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何年も何年も前の話です。
ラスベガスに向かう飛行機の中。
機内は食事も終わって寝る時間を待つ、まったりタイムに入っていました。
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映画を観る人。軽食をとる人。既に寝ている人。様々です。
僕は離陸からずっと寝っぱなしで、みんなが寝る頃、目が覚めてしまいました。
持ってきたベガスの本を開いて、眺めていました。
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ホテルから行きたいお店までの順路を、ガイドブックの小さな地図で予習していました。
すると隣の席の青年が話しかけてきました。
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「どこから来たんですか?」
簡素な英語でゆっくり話してくれたその青年は、金髪でとてもハンサムでした。
「あー、えっと。日本から来ました」
拙い英語で返します。
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「旅行ですか?」
「はい」
「ラスベガスが好きなのですか?」
「アメリカが好きです。小さな頃からの憧れの国です」
スマホの翻訳機能も使って、なんとかコミュニケーションを取ります。
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「僕はジェイソン。君は?」
「あ、えっとKOJIです」
「だから『K』の描いてあるカーディガンを着ているんだね」と、僕の左胸を指でつつきました。
見ると大きなKのワッペンが着いてました。何気なく気付かず着ていました。
「あ、偶然です。はは…」
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「さぁKOJI。そんな小さな地図だと判らないでしょ」
と、自分のカバンから地図帳を出してくれました。
何ページもある、ネバダ州の地図帳でした。
「ラスベガスの中心部は…ここら辺だね」と、ページを開いて渡してくれました。
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「わぁ!判りやすい!」
と、行きたかった店を探し、道順を自分のガイドブックに写そうとしました。
「KOJI。写す必要は無いよ。それをあげる」
と、地図帳を僕にくれました。
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「ありがとうジェイソン。でも僕は君にお返しできない。いいよ」と返そうとすると
「お返しなんて要らない。友達になってくれた事の感謝さ」と笑うジェイソン。
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なんて良い人に出会えたんだ!と感動しました。
良く映画やドラマで、隣の席の人と知り合いになったりしてるけど、あり得ない…って思ってた。
でも本当にこんな事あるんだ!とビックリしました。
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「ところでKOJI。ホテルはどこなの?」
「アラジンホテルです」(注:今はありませんね)
「なるほど…」
と、考えるジェイソン。
「KOJI、こうしようよ。一泊目はウチにおいでよ。たくさん君を知りたいし、ベガスの事も教えてあげたい。二日目から何倍も楽しめるよ」
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「え…」
ちょっとそこまでは踏み込めません。
アラジンホテルも一泊分もったいないし…。
困惑する僕を見て、察したジェイソン。
「あ、ごめん。困らせたね。じゃあ泊まらなくても良いから、アラジンに行く前にウチでお茶でもしよう。新しい友達をお母さんに紹介したいんだ」
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それぐらいなら良いか、と思いOKをしました。
「OK!決まりだ。じゃあ楽しむ為にたっぷり寝よう」
と暗くなった機内で嬉しそうなジェイソン。
こんな出逢いもあるんだ!と気持ちがたかぶりました。
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寝る前にトイレに行っておこうと、席を立ちました。
僕のテーブルのドリンクとスナックを持って、立ちやすくしてくれるジェイソン。
「あ、ありがとう」と、立ってからテーブルに戻そうとする僕に「いいよ。持っててあげる。荷物も見ててあげるから、行ってきな」とウィンクするジェイソン。
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「ありがとう」と急いでトイレに向かいました。
優しい良い人だなぁ。どんなお家に住んでるのかな。
お母さんはどんな人かな。
どんな話をするんだろう。
翻訳機能で会話が続くかな。
これからどんな知り合いになっていくんだろう。
アメリカに友達がいるってすごい!
