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長編8
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楡の木の精霊(3/3)

まだ春の空気に入れ替わる直前の肌寒さが残る中、俺は太陽が沈むのを待って山入端(やまのは)神社へと向かった。

時々この時間帯に神社へ行ってみることもあったのだが、自分でも気がつかないところで何かを無理して時間を作っていたのか、ずっと彼女に逢うことが出来ずにいた。

考えてみれば、入試を目前に控えた受験生が、彼女と逢う前にすべきことがあるのは明白だ。

その時間を使って彼女に逢いに来ても決して逢うことは出来なかったということなのだ。

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そして受験も終わり、大学への入学が決まったのだが、自宅から通える大学には自分の進むべき道に適したコンピューターソフトの学科を持つ大学がなく、決めた大学へ通うためにアパート暮らしをすることになった。

そしてその引っ越しの前日、もしできるならと彼女に逢いに来たのだ。

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日没直後に神社の境内へ入って行くと、志乃さんは社殿の階段に腰掛けて俺のことを待っていてくれた。

彼女が俺のことを自ら出迎えてくれるのは初めてだ。

「啓太、待っていたわ。」

志乃さんは俺の手を取ると、あの部屋に入った。

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志乃さんに逢うのは秋の大祭以来ほぼ半年ぶりだ。

「志乃さん、俺は明日実家を出てひとり暮らしを始めるから、帰省した時しかこの神社へ来られなくなっちゃうんだ。」

それに対して志乃さんは黙って俺の服を脱がせ、そして自分もワンピースをするりと脱ぐと裸になった。

俺は夢中でその魅惑的な体を抱きしめ唇を重ねた。

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ひとしきりお互いの舌を貪ると志乃さんはゆっくりと唇を離した。

「啓太、明日この地を出てここの住民でなくなったら、もうここに来ても私に逢うことはできなくなるの。」

「えっ?」

抱き合ったまま耳元で発せられた志乃さんの言葉に俺は驚愕した。

そして本気で明日の引っ越しを中止しようと考えたのだが、志乃さんは優しく微笑んで、また耳元で囁いた。

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「でも何処へ行っても啓太は私のものなの。言ったでしょう?六十年にたったひとりの生贄として私を幸せにしなければならないって。

啓太が一人前になったら私の方から啓太のところへ逢いに行くわ。

だから早く一人前になれるように頑張って。それまで暫しのお別れだから今日はたっぷり抱いてね。」

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俺は、志乃さんを抱きしめて何故か涙を流していた。

心の中で一刻も早く一人前になりたいと前向きに捉えたはずなのだが、これまでも逢いたくても逢えない日々が続き、やっと逢えたと思うとまた逢えなくなる、その繰り返しだった。

この次に逢えるのはいつなのか。

俺が一人前になる日。

それは決して近い未来でないことは悟っていた。

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◇◇◇◇

「それから志乃さんにはずっと逢ってないの?」

小出愛子の問いに俺は少し寂しい気分になって頷いた。

あれからもう八年になる。

正直、志乃さんの事を思い出すことも徐々に減ってきているのは間違いない。

しかし彼女を作る気にはならず、帰省するたびにひょっとしたらという思いから山入端神社に行ってみたりもするのだが、彼女の言葉通りそれ以降逢うことは出来なかった。

たとえ、それが大祭の日であっても同じだった。

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しかし心のどこかで、彼女はそうやって訪れる俺のことを見てくれている、神社に行くのは俺が忘れていないということを彼女に示すという意味があったのかもしれない。

彼女の言葉を信ずれば、俺はまだ彼女が認めるような一人前の男には到達していないということになる。

もっと頑張り、成長しなければいけないということだ。

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「でもさすがに八年も経つと、もう彼女は二度と俺の前に現れないんじゃないかって、そんな気がしてしまうんだ。」

「それってもう待つのはやめて、彼女を作りたいっていうことなの?」

西野麻奈の問いに俺は答えられなかった。

「彼女を作りたいのなら、うちの会社にいい娘がいるから紹介するよ?」

長内孝之が真面目な顔をして言うと、福村祥子が被せた。

「私も紹介してあげる。三澤君なら友達に胸を張って紹介できるもの。」

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「ありがとう。気持ちだけ受け取っておくよ。

正直、まだ自分でもどうしたいのかわからないし、誰かを諦めて仕方なく別に彼女を作るなんて、それはそれで相手に失礼だろ?

