駅を出て自宅マンションへ向かう途中、飲み屋や小売店が並ぶ繁華街を歩いていると、ふと小さなレンタルビデオショップの看板が目に留まった。
毎日ここを歩いて通勤しているが、今日まで気がつかなかった。
その看板は地下へと降りる階段の前に置かれており、店は地下にあるようだ。
忙しかった仕事は、期末の追い込みも一区切りつき、久しぶりの早めの帰宅。
普段は深夜に帰宅することが多いためこの店は閉まっており、これまで気づかなかったのだろう。
独り暮らしであり、普段は早めに帰宅しても、弁当を食べながらテレビを見て寝てしまうのが常だ。
今日も基本パターンは同じだが、金曜であり、ゆっくりDVDでも見ようかとその階段を降りていった。
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◇◇◇◇
俺の名は河合圭介。
通信機器の法人向け営業の仕事をしており、二十九歳で独身。
今は彼女もいない気ままな生活を楽しんでいる。
昨年、付き合っていた我儘な彼女と別れてから、特定の彼女のいない生活もまんざらではないと思っている。
別れた彼女が非常に我儘だったこともあるが、素敵な女性がいないかと社内での飲み会や外部の合コンに気ままに参加すること自体が楽しいことに気がついてしまったのだ。
それでももう二十九歳。取り敢えず三十歳までは今の生活を楽しみ、三十を超えたら真剣に婚活するつもりだ。
もちろんそれまでにコレという女性に出会うことが出来ればこの限りではない。
とにかく三十を超えるまでは焦らないと勝手に決めているだけのことである。
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◇◇◇◇
地下に降り、一瞬バーかスナックを思わせるような木製の扉を開けると、店内はごく普通のレンタルビデオ屋だった。
縦に四列ほどの棚が並び、学生風の男性店員がふたり、カウンターで暇そうに立っている。
「いらっしゃいませ。」
手前側に立っていたロン毛の店員が俺に気がついて声を掛けてきた。
軽く会釈を返し、そのままレンタル用のDVDが並んだ通路へと入っていった。
さて何を借りようか。
映画は基本的にSFモノが好きなのだが、メジャーなところは殆ど見てしまっている。
目新しい映画は多分ないだろう、B級でも攻めてみるか、などと思いながら反対側の棚にあるややマイナーなSF映画の棚に移動すると、その前に大学生くらいの女性が立っていた。
セミロングの髪に白のトレーナーとデニムのスカートといったごく普通のいでたちだ。近所に住んでいるのだろうか。
この通路には他に客はおらず、すぐ傍に立つのは気が引けた。
それでも近くまで行ってその女性が移動するのを待つつもりで、目の前の棚に目を移した。
目の前はSFホラーの棚だった。結構マニアックな国内外のB級映画やドラマが並んでいる。
意外に面白そうなDVDがあるなとその棚を物色していると、ふと横に人の気配を感じた。
顔を向けると、先ほどの女性がじっとこちらを見ている。
俺が彼女の視線に気がついて彼女の顔を見ても、物怖じしない性格なのか視線を逸らそうとしない。
「ホラーがお好きなんですか?」
その女性はにっこりと微笑んで声を掛けてきた。
どこか幼い可愛らしい顔立ちで、見知らぬ男性にいきなり声を掛けるようなタイプには見えない。
「いえ、基本はSFですね。でもホラーも時々見ますよ。」
そう答えると、その女性はあるDVDを指差した。
「このドラマ、先日見ましたが結構面白かったですよ。」
彼女が指差した先にあったのは、『Fact Concealment Of Your Neighbors(隣人の秘密)』という邦画のドラマだった。
手に取ってみると八つの話に分かれたオムニバス形式になっていて、一話あたり二十分程度、全部で百六十分になっている。
少し長いが、週末の夜を過ごすには良いかも知れない。
「面白そうですね。」
DVDのジャケットから顔をあげ、女性の方に顔を向けるとそこには誰もいなかった。
周りを見回してもどこにもいない。別な通路へと移動したのだろうか。
不思議に思いながらも、わざわざ探し回るのも下心が見え見えのようでためらわれた。
他にこれというDVDもなく、ひょっとしてまたあの女性と偶然会った時に気まずい思いをしたくないと思い、彼女が薦めてくれたドラマを借りることにした。
マンションへ帰り、堅苦しいスーツを脱ぎ捨てシャワーを浴び、寝巻代わりのスウェットに着替えるとようやく一息。
弁当の前に座ってビールの栓を抜くと、借りてきたDVDをデッキにセットして再生ボタンを押した。
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◇◇◇◇
ドラマはミステリー仕立てのSFホラーでそれなりに面白かった。
