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長編10
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カーブミラー

竹崎浩太が部活を終え、部室を出て帰路についたのは夕方七時前だった。

夏休みに入ったばかりのこの時期は日没時間も遅く、太陽はこの時間になってようやく西の空から姿を隠そうとしているところだ。

高校三年のこの夏の大会で完全にハンドボール部から引退することになるため、必然的に練習にも熱が入る。

学校を出ると、くたくたになった足を引きずるようにだらだらと十五分ほど歩いて駅に向かい、電車をひと駅乗ったあと更に二十分ほど歩いて自宅へ帰るのだ。

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◇◇◇◇

「浩太!」

校門を出ようとしたところで、いきなり後ろから呼び止められた。

振り向くと夕焼けに赤く染まった笑顔で幼馴染の原田里美が小走りに近づいてくる。

幼稚園の時に彼女が近所に引っ越してきて以来、ふたりはずっと同じ学校に通っており、中学生の多感な時期も特にお互いを避けることもなく、仲の良い幼馴染の関係が高校生の今も続いているのだ。

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しかし幼馴染が故なのか、特別にお互いを恋人同士と確認し合っているわけではなく、高校三年生になり理系志望の竹崎浩太と文系志望の原田里美はクラスが別になり、何か用事がなければ学校で一緒に行動することは殆どなくなった。

それでも学校以外では買い物や映画、そして図書館での勉強など、誘い、誘われて一緒に行動しているような関係だ。

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「ブラスバンドの練習で遅くなっちゃった。演奏会が近いのよね。」

原田里美は当たり前のように竹崎浩太と並んで歩き始めた。

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「里美!竹崎君!」

また後ろから誰かが呼び止めた。

ふたりが振り返ると、原田里美と同じクラスの岩崎美紀がすぐ後ろに駆け寄って来た。

「ふたりの邪魔をして悪いけど駅まで一緒に帰っていい?夏休みで他に誰もいないし、こんな逢魔ヶ時にひとりで駅まで歩くなんて怖くて。」

彼女も部活帰りなのだろう。日が暮れれば女の子がひとりで歩くのを不安に思うのは当然だ。

「“オウマガトキ”って何?」

原田里美の問いに竹崎浩太が答えた。

「悪魔の魔に逢う時間と書いて逢魔ヶ時。日没直後から真っ暗になる迄の薄暗い時間帯のことさ。昔から異世界とつながる時間帯って言われているんだ。いいよ、こんな時間に女の子ひとりで歩くのは物騒だから一緒に帰ろ。」

竹崎浩太の承諾を得た岩崎美紀は嬉しそうに、原田里美と反対側に回って竹崎浩太の横に並んだ。

「ちょっと美紀、あんた、その立ち位置おかしくない?美紀は私と同じクラスの友達なんだから私の隣でしょう?」

「いいじゃない、竹崎君とは昔同じクラスで知らない仲じゃないし、それに里美は竹崎君に彼女として付き合ってくれと言われたことはないって言っていたじゃない。」

「それと美紀が隣にいるのと何の関係があるのよ。」

「私、常に竹崎君の隣を歩けるように立候補しちゃおうかな、なんてね。」

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竹崎浩太は学校の女子の間で比較的人気が高く、バレンタインデーはカバンとは別に紙袋を用意しなければならないほどなのだ。

残念ながら竹崎浩太は岩崎美紀のことは何とも思っていなかったが、原田里美との関係も大学受験が終わるまで特別なものに変えたくはなかった。

話がおかしな方向へ進んでいるので、竹崎浩太は慌てて別な話題を持ち出した。

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「逢魔ヶ時で思い出したけど、この先にある公園の出入り口のところにカーブミラーがあるのを知ってる?」

竹崎浩太は左右でふたりが首を横に振るのを確認すると、そのまま歩きながら話を続けた。

「ふたりとも必ずその前を通っているはずなんだけど、意識していないとなかなか記憶には残らないよね。そのカーブミラーが変なんだ。」

「何が変なの?」

原田里美が話に乗ってきたので少しほっとしながら竹崎浩太は話を続けた。

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「そのカーブミラーはこの先にある公園の入り口の前で突き当たったT字路に立ってるんだけど、カーブミラーって普通は俺達が歩いているこの道路から交差する道路左右から車が来ていないか確認するために、道路の向こう側に左右で二個置くのが普通だよね。」

両手をT字にして竹崎浩太は説明を続ける。

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「でもそのカーブミラーは俺達が歩いている道路の左側の角に一個あるだけなんだ。そしてそのミラーの向きが変でさ、こっちを向いてるんだよね。だからこの道路を走る車から見ると自分の車しか映っていないんだよ。」