本当に誰か別にパートナーを探す決心がついたら自分で探すよ。」

そう言いながらも、俺はそんな決心などいつまで経ってもつかないような気がしていた。

彼女は俺のことを生贄と呼んだ。

このまま生殺しのように、俺の気持ちを持ち去ったまま放って置かれるのだろうか。

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「怖い話のはずだったのになんだか変な感じになっちゃったわね。でもその志乃って人は結局何者かしら。

神社にいる神様?それとも幽霊なのかな。でも幽霊って神社に棲みつけるものなの?」

福村祥子の言葉にみんな一斉に首を傾げた。

ただひとりを除いて・・・他の五人はそれに気づいていない。

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「ちゃんとした結界が張られていない神社だったら棲みつけるんじゃないかな。」

これまでほとんど何も言わず黙って話を聞いていた川口稔が口を開き、そして続けた。

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「でもその志乃さんって単なる幽霊じゃない気がするよね。

彼女は六十年にひとりだけ、男の子を自分のために『生贄』にできるという契約を誰かと結んだんだよね。

そんな契約を誰と結んだんだろう。」

「そうね、そうやって考えると三澤君の話って心霊の世界というよりも、古事記なんかの神々の世界に近いように思えるわよね。

その山入端神社を舞台にした神様達のお遊びってことかしら。」

すっかり川口稔に寄り掛かって座っている小出愛子が彼の意見に同調するように言うと、みんな何となく納得したように黙った。

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「違うの!彼女は神様なんかじゃないわ!」

西野麻奈が話をした小出愛子ではなく、俺の顔をじっと見つめて突然声を発した。

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「彼女は精霊なのよ。神社の境内にある巨大な楡の木に宿る精霊。

彼女はずっと境内に立って千年以上神社の神様と共に村の人達を見守り続けているの。

そうやって優しく、でもたったひとりでじっと境内に立ち続けている彼女を哀れに思った神様が、ひとりでいる寂しさを紛らわすことができるように、そのような契約というか約束を結んでくれたの。

彼女は自分で選んだ十歳の生贄の男の子が一人前の男になるのを待って、自分を癒して貰うためにその男性のところに現れるのよ。

境内で千年もの時を過ごしてきた彼女にとって、頑張っている三澤君を八年待つことなんてたいしたことではないの。」

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「へえ、麻奈ちゃんて、意外にファンタジストなんだね。でも何だか凄い説得力だ。」

「うん、本当に。ねえ、その筋で脚本書いてみたくなっちゃった。パクらせて貰っていい?」

長内孝之が感心したように西野麻奈の憶測を褒め、脚本家の小出愛子がそれに続けたのだが、俺は彼女の話を聞いて心底驚いた。

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山入端神社の境内には、樹齢千年を超えると言われている、幹の直径が2メートル近くある巨大な楡の大樹があるのだ。

その樹について、俺はここまで話の中で全く触れていなかった。

何故、彼女はそれを知っているのだろうか。

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語り終えてからじっと俺のことを見つめたままの西野麻奈にそれを聞こうとした。

すると彼女はまるで俺が何を聞こうとしているのか解っているように、微笑んで人差し指を立てて唇に当てた。

他の四人は、小出愛子が西野麻奈の話を基に即席で語り始めた思いつきのストーリーで盛り上がりつつあり、西野麻奈のその仕草には気がついていないようだ。

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すると西野麻奈は、酒に酔って暑くなったのだろうか、着ているカジュアルシャツの第二ボタンを外し、襟周りを少し広げた。

そこは男の習性なのか、視線は自然にその襟元へ移動する。

「えっ⁉」

思わず小さく声が出た。

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広げた西野麻奈の襟の奥に見える首の付け根で盛り上がっている鎖骨の出っ張りには見覚えのあるホクロが左右にふたつ並んでいるではないか。

「君は・・・」

再び西野麻奈は人差し指を唇に当てた。

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俺は信じられない気持ちで俺を見つめる西野麻奈の顔をじっくりと見てみた。

