長編11
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廃ホテル

お盆休みの最終日ということで、案の定、高速道路はびっしり渋滞していた。

佐野孝之は社用のバンをひとりで運転しながらため息を吐いた。

連休前に納品したシステムの調子が悪く、なんとか連休中に修理して欲しいという得意先からの依頼によって長野まで出張し、ようやく仕事を終えて東京へ戻る途中なのだ。

「ちぇっ、東京に着くのは一体何時になるんだよ。」

車はようやく長野道から中央道へ入る岡谷ジャンクションに差し掛かっているが、時刻はもう午後八時を過ぎている。

東京まではまだ百五十キロ以上。

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道路に設置されている電光掲示板の交通情報によると、この酷い渋滞は連休に重ねて、相模湖インター付近での事故が原因であり、渋滞は東名高速の方がまだましなようだ。

ようやく茅野に差し掛かったところで、佐野は我慢しきれなくなり高速を降りて一般道に入った。

中央道と並行に走る国道20号も同様に渋滞しており、そちらも避けて国道152号に入った。

地蔵峠を越えて天竜川沿いに静岡まで抜けて新東名に乗るつもりなのだ。

相当な遠回りになるが、ざっくり計算してあまり時間は変わらず、そもそも車を運転することが嫌いではない佐野にとっては動いているのか走っているのか分からないような高速に乗り続けるよりも、峠道を走り続けた方が精神的に楽ということなのだろう。

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茅野の市街を抜け、地蔵峠に向けて車を走らせる。

あの高速や国道20号に並んでいた大量の車の列が嘘のように感じられ、本当に同じ地域、時間なのかと思うくらい国道152号線は空いていた。

これから先はしばらく何もない山の中だ。

佐野は念のためガソリンスタンドに寄り、ついでに隣のコンビニで飲み物と簡単な食べ物を調達すると市街地を離れ、山の中へと向かいアクセルを踏んだ。

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しかし浜松までのおおよそ半分を超えたあたりから、佐野に睡魔が襲ってきた。

仕事の疲れに渋滞が加わり、軽く食事をした後で闇の中の単調なドライブだ。

山道の曲がりくねった道をそれなりのスピードで走っている緊張感がある程度眠気を抑えてくれているが、このままではマズいかなと佐野は感じ始めていた。

どこかで車を停めてちょっと気分転換をしよう、佐野はそう考えてややスピードを落とし車が停められそうな場所を探した。

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そしてそこから五分ほど走ったところで、ハイビームのヘッドライトが左前方にある派手な色の看板を照らし出した。

ここに入れという矢印が看板の下についているが、看板自体に照明は灯っていない。

減速しながら近づくと、それはラブホテルの看板だった。

矢印が示す通り、看板の下が入り口になっているようだが、営業している様子はない。

佐野はここで車を停めてひと休みしようと、さらに減速して看板の下を曲がった。

入り口はコンクリートで覆われた軽い上り坂のアプローチになっているのだが、ひび割れて雑草が生えている。

営業を止めてかなりの時間が経っているようだ。

アプローチの脇に立入禁止の立て札があったが、幸い特別なガードなどはなく、佐野はホテルの敷地に車を乗り入れた。

ヘッドライトの光が敷地を照らすと、両側に二棟の建物が建っており、一階部分がすべてガレージになっている。

そしてそのガレージのすぐ脇に二階へ上がる階段が見える。

客は直接空いている部屋に車を乗り入れ、部屋に入ってからチェックインするシステムであり、随分昔に流行ったスタイルだ。

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佐野は各部屋へのアプローチになっているロータリー沿いに車を停めるとグローブボックスから備え付けの懐中電灯を取り出した。

エンジンを止め、ヘッドライトを消すと辺りは暗闇に包まれる。

月は出ていないが、星明りだけでうっすらと周りの様子は分かるものの、荒れた敷地の中は懐中電灯なしではとても歩ける状態ではない。

周囲は静まり返り、時折国道を通り過ぎる車の音が聞こえるだけだ。

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マニアと呼ぶほどではないが、佐野は廃墟を訪れることが結構好きだった。

