長編10
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私の地元で再開発事業が行われたのが、今から約十年前の事。

ちょうど高校二年になったばかりの頃で、特に部活もやってなかった私は、新しく出来た駅ビルの中を、放課後いつも徘徊していた。

本屋とか雑貨屋とかそういう店をただブラついて、帰宅した後は自室でのんびり読書…「バイトの一つでもしたらどうなの」と、母親から小言を言われつつ、私は気ままに過ごしていた。

そんなある日…玄関の郵便受けに「入居者募集」と書かれたチラシが入っていて、何の気なしに見てみると、それは新築マンションの宣伝だった。

両面見開き一杯に完成イメージ図が描かれ、年寄りが読めるであろうギリギリの小さな文字で、色々な機能だとか、規約とかが書かれていた。

そうしてまじまじと眺める内に、ふと、ある事に気が付いた。建設予定地が、住宅地の外れの空き地だったのだ。

私が産まれるずっと前から手付かずだという、ボロボロの金網で囲まれた場所。

「あのマンションのチラシ、お前も見たのか!あそこは多分、良くない土地だぞ~」

駅ビルのファストフード店で、偶然居合わせた男友達の孝介が、にやにやしながら言った。

孝介の家族は、この町に古くから住んでいる世帯の一つで、あの空き地の事も、先祖の間でまことしやかに噂されていたそうだ。

「なんかさ、爺ちゃんが言うには、悪いものが外に出ないように、結界を張ってるんだってさ」

「でも、新しく家を建てる時って、神主さんが来て色々するでしょ、それで大丈夫なんじゃない?」

「大丈夫じゃない場所もあるんだよ、前にも話したっけか?俺の父方の婆ちゃん家がさ…───」

要約すると、孝介の父方の祖母の家というのも、色々と不思議な現象が起こる所だったらしい。

段差が無い場所で転倒したり、家具や人形が変な位置に動いていたり、どこからともなく、謎の声が響いてきたり、と…

そして、そういう場所というのは、昔からの因縁がパイ生地の様に重なって、祈祷するだけでは効果があまり無いのだそうだ。

「───だから、あの場所も絶対何かあるよ。聞こえの良い謳い文句で宣伝してるけどさ…まあ、何も言わないでおくけど…フフッ」

「なんか、凄い嬉しそうだね…」

残りのチョコパイを口に放り込みながら、孝介の悪戯っ子全開な顔を眺めた。

私は、小学生の頃から彼を知っている。人の近付かない場所に探検と称して出向いては、物を持ち帰るのが好きな奴だった。

だから今回も、ただの噂話で終わる筈が無いと予感していたのだが…数か月後、それは見事に当たった。夜中…唐突に電話があったのだ。

「先輩に誘われて、あの場所探索してくるわ!」

その先輩という人は、自分達よりも三つ年上の男性で、学校が同じだとかそう言う事ではなく、単純に、年上だから「先輩」と呼んでいるらしい。

一体、どこでどう知り合ったのか…そこまでは聞かなかったが、私は何となく…怪しいと思った。

「ねえ、大丈夫なの?」

「大丈夫!何なら美紀も来なよ?友達って言えば入れてくれるよ」

軽い返答に、ますます怪しさが募る。

「私は行かない。孝介が決めた事だから止めないけどさ…気を付けなよ?」

「何それ(笑)まあ…ありがと!じゃ、また連絡するわ!」

そんな会話から、二日経った金曜の放課後…いつも通り駅ビルを徘徊した帰り道、ふと件のマンションが目に入る。

かつての薄暗い寂れた雰囲気は消え、テカテカと光る外壁が、これでもかと存在感を主張していた。

大して特徴の無い凡庸なこの町で、それは酷く浮いていたが…その違和感が、少しだけ私の好奇心をくすぐった。

少しだけ、外観だけでも見てみよう…私は、家に向かうルートから外れ、マンションに向かって足を進めた。

建物は、当然だがチラシに書いてあった完成予想図と同じ。六階建てで、一つのフロアに部屋が二つ。

出来て一か月程だからか、カーテンの無い部屋の方が多く…そのせいで、ベランダの洗濯物が悪目立ちしていた。

「なんか、不自然…」

と呟きながら眺めていたその時。五階のベランダが開き、見覚えのある学生服を着た男が顔を出す…孝介だった。

干してある洗濯物を取り込むでも無く、孝介はただ静かに、外の景色を眺めている。

その視線は真っすぐ眼前を向いていて、斜め下にいる私には気付いていない。それをいいことに、私は建物の影に隠れて観察を続けた。

なるべく声を出さずに、と思っていたのだが…普段の、面白おかしくケラケラと話すその雰囲気と、まるでかけ離れた表情がツボにはまってしまい、途中から笑いをこらえるのに必死だった。

だが…暫く経った頃…ふいに、部屋の中から白く細い腕が伸びた。

ん?───女…?確か、先輩は男だと言ってなかったか…?

