思い出せない、あの子のこと。

中編6
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思い出せない、あの子のこと。

17年前、僕がやっと小学校に上がる年。

この年の正月がいよいよ終わるという頃、叔父さんの一家が遊びにやってきた。

両親が叔父さん、叔母さんと順番に挨拶を済ませると、最後にAが家へ入ってくる。

Aは僕の従姉だ。

この年で五年生になる彼女は、親類では唯一の年上のお姉さん。兄弟のいない僕からすれば身内ではただ一人の遊び相手だ。

だから僕にとってAに会えるのは、とても嬉しいことだった。

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一階のリビングで大人たちが世間話をしている間、二階の部屋でAと一緒にゲームをした。

しっかり者のAはいつも進んで僕の面倒を見てくれる。

この時プレイしたのはゲームキューブの格闘ゲーム。お互いに勝ち負けを繰り返して、すっかり白熱していた。

今思えばAが適度に手を抜いて、僕に勝たせてくれていたのだろう。

そんなものだから、気づけば太陽がオレンジ色に変わって、時計の短針が4のところを指していた。

夕ご飯までまだ時間がある。下の階からはまだ大人たちの談笑する声が聞こえる。ゲームに夢中になり過ぎて疲れてしまった僕はその場で横になった。

「じゃあ、わたしも」

Aはそう言って、僕にタオルケットをかけてから隣に寝た。

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「○○、○○!起きて!」

細めの腕に揺すられて目を覚ました。

「ちょっと寝すぎちゃったみたい、外がもう真っ暗だよ」

夕焼け空のオレンジ色の光は今やすっかり闇に飲み込まれてしまい、代わりに窓から差し込むのは日暮れ後の青白い光だ。

「もうすぐご飯かもしれないから、下に降りてみようよ」

電気もつけない部屋の中で、外からの薄い光だけがAの表情を映し出している。

僕に先導して廊下へ出たA。電灯のスイッチをパチパチする音が廊下に響く。

「どうしたの?」

「電気がつかない。停電かな?」

どんなにスイッチをいじくっても、天井からぶら下がった電球は、うんともすんとも言わない。しょうがないな、とでも言うようにため息を漏らすA。

「一応階段は見えるから、このまま降りようか。足元気を付けてね」

僕らは窓から漏れる薄暗い光を頼りに、一歩ずつ下の階へ向かった。

ところで、このときAは気付いていただろうか。

部屋を出る直前に、僕はちらっと時計を見た。

時計が示す時刻は僕らが眠る前とまったく変わっておらず、相変わらず短い針が4を指したままだった。

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「お父さん、お母さん?」

不安げな呼び声が暗い家の中に響き渡る。

「皆どこ?」

消えたのは明かりだけじゃない。

机に並んだ四人分の椅子。それらは机から適度な距離を置いて引かれており、つい今まで人が腰を乗せていたような雰囲気だ。

それぞれの席には湯のみ茶碗が置かれていて、中の液体の表面に窓からの青白い光が反射していた。

「みんな、おでかけしてるのかな?」

まだ小さかった僕はいまひとつ状況を呑み込めず、まったく見当違いなことを言った。

Aは反応せず、部屋の中を見回しては何かを考えるような仕草をずっと繰り返している。

頭を抱えたり、窓の外にちらちら目をやったり。

「ちょっと外を見てくるから、○○はここにいて」

それだけ言って玄関の方へ歩いて行った。ガチャリっと扉の開く音がする。

僕はリビングの扉の陰からそちらを覗いてみた。

扉を半分ほど引いたまま、外を見て棒立ちになっているAが見えた。

・・・一体、彼女は何をしているんだろう?

