日曜怪談「惣右介シリーズ そのニ」

長編8
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日曜怪談「惣右介シリーズ そのニ」

惣右介シリーズ①「足吊川」

  第一話 とある逸話

 ▷ 第二話 惣右介という男

  第三話 善行

  第四話 女将と監獄

  第五話 夜の帳が上がれば

  最終話 帰路

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田園風景の中を、3両しかない橙色の電車が走っている。

都会では決して聞くことのできない精錬された鶯の声が、澄み切った空気によって声高に響いている。

やがて電車は川にかかった橋を越えると、辺りは一転、苔のむしたような緑の山々に囲まれた。

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しかしそんな窓外の景色を見ずとも、田舎特有の豪快な車体の振動が、その電車に乗っている1人の男に、ここが遠地であることを知らせていた。

その男こそが物語の主人公、松永惣右介(まつながそうすけ)である。

彼はひょろりと細長い足を組み替えると、先程目下にチラリと見えた川が足吊川の上流であることを思った。

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そしてもう一度見えるものかと窓外に顔を向けるが、すでに電車はトンネルに潜っていた。

真っ暗になった窓には、ひょうきんそうな丸眼鏡と鼻の下で整えられた髭の顔が、何かを逃した時の渋い顔となって、こちらを見つめていた。

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彼がこのような遠地に赴くことになったきっかけは、彼の勤めている会社の社長との、切っても切れない縁にあった。

そもそも、彼がその会社への入社を決めたのも、面接当日の朝に助けた老人が、偶然その会社の社長だったというなんともベタな展開があったからである。

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実は、老人を助けるという彼の思惑は、決して褒められたものではなかった。

就職活動をすること自体に疑問を抱いていた彼は、面接会場へ向かう駅の、上り階段の前で佇む大荷物の老人を見かけたとき、その日の面接を反故にする言い訳を見つけたと、内心嬉々として駆け寄ったのだ。

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階段を上る老人の補佐くらいでは、面接を受けられないほどに時間は食わないはずだが、この時すでに、集合時間まで30分を切っていた。

次の電車がまもなくこの駅に到着することも、それを逃せば面接にはもう間に合わないことも十分理解したうえで、それでも彼は老人の荷物を手にとった。

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そして、どこか気持ちいいほどの清々しさを感じる惣右介の顔を見て、社長であるその老人は、1時間後に再び面接会場で顔を合わせたその瞬間に、彼の採用に踏み切ったのであった。

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困った人を放っておかないことも、面接を反故にするといいつつそれを詫びるために律儀に会場まで赴いたことも、彼の人柄のよさとして人の目にはつくかもしれない。

それでも彼の自分に対する自己評価は、決して高くはなかった。

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これまでの彼の行いは、嫌なことから逃れたいから、そして、周りの目があったからで、もし誰の目からも解放された自分は、決して褒められるべき人間ではないと思っていた。

どうせ入社したこの会社からも、いつかボロが出て追い出されるかもしれないと、他の新卒者がやる気に満ち溢れているなか、彼ひとり浮かない顔をしてすでに半年が経とうとしていた。

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しかし、彼が会社はクビになるどころか、結果として一度ならぬ2度までも、社長を救うことになった。

それによって社長からの彼に対する信頼は、いよいよ揺るぎないものとなった。

彼の鼻の下の髭は、新卒でありながらもそのような身だしなみが許されているというなによりもの証拠であった。

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実際には、救われるのは社長ではなく、その愛娘であった。

彼自身にはなんてことはなく、ただ車の行き交う路上を歩いていた幼女をたまたま発見して、歩道へと連れ戻しただけであった。

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しかし助けられた幼女は偶然にも社長の娘さんであり、父としての彼が娘を溺愛していることは社員のみなが知っていて、惣右介は散々英雄扱いされた挙句、新卒者としては一種の名誉でもある、有給休暇を誰よりも早く与えられた。