「なにそれ、変なの。そんなミラー、全然記憶にないわ。浩太はそのミラーを実際見てみたの?」

原田里美の質問に竹崎浩太は頷いた。

「ああ、帰り道だからね。本当に何のために立っているのか全く分からないんだ。」

「でもそのミラーと逢魔ヶ時に何の関係があるの?」

岩崎美紀が尋ねたが、竹崎浩太はそれには答えず前方を指差した。

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「ほら、あそこだよ。」

薄暗い中、三人は歩道のない四メートル幅の道路を歩いており、その五十メートルほど向こうの正面に公園の入り口が見えている。あのT字路を右に曲がって行くと駅の方向だ。

先ほどの話からするとその左側の手前角にミラーが立っているはずなのだが薄暗い中で三人がいる位置からは良く見えない。

しかし近づいて行くと確かに竹崎浩太の話の通り、左側の住宅の塀の角の所に丸いミラーが立っていた。

「それでね、逢魔ヶ時にあのミラーを見ると不思議なものが映っているんだって。」

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「不思議なものって?」

原田里美が不安そうな表情を浮かべて竹崎浩太の制服の袖を掴んだ。

「さあ、噂によって違うんだけど、人だったり、奇妙な形をした動物だったり、変な光だったり、いろいろみたいだよ。俺は、この時間にここを歩くことはあまりないから、自分で見たことはないんだけどね。」

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今歩いている道路は立ち並ぶ住宅の間を抜けており、めったに車は通らない。

目の前を横切っている公園前の道路も片側一車線で、それなりの幅がある割に時折思い出したように車が通る程度であり、所詮閑静な住宅地の中なのだ。

この寂しい雰囲気ではそんな噂が立っても不思議ではない。

三人は交差点まで来ると、左に寄って角に立っているミラーへと近づいて行った。

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空を見上げると西の空はまだうっすらと明るいが、もう間もなく夜の帳がしっかりと降りてしまう。

しかし、その交差点には街灯があり、その明かりで三人の姿はしっかりとミラーに映っている。

「本当だ。まったく役に立ってないわね。」

岩崎美紀がミラーを見上げて呟いた。

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「じゃあ、ミラーに何か見えるか、見てみようか。早くしないと逢魔ヶ時が終わっちゃう。」

怖がって渋るふたりを急き立てるようにして三人はミラーから少し離れてミラーに向かって横に並んだ。

その時だった。

「きゃ~!」「わ~っ!」

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ミラーを見た途端、両脇の女の子ふたりがほぼ同時に悲鳴を上げ、持っていたカバンを投げ出して竹崎浩太に抱きついてきた。

左右ほぼ同時で抱きついてきたので耐えられたが、もしどちらかひとりだったら、いくらハンドボールで鍛えている体でもこの不意打ちのタックルではひっくり返っていたかもしれない。

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「ど、どうした?」

「うしろ!うしろ!」

竹崎浩太の肩に顔を押し付けたまま、原田里美が叫んだ。

慌てて竹崎浩太は後方を振り返ったが誰もいない。

「誰もいないよ。大丈夫。」

「違うの!ミラーよ、ミラー!」

竹崎浩太はもう一度ミラーを見上げた。

そこには魚眼になっている鏡面の真ん中近くに両脇に女の子が抱きついている彼の姿が映っている。

そしてそのすぐ後ろには、髪の毛をぼさぼさに伸ばした浮浪者のような見たことのない男が立っているではないか。

竹崎浩太はもう一度背後を振り返ったがやはり誰もいない。

しかしミラーにははっきり映っているのだ。

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抱きついた両脇のふたりも怖いと言いながら、竹崎浩太の肩に顔を押し付けたまま横目でミラーを注視し続けている。

竹崎浩太は恐怖感に駆られながらも、ふたりを両腕で抱え込む様にして抱きしめた。

背後に立っている浮浪者は後ろから覗き込むように、女の子達と竹崎浩太の横顔を眺めている。

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直接その姿は見えないが、岩崎美紀には耳の後ろ辺りでその荒い息遣いがはっきりと感じられた。

気持ち悪い・・・

岩崎美紀はぎゅっと顔を竹崎浩太の肩に顔を押し付けたが、その時にふと思い出した。

数年前、この公園で浮浪者が撲殺される事件が起こっていた。

現場の状況から犯人は複数のようだが結局犯人は捕まっていないと聞いている。

ウチの高校の不良グループの犯行だという噂もあった。

今、背後にいるのはその浮浪者の幽霊なのだろうか。

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「いや!やめて!お尻触らないで!」

いきなり原田里美が大声を出して体を反転させて竹崎浩太の前に回り、彼の胸に抱きついた。

「いや~っ!やだ!」

今度は岩崎美紀が悲鳴を上げた。

竹崎浩太は咄嗟に彼女を振り返ったが、彼女の周辺には何も見えない。

咄嗟にミラーを見ると、浮浪者が岩崎美紀の背後から抱きついているではないか。

反射的に竹崎浩太は体を捻り、反対側の腕で浮浪者を振り払おうとしたが、その腕は空を切った。

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(とにかくこのふたりを守らなきゃ。)

どうする?