僕の位置から外の様子は見えない。でもひとつ分かることがある。

外がやけに静かなんだ。

Aが静かに扉を閉める。

「・・・駄目」

彼女は確かにそう呟いた。

振り返り際のAの顔は暗い中でもわかるくらい、真っ青だった。

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そのあと僕らは部屋に戻った。

Aは部屋の隅で、僕を脇に抱いてうずくまった。

体が密着している分、彼女が震えているのがよく分かった。

その震えが僕の体に浸透していくように、僕も震えが止まらなくなった。

だって、みんなは一体どこに行ったんだ。

Aは外で何を見たんだ。

どうして外がこんなに静かなんだ。

なんで時計が動かないんだ。

そんないろいろな不安の種が大きな一つの塊になって、胸の中に満ちていく。

僕らはこわいものに囲まれた小さな動物みたいに、部屋の端でうずくまっていることしかできなかった。

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ふいに、Aの震えが止まった。

隣から彼女の顔を見上げる。

その顔は相変わらず青白い。その視線はまっすぐ正面を見つめて動かない。

その視線の先を追ってみても、ただクローゼットがあるだけだった。

「Aねえちゃん?」

声をかける。

Aが小さな唇をかすかに動かす。

「ああ、それしかないか・・・」

それは僕への返答ではなかった。

それっきり、Aはおもむろに立ち上がって、ゆらゆらと部屋の出口へむかい、階段を降りて行った。

僕はその腕からするりと抜けた形のまま、床にへたり込んだ。

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しばらくすると、戻ってきたAのシルエットが部屋の入り口にゆらりと立っていた。

だらんと垂れた右腕の先に、鈍く光るものがある。

包丁だ。

僕は空気の塊を呑み込んだ。肺に栓をされたように息ができなくなった。

Aが包丁をゆっくりと上げながら、一歩ずつ近づいてくる。

それに連動して僕は必死に後ずさる。でもここは部屋の隅。下がれる空間はない。

Aが僕にまたがるほどの距離に来たとき、包丁をひときわ高く掲げた。

「ごめんね、でもすぐに帰れるから。皆によろしくね」

泣きそうな声だったのを、なぜかよく覚えている。

そのまま刃物を振り下ろす。

鈍い光が胸に落ちてくる。

胸に広がる激痛と生温かいものがあふれる感覚の一瞬あと、僕は絶叫しながら飛び起きた。

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そこは僕の部屋だった。電気はついておらず、窓から青白い光が入ってきている。

キィンとした、僕の絶叫の余韻がスッと収まっていく中で、代わりに時計の針の音が耳に入ってきた。

誰かが階段を昇ってくる音がする。

パチッと明かりがつき、僕の両親が部屋の入り口からこちらを覗いていた。

「大きな声出して、何かあったのか?」

見慣れたはずの光景なのに、何が何だか分からない。僕がそんな調子で黙ったままだから、両親が勝手に部屋の中を見回して、状況の把握を試みていた。

そして二人とも、Aの姿がないことに気が付いた。

二人がAを探して、部屋の中が騒然とする。この空気を察知したのか、下の階からおじさんとおばさんも続けて部屋に入ってきた。

何かを言い合うお父さんとおじさん。涙目になってうろうろしているおばさん。

お母さんが僕の顔を覗き込んで何か問いかけていたみたいだったけど、まるで夢の中にいるような感覚で、よく覚えていない。

僕はただ、この光景をどこか遠くの世界から眺めていることしかできなかった。

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あれからもう17年が経つ。

何度も家の中や近所を探した。

それでも今に至るまで、Aは見つかっていない。

彼女の行方を知っているのは世界でただ、僕一人。

でもそんな僕にさえ、結局分からないことがある。

僕らが迷い込んだあの世界は何だったのか。

どうして僕らがあそこへ行ってしまったのか。

玄関の扉を開けた時、Aは一体何を見たのか。

どうしてAは、僕をこちらへ戻せたのか。

帰り方が分かっているなら、なぜA自身は戻ってこられないのか。

そして、これが一番不可解なことなんだけど、

「彼女の名前」をどうしても思い出せないんだ。

だからこのお話の中では仮に彼女の名前を「A」とした。これは僕だけじゃない。両親やおじさんたちを含めて、みんなが彼女の名前を思い出せないでいる。

容姿も性格も思い出も、パーツはすべてそろっているのに、名前だけが。

だから彼女の名前で警察に失踪届を出すこともできない。

戸籍の上でも、Aは消えてしまったんだ。

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夕暮れ時、窓の外が青暗くなるといつもあの日のことを思い出す。

「A」は今でも、あそこにいるんだろうか。

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