最初の話は、強制的に幽体離脱をすることができる機械を発明した科学者が自ら幽体となり、恋人に取り憑いている幽霊と戦う話。
2話目は、死んだ人と会話できる近未来の葬儀で、残された妻が親戚一同の前で亡くなった旦那と赤裸々な痴話喧嘩をする話。
3話目は死後に蘇る薬を発明したのだが、蘇った体には何故か別の幽体が宿っているという話。
大まかな流れだけを説明するそれほどでもなさそうだが、俳優はほとんど見たことのないようなB級作品ながらそれなりの出来栄えであり、八話全てを一気に見終わってしまった。
時計を見ると既に零時になろうとしている。
これでこのDVDは終わりのはずだが、全話終わってもメニュー画面に戻らずにいきなり画面が切り替わった。
一瞬の砂嵐に続いて画面に映し出されたのは、どこかの戸建てが建ち並ぶ住宅地の中にある児童公園の入り口のようだ。
ジャケットには何も書かれていなかったが、NG集のようなおまけの映像なのだろうか。
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◇◇◇◇
昼下がりと思われるその公園には小さな子供達とそのお母さんが集まっており、子供達は賑やかに砂場やブランコで遊び、お母さん達はその横に集まって世間話に花を咲かせている。
どこにでもありそうな平和な風景だ。
カメラはそのまま公園の中に入り、真っ直ぐに砂場へ近づいてきた。
小さな砂場では五、六人の子供達が所狭しとばかりに自分の陣地を確保して思い思いに遊んでいる。
画面はそのまま砂場を横切り、その向こうで立ち話をしているお母さん達に近づいて行く。
何故かその画面に妙な違和感を覚えた。
何に違和感を覚えたのか分からず、再生位置を少し戻した。
再び、砂場の手前からカメラが近づいて行く、そして画面はそのまま遊ぶ子供達を画面の下へ移動させながら砂場の中央を横切り、お母さん達へと近づいて行くのだ。
そう、カメラを構えている人は、砂場にいる子供達を踏み越えて行ったように見える。
画面は全く上下にブレることなく、砂場の上をすっと通り過ぎた。
上手にズームを使っているのだろうか。
そして五人で固まって立ち話をしているお母さん達がどんどん画面に近づいてくる。
しかしこちらに背中を向けているお母さんも、その向こうでこちらを向いているお母さんも、誰もカメラに注意を払おうとしない。
そしてカメラは更にお母さん達に近づき、こちらに背中を向けているお母さんの後頭部がどんどん画面に広がる。
そして画面が全て髪の毛のアップを映し、危ない、ぶつかった、と思った途端に画面が真っ黒になった。
そして次の瞬間、先ほどこちらを向いて喋っていたお母さんの顔がいきなりアップで現れ、すぐにそのお母さんの鼻の下あたりにズームインしたと思うとまた画面が真っ暗になり、次の瞬間、画面はお母さん達の背後にあった公園の周囲を囲むフェンスとそれに沿って植えられた植栽を映し出した。
そう、画面は立ち話をしているお母さん達の真ん中を突き抜けて進んだのだ。
なんだこれは。
どのように撮影した映像なのだろうか。巧妙に作られたCG映像なのか。
そして更に移動する画面にはフェンスと植栽の途切れた部分が現れ、画面はそのまま公園の外の住宅地へと出た。
画面は黙々と住宅の間を進み、そしてある家の前で止まった。
画面が向きを変えると正面にはがっしりとした門扉が映し出され、横にある門柱には『岩崎』という表札が掛かっている。
かなり大きな家だ。
門扉は閉じられているが、画面はそれをまた先程のお母さん達と同じように素通りし、閉じている玄関のドアもそのまま突き抜け家の中へと入っていく。
そして応接間に入ると画面の前には息を飲むような凄惨な場面が映し出された。
正面中央のソファには初老の男性が胸から大量の血を流して座っている。
傷の位置からして心臓を一突きされたようだ。もう息絶えているのは間違いない。
そして画面は先に進みソファ横の床を映すと、そこには背中を血まみれにしてうつぶせに倒れている女性がいた。
さらに画面はそこに留まることなく大きく左に振られ、その先にある応接室に隣接した和室を映すとそこには着衣が乱れた若い女性が横たわっていた。
この女性は血を流している様子はない。
気を失って倒れているのか、それとも絞殺されたのか。
しかしよく見ると見覚えのある女性だ。
セミロングの髪にデニムのスカート、そう、あのレンタルビデオ屋にいた女性に違いない。
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◇◇◇◇
画面は再び一瞬の砂嵐を挟んで別なシーンに切り替わった。
先ほどの岩崎家の玄関から家の中に入ったところだ。
いきなりどたばたと暴れるような音が聞こえ、助けて!という女性の金切り声が響いた。
画面が家の中を進み、応接室に入ると先ほどと同じようにソファに初老の男性が胸から血を流して座り、その向こうで黒いジャンパーを着た男が初老の女性を背後から刺しているのが見えた。
