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「惣右介シリーズ その三」

長編8
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「惣右介シリーズ その三」

惣右介シリーズ①「足吊川」

  第一話 とある逸話

  第二話 惣右介という男

  ▷第三話 善行

  第四話 女将と監獄

  第五話 夜の帳が上がれば

  最終話 帰路

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前回のあらすじ

この物語の主人公、松永惣右介は、足吊川の下流に位置する糸丈町へと赴いた。それは有給休暇中の旅行であり、民俗的な興味と「不完全」なものが好きという嗜好から、彼は足吊川の逸話に惹かれた。逸話の中心地からの最寄駅に降り立った彼は、ひとまずは荷物を預けるため、今晩お世話になる宿「涙そう荘」へとたどり着いた。

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その建物は、ひと言で表すなら「異様」であった。

宿といいつつもそれは民宿ではなく、法律的には旅館に分類されるほどの、それなりの大きさがあった。

一般的な四角い家屋ではなく、その建物は円筒のように丸みを帯びていて、漆喰の壁は西洋の観光地によくみる近代的なホテルを思わせた。

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しかし、そんな外観に似合わず、民宿の携えるアットホームな雰囲気がどことなく漂っていて、また、予約をするためにホームページでその外観を見たときから、「何かに似ている」という違和感が拭いきれなかった。

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惣右介は額に浮かんだ汗をハンカチで拭き、自動ドアをくぐった。

中に入ってみると、さっきの違和感ははち切れんばかりに膨らんだ。

その外観がいわば洋風に偏っているならば、内装もまたそうであると勝手に思っていたが、見事に裏切られたのだ。

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そこには、畳もあれば、障子や囲炉裏なんかも目に入った。

フロントの時点でそうなのだから、きっと各部屋も和室に仕立てられているのだろう。

惣右介は思わず、故郷の家族のことを思い出していた。

ここは旅館であり、旅館ではないような気がした。

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仕切りのない、あっぴろげな、どことなく家族のような感じ…。

しかし、建物に抱いた違和感の本当の正体は、ついに掴むことができなかった。

「よくいらっしゃいました」

「こちらこそ」

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彼は出迎えてくれた女将に挨拶をして、時勢の言葉を二、三かわした。

彼女もまた、和風な内装によく似合う、和服に身を包んだ日本の美人であった。一方で、目鼻のくっきりとした顔立ちは、それによって和服に一切のしわをつけていないのだと思わせるほど、凛としていた。

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彼女に連れられて、惣右介は奥のロビーへと歩いた。

そのロビーはフロント横の渡り廊下を進んだところにあって、いわば中庭の中央に位置していた。

そんな配置の旅館は、旅好きの彼にも初めての体験であった。

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窓ガラスからは、和洋入り混じったさまざまな草木を見ることができた。

その生い茂る草木のように、彼の心の内で好奇心が成長する。

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ロビーの一画に招待され、惣右介は指し示された椅子に腰掛けた。そして、渡された用紙の記入欄を埋めるように言われ、その通りにした。

しかしペンを動かしながらも、頭は別の場所で働いていた。

そして内に募った違和感が、彼女への質問という形で外に出ようととした時、

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「きょうはおひとりですか?」

と彼女に先手を打たれた。

そのひと言から、惣右介は彼女の整った顔立ちに感じたのと同じ、凛とした態度を感じた。

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彼女は、簡単には言葉にできない「強さ」のようなものをその内に隠しているように思えた。

また、明かしたい疑問がひとつ増えた。

「ええ、ひとりです」

それ以上言うこともなく、再び沈黙が訪れた。

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しばらくはペンが紙を叩く音が二人の間に響いて、ようやく記入欄を埋めた時、惣右介は再度質問しようとした。

しかし、それも彼女に制されてしまった。

それも女将は、惣右介の書いた名前の欄を見て、笑ったのである。

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彼はそれを、不快に思うはずもなかった。

むしろ彼女の笑顔は、まるで野原に咲いた大輪を思わせた。

あの中庭の草木を統べる花は、間違いなく彼女自身なのだと惣右介は思った。

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そんな彼はあからさまに照れながらも、また笑われた、などと考えていた。

