ゆーびきりげんまん うそついたらはりせんぼん のーます ゆびきった
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僕が幼なじみのアキと再会したのは、取引先の重役に誘われて訪れたキャバクラでのことだった。
はじめのうちはお互い気が付かなかったが、子供時代の話題になり、近所の公園でよく一緒に遊んだ女の子がいたこと、思えば彼女こそ自分の初恋の人だったことなど、とりとめもない話をしているうちに、「もしかして、カズくん……?」とアキの方から訊いてきたのだった。
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二十八になったアキは、美しい大人の女性になっていた。どこか陰のある表情もまた、僕の目には魅力的に映った。
僕らが男女の関係になるのに、そう時間はかからなかった。
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「帰るの? たまには泊まっていけばいいのに……」
「ごめん、明日朝から会議なんだ。また今度」
アキの住む部屋で行為を終えた僕は、シャワーで汗を流したあと、いそいそと帰り支度を始める。灯りを消した部屋は、情事の匂いに満ちていた。
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「……ねぇ。私たち、どういう関係?」
「なんだい、いきなり。恋人だろ?」
「会えるのは私がオフの日の夜、ちょっとの時間だけ……。ねぇ、わかるでしょ? 私たち、大人になったのよ。公園で遊んでた、あの頃とは違う」
ついにか。
いつかこういう日が来るとは思っていた。
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「うん、そうだね。僕だってちゃんと考えてるよ、その、結婚とか……」
「本当?」
「本当さ」
「本当に本当?」
「本当に本当さ」
「嬉しい。……ちょっと待ってて」
アキは裸のまま部屋を出ていった。
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ゴトン。
台所からなにやら音がしていたかと思うと、青い顔をしたアキが、それでも口もとに笑顔を浮かべて戻ってきた。小さな紙袋を手に持っている。
「これ、持っていって。あとで家で開けてね」
「なんだい、これ?」
「私の気持ち」
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アキの部屋を出た僕は、暗い夜道を歩きながら、財布の小銭入れに入れていた結婚指輪を取り出すと、左手の薬指にはめた。
「潮時だな……」
さあ帰ろう、家族が待つ我が家へ。
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「馬場さん、お疲れ様です……」
「おう。どうだった? 例の取り調べは」
若い刑事はげんなりした顔で応える。
「あの女、ガイシャと交際していたこと自体は認めてるんですが……」
「ヤったのは自分じゃない、と」
「ええ……」
ガイシャは伊藤健治、29歳、会社員。一方、ホシと思われる人物は門倉亜希、29歳。
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「伊藤は自分が既婚者であることを隠して、門倉と交際していたようです」
「悪い男だね」
「なんでもふたりは元々幼なじみだそうで、昨年、偶然門倉が働くキャバクラで再会して、関係を持つようになったそうで」
「この門倉って女は、ヤクザもんの情婦と調書にあるな……。その店も息がかかってんだろう。アブナイ職場恋愛もあったもんだ」
伊藤健治が死んだ。疑われたのは門倉亜希。なぜなら。
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「ガイシャの口の中に、女の小指が入ってた、っていうんだな?」
「はあ……。で、調べたところ門倉亜希が浮かんだそうでして……」
「最近小指をなくした女なんて、探し回ればすぐ見つかるだろうからな。しかし奴さん、なんでそんなもの咥えてた?」
「さあ……。その点以外も、ちょっと異常ですからね。俺、このヤマ関わりたくないっすよ、正直……」
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男の口の中からは、女の小指以外にも無数の針が出てきた。口だけでなく、食道からも、胃袋からもだ。飲み込まれたであろうそれらは、当然体内のあちこちに突き刺さっていた。
加えて、男の顔面は原形をとどめてはいなかった。そして、男の両手は血に染まっていた。自らの拳で、自らの顔面を破壊していたのだ。そんなことあり得るか?
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老刑事はしばし黙ったあと、つぶやいた。
「これはあれだなぁ……。『指切りげんまん』だな」
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指切りげんまん 嘘ついたら針千本飲ます 指切った
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「なんすか、急に」
「知ってるか? 江戸の昔、遊廓の女は、客の中でも心に決めた相手には、自分の小指を切って渡したそうだ。『きっと貴方と一緒になります』という証としてだ。この風習が、のちに形を変えて世間一般に浸透して、『約束のおまじない』になった。約束を破ったらひどい目にあわすぞ、と脅す文言を加えてな」
門倉亜希の切断された小指。苦界に身を沈めた女の、覚悟の証。
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「『げんまん』は『拳万』だ。約束を破ったら、拳でボコボコにするぞってことだな。同じく『針千本』の下りは針をたくさん飲ますぞ、ってことだ。どちらも契約不履行の際のペナルティだな」
拳で破壊された顔面。体内に刺さった無数の針。
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「……やっぱり、約束を反古にされた門倉亜希がやったんすかね?」
「やるってどうやってだ? テメェの拳で顔面殴ってんだぞ? 針だって、自分で飲まなきゃ胃袋までは届かねぇだろ」
門倉亜希も言っている。やったのは自分ではない、と。
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「でも、そんなことって……」
「だから言ったろ、『まじない』だって。そういうヤマもあるんだよ、ごくたまにな。にしても、痛かったろうなあ……」
「そりゃ、『げんまん』に『針千本』ですからね。あ、それとも女が自分で小指切ったことですか?」
老刑事は若い者の尻を平手で叩く。
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「馬鹿お前。約束を破られた女の心が、だよ」
作者綿貫一
ふたば様の掲示板、今月のお題は「灯り」「公園」「針」。
それではこんな噺を。