長編9
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ロボットダンス

本物っていうのは、こういう人のことをいうのだ。

僕はステージの上で踊る1人のダンサーを見て、そう思った。

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自宅から車で20分もかからないところにあるイオンモールのあるひと区画で、ロボットダンスコンテストが開かれることを知ったのが3日前。

僕はダンサーの端くれとしてぜひ他の人のダンスを観ておきたいと思い、貴重な休日の時間を割いて赴いたものの、実を言うとそんな僕の心は、まるで踊ってはいなかった。

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こんな田舎のイオンで、それもステージは普段は地場産商品を販売しているスペースに即席で設えられた小さなものだったから、どうせ参加する人もそれを観に来る人も、ダンスのダの字も知らない素人ばかりだとたかを括っていたのだ。

でも、まさかこんなところで「本物」に出会うとは。

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僕は相変わらずステージから目を離せないでいた。

その視界の中心では1人の男が、まるで水を得た魚のように踊っていた。

ロボットダンスというとカクカクした動作のイメージが強いが、彼のダンスはそういったロボットらしさよりも、人間の体が本来持っているしなやかな動きが特に目をひいた。

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しかし、そのしなやかさはかえってロボットの生み出す機械的な動きを増幅させていて、例えばアートの世界で自然を誇張したいならその反対の存在である人工物を置いてみるように、彼の人間らしさがロボットの動きを誇張し、また、そのロボットの動きが彼をより一層人間たらしめていた。

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他のダンサーが必死にロボットになり切っている中、彼は決してロボットの真似をしているのではなかった。それどころか、まるでロボットが人間のふりをして踊っているような、そんな不思議な感覚を観る者に覚えさせる彼のダンスは、間違いなく本物の部類なのだと僕は震えながらに思った。

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思えば、彼は登場の仕方から他とは違っていた。みなが緊張しながら挨拶したり、自信ありげにふざけたりしているのに対して、彼がステージ裏の仕切りから姿を現した時には、もうすでにロボットなのであった。

そしてそこから挨拶もなく、楽曲が流れ出すとともに滑らかにダンスがスタートしたので、スタッフとその演出について事前に相談したのだと思うと、僕はそのプロ意識に脱帽せざるを得なかった。

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プロ意識といえば、彼は服装にも相当なこだわりがあるように見えた。

七分丈の白地のシャツにデニムという一見普通に見える服装は、腕や足の関節部分にバンドのような模様があった。

しかしそれはよく見てみると、一本の糸をいくつも重ね縫いしてできた、いわばミシン糸の束なのであった。

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その糸の一本一本はまるで彼の肌に直接縫われているようで、関節の激しい曲げ伸ばしにも関わらずその服装が彼の体と一体になっているところに、よりロボットに表される機械らしさが感じられた。

また、髪型は綺麗に剃り上げた坊主頭で、それが彼の服装が醸し出す雰囲気により意味を持たせている気もするが、それは考えすぎだろうか。

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とにかく、僕を含めその場にいた観客の全員が、声ひとつ発さずに、彼のすべてに見入っていた。

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しかし、彼の演技も終盤に差しかかろうとしている時、僕の意識は、その素晴らしいダンスにではなく、彼の手に注がれていた。

それも、彼の爪の存在を執拗に主張する、赤色のマニキュアを目で追っているのでも、ましてや、両手首にしているミサンガまでが、皮膚に縫合されていないかを確かめようとしたわけでもなかった。

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僕は、そんな手の細部ではなく、その手全体を見ていたのである。

そして、その手は、つい先程に見たことのある手だということを、僕は飛んでいる蚊を追う目線の動きをしながら、つまり彼の手を追いかけながら、考えていた。

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あれ。そういえば。

僕の疑問は、まるで蚊を潰す無慈悲な手のように素早く移ろいだ。しかし、次に浮かんだ疑問は、彼の手について抱いていたそれよりも、もっと重大なものに思われた。

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-彼は、いつからまばたきをしていない?