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いろんな感情が膨らんで、興奮しながら席に戻りました。
真っ暗な機内を後ろから移動し、自分の席を探します。
あ、特徴的な白髪のふとっちょおじさんの後頭部が見えた。あの席の前だ、と、寝ている人達を起こさない様に静かに移動します。
ジェイソンも見えました。
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ありがとうと言ってドリンクを受け取らなきゃ…と思ってた僕の目に、信じられない光景が飛び込んできました…。
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なんと…
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あぁ…
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僕のカバンを開けて、中をあさるジェイソンの丸まった背中でした。
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わざと足音をたてる僕。気付いてカバンを投げ置くジェイソン。
「あ、KOJI。はい」とドリンクを渡すジェイソン。
席に座ってテーブルを開け、ドリンクを受け取る僕。
「おやすみ」と言うと「おやすみ。あとでね」とジェイソン。
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そこから着陸まで2時間、全く寝る事が出来ず、冷や汗と不安が止まらず、寝たふりを続けました。
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着陸の案内が流れる機内。頭上ラックから僕のキャリーケースを下ろしてくれる紳士的な行為をするジェイソン。
「ありがとう」と言うも、笑顔の出ない僕。
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「さぁ、一緒に行こう」
「…あ、ジェイソン。僕、あの。やっぱり…」
「お母さんにも連絡しなきゃ。楽しみだね!」
怖くて断りの言葉も出ません。
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イミグレーションまでの移動も、ピタッと離れないジェイソン。
「あの、トイレに行って良い?」
「あ、KOJI。僕も行くよ」
と、トイレにも着いてきます。
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どうしよう…。どうしよう…。
何が目的なんだろう。僕をどうするつもりなんだろう。本当に自宅に行くのかな。本当にお母さんがいるのかな。
怖い…。怖い…。
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どうしようもないまま、イミグレーションまで着いてしまいました。ここを抜けたら、もう逃げ場はありません。
すると、ジェイソンが聞いてきます。
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「KOJI、このキャリーケースの他にも荷物はあるのかい?」
イミグレを見る僕。
「…あ、えっと、うん」
「じゃあイミグレ通ったら、バゲッジクレームで待ってるね」とジェイソン。
「…はい」と僕。
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じゃああとで、と移動するジェイソン。
ジェイソンは米国人、僕は日本人なので異邦人ゲート。
イミグレが違う列だったのです!
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実は荷物は、この小さなキャリーケースだけで、バゲッジクレームに行く必要はありませんでした。
イミグレが別だと判った瞬間、とっさについた嘘でした。
バッグを開けて確かめると、パスポートは盗まれていませんでした。ホッとしてイミグレに並びます。
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並びながら、寝癖隠し用に持ってきた帽子をキャリーから出して目深にかぶり、着ていたカーディガンを脱いでバッグに入れ、別の人の様な格好になってイミグレから出ました。
そこからは、バゲッジクレームから遠い方へ遠い方へ走りました。
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遠回りしてようやくアラジンホテルへの無料送迎バス乗り場を見つけ、近付くと、なんとジェイソンがいました!
アラジンに泊まる事を覚えていたのです。
しかし変装した僕に気付いていません。
『K』の付いている茶色のカーディガンを探していたのだと思います。
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焦らず急がず、普通の歩幅で向きを変え、タクシー乗り場に移動しました。早く僕の順番になれ!と強く祈りました。もしジェイソンがきたら、あの警備員さんに泣きつこうか…などと、いざという時のシミュレーションをしながら待ちました。
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ようやく僕の順番が来たので、大急ぎで乗り込みました。
すぐにドアを閉め、かがんで外から見えない様に隠れ「アラジンホテル、プリーズ!ハリー!」と叫びました。
普通じゃない僕を見て、タクシー運転手さんは、急いで発車してくれました。
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ようやくホッとして窓から恐る恐る見ると、タクシー待ちの人の列を、真っ赤になった鬼の形相でキョロキョロ探し歩くジェイソンがいました。間一髪でした。
ホテルに着いてお財布を出すと、お札が全て抜き取られていました…。
キャリーから予備のお財布を出して支払い、降りました。
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アラジンホテルに着いても安心できず、せっかくの初日の夜は、カジノも買い物も行かず、部屋に籠もりました。
二日目からも、食事、カジノ、買い物は全て別のホテルで済ませ、地図で調べた行きたかった店も知られているかもしれないと考え、行くのを断念しました。
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結局、彼が何目的だったのかも、どこに連れていくつもりで、何をしたかったのかも判りません。
しかし何も出来なかった初日の夜、荷物を整理した時に出てきた、彼からもらった地図を見て気付きました。
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ベガスに家がある人が、ベガスの地図を買うか…?と。
やはり何かの目的で地図を購入した、「在住者ではない人」だったのではないでしょうか。
生きた心地のしない恐怖体験でした。
作者KOJI