前の画面で床に倒れていた女性だ。
黒ジャンパーの男は女性の背中から大型のナイフを抜くと、浴びた返り血を気にすることなくそれを握り直してこちらに向かってきた。
画面はソファの周りを回って男から逃げる様子を見せたが、すぐ捕まったようで目の前に男の顔が迫っている。
「こんな若くてきれいな姉ちゃんがいたとはな。帰ってくるタイミングが悪かったね。」
そう言うと男は画面に向かって両腕を伸ばしてきた。
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◇◇◇◇
また一瞬の砂嵐の後、画面が切り替わるとそこはレンタルビデオ屋と思われる店の中のようだ。
そして入り口を開閉する音がして、店員が「いらっしゃいませ。」と声を掛けるのが聞こえた。
そして通路の向こうから歩いてきたのは・・・
俺だ。
画面の中の俺は近くまで来ると棚の方を向いてDVDを物色している。
画面はずっと俺の横顔を捉えたままだ。
俺がすっとこちらを向いた。
すると、「ホラーがお好きなんですか?」という聞き覚えのある声とセリフが聞こえた。
「いえ、基本はSFですね。でもホラーも観ますよ。」
画面の中で俺が答える。
「このドラマ、先日観ましたが結構面白かったですよ。」
画面に女性の白く細い指が映り、棚にあるこのDVDを指差した。
そして俺がそのDVDを手に取ったところで映像は終わっていた。
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◇◇◇◇
いったいこのDVDは何なのだ?
家の中で人が殺されるシーンは実際の映像とは思えないし、もし実際の映像だとすれば三人が殺されている場面を撮影した人間は警察へ届けたのだろうか。
そして後半は、まるで殺される人間が目の当たりにしている画面そのものではないか。
しかし、フィクションだとすると最後に写っている俺は何なのだ。
つい数時間前の出来事をその時手に持っているDVDに焼き付けるなんて芸当は引田天功でも無理だ。
このシーンは俺の記憶と寸分違わない、あのビデオショップにいた女性側の視点の映像なのだ。
ふと思いついてDVDの奇妙な映像をもう一度再生し、公園に入るところで画像を止めた。
公園の入り口の脇には石の柱が建っており、そこには『日野市立 谷原第三児童公園』と彫ってある。
ネットで調べてみるとここからそれほど遠くない。
翌朝、俺はその児童公園へ行ってみることにした。
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◇◇◇◇
その公園は入り口も砂場もあの映像の通りだが、まだ早い時間のためか今は誰もいない。
俺はあの映像が進んだ通りに移動してみる。
砂場を横切り、お母さん達が立っていた辺りを進んで行く。
― 来てくれたんですね ―
いきなり頭の中に直接声が聞こえ、振り返ると公園のもうひとつの出口の向こうにあの女性が立っているのが見えた。
相変わらずの服装でひと目見てそうだと気付いたが、昼間のせいなのだろうか、若干透き通っているような気がする。
その顔に笑顔はなく、無表情のまま俺に向かって手招きをしていた。
彼女はどう考えてもこの世の存在ではない。
これまで幽霊と呼ばれる存在に会ったことはないが、間違いないだろう。
そうだとすると、あのビデオの映像は本物だという事か。
目の前に立つ彼女の姿は映画で見るようなおどろおどろしい姿ではないが、幽霊だと思うとやはり恐怖が胸に湧きあがってくる。
しかし手招きする彼女に、俺の足は何故か吸い寄せられるかの如くそちらへとふらふらと進んだ。
すると彼女はくるりと背を向け、ついて来いと言わんばかりに住宅街の方へと、まるで滑るように移動し始めた。
俺は彼女の背中を追って五メートル程後ろをついて歩いていたのだが、ある家の角を曲がったところで彼女の姿を見失ってしまった。
周囲をいくら見回しても彼女の姿は何処にもない。
しかし、この場所には見覚えがあった。
あのビデオに映っていた家の辺りだ。
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そして十メートル程進んだところには、確かに岩崎家の表札がかかった大きな家があった。
しかし固く閉ざされた門の外から覗く限り、特に殺人事件があったような物々しい様子は全く見られない。
考えてみればこのような閑静な住宅地で一家三人が殺されたとなればニュースにならないはずはないが、今朝のテレビでもそのようなニュースは流れていなかった。
あのビデオの撮影場所こそ、ここに間違いないのだがあの殺人はやはりフィクションだったのだろうか。
それとも殺された三人はまだこの家の中で発見されるのを待っているのか。
それとも遠い過去の話なのか。