旅行先などでちょっと見て行こうと友人を誘うと、変わっているとよく言われるのだが、佐野自身はそう思っていない。

多くの人が昔の遺跡や建物を観光で訪れ、はるか昔のその時代に思いを馳せる。

それと基本は同じで、単に時間軸が数年から数十年と短いだけのことなのだ。

その建物と共にそこが廃墟となる前にそこにいた人達の生活や思い、そしてその残骸。

「兵どもが夢の跡」

その空しさ、無常感が何とも言えないのだ。

佐野の場合は肝試しとして探索しているわけではないので、廃墟へは敢えて夜中に訪れることはないのだが、偶然通り掛かったこの場所は二度と来ることはないだろう。

それにこのような廃墟は後日出直しても更地になってしまっていることも少なくないのだ。

「眠気覚ましに、少しだけ覗いてみるか。」

そんな軽い気持ちだった。

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車を出て懐中電灯を点けると、もう一度ぐるっと建物を照らしてみた。

二棟合わせて十数部屋分のガレージが並んでおり、とても全部は回れない。

佐野は、特に理由はなく並んだ部屋のひとつに足を踏み入れた。そこが比較的傷みが少ないように見えたからかもしれない。

ガレージを覗き込むとそこにはゴミ袋やマットレス、壊れかけた椅子などが散乱していた。

ガレージ脇の階段を下から懐中電灯で照らしてみると、障害になるようなものはなく、一番上に見える扉は半分ほど開いている。

佐野は階段が傷んでいないか慎重に確認しながら登っていった。

この建物自体はそれほど古くないのかもしれない。階段は軋むこともなくしっかりと佐野の体重を受け止めている。

階段を登り切るとそこは半畳ほどの踊り場になっており、開いている扉が黒々とした部屋の中へ誘っているようだ。

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懐中電灯をかざして中に入ると正面にはソファとテーブルが置かれていたと思われるスペースがあり、その奥にはマットレスのない大型のベッドが置かれている。

床に散乱するゴミに注意しながらベッドの脇まで進むと、佐野は部屋の中を見回した。

いま入ってきた扉の横がガラス張りの大きな浴室になっており、ガラスの向こうには浴槽、シャワー、トイレがすべて丸見えの状態で並んでいる。浴室の中は大きなゴミもなく比較的綺麗な状態だ。

佐野はマットレスのないベッドに腰を下ろした。

いったい何組のカップルがここで時を過ごしたのだろうか。

幸せな時間を過ごしたカップルが多いのだろうが、喧嘩をしたり、別れ話をしたカップルもいたかもしれない。

少しの時間、この部屋が見てきたであろうカップルに思いを向けると佐野は立ち上がった。

そしてもう充分だと部屋を出ようとした時だった。

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(孝之さん)

名前を呼ばれたような気がして、佐野は立ち止まり振り返った。

もちろん部屋は真っ暗で人の姿はない。

しかし、こんな見知らぬ場所で自分の名を知る人がいるはずはないのだ。

空耳だろう。

そして佐野が再び出口に向かおうとすると再び声が聞こえた。

(孝之さん)

どこかで聞き憶えのある声だ。佐野は振り返って部屋の中を懐中電灯で照らした。

すると今まで佐野が腰を下ろしていたベッドに腰掛ける女性の姿があった。

うっすらと笑みを浮かべてこちらを見ているその女性の顔を佐野はまじまじと見つめた。

「里佳子・・・?」

佐野に名前を呼ばれ、その女は満面の笑顔になり頷いた。

ここにいるはずのないその女性の姿に、佐野は恐怖よりも喜びが湧きあがってくるのを感じた。

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◇◇◇◇

里佳子は今から十五年ほど前、佐野がまだ大学生だった頃に付き合っていた女性だった。

佐野と同学年で一年生の時に大学のサークルで知り合い、個人的に付き合うようになった。

しかし彼女は大学四年の時に白血病であの世に旅立ってしまったのだ。

痩せ細り青白い顔をして、里佳子の両親と佐野に見守られて病院のベッドで息を引き取った。

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◇◇◇◇

しかし今佐野の目の前にいるのは、一緒に遊び回っていた頃のふっくらとした元気な里佳子だ。

(逢いたかった・・・ずっと逢いたかったの。)

