中編4
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路上教習

夏の暑い昼下がりだった

「えー、アンタが丸山さん?今日から路上教習だから集中してね」

「はい・・・よろしくお願いします。」

「えらく緊張しているね」

「まあ・・初めての公道ですから」

「ははは。まあ、危なくなったら私がブレーキ踏むから安心して運転しな」

この路上教習はそんな軽口から始まった。

さて

この丸山さん、運転中も緊張した様子だったが走行は実に安定している。

心地よい車の振動

私は昨晩徹夜をしていたものだから、教習中だというのにうっかり寝てしまった。

意外と私みたいなだらしない教官もいるものである。

どれほどの時間が経ったろうか。

・・・ガタンッと大きな石を踏んだような強い振動で私は眠りから醒めた。

すると どうしたことか

教習車は山道を走っていた。

しかも窓の外は、墨のような夜である。

「???」

「あ、起きました?」

「え、なにこれどういうこと?」

「あー、実はですね。」

「うん」

「教官が僕の教習中だっていうのに、

ぐーすか寝ていたものだから、

腹立って遠出しちゃったんですよ。

わりかしすぐに起きるかと思ったら、いつまでも寝てるんでこんなところまで来てしまいました。」

「いや、聞いたことないよ、教習車が山道走るなんて」

「でも実際登ってますからね」

「さっさと引き返そうな」

「無理です。この道はいわゆる酷道でしてね。

もう長いこと走ってますが、Uターン出来るようなところはどこにも無かったですよ」

「・・・えらく君は落ち着いているね

こんな馬鹿なことをしでかしたんだ。君はもう自動車学校は退学だよ」

「些細なことではないですか。この状況に比べれば。」

「たしかにね。

このまま走り続けるとどうなるんだろうね。

山頂にまで行くか、あるいはUターンできそうな、ひらけたところに出くわすか」

「あるいは、途中で転落するか・・・」

丸山という男はこちらをニタニタと見つめている。

こいつ、いっちょまえの異常者だ

「それは勘弁願いたいね。

天涯孤独で、およそ幸福とほど遠い人生だけど

私はいま32歳。

若いとも言えないが老いはまだまだ先に思う。

まだ生きていたいんだ。

人生これからと思うことも許されるだろう?」

「死の前に老いも若いもありません。

ですが、

死を想うことは生者が怠らないコツであり

死を覚悟した者は安寧とはなにかを知ることでしょうよ。」

「煙にまくのはやめてくれ。

抽象の中に人は命を預けられないんだ。

どんな御貴い言説も、崖ぞいのガードレールは越えられないのさ。」

「あなたもつまらない凡人だ。

見てみなさい。後ろの座席に幼女がちょこんと座っていますね。

あなたよりずっと若い時分に亡くなりましたが、死の間際に真心を込めて死を受け入れたのです。

お金に囚われてなかったのが良かったのですかな。

死に真心をよせる者は常に若い」

私は後ろを振り返ってみたが誰もいない。

だがバックミラーを覗くと、確かに後部座席には幽霊がいた。

ところが丸山の言うような幼女ではなく、私には欲深な老人に見えた。

「醜悪な霊に見えましたか?

鏡ごしにだけ見える霊は、その人自身を写してるのです。

いや、その人の死への向き合い方ですかね」

「どういうことだい?」

「霊とは死の象徴でしょう?それが自分にしか見えず、また鏡にしか映らないとなれば、当然の理屈です。」

「なるほどね。ただなぜ老人に見えたんだい?私はまだ生きていたいと願っているのに。」

「人生これからと先程言ってましたね。

それは慢心です。死に対して不誠実と言っていい。

老人のようにだらだらと歩いては行けません。

生だけ見るのは、自分という存在だけへの固執、すなわち欲の原初ですが、

死を見つめることは自然への理合であり、誠実の原初です」

「えらく厳しいね。とてもついていけないよ。」

「はやく受け入れる事ですよ。

でなけりゃいつまでもこの山道を走り続けるまでだ。」

そう言うと丸山は、急にハンドルを崖の方へ切った。

車は転落していく。

「・・・さん!わかりますか!」

「目覚めたぞ!はやく、先生呼んでこい!!」

周りがすごく騒がしい。

・・・私は、病院のベッドに寝かされていた。

「あれ?あ・・・え・・・なんで俺・・病院にいるの?」

私の疑問に、ベッド脇で泣いている母がこたえた。

「あんたの乗った教習車が運転中に大事故を起こしたのよ」

「え?」

思い出せない・・・

「あ・・そうだ・・生徒の丸山さんは・・・?」

「・・・・・なに言ってんのよ!あんたが丸山じゃない!」

「え・・・?じゃあ、俺は誰を乗せてたんだい?」

「あんたはね・・・死体を乗せていたのよ」

「え?それって、トランクに死体が入っていたとか?」

「死体を助手席に乗せて運転していたのよ・・・・」

「馬鹿な・・・それで・・・

・・・その死体は誰だったんだい?」

「・・・・・・あんたよ」

母は笑う

そういえば俺には母親はいない。

顔さえ知らない

母だったモノの顔が崩れていく。唇が剥がれ落ち、歯茎が剥き出しになる。

それでも笑っているのが分かる。

俺は、また気が遠くなった。

・・・・・ふと目を覚ますと

教習車は夜の山道を走っていた。

「・・・」

「あ、起きました?」

「・・・ねえ・・・きみ・・・・・誰?」

「わたしは誰でもないですよ

ここでは路上教習であること以外に確かなものなんてありませんから

つまりはですね

・・・あなたは地獄に落ちました」

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