そう、ぼんやり記憶を反芻していた…次の瞬間だった。その白い手が孝介の腕に絡みつき…それに気付いた孝介が、振り向いて笑ったのだ。

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誰かを愛おしむ、優しい目…

それは、今まで見た事の無い、いや、私には決して見せる事の無かった…別の姿。

茫然として言葉が出ない。と同時に…全身の毛が、ぞわぞわと蠢く感覚に襲われる…それは、「気持ち悪い」と言う感覚に近い。

自然と私の足はその場を離れ、気が付くと…自室のベッドに身体をうずめていた。

「信じらんない…何あれ…」

好きな男性俳優のエグいラブシーンを見た時と似ている。あの孝介が、年上の女性の家に居る。その事実が何故か、「気持ち悪い」のだ。

どうしてこんな感覚になるのかは分からない。そもそも幼馴染とは言え…高校も違うし、何なら中学時代も、別にしょっちゅう会っていた訳じゃない。

思春期真っただ中の男子だし、異性に惹かれるのは当然だ。…そして、「それ以上の事」だって…

私が勝手に、孝介のイメージを決めつけているだけ。知らなかった別の一面を、偶然見ただけ。分かってる。そんな事は分かってるけど…

思いもよらない光景…そして、孝介に堂々と嘘をつかれた事、私に嘘をついてまで、隠したかった関係があった事…

それが分かった途端、胸の辺りがジクジクと痛み出す。

こんな状態で家族の前には出たくない…が、こんな時に限って、上京した兄が久々に帰ってくるのだ。そして、この兄は…良くも悪くも勘が良い。

「美紀、おい、何か元気無いじゃん」

「普通だよ」

「いや、そんな風には見えねーな、あれか、失恋か?」

「うるさい!」

「美紀、お兄ちゃんも!食べるか喋るかどっちかにしなさい」

「だってさあ、久々に帰って来たのに、いつの間に冷たくなっちゃったんだもんなー」

久々、って言っても…たかが半年に一回だ。突然帰って来ては、数日ダラダラして、また突然帰っていく癖に。

「ま、子供じゃないってか、美紀も。なんか、駅前も変わったよなあ、あと、あのマンション」

反射的に、箸を持つ手が止まった。悟られまいと、勢い任せにテーブルに置き、椅子から立ち上がる。

「ごちそうさま」

「おい、美紀やっぱり何かあったんだろ」

しつこい兄を無視して、部屋に戻る。静かになりたい、と思っているのに…今度は床に置き捨てたスマホのバイブが延々と鳴り続ける。送信元をみると、案の定…孝介だった。

「ふざけんなよ」

通知を無視して、本棚の漫画を取り出す。嘘つき野郎。私に連絡寄越す暇があったら、女とイチャイチャしてれば?

大きく溜息を吐いて、敢えて漫画のセリフ一文字一文字に集中する。その内にじわじわと眠気が沸いて、私はそのまま意識を委ねた。

───き、みき…おい!美紀!

何時間経ったのか…眠りを妨げる大声で目が覚める。ドンドン!とノックする音と共に、あのウルサイ兄が、扉越しに私を呼んでいた。

「美紀!おい、ちょっと…寝てるのか?」

「起きたよバカ!声が大きい!!」

「おい…火事だよ、火事!」

「は!?ここが?!」

「違う、あのマンション、さっきから聞こえてないのか、サイレンの音!」

兄の言葉と同時に、耳元にけたたましいサイレンの音が響く────

そして、部屋の窓を開けると、夜の暗がりよりも更に黒い煙がもうもうとマンションから立ち上り、そのちょうど真下で…火花を散らしながら、どこかの部屋が燃えていた。

「…え…孝介は…?」

「孝介…?」

「…どうしよう、孝介が、あのマンションの中にいるんだよ…!」

…あの通知ってまさか…

スマホを開き、孝介から届いたメールを確認する。

「今日は違ったな」

違ってた、って?何…?───

炎は、ますます威力を増していく。煌々とした火明かりが、窓側に向けた左頬に当たって、痛みすら感じる。

「美紀、大丈夫か!?」

「女の人が…女の人も一緒に居るの」

「女!?え、どういう事?」

「…孝介が、知り合いの…先輩って人と一緒に……でも、女の人で…」

「…何だか分かんないけど…本当なんだな?!」

首を縦に振る。震えて、もう言葉は出せなくなっていた。

兄は私が頷くのを確認すると、部屋の入り口から離れてどこかに出かけて行った。母の「えっ!!」という声がリビングから聞こえる。…きっと、兄から孝介の事を聞いたのだろう。