その時たまたま犬の散歩の途中の女性が通りかかった。
思わず呼び止め、この近所で殺人事件がなかったか聞いてみたが、聞いたことがないという返事だった。
さすがに他人の家へ勝手に入ってみる訳にもいかず、俺は一旦自宅へと引き上げた。
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◇◇◇◇
マンションに戻り居間に入ったところで俺は固まってしまった。
なんと彼女が居間の隅に膝を抱えた体育座りで座っているではないか。
その態勢で俺の顔をじっと見つめている。
しかし彼女は何も言わない。黙って俺の顔を見つめているだけだ。
彼女が幽霊なのはわかっている。
しかし、何というか・・・逃げそびれてしまった、と言えばいいのだろうか。
「何で君がここに居るの?」
先程一度見掛けていたこともあり、先ほどのような恐怖心は湧かず、逆に彼女に対する好奇心の方が勝っていた。
しかし彼女は何も答えてくれない。
「君は、あのビデオの通りに殺されたの?」
彼女は黙って頷いた。
俺はいつの間にか彼女の前に正座していた。
「それで、なんで俺にあのビデオを見せて、そしてなんで俺の所へ来たの?」
彼女はまたじっと俺の顔を見つめた。
まるで、自分で考えろ、考えれば分かるだろう、と言っているように感じられたが俺にはさっぱりわからない。
先程公園で一瞬話し掛けてくれたのだから、話せないわけではないだろうに。
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ところがその日の夕方のニュースで、日野市谷原の住宅で親子三人が殺されているのが見つかったというニュースが報じられていた。
画面に映る住宅地の映像から、あの家に間違いない。
彼女の名は岩崎亜衣と言うらしい。
遺体は今日のお昼過ぎに尋ねてきた知人により発見されたようだ。
そして驚いたのが、その数時間前にこの辺りで殺人事件がなかったかと不審な若い男が、現場を通りかかった近所に住む主婦に尋ねていたことが分かっており、警察はこの男が何か事情を知っているものとして行方を追っているとニュースは告げていた。
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これはまずいことになった。
俺はあの犬の散歩をしていた女性に聞いてしまった自分の浅はかな行動を反省したが、こうなっては仕方がない。
俺はあのDVDを持って、潔く日野警察署に出頭したのだった。
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◇◇◇◇
正直に事情を説明したのだが、当然のごとくすぐには信用して貰えなかった。
しかし警察の人達と共にあの映像を確認すると、彼らも信用せざるを得なくなった。
現場は犯行の舞台となった岩崎家に間違いなく、なんとあの映像に写っていた犯人の黒ジャンパーを着た男が第一発見者だったのだ。
警察署にいる間、岩崎亜衣の幽霊はずっと俺の傍にいたのだが、周りの誰も彼女の存在には気づかなかった。
とにかく事件はあっという間に解決の方向へ向かい、俺はその日のうちに解放されて彼女と共に自宅へと戻った。
そしてその翌日、あの男が逮捕されたことを岩崎亜衣の幽霊と並んで観ていたテレビのニュースで知った。
犯行に及んだ動機は、岩崎亜衣の父親が男に貸した金に関するトラブルが原因のようだが、身勝手な動機で三人を殺したのだからおそらく死刑だろう。
するとニュースを観ていた彼女は、俺の顔を振り返って、にやっと笑ったのだ。
俺はその顔を見て、彼女はあの犯人が逮捕されることを望んであのDVDを俺に託したに違いないと確信した。
犯人が逮捕されたことで、きっと彼女は思いを遂げたため消えていなくなってくれるだろう、
そう思ったのだが、彼女は消えることなく俺の傍に存在し続けた。
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翌朝のニュースでも犯人逮捕のニュースが流れていたが、それを見ていて俺はあることを思い出し、顔色を変えて急いで日野警察署へ駆け込んだ。
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◇◇◇◇
「すみません!あのDVDの返却期限が今日なんです!
返さないと延滞金を払わなきゃいけない!いますぐ返して貰えませんか⁉」
すぐ後ろで、岩崎亜衣の幽霊が”ぷっ”と吹き出す笑い声が聞こえた。
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「お前が犯人を捕まえるために俺に押しつけたDVDだぞ!
延滞金はお前が払えよ!」
警察官の目の前で、俺は誰もいない空間に思わず叫んでいた。
…
◇◇◇◇ FIN
作者天虚空蔵