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この話は、社内だけの武勇伝にとどまらなかった。

彼の行為はその長い手足できゃっきゃと車道に繰り出す幼女を捕まえ、歩道に連れ戻したという、ただそれだけである。

その行為は聞く人によれば、誘拐を見つかったときの言い訳だと思われても仕方のないものであった。

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そんな彼は噂の中で、颯爽と現れては、行き交う車をものともせずに幼女を助けた勇者となり、最終的には、そのために足首に治らぬ傷を負った英雄にまでなっていた。

そしてむくむくと成長した噂話は、ついに警察の耳にまで届いた。

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あろうことか警察は、その噂話を信じてしまった。

後日彼を警察署のとある一室に招待すると、銀髪のさわやかな署長はめいっぱいの誠意を込めて、彼に感謝状を手渡した。

もちろん、彼はそれを受け取った。

しかし、内心はむしろ罪悪感でいっぱいであった。

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彼は何度、本当のことを言い出そうと唇を舐めたことか。

それでも誰かに武勇伝を褒められるたびに、彼は素直に喜ばなければいけない気がして、ついに礼状を受け取るその日まで、彼は自分の言葉を言うことができなかった。

それは彼の人の良さであり、また、意気地なしなところでもあった。

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話をもとに戻すと、今回の彼の旅路は、そんな偶然の産物となった有給休暇に、以前より行ってみたかった足吊川への旅行計画を立てたことから始まった。

名は体を表すと言ったものか、彼の興味は民俗に大きく傾いていた。

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特に、自然と結びついた人々の慣習に、彼は深く関心を抱いていた。

彼が今回の旅路の舞台として、足吊川の下流に位置する「糸丈町(しじょうまち)」を選んだのも、ひとえに足吊川の逸話と町の暮らしが、密接に関係しているからであった。

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糸丈町は、江戸時代より小さな河口地域の町として細々と営まれてきたが、ひょんなことから観光業の一時代を築き、のちには宿場町並みの大きな町へと変貌を遂げた。

ここではその経緯について詳しい説明は省くことにするが、「足吊川」の名前の由来となったある役人の死が、この町に不気味な恐怖の記憶を刻み込むとともに、観光地としての名誉をもたらした。

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この町についてよく知ることのできるエピソードは、やはり川にあった。

その一つとして、この川における投網での漁を禁止するという町の掟は有名である。

正確には「袋状のものでの魚の捕獲」が禁止されているのだが、それはたとえ網のように穴が空いているものでも、魚と一緒にこの川に漂う怨念までもを掬い上げてしまうという逸話からきていた。

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一説によると、その掟を破った漁夫が、散々悪夢にうなされた挙句に息を引き取ったという話を、惣右介はこの町に関するネットの記事で読んだ。

所詮ネットの記事であり、内容の信憑性には疑問を持たざるを得ないが、例の記事が言うには、その漁夫の死体からはほのかに潮の香りがしたらしい。

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それには、糸丈町が足吊川の汽水域に位置することが関係していた。

汽水域というのは、海水と淡水の混じり合ういわば「海と川の境界」であり、生き物が豊富に生息する反面、潮の流速の関係で泥が溜まりやすく、また、その泥は悪臭を放ちやすいという特徴がある。

足吊川の逸話の舞台となった場所は、その中でも比較的海に近いところであった。

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そのため、川であれども潮の満ち引きの影響をもろに受けた。

その影響は観光人にとっては造作のないものでも、逆さに吊るされた「彼」にとっては命を分つ重大な要素であった。

潮が引いている時はいいものの、一度潮が満ち始めると川の水嵩は増し、彼はいっそう溺死の恐怖にさらされなければならなかったのだ。

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また、川の水嵩の増減に関係することとしては、「彼」が吊るされていた期間は、まったく雨が降らなかったという話もある。