惣右介の人柄についての余談になるが、彼はその生涯を通じて、人から笑われることに慣れていた。

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彼の至言の中に、「初対面の人は二度笑う」というものがあった。

出会いの記憶を遡ってみて自分が笑われなかったことがあったかと聞かれれば、彼は思わず首を傾げなければならなかった。

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彼はまず、独特なひょうきんさを醸し出す容姿で笑われた。特に、本人は整えているつもりの鼻の下の髭も、見ようによってはかの喜劇王さながらの滑稽なものに見えなくもなく、マスクをしていない時にはまず笑われた。

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また、彼の顔に笑う者は、彼の名を「見た」時にはまじまじと顔を観察した挙句、何かの点と点がつながったかのように笑うのであった。

きっと、「惣右介」という字面にひと昔前の日本を連想し、彼の顔とつなげた結果の笑いなのだろう。彼の顔はたしかに、明治あたりの政治家にいそうだと言われても仕方がなかった。

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しかし、彼はそんなみんなの笑いを、むしろ好んで受け止めていた。

特に、美人に笑われるのは恥ずかしい反面、嬉しくもある。

そして、美しい笑顔によって何を質問したかったのかもかき消されてしまった惣右介は、その後嬉々として彼女の後ろに従って、自分の泊まる部屋へと連れられていった…。

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それから数十分後、彼は再び旅館の前に立っていた。かねてから興味を持っていた糸丈町、そして足吊川の観光に、彼の胸はいよいよ高鳴った。

彼がここまでに数十分かかったのも、浮かれた気分からか何度も忘れ物をしたことと、そのたびに入念な施錠の確認をしていたからであった。

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実は彼の持ってきた旅行鞄の中には、筒に入れられた例の礼状がこっそりと忍ばせてあった。

嘘の噂によって、図らずも礼状を受け取ってしまったことを後悔する気持ちも当然あったが、学生時代を教室の隅で耐え忍んできたような彼にとって、その礼状は肩身離さず持ち歩きたいくらいに、嬉しいものであった。

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そして施錠をしっかりとして、礼状の安全を確認したところで、彼は町へと繰り出した。

改めてこの町を歩いてみると、やはりその中心には川があることを思い知らされた。

そしてその川は、果てしない海へと続いていた。

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いわばこの地域は海と川の境目であり、そのため塩の香りに混ざって、汽水域特有の泥の悪臭がきた。

潮風に混ざるその悪臭は、この町の歴史が決して明るいものだけではないことを予感しているように思えた。

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また、その町並みは、海に近い町ならではの黒い家屋が立ち並ぶさびれたものであった。

まるで潮風によって時計の針が錆びてしまったように、その町の時間は他よりもゆっくりと流れているような気がした。

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人通りは、拍子抜けするほど少なかった。そのことは今回の旅路が、有給休暇による旅であることを彼に思い出させた。

そういえば、先程の旅館でも他の宿泊客は見当たらなかった。

平日の賑わいは、こんなものなのかもしれない。

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やがて、「彼」が吊るされたという例の場所へ行き着いた。

惣右介は、まずはその川の綺麗さに驚いた。

先程、駅から宿までの道程で川を見た時には感じられなかった感動が、なぜかこの場所では溢れるように湧いてきた。

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彼はその理由を、ここが例の場所であるからだと思った。

忌々しい過去の現場だという先入観が、ひどく濁った川のイメージを作り上げていた分、実際の川はそれに比べて、とても綺麗に思えたのだった。

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一方で、この場所が他とは違うということも十分に感じとれた。