里佳子はそう言って両手を佐野に向かって突き出した。

佐野は思わずベッドに近づき、差し出された里佳子の手を握り返そうと手を伸ばした。

そして懐かしい里佳子の手に触れると思った瞬間、手に持った懐中電灯が突然消えた。

佐野はどうしたのかと慌てて暗闇の中で懐中電灯を振ったり、叩いたりしてみた。

何度か叩くとふっと再び点灯した。

ほっとしてベッドを見ると里佳子の姿がない。たった今までここに座り、自分に向かって手を伸ばしていたはずだ。

明かりが消えていたのはほんの数秒だ。

佐野は部屋の中を見回したが、里佳子の姿は何処にもなかった。

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「うわぁ~っ!」

佐野は大きな叫び声をあげた。

それは恐怖から湧きあがったものではなく、消えてしまった里佳子に対する咆哮だった。

佐野の目からは大粒の涙がこぼれ落ちた。

里佳子がこの世を去った後、佐野は何か月もの間、事ある毎に繰り返し泣いていた。

もう一生立ち直れない、そう思った。

しかし人間は忘れることで前に進む生き物だ。

いつの頃からか、それまで毎週のように通っていた里佳子の墓参りも月に一回となり、お盆と彼岸だけなり、やがてまったく訪れなくなっていた。

里佳子の両親も気を使っていたのだろう、法事の案内も三回忌が最後だった。

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しかし目の前に里佳子が現れた、このたった数秒間で、佐野は一気に十五年前に引き摺り戻されてしまった。

「里佳子・・・里佳子・・・」

涙が止まらない。

戻ってくるにしても、数秒で消えてしまうなんて残酷過ぎる。

あれは心の中のどこかで眠り続けていた里佳子への思いが見せた幻覚だったのか。

佐野は涙を拭って立ち上がると、再び懐中電灯で部屋中を照らしてみた。

里佳子がまだこの部屋のどこかにいるのではないか、そんな思いだった。

しかし静まり返った部屋の中にいるのは彼ひとり。

何度見直してもそこは使われなくなって久しい、荒れたラブホテルの部屋であり、里佳子の姿は何処にもなかった。

やはり幻影だったのか。

そうだよな。彼女は死んだんだ。

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佐野はベッドの上に懐中電灯を置くと、再びベッドの端に腰掛け、大きくため息を吐くと再び涙を拭った。

そしてもう一度大きくため息をついた時、部屋のどこかでゴソゴソと小さな物音がした。

思わず頭を上げて周りを見回すが誰もいない。

いまの佐野の胸には恐怖心が入り込む余地はなかった。

もしこの部屋に自分以外の存在があるとすれば、それは里佳子なのだと何の根拠もなくそう思い込んでいた。

しかし音の聞こえた辺りを注視してみたが何も動くものはなく、ゴミが散乱しているだけだ。

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◇◇◇◇

突然、浴室の方向から水の流れる音が聞こえ始めた。

驚いてそちらを振り向くと、光の焦点からずれた懐中電灯の淡い光の中で、ガラス張りの浴室の中で女がシャワーを浴びている姿が見えるではないか。

佐野は思わず駆け寄り、ガラスに貼りつくようにしてこちらに背中を向けてシャワーを浴びている女を見つめた。

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(違う!里佳子じゃない。)

里佳子はボーイッシュなショートヘアだったのだが、中でシャワーを浴びている女は長い髪の毛を束ねて頭の上に巻き上げている。

女は見つめる佐野に気がついた様子で、湯がほとばしるシャワーを掲げたままゆっくりとこちらを振り向いた。

それは佐野には見覚えのない女だった。

40歳くらいだろうか。そのやや崩れた体型も、決して美人とは言えないその顔立ちも、里佳子とはまるっきり違う。

佐野はその女の正体について考える間もなく後ずさった。

そして女がにっと笑い、ガラス越しに佐野の方へ歩み寄ってきたところで、まるでテレビのスイッチを切ったようにガラスの向こうは真っ暗になり何も見えなくなってしまった。

その途端に佐野は我に返った。

(今の女は一体何だったんだ?)