それも、彼が溺死を免れるために、常に晴天をお天道様に拝み続けたせいだろう。

そのためこの地域では、てるてる坊主を逆さに吊るすことが、晴れの祈願を意味するらしかった。

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これまでのはあくまで糸丈町の特徴を成す逸話であるが、この地域に深く蔓延る「悪習」としては、民俗関係をはじめ、さまざまな文書の改竄があった。

つまり、正確な事実はもはや何ひとつわからないのだが、この物語の主人公である惣右介は、そこにさえ魅力を見出していた。

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自然と密接な民俗話という以外に、もうひとつ、糸丈町や足吊川が彼の心を掴んで離さない理由があった。

それは、彼が無類の「不完全」好きということにあった。

自然というものもまた、時に人々の想像の範疇に当てはまらない、いわば「不完全」なものであるが、彼はそのような何か不完全なものへと強く惹き寄せられた。

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ここで彼の昔のエピソードをひとつはさむとすると、彼は夏休み課題の読書感想文でひどく怒られた経験がある。

おそらく中学生の時代であるが、彼は宮沢賢治の『風の又三郎』を題材にして作文を提出したことがあった。

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しかし、『風の又三郎』は、知る人ぞ知る「未完」の作品である。

未完の作品は、本来感想文に適切とはいえないだろう。

この作品は作者の死後に発表されたもので、もう2度と完結はされないのであるが、惣右介はそこにこそ、創造(想像?)意欲を掻き立てられた。

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そしてひと夏かけて出来上がったものは、感想というよりも独自に作り上げた作品の続きや世界観の解説が主な内容であった。

挙げ句の果てには、それを描く作者に焦点をあてられたあとがきのような形で、未完成だからこそ作者が苦労して執筆する姿がよく表現されていると、たいそうな自信を持ってつらつらと紙の上で述べたてていた。

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この作文は当然ながら、当時の国語教師の理解を得られなかった。

作文を認められないだけならまだしも、その一件で彼は国語教師陣に嫌われてしまい、後期の通知表では、国語だけ、クラスで最低評価の"2"をつけられていた。

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当然彼はその評価に納得できなかったが、年上の大人に歯向かう勇気を持ち合わせてはいなかった。

結局彼は異議を申し立てる代わりに、今と変わらない渋い顔で、評価の"2"の文字を、何度も何度も指でなぞっていた。

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ともかく、彼は昔から完全でないものに傾倒する傾向があって、足吊川の逸話というものが不完全で曖昧なものである点に、よりいっそう旅先としての適正を見出していたのだった。

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やがて彼は、逸話の中心地から最寄りの駅となる「東糸丈駅(ひがししじょうえき)」に降り立った。

時計を見ると、まだ午前も10時を越していなかった。

眠い目をこすって早起きした甲斐があったと、彼は得意げに丸眼鏡を押し上げた。

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彼はあの面接の一件以来、常に腕時計をするようになっていた。

それは何も時間を守るためだけでなく、時には時間を守らないためにも、やはり時間というものは知っているに越したことはないという経験を得たからであった。

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それから彼は、スマホのナビゲーションに沿って歩いていたが、その必要はないとわかり、電源を切ってポケットにしまった。

駅の周りには至る所に矢印の看板が設置されていて、この町が昔も今も観光地として栄えていることを証明していた。

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駅より北へ数分歩くと、右手に足吊川、その奥に海を見ることのできる河川敷へとたどり着いた。

河川敷にはジョギングコースの地図とともに、逸話の中心地、つまり「彼」が吊り下げられたといわれる場所へは徒歩で5分かかることを示す看板があった。

彼はとりあえず宿に荷物を置いて、観光はそれからゆっくりすることにしようと考えた。

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そしてそこから東へ、ほのかに漂う海の香りを感じながら歩いていると、やがて今晩お世話になる宿「涙そう荘(なだそうそう)」の建物が見えた。

・・・・・・

足吊川 第二話「惣右介という男」了

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