「………さて、何処迄話したかな」
網茂(あみしげ)教授が、私に訊ねる。
「青森空襲に使われた焼夷弾の話迄です」
青森空襲にて米軍が落とした焼夷弾が、従来のM69で無く威力を増したM74が使われたのだと言う話を聴いていた。
「そうだった………で、世界初の原爆実験の行われた際、日本時間は7/16の5:30だった事は以前触れたが………4日後に、更なる訓練が行われる。これだ」
「?!」
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長崎に落とされた原爆の「ファットマン」を彷彿とさせる代物の画像に、私は不安感すら覚える。
「模擬原爆のパンプキンだ。パンプキン爆弾とも言われている」
「これが………」
「全国に49発落とされて、死者400人、負傷者2,000人を出したとされる」
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1945(昭和20)年7月20日、F島県F島市W利地区───
少年が朝から草取りをしている。
「………いや、暑いな今日も」
自分でやらせてと頼んだ仕事なので、汗をかきつつも、少年は充実感を味わいながら手拭いで汗を拭う。
直後、
「逃げっぺっ!!B-29だべした!」
「えっ!」
空襲警報が鳴り出し、近所のおじさんが叫んで少年にその場を離れる様に指示する。
「あっ!!」
ドゴォォォォ─────────────っ!!バリバリバリバリ!
轟音と共に、激しい爆風が吹き荒れ、衝撃で瓦屋根が吹き飛ぶ。
8:34、F島市W利地区に模擬原爆のパンプキンが落とされた。
そして、有ろう事か犠牲者は、あの時草取りをしていた中学一年生の少年一人であったのだ。
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「その少年が、成仏出来ずにさまよっていると言う劇が、2006(平成18)年に創作され上演されたと言う話だ」
「大阪の方では、もっとむごたらしい証言が有ったと聞きます」
もう一人の学生が、眉間に皺(シワ)を寄せながら、額に汗をかきながら、教授に向かって話す。
「その通りだ………少年一人が犠牲になった際の投下され爆発した場所は田んぼだったが、大阪の方だと民家の在る場所に落とされて、犠牲者の一部が電線に引っ掛かる事態が起きたと言う」
「一部って………」
(訊かないが吉だろう………)
血まみれの衣服や、明らかにちぎれた肉片が引っ掛かっている惨状を想像し、私もゾっとする。
「そして、そこから約半月後に起きる悲劇は、皆想像がつくだろう………絵本の話で済まないが、『原爆の落とされた日は好き勝手に水を飲むなよ』なるフレーズが有ったが、今は熱中症が懸念される。だから、私は『申し訳有りません。水分を頂きます』って、あの日が来たらそんな風に拝んでから水分補給するんだ」
噛み締めながら、私もだが他の学生諸氏も、教授のついでくれた麦茶を飲み干して、教授の顔を凝視する。
穏やかに頷く教授、何でも模擬原爆の話が表面化したのも此処30年と言う話なのだから、毎年数千人の原爆死没者が判明しているのと同じく、戦争の闇がまだまだ深いのだと思わずにはいられない。
───陸奥学院大学の研究室にて。
作者芝阪雁茂
変な話と言うより、今回は重い話を御送りします。
陸奥学院大学なる名称と、学生のやり取りはフィクションでありますが、台詞に出て来る焼夷弾から犠牲者の惨状は、証言記事や資料に基づくノンフィクションであります。