これは私、瀬長孝彦(せなが・たかひこ)が今は亡き女優に関して映画の撮影時に起こったと言う話の回想である。
時代劇で、夜鷹(よだか)………いわゆる娼婦の役を演じた気性の激しい女優が、周囲の女性達に野菜で叩かれる場面を演じた際、全部大根が折れて駄目になってしまったのだと言う。
「周囲の農家から買い上げたそうですね、小道具の大根が無くなってしまった際は」
「世間からはね、そんな風に言われてるみたいだけどさ」
頭をさすりながら、ニヒヒと女優は悪戯(イタズラ)っぽく笑みを浮かべる。気性が激しいと前もって注意を受けていて緊張していたが、私は探(さぐ)り探り彼女の話を聴いて行く。
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『あの………私も参加して良いでしょうか』
見ると、中性的な顔立ちの若い子が女優の前に立っている。
『誰よアンタ。誰が連れて来たの、垢抜けない顔付きだねェ』
『僕が………この子を連れて来ました』
荒々しい当時の撮影所には不釣り合いな、これ又ほっそりとした気弱そうな汗まみれの青年………見た目が幼い感じで少年にすら見える男が、若い子の隣に立っていた。
『お前っ!!大女優の鏑瀬(かぶらせ)女史に直談判なんて!雑用係は持ち場に戻れってんだ!』
顔を真っ赤にした助監督助手が、女優の傍から彼等を引き剥がそうと飛んで来る。
『面白そうじゃないか。私もプロだよ、死ぬ気でぶっ叩きに来なよ、御嬢ちゃん』
ペコリと御辞儀をした若い子が、リハーサル無しでと言い出した鏑瀬に従って、カメラの前で対峙する。演技が上手く行かなければ、ケチョンケチョンにしてやろうと言う、鏑瀬の今で言う公開処刑の意味合いも有ったのだろう。
『!!』
御辞儀をした直後の若い子が、能面………白い小面(こおもて)の様な冷たい表情で、大根を振りかざす。
心の中では怯んだが、表情に出さず、鏑瀬はふてぶてしい演技で挑発する。
バゴォっ!!
『あっ、畜生!やりやがったな!』
『カーット!』
見事に小道具の大根は鏑瀬の脳天を直撃し、絶叫する彼女の表情のアップで、監督のストップが掛かる。
『大丈夫ですか鏑瀬さん!』
昔の漫画で言う、頭に星がチカチカクルクル回転しながら目を回す様な表情でフラフラする鏑瀬に気付いて、雑用係の一人が氷嚢(ひょうのう)………棒に括り付けた氷水の入った袋を、彼女の額にゆっくりと当てる。
『おいっ!!何て真似してくれたんだ!』
助監督助手が青筋を立てて、雑用係の青年と、鏑瀬に小道具の大根を振り下ろした若い子を殴り付けようと見回す………
『あいつ等何処に消えやがった!御灸据えてやる!探せ探せっ!!』
『いちいち騒ぐんじゃ無いよ!』
穏やかに雑用係の一人に礼を言って、氷嚢を返した鏑瀬が助監督助手を一喝する。
『私はこの通りピンピンしてるし、監督もオーケーを出したよ。この件はこれで御開きにするからね!さあ監督、次の撮影と行こうじゃないか』
『────ああ、分かった』
ワンマンと称される映画監督も、突如出現して消えた二人やガーっと激昂(げっこう)した助監督助手、そして女優に圧倒されてしまった様である。
────撮影所の隅に、大根に見えたが太い棍棒(こんぼう)を白く塗って大根に見立てた小道具が転がっていた事には、誰も気付く事も無く。
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「────でね、更にこれには続きが有るのよ」
「────と、おっしゃいますと」
渋い顔をして、今迄喋らずに来たも同然な顔をした鏑瀬が重々しく口を開く。
「そのぶっ叩く演技をぶっつけ本番でやってくれた若い子と、連れて来た雑用係の男の子がね………」
「はい」
「────撮影所に来る何日も前に、飲酒運転のトラックに轢かれて亡くなってたのよ」
「ええっ!!」
「連絡を取ろうとして、雑用係の男の子の連絡先だけ分かって、電話を掛けたらね………一緒に歩いてた所に、路地からトラックが飛び出して来たんですって………二人共、即死だったって………」
演技の鬼と呼ばれた鏑瀬女史らしからぬ泣き顔と嗚咽(おえつ)が、古い思い出を開ける様に………正しくは、封印していた筈の感情と初めて向き合った事で、涙が止まらなくなっているのが窺える。
私もペンを走らせながら、彼女の話す彼等の悲しく悔しい最期と、辿り着きたかった想いとして撮影所に現れただろう姿に思いを馳せて、鼻の奥が酸っぱくなるのを感じた。
たったワンシーンながら、スクリーンに己の姿を焼き付けて行った中性的な顔立ちの若い子と、その子を売り込んだ青年は、確かに撮影所と映画のフィルムに足跡を遺して行ったのだと、私は感じずにはいられなかった。
作者芝阪雁茂
或る映画と小道具にヒントを得て、何とか書き上げたならぬ打ち上げる事が出来ました。
本作は実話に着想を得ながらも完全なるフィクションであり、元ネタになった女優さんのエピソードや、ヒントを得た或る映画に、本作の絡んで来るシーンや要素は存在致しません(汗)。