自問した竹崎浩太は、抱きついている原田里美と共に岩崎美紀を前に抱き抱えて、脇にある住宅の塀にふたりを押し付けるようにして体でふたりを覆い隠すようにした。

竹崎浩太のすぐ後ろで浮浪者の荒い息遣いと共にくっくっという含み笑いの声が聞こえた。

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こいつが消えてくれるまでこのまま耐えるしかない・・・

竹崎浩太はふたりを抱きしめたままそう考えた時、ふと足元に転がっているこぶし大の石が目についた。

何故そうしようと思ったのか自分でも分からなかったが、竹崎浩太はその石を拾い上げてカーブミラーへと投げつけた。

さすがハンドボール部と言うべきか、石は見事に鏡面の中央に当たった。

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べこん!

通常カーブミラーは、鏡ではなく磨いた金属板であり割れることはない。

鏡面は見事に凹み、三人と浮浪者が映っていた姿が大きく歪んだ。

そして竹崎浩太はすぐにまた塀際に立つふたりに覆い被さり、ぎゅっと抱きしめた。

そしてそのまま、数十秒なのか数分だったのか、三人は身動きせずにじっと目を瞑っていた。

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「いなくなった?」

腕の中で岩崎美紀が小さく呟いた。

竹崎浩太と原田里美も少し顔を上げて周囲の気配を伺った。

確かにもう息遣いは聞こえない。

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ミラーを見るとちょうど中央が直径十センチ程へこんでいるが、三人が体の位置を動かし、凹んでいない部分に自分達の姿を映してみたが浮浪者の姿はない。

「本当だ。今のうちに逃げよう!」

三人はカバンを拾い上げると小走りに駅の方へと駆け出した。

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「きゃ~っ!あそこにいる!」

公園入口のT字路を駅に向かって右へ曲がったところで原田里美が叫んだ。

公園の方を見ると、公園の入り口にあの浮浪者がじっと立ってこっちを見ていた。

何が違うのか、今度は直接目で見ることが出来る。

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三人はそれ以上声も出せずに全力で走り、ひと通りの多い駅前通りに出たところでようやく足を止めた。

背後を見ても浮浪者がついて来ている様子はない。

「良かった。何とか逃げられたみたいだな。とりあえずふたりとも無事でよかった。」

「あれは一体何だったの?」

原田里美が彼に問いかけたがもちろん彼が答えを知っているはずはない。

岩崎美紀がさっき思い出した浮浪者が殺された事件の話をすると、竹崎浩太と原田里美は顔を見合わせた。

「でもお尻触ったり、抱きついてきたり、撲殺された恨みで出てきてる幽霊って感じじゃなかったけどな。」

原田里美が眉間に皺を寄せてそう言うと岩崎美紀は悪戯な笑みを浮かべた。

「死因はどうあれ、ただのJK大好きオジサンだったんじゃないの?だからウチの不良グループにボコされちゃったんだよ。きっと。」

何となく筋が通っていそうな岩崎美紀の意見に竹崎浩太と原田里美は肩を竦めて笑った。

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「今後は日没前後に帰る時にあそこを通らないほうがいいね。少し遠回りだけど別な道を通って帰ろう。卒業まで残り半年だしね。」

「あ~あ、高校生活もあと半年か。」

岩崎美紀がため息とともに駅に向かって歩き出すのを竹崎浩太と原田里美が追いかけ、また三人で並ぶと駅へと向かった。

「でもやっぱりいざという時に頼りになる人が傍にいると違うな~。竹崎君ってがっしりしてるから抱きつき甲斐があったわよね。私も欲しいな~。ねえ、里美、竹崎君を私に譲ってくれない?」

「また言ってる。あんたは家のワンコでも抱きしめていれば?」

「ひっど~い。でもそれって暗に竹崎君は譲らないわよっていう意思表示よね。竹崎君の制服にたっぷり涎をつけちゃってさ。いいわ、里美の涎のついた竹崎君なんか、い~らないっと。じゃあ私は反対側のホームだから。じゃあね、竹崎君、今日はどうもありがとう!」

岩崎美紀はそう言って笑いながら、駅の階段を駆け上がって行った。

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「涎?」

竹崎浩太が自分の肩を見ると、原田里美が顔を押し付けていたところに、確かに涎の跡がある。

本当に怖かったのだろう。

「きゃ~っ、ホントだ。ごめんね!」

原田里美は慌てて自分のハンカチを取り出すと竹崎浩太の腕を掴んで涎の跡を拭き始めた。

「いいよ。気にするな。あ、電車が来るよ。」

「ごめんね。」

原田里美は謝りながらも掴んでいた腕を離さずにそのまま腕を組み、竹崎浩太を引っ張るようにしてホームに入ってきた電車へと歩き始めた。

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(美紀に言われなくたって、浩太には私がず~っと昔から唾をつけてあるんだもん。)

そう思ってにやつきながら、竹崎浩太と腕を組んだまま電車に乗り込もうとした時だった。

何か背中に冷たいものが走ったように感じた。

電車のドア部分から水でも垂れてきたのかと振り返ったところで、すぐ耳元で声がした。

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(オレモ・・・オマエニ・・・ツバツケタ・・・)

全身に鳥肌が立ち、周囲を見回した。

すると電車に乗り込もうとする人混みの中にチラっとあの浮浪者の姿が見えた気がした。

◇◇◇◇ FIN

Concrete
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