この十か月間、ずっと見てきた顔だ。

山入端神社で逢った志乃さんは飾り気のないノースリーブのワンピースにスッピン、そして髪は肩まであるセミロングだった。

しかしその黒髪をショートにして化粧をすると目の前の西野麻奈になるではないか。

何故一緒に仕事をするようになってから今日まで十か月もの間、ほぼ毎日のように顔を合わせていながら全然気がつかなかったのだろう。

おそらく志乃さんはあの町の山入端神社に必ず居て、そこから出てくることはないという先入観から、そのような目で西野麻奈を見たことがなかったからとしか思えない。

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「さて、そろそろお開きにしようか。」

長内孝之が場を閉めて、打上げは解散となった。

店を出ると小出愛子はずっと離れなかった川口稔とすぐにどこかへいなくなり、長内孝之も福村祥子とカラオケに行くと言ってふたりで消えた。

そして自然に俺と西野麻奈が店の前に残された。

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「志乃さん、もう一軒どこかに行く?」

西野麻奈に聞くと彼女は首を横に振った。

「やっと、やっとやっとふたりきりになれたんだよ。啓太のお部屋に行きたい。

それから、志乃は精霊として山入端神社に住んでいる私の名前。

神社を出て、これから生贄の啓太と共に時を過ごしてゆくのは西野麻奈なの。だからこれからは麻奈と呼んで。」

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志乃さんと、いや西野麻奈と電車に乗り俺のアパートへ向かう間、目の前に立つ西野麻奈を見つめながらこれは夢ではないかと思った。

しかしアパートで照明を落とした暗いベッドで抱きしめた彼女の抱き心地は、忘れもしない志乃さんそのものだった。

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そして俺は彼女と暮らし始めた。

当然彼女には戸籍などなく、俺は法的には独身のままで彼女と暮らし続けた。

彼女のおかげなのか仕事は順調で生活に困ることなく日々は過ぎて行く。

そんな生活の中、彼女は時折家からいなくなる。

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一日で帰ってくることもあるし、数日返ってこない時もある。

彼女は何も言わないし、俺も何も聞かない。

彼女は時折あの神社に戻り、町の人達の様子を見ているに違いない。

正月や大祭の時は確実にいないのだ。

もしかすると彼女は人間として生活するために定期的にあの楡の木に戻らなければならないのかもしれない。

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そして俺は強く望み、彼女も特に拒むことはなかったが、彼女との間に子供は生まれなかった。

そして不思議なことに、と言うべきなのか、麻奈は俺と同じように歳を取っていった。

俺が老人になる頃には、彼女もすっかり可愛らしいお婆さんになっていた。

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そして一緒に暮らし始めて四十四年という時が過ぎた。

彼女のおかげなのか、それまで大きな病気もせず健康に暮らしてきたのだが、

俺は夏のある日、急に体調を崩した。

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病院のベッドで横になっている俺の手を麻奈は優しく握りしめ、皺の増えた顔でどこか寂し気に微笑んだ。

「啓太、長い間どうもありがとう。あなたと過ごした六十年間、私は本当に幸せだったわ。ご苦労様。」

そう、六十年という言葉で思い出した。

今年で俺は数え七十歳になる。

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六十年前の今日は逢魔ヶ時に山入端神社へクワガタを捕りに行ったあの日だ。

瞼の裏にあの時の白いワンピースを着た志乃さんの姿が浮かんだ。

志乃さん・・・・・

俺の方こそ、ありがとう・・・

俺を選んでくれて本当に幸せだった。

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俺が先に虹の橋を渡り、

そこで志乃さんを待っていても、

志乃さんが橋を渡ってくることはないんだよね。

願わくば、あの楡の木がこれから先も、千年、二千年と、あの神社に立ち続け、

そして志乃さんがまた次の生贄の男の子と素敵な日々が過ごせますように。

さようなら・・・

◇◇◇◇

FIN

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@たいまい さん、
コメントありがとうございます。
次回作を準備してますが、また長くなってしまいそうです。
短編はまだ少し先になりそうです。笑

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たしかに怖くは無いですが、魅力ある良いお話でした!
短編も楽しみにしています!

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