周りを見渡しても相変わらず暗く荒れたラブホテルの一室で、静まり返り誰もいない。

佐野は懐中電灯を掴んで浴室へ入りシャワールームを確認してみたが、そこは埃を被った風呂桶がひとつ転がっているだけで、まったく濡れている様子はなかった。

今のは幻覚だったのだろうか。

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もう一度浴室全体を見渡したが特に変わったところはない。狐につままれたような気分で浴室を出ようと振り返った時、洗面台の鏡に映っているガラス越しの部屋の中のベッドの脇にぼんやりと白い影が動いているのが見えたような気がした。

里佳子かも知れない。

佐野はそう思い、急いで浴室を飛び出した。

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やはりベッドの横に立っていたのは里佳子だった。

佐野を見つめて微笑んでいる。

「里佳子」

佐野はふらふらと里佳子の傍へ歩み寄った。

「里佳子、逢いたかった。」

佐野自身、里佳子がもうこの世にいないことは百も承知している。

しかし目の前にいる里佳子が幽霊なのか、幻なのか、そんなことはもう考えるに値しない疑問だった。

逢いたかった里佳子がいま目の前にいる。それがすべてだ。

この十五年の間、忘れたことはなかったと言えば嘘になる。

忘れていた。

しかしあの時の佐野の里佳子への思いは紛れもなく真実であり、突然絶たれたその思いを忘れるために何年もの時を費やした。

そして残酷にも里佳子は再び佐野の前に現れ、彼の努力を振り出しに戻したのだ。

佐野は先ほどのようにまた里佳子が消えていなくなってしまうのではないかという恐怖心から、里佳子を抱き寄せると骨が折れるのではないかと思うほど強く抱きしめた。

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(孝之さん、痛いよ。)

里佳子がそう訴えても、佐野はそのまま力一杯抱きしめていた。

(もっと優しくして・・・)

次に聞こえた少しかすれた声は里佳子の声ではなかった。

驚いた佐野が体を少し離して顔を見ると、自分が抱きしめているのは里佳子ではなかった。

佐野の目の前にある顔は先程シャワーを浴びていたあの怪しい女だった。

佐野は驚いてその女を突き離そうとしたが、今度は逆にその女がしっかりと佐野に抱きついて離れない。

「里佳子?里佳子は何処へ行った?」

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女から離れようともがく佐野に女はうっすらと笑みを浮かべて言った。

(里佳子なんて女はここにいないわ。私があなたの心の中にあった姿を借りただけ。)

その言葉を聞いて佐野の動きが止まった。

何て酷いことを・・・

(やっと諦めたわね。)

そして女が唇を重ねようと醜怪な顔を近づけてきた時だった。

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― 孝之さん、逃げて! ―

突然頭の中に響いた里佳子の声で佐野は我に返った。

どう考えてもこの女は人間じゃない。

佐野の胸に一気に恐怖心が湧きあがった。

「うわ~っ!」

佐野は大きな声をあげ、渾身の力で女を突き飛ばすと、出口へと突進してそのまま部屋の外に飛び出した。

そして外の階段を転げ落ちるように降りると、夢中で車へと駆け寄った。

ポケットから車のキーを取り出しながら佐野は後ろを振り返ったが、女が追ってきている様子はない。

女はあの部屋の地縛霊であの部屋から出ることは出来ないのだろう。

助かった。

佐野はそのまま車に飛び乗ると車をスタートさせ、ホテルの敷地から逃げるように飛び出した。

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◇◇◇◇

あの里佳子の声がなかったらどうなっていたのだろう。

佐野は車を走らせながら考えていた。

もしあのまま女の思うようになっていたら・・・

考えただけでもぞっとする。

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今度のお盆休みには、里佳子のお墓参りに行こう。

自分は里佳子の事を忘れていたのに、彼女はまだ傍にいるのだ。

お礼を言わなければ。

◇◇◇◇ FIN

Concrete
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うーん!!どんどん続きが気になって引き込まれてしまいました。話の流れや表現がとても上手で勉強になります...

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