やはり、この町の時間はゆっくりと流れているのだと彼は思った。

川の流れは時間の流れであり、その緩やかな流れの中で、無実の罪を背負って吊るされた「彼」の怨念は、今でも揺蕩っている。

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川辺に降り立ってみると、その綺麗さはより際立った。

そしてその綺麗さは、かえって逸話で聞いた彼の惨状を酷いものにしていた。

なんでもない日常にほど、怪奇は潜む。彼はしばらくは川面を見つめていたが、曰く付きの場所での長閑な今の状況が、なぜかとても恐ろしく感じた。

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そしてこの場所から立ち去ろうと振り返った時、ふと、石に引っかかるビニール袋を見つけた。

こんな綺麗な川にゴミは似合わないと思い、惣右介はそれを拾い上げた。

そんな彼の善行は、思わぬサプライズによって祝福された。

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水に浸っていたその袋には一尾の小鮎が入っていた。彼は思わず、顔を綻ばせた。

まだ幼いその魚体からは、すでに成魚と同じ甘いスイカの匂いを嗅ぐことができた。

その香りを十分に楽しんだところで、腰を下ろして優しく逃してやると、小鮎は踊るように、元気に泳いでいった。

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彼は二重に、いいことをした気分になった。

そして幾分か軽くなった足取りで、彼もまた踊るように、その場所をあとにした。

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それから彼は、町の外れにある資料館へと赴いた。その資料館では、現存する資料をもとに、この町の歴史や逸話について教えていた。

特に興味深かったのは、この川の以前の名称であった。

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「彼」が吊るされるまで、その川は「足吊川」とは呼ばれていなかった。考えてみれば当然ではあったが、その疑問が思い浮かばないくらいに、すでに「足吊川」は定着していた。

そして、気になる以前の名称であるが、それは町の土地柄について書かれたパネルに記されていた。

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- 「鯵釣川」つまり、(あじつりかわ)である。

なんでも、小さい個体ではあるが、昔は鯵が川でも釣れたのだという。

また、その鯵を二度揚げにした素揚げは、子どものおやつ感覚で食べられる一方、酒のつまみとしても抜群であった。

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そのために、「味釣川」なんて字も当てられたらしかったが、いずれにせよ、要は単なる言葉遊びである。

おどろおどろしい記録ばかりだと思っていた惣右介は、拍子抜けしつつも思わず笑ってしまった。

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この土地には、こんなお茶目な一面もあったのだ。ますます、この町に対する彼の好意は膨らんでいった。

しかし、そんな朗らかな気持ちも、「彼」の吊るされた状況を復元した模型を目の前にすると、たちまちに萎んでしまった。

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改めて見ると、それはあまりにも酷いものであった。

模型の彼は、運動会の「ミノムシ競走」で使うような麻袋を、頭から被せられたうえで逆さにされていた。

しかも、足首だけは袋から出ていて、「彼」はその縄を解こうにも、まずは分厚い袋を突破しなければならなかった。もちろんその袋の口も、頑丈な縄で縛られていた。

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その見た目はまさに「ミノムシ」で、逆さ吊りの苦痛や溺死の恐怖に加え、その無様な姿を周りに見られる屈辱にも耐えなければならなかった。

惣右介は図らずも自分が同じ目にあうことを想像してしまい、その恐怖に身震いした。

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それから、その身震いをそのままに、いそいそと資料館を退出した。彼の知りたいことは、あの模型によってすべて知り得たように思えた。

「彼」が正そうとした悪習ゆえに、情報として確実な資料は数えるほどしかなかったが、それでもあの模型ひとつで、逸話のすべてを語ってしまえるような気がした。

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帰り道、彼にはさっきまでの川がまるで恐ろしいものに見えた。

そして、ふと、ゴミとして拾ったビニール袋の中に、鮎の稚魚が入っていたことを思い出した。

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- あれも、「袋状」のもので、魚を獲ったことになるのだろうか。

しかし、いくら気に病んでも仕方なく、しばらくすると震えも落ち着いた。

時間の流れは、やはり偉大だ。

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おもむろに腕時計を確認すると、とっくに正午を過ぎていた。

それを知って、腹の虫は盛大に鳴いた。

そして彼は大いに笑った後、昼食はどこで摂ろうかと考えながら、もと来た道を歩いていった。

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足吊川 第三話「善行」了

Concrete
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