「美紀、入るよ?」

暫くして、母の声が扉の隙間から聞こえた。

振り絞って「うん」と声を出すと、何を思ったか…母は部屋に入るなり、私に抱き着いて言った。

「孝介君の事…辛いわね」

泣いている?何故?まだ、何も分かっていないのに…

「どうしたの?大丈夫だよ…大丈夫」

「美紀…まだ、受け入れられないよね…」

「大丈夫だから…お母さん…なに?」

「美紀…孝介君はね…!」

───じゃ、行ってくるわ───

孝介はあの空き地に行ったまま…もう何年も帰っていなかった。

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「ねえ、…ねえってば!…その、孝介って誰の事?」

本当は、分かっていた。あのファストフード店で居合わせたのは、あの場で私が話していたのは…孝介じゃない…同じ高校の同級生だ。

マンションの事を話していたのは事実。だけど彼は、孝介とは似ても似つかない、ただの同級生。本当の孝介は…中学二年の頃、テレビの心霊特番に投稿すると息巻いて、「先輩」と空き地に行ってそのまま───

「美紀、女の人、避難してたよ…あと…あとな」

女性は、孝介とは全く面識も無ければ…そもそも年下のボーイフレンドなんてものも居なかった。

だが、あの時…女性が洗濯物を取り込もうとベランダを開けた途端、見知らぬ男子学生が立っていたそうだ。

女性は警察に突き出そうと、腕を引っ張ったというが…その子は笑顔を見せたかと思うと、霧のように消えてしまったという。

あの時確かに、私の目にはあれが孝介に見えていた。けど思えば…あの制服、あれは、中学の時の制服だった。

「信じられないけど…見つかって、本当に良かった…」

火事が収まってから三か月後、焼け落ちたマンションの跡から、孝介は見つかった。地面の深くから、ヒビが入った頭蓋骨の一部が発見され、それが孝介のものと一致したのだ。

普通だったら、疑うか怒る事だろうけど…兄伝いに私の話を聞き、駄目元で、警察に捜索を依頼したのだという。

だが…先輩という人の正体も、なぜ、突如行方不明になったのかも、結局分からなかった。

「ありがとね、孝介の事探してくれて…」

骨の欠片だけが納められた棺桶を前に、孝介のお母さんが泣きながら私に言ってくれたけど…違う。私が孝介を探したわけじゃない。孝介が、私の姿を遠くから探していたのだ。

何故自分がここにいるのか分からないまま…あのベランダから、目線の先にある駅ビルを…そこは、私がほぼ毎日徘徊している場所。孝介は、ずっと私を見ていてくれた…

「おばさん、あの…私、前に孝介から聞いたんです」

葬儀が終わり、ほとぼりが冷めた頃…私は、密かに気になっていた事を尋ねた。あの空き地は、何か曰くがある場所なのか、と…

孝介の言っていた、「先祖の間でまことしやかに噂されていた」というのが本当なのか…仮に本当だとして、それが、マンションの火災や、孝介自身に起こった不幸と関係があるのか、知りたかったのだ。

けど、おばさんは…私の問いかけを遮るように、

「さあ、何の事?」

と言ったきり、客間を出て行ってしまった。

何故か、あんなに大事に抱きしめていた、孝介の遺影も位牌も消えていて…まるで、「孝介という人間は元から存在していない」とでもいう様な空気で、家全体が満たされていた。

そして何より…おばさんの振る舞いに、「これ以上何も聞いちゃいけない、絶対に聞いてはならない」という圧を嫌でも感じて…私はそれ以降、孝介の家にも、あのマンション跡地にも一切近づいていない。そして二年後の春、大学進学を機に地元を離れた後は、完全に疎遠となった。

しかし…

「ねえ、美紀も一緒においでよ」

「美紀…一緒に来てよ」

「友達って言えば、大丈夫だから」

十年過ぎた今も、孝介は時折夢の中に現れては、あの、悪戯っ子全開な笑顔で、どこかに行こうと誘ってくる。

でも、そこに嬉しさや懐かしさは無い。目覚める度に、背中辺りを何かが這いずる様な…「気持ち悪い」感覚に襲われるのだ。

何故孝介は「一緒に行こう」と私に言うのか。何故、孝介の家はあんなにボロボロになってしまったのか。

親子兄弟、とても仲睦まじい家族で有名だったのに…いつの間に、人の気配が薄くなってしまったのか…

「美紀…兄ちゃんだけど、元気にしてるか?…あのな、孝介のお母さん覚えてるか?…亡くなったよ」

私の抱えていた疑問は、永久に謎のままだろう。だが…今はそれよりも、気になる事がある。

「…それでさ、お前、何をどこまで知ってるの?いい加減教えてくれよ…俺がずっと聞いてるのに、ほんっと口固いもんな…なあ、美紀…悪いようにはしないからさぁ…また連絡するから…」

───良く考えといてくれよ?───

絶対に気付かれたらいけない。兄は、良くも悪くも勘が良いのだ。だから…

「何も知らない。大丈夫だから」

その会話を最後に、私は電話番号を変え、兄とも連絡を絶った。

「美紀、一緒に来て」

「美紀…美紀…」

生きている間に、私は、逃れられるだろうか…

彼らの探索から。

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