだったので、エイミーもそれ以上は何も言いませんでした。先輩はエイミーに向かって、『霊感』を使って見たエイミーの未来のことを語りました。
「私はきっと幸せになれる。先輩みたいに悪霊に憑りつかれたりはしないって。私が、先輩だって幸せになれるよ、って言ったらまた泣き出しちゃって」
ヒトミ先輩は、随分涙もろくなっていたようでした。
味方と呼べる存在が、エイミー以外にいなくなっていたからでしょうか。
尾崎君は何も言いませんでした。
ただ、屋上の手すりに寄り掛かって、黙って曇り空を見上げていたようです。
翌日から、ヒトミ先輩は学校に来なくなりました。
エイミーは暫く寂しそうでしたが、そもそもエイミーや尾崎君が入学できるレベルの学校なので(失礼)、素行の悪い生徒が途中でいなくなることは、さほど珍しくもありませんでした。
「尾崎君も、先輩にはあれが一番良かったんだ、って言ってた。やっぱり、仕方なかったのかなぁ」
あれから今日まで、ヒトミ先輩がどうなったのかは不明なままです。どうにか立ち直って、『霊感』に囚われない平和な日々を送っていてくれれば良いのですが。
ヒトミ先輩がいなくなって数日後、尾崎君から私に連絡がありました。
「シンナーじゃなかった。風邪薬だってよ。薬局何件も回って買い漁ってたって、先輩と同じクラスの女子が言ってた」
私と尾崎君が、エイミーに対して口を閉ざしたのには理由がありました。ヒトミ先輩に霊感なんか無いということくらい、エイミー以外の人間はとっくに気付いていました。
でも、エイミーだけは先輩の『霊感』を信じていたから。
先輩にとっても、エイミーにだけは『悪霊の所為』という嘘を信じ続けて欲しかっただろうから。
「機会が来たら、俺からエイミーに話すよ。ありがとう、姉さん」
この時点で尾崎君は、私を従姉ではなく、何故か『離れて暮らしている実の姉』だと勘違いしていたようです。
まあそれは良いとして。
尾崎君もこの一件以来、きっぱりと煙草を辞めたようです。煙草の匂いが本当に嫌いだったエイミーが、嬉しそうに報告して来たので間違いないでしょう。
ふーん、良かったね。
そんな返事をしつつ、私は数センチ程も減ってしまった父のウイスキーの瓶を眺めて、酒も程々にしないと、私も幽霊を見るようになるかもな、と、密かに気を引き締めたのでありました。
作者林檎亭紅玉
未成年飲酒に関しては反省しております。現在も幻覚を見る程は飲んでいないので、勘弁してください……