トイレには行かない方がいいんじゃないかって話なんですけどね、それこそ赤い服を着た女の人は、トイレに行かない方がいいんじゃないかって思うんですよ。
話を持ってきたのはA子さん、女の人なんですけどね、
ある日、彼氏さんと一緒にドライブしていましたら、帰り路でささいなことで喧嘩しちゃって、険悪な状態になったんですって。
お互いムスッと黙っちゃって、彼氏さんが黙々と運転してA子さんを家に送り届けようとしていたんですけど、その途中でA子さんトイレに行きたくなって、彼氏さんに「ちょっとトイレ」と。どんなに仲が悪い相手、嫌いな相手でも、車に乗っているときのトイレだけは意地悪も嫌がらせもしちゃ駄目だって文化圏にいる二人ですので、彼氏さんも「おう」とだけ言って、スピードを少し落としてトイレないかなって探すモードになりまして。
少し走って、公園が見つかったんで、トイレないかなと徐行モード、一番ゆっくりなスピードになって公園の方を見ていたら、それらしい建物がありまして、で車が止まってA子さん降りて、トイレに向かいまして。
用を足して車に戻ろうとトイレを出ましたら、ちょうど車がクインってなったんです。
(ん?)とは思いましたが、車が止まっている状態でもブレーキを一瞬放して改めてブレーキを踏むとクインって感じになるのは解るので、一番軽いというか、どうでもいい(ん?)なんですけどね、
助手席のドアを開けまして中を見ると、彼氏さん、目をまん丸にして驚いた顔でこっちを見るんです。
(なに?)と思いつつ助手席に座ると、変なんです、変な臭いがするんです、車が走り出して(何の臭いだ?)と考えていて、あぁ何かの焼け焦げの臭いだと。といっても薄い臭いなんですけど。
彼氏さんタバコも吸わないし車内で火を使う用事もないんで(ん?)と不思議に思っていますと、
「あのさぁ」と話しかけてきます。
「なによ」と、臭いに不思議は思いつつも険悪な状況は変わってないんですからA子さんもつっけんどんに応えるんですけど、彼氏さん続けて
「今日、帰らない方がいいかもしれんぞ」って言うんです。
「はぁ?(威圧)」と応えると、
「なぁ、これから変なこと言うぞ」と続けられて、
「お前がトイレに行ったじゃん、で、前の方をじっと見てたら、お前が戻ってきて、ドアを開けて助手席に乗ったんだよ」
「あ?」
「いや、俺も腹が立ってたからさ、戻ってきたお前を見なくて、ずっと前を見ていたんだよ、でも視界の端に赤い服が見えたしさ、全然関係ない奴がドア開けて乗ってくるなんて思わないじゃん、だからお前が戻ってきたと思って車を出したらさ、匂いが変なんだよ、
お前の香水の匂いじゃなくて、変な、焼け焦げたような匂いでさ、そっちを見ようとしたら、たまたま前から来た車が右折してきたんでそっちを見なきゃいけなくなったんだけど、そのとき助手席に座った奴の右腕がまた視界の端に入ってさ、服は赤いんだけど、手のところが黒焦げっていうか、炭みたいな棒みたいでさ、これ、見ちゃいけないやつだ!って思ったんだけど、どうしたらいいか解らなくなって、そしたらお前の家が見えてきてさ、家の前で車止めちゃったんだよ。
そしたらそいつ、何にも言わずに普通に降りて、行っちゃったんだよ。後ろ姿見たらさ、お前が来ているのと同じ服で、髪の毛もお前くらいあって、家のドアの前に立ってさ、怖くなって車を出したんだけど、そこでひょっとしてって気がついてトイレに戻ったら、お前が出てきた」
「はぁ?(威圧)」てなもんですよ、A子さん。
それまでに喧嘩してたのもありますし、薄気味悪いこと言い出しますし、自分の家にそんな気持ちの悪いのを降ろしてきたのかって、頭にくることばかりなんですけど、そもそも
「あのトイレから私の家までどれくらいあると思ってるのよ!私そんなにトイレにいなかったわよ!」と大声を出すのですが、
「だから訳わかんねぇんじゃねぇか!俺だってお前の家に行ってトイレに戻ったのに、十分と経ってないなんて、わかんねえよ!」と大声で返されて、そんなこんなでA子さんの家が見えてきた、で車を停めず最徐行の速度にして、二人してA子さんの家を見ますと、A子さんと同じ赤い服を着た誰かが玄関の前に立ってるんです、二人で顔を見合わせってそのまま通り過ぎまして、その晩は彼氏さんの家に泊まったんですけど、
次の日は仕事があるから一度家に戻らないといけないんで、また彼氏さんに車を出してもらって家まで行きますと、さすがに朝だからか誰もいないんですが、やっぱり何か燃えたような臭いがうっすらとしていたんですって。
その後なにかあったわけでもないですが、服と焦げ臭さと、あと彼氏さんが往復した時間ですね、何も解らない、身に覚えがない、そしてもし彼氏さんが喧嘩中だからとA子さんを家の前で降ろして行ってしまったら、どうなっていたのか、なんにも解らないそうです。
作者吉野貴博
「車の運転中は前方に集中しましょう」から改題しました。