僕は、それに気づくまでは、相変わらず彼の手を見ていた。

それにもかかわらず、彼の目に異常を感じとったのは、その手を含め彼の体全体から、何かしらのよくない雰囲気を汲み取ったからであった。

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そして、人の様子を伺いたい人間のとる行動といえば、その人の目を見てしまうことなのではないだろうか。

そこで、僕はやっと、彼の目が、もう随分と見開かれたままだったことに気づいたのだ。

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もちろん、まばたきをしないことすらも、彼のロボットダンスにおける演出と考えれば、僕は彼のプロ意識に再び脱帽しなければいけなかった。

しかし、あれだけ上手かった彼のダンスは、もはやプロのものとは言えないように、衰えて見え始めた。

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先程までの彼のダンスが相当に上手いと思えたのは、いくら彼がロボットに近いとはいえ、その体は人間の肉体であって機械ではないことを前提としていたからだった。

それが、彼の目がまるでロボット(あるいは、人形?)のようにまばたきをやめた時、彼の体もまた人間であることをやめてしまったかのように血の通っていた部分を失った。

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そして、僕たちはロボットが踊っているのを見て、決してロボットダンスが上手いとは思わないように、彼のダンスを見ても、先程のように上手いと思う人は、もう全然いなかったのだ。

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…本当に、人間?

つい声に出してしまったその疑問に、僕の前にいた中年の男は振り返った。

しかし、その中年の目は、明らかに、自分への賛同をたたえていた。

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ステージ上で彼の半開きの口は真っ黒な空洞となっていて、せめてその中に白い歯や唾液に濡れた舌でも見ることができればと、僕は彼の口元に意識を傾けたが、そんな僕の願望は叶わなかった。

彼の両手足はだんだんと動きを早め、その合間合間に雑音のような間断を挟むので、観ている者は、もはやそれが、壊れたロボットであるとしか思えなかった。

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彼、というよりも「それ」は、用意した楽曲が終わってもなお、壊れたロボットであり続けた。

手足の関節が無感情に折れ曲がるたびに、錆切ったブリキの軋む音が聞こえる気がした。

それでいて、その縫い合わせたような繋ぎ目からは、人間らしい鮮血が、いまにも吹いてしまうのではないかという不気味な予感があった。

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会場全体に先程までとは違う驚嘆が広がり始めた時、ようやく、スタッフであろう数人の男が出てきて、停止スイッチを見失った彼を担ぎ上げるや、仕切りの裏へと引き下がった。

そして、これから言うことが十分に信用されるために、スタッフの1人が間髪入れずに出てきて、「さっきのダンスは、実は最新のロボットによるものです!皆さん、拍手ー!」と、努めて明るく、しかし顔面蒼白に言うのであった。

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自分以外の周りの人間は、面白いように簡単に騙された。あるいは、彼らは自ずから、騙されにいっているのかもしれなかった。

彼らもまた、ステージ上の男と寸分違わない、青白い顔をしていたのである。

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それから、彼らのそれぞれの内に思うことを、まるで一つにまとめて掻き消すかのように、これまでに聞いたこともないような拍手の嵐が、イオンモール一階の地場産コーナーに、鳴り響いた。

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そんな盛大な拍手の後、周りからは「なんだロボットかー」とか、「ロボットにしてもすごくね」とか、安堵と興奮と、少しの失望が混じった捏造の声が、口々に聞こえてきた。

もちろん、僕は彼らのどの言葉にも共感できないでいた。

なぜなら、僕は、彼が人間であることを、すでに知っていたからである。

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僕は、彼の手の既視感の正体を、ついに捕まえていた。その手は、このコンテストが始まる前に、トイレの洗面所で見た手だったのだ。

そして、その手は、震えていたのである。それも、手洗いの水を切るためにではなく、その手のひらをしっかりと洗面所のふちに置いた上で、まるで何かに怯えるように、それでいて何かに立ち向かうように、わなわなと震えていたのである。

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その時の彼は、いまの奇抜な衣装ではなく、また頭にはニット帽が被せられていたから、ステージ上の彼とは全然違っていた。

