ーー君の名前を教えてくれるかい、かわいいお嬢さん?
nextpage
「わたしはアリス。アリス・リデル」
nextpage
ーーではアリス、僕と少しお話をしよう。13年前の9月28日午後4時のことを覚えているかい?
nextpage
「もちろん覚えているわ。昨日食べた木苺のように。明日降るお砂糖雪のように。その日はわたしの生まれなかった日だから。なんでもない日のことだから」
nextpage
ーーそれは良かった、ではアリス。君はその時、病院の屋上にいたね。そこで誰かに会ったかな?
nextpage
「もちろん会ったわ。高い塀の上に、卵のおじさんが座ってた。みんな彼のこと知ってるわ。ハンプティ・ダンプティのことを」
nextpage
ーーそう。君はその卵男と何か話をしたのかい?
nextpage
「もちろんしたわ。彼はなぞなぞが大好きだから、あれこれ訊かれて困ったわ。『なぜ渡りガラスは机に似てるか?』とか、『スープをハサミで飲むコツとは?』とか。まあそんなお話よ」
nextpage
ーーそうかい。いやいや違うだろう?彼は君に訊いたはずだ。君は何かを答えたはずだ。彼はその後どうなった?
nextpage
「もちろん彼は塀から落ちたわ。落ちて割れた音がした。王様のお馬をみんな集めても、王様の家来をみんな集めても、もう彼をもとには戻せなかったわ」
nextpage
ーーそれはそうだろう。でも君は、落ちた後を見ていない。彼はね、フェンスを乗り越えて、確かに地上に落下した。だけどね、地面に叩きつけられた直後、まだかすかに息があったんだ。彼は言ったよ。『屋上で、アリスに答えを教えられた』と。そして彼は息絶えた。屋上にいたのは君だ、アリス!彼に何を吹き込んだ!
nextpage
「わめくなドクター。この娘(こ)が起きるぞ」
nextpage
ーーアリス、君は。
nextpage
「私はアリス。アリス・リデル。この娘の悪夢から生まれた、鏡の中の女の子。そうね、たしかに彼は訊いたわ。『妻はなんで自殺した?お前はアイツになに言った?』って」
nextpage
ーーそれで君はなんと答えた?
nextpage
「もちろん『お前の夫はわたしのことを、裸に剥いて舌なめずりして、たいそう喜ぶ変態だ』と、あの女に言った通りのことを。一字一句、寸分違わず。聞き漏らさないよう、ゆっくり、はっきり、大きな声で答えたわ」
nextpage
ーーそれで……父は落ちたのか。それで……母は死んだのか。
nextpage
「そんなことを訊くために、わざわざ医者になったのね。こんなことをするために、わざわざこの娘に近づいた。恋人になって、眠らせて、過去を覗いてみたかった?あの親にしてこの子あり。親はロリコン、息子は出歯亀。救いがないったらありゃしない」
nextpage
ーーそれでも父は……僕にとっては優しい父親だったんだ。
nextpage
「わたしにもとっても優しく口づけしたわよ、身体中ベタベタと。カエルに吸い付かれているようで鳥肌が立った。もういい?出歯亀息子さん。そろそろわたしも眠たいわ。せいぜいこの娘と仲良くね。もしもこの娘を泣かせたら」
nextpage
ーー泣かせたらどうするかい?
nextpage
「明日始まって昨日まで続く、終わらないお茶会にご招待するわ。わたしはアリス。アリス・リデル。悪夢の中で、また逢いましょう?」
作者綿貫一
ふたば様の掲示板、今月のお題は「アリス」「スープ」「ハサミ」。
それではこんな噺を。