しかし、ただひとつ変わらなかった彼の手だけが、あの時の彼と、おそらくステージ裏にいるであろういまの「彼」とを結びつけていた。

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僕は、自分の手を見て、途端に得も言われぬ恥ずかしさに襲われた。それは、彼の手と自分の手を、無意識に比べてしまったからであった。

自分もダンサーの端くれであったが、本番前にあそこまでこの手が震えたことは、果たしてあっただろうか。

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しかも彼は、自分が散々馬鹿にした、こんな小さなコンテストの直前にも、まるでオリンピックやブロードウェイの舞台前でもおかしくないほどに、左右の手を支え合うこともせず、必死に自立した上で震えていた。

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あの時の彼は、他の何よりも、彼自身と向き合っていたのだと思った。

彼は洗面所の鏡と目を合わせられないでいた。それは、たとえどんなに小さな舞台であろうが、自分が露わになる目の前の機会が恐ろしかったのだろう。

そして、それを乗り越えるために、自分がこれまでどのくらいに努力してきたかを、確かめていたのだろう。

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そうして顔を上げた時の彼の目は、もうすでにまばたきを忘れていたに違いなかった。

そして彼は、その手で掴んできたものを惜しみなく発揮し、ステージの上で見事ロボットになったのである。

しかし、彼は、決してロボットなんかではなかった。

ロボットとなるために震える彼の手を、いったい誰が、人間の手ではないといえるのか…。

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僕の手は、そんな彼の手が掴んできた何かによって、びっしょりに汗をかかせられていた。

彼以上に力不足で、彼以上に手抜きないまの自分の手は、この上なく恥ずかしく、また、これから先も彼と同じようには震えることはできないと思えたのであった。

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依然として、その会場は騒然としたままだった。

子ども達が数人、ステージの横でさっきのダンスの真似事をしていた。ある者はまた、仕切りの裏を覗こうと必死に首を伸ばしていた。

僕にはそういった光景が、一種の悍ましいものとして脳裏に焼きついた。

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僕は、どう足掻いても、その光景の一人に過ぎなかった。

僕はたまらず、そのステージに背を向けた。そして、随分とぎこちなく、その場から離れようと必死に歩き出していた。

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仕切りの向こう側の「それ」は、いまどのような姿をしているのだろうか。

それを直接見る勇気もなく、体の震えをそのままにすごすごとステージを離れた僕には、全然わかるはずがなかった。

その時の自分の体の震えは、得もしれぬ恐怖によるものだと自覚していたが、それが最初に彼のダンスを見た時に出た震えと全然違うものであるとは、僕にはどうしても思えなかった。

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ステージが完全に見えないところまで来ると、僕は自分にダンスを教えてくれた先生に電話をかけた。

そして先生が電話に出るなり「今日でダンスを辞めます」と告げると、しばらくのやり取りの後、電話の奥からは、怒りにも、失望にも聞こえる沈黙が流れてきた。

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でも、僕はそんな電話の向こう側を、ちっとも恐れてはいなかった。

あの仕切りの向こう側に比べれば、先生の沈黙なんて、全然優しく思えたのだ。

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つまり、僕には「それ」のいる、仕切りの向こう側というものが、現実とは遠くかけ離れた、芸術の向こう側の世界とつながっているような気がして、その裏側を確かめる勇気のない自分には、到底ダンスを続ける資格がないように思えたのであった。

そして、「それ」と同じステージに立つ道を、スマホの電源とともにすっかり断ち切ってしまったいまの自分には、意外にも、ただ満足げな充足感が残るばかりであった。

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そのままイオンモールを後にした僕は、またいつかここに、雑多な買い物をしに来る日があるだろう。

が、その時には、あの小さなステージと、その裏側の疑問は、跡形もなく消えているのだと思った。

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そんな僕にも、ひとつだけ、自信を持って言えることがある。

人間かロボットかわからなくなった「それ」のダンスは、誰がなんと言おうと「本物」であった。

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それだけは、僕がこの目で観たのだから、間違いようもないのであった。

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