これは私、多米内芳男(ためうち・よしお)の遭遇した変な話である。
当時、下宿もアパートも全部予約待ちだったから、進学準備期間だったのではと記憶している。地元から他県に出て、斡旋(あっせん)業者を頼ろうとしたが、長蛇の列で時間が掛かっていた。
その際、何故か一軒家がアパート並みの安さで物件として出ていたが、担当者が「事故物件と言うか何と言うか」とハッキリしない物言いをするので、「どっちなんです」と同行してくれていた親父が訊き返して、変な音がするとの話を聴いた。
「暫く泊まるか。変な音がしなきゃ俺は地元に帰るよ」
有給を取って同行してくれている親父が、休暇の終わるギリギリ迄居てくれると言う。
震災で損壊した自宅の再建された知り合いの学生から譲って貰ったと言うバールを片手に、屋根裏を探索するかと言う、どっちが長く住むか分からない感じで、親父がノリノリなのが何ともである。
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電灯を点(つ)けようと、親父が蛍光灯の紐(ひも)を引っ張ろうとすると、
コン!
「痛(いて)ェ!」
ふと私は親父を見ると彼は額に手を当てていて、忌々(いまいま)しそうに畳に転がる物体を見る。
────筆?万年筆か。
明らかにおかしい。急に物が現れて落下して来たとしか思えない状況、尚且つ驚きもせず怯えもせずに、天井を睨む親父、トンと机に拾った万年筆を叩き付けるで無く穏やかに置くと、晩飯の材料の買い出しに行くと私に告げて、部屋を出て行った。
私は、400字詰めの原稿用紙を鞄(かばん)から取り出して机に向かい、スっと万年筆をその上に立てる。
「!」
いきなりサラサラサラと手が動き始めて、文字が産み出され、原稿用紙の上を踊る。
「え、わ、わ、わ、わ!」
自分の字では無い、何だか読みにくい字をカリカリサラサラと万年筆が産み出して行く。
シャラ!
本来の身体の持ち主である私の意思を、今風に言えばガン無視する形で、もう一枚原稿用紙が取り出されて、万年筆が紙の上で踊る。
幾頁(いくページ)、いや幾枚(いくまい)かの原稿用紙の上で踊りまくった万年筆は、やっと私の手から離れてくれた。
引き戸のカラカラとした音が階下からして、親父が買い出しから戻ったのが分かる。
「煮込みうどんにするぞ」
「ハーイ」と私は、親父を手伝いに階段を降りた。
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十数年振りに親父の晩飯を喰っている。
あの訳の分からない状況にて筆を走らせていた私は、酷い空腹を覚えた為、ズルズルと頂いている在り様だ。
親父はと言えば、二階から持って来た私の手が勝手に動いて筆を走らせていた原稿用紙を、ひたすらに読み返している。
「芳男(よしお)、お前の字じゃ無いよな………」
手続きで私の署名も必要な為、親父は幾度も私の手許や記入漏れが無いか確認してくれてもいるから、我が子の字とは明らかに違う事に、違和感を覚えたのだろう。
「うん」
「────何処かで見た字なんだよなァ」
親父の言葉に私は箸(はし)を止めた。
「え?」
「ちょっと、この原稿用紙貸してくれ」
「────良いけど」
「風呂は沸いてる。御入(おはい)り」
居間を飛び出して引き戸の在る玄関に出た親父は、スマートフォンを取り出して、何処かに電話をし始める。
進学先に私が選んだのは知り合いも居ない他県の土地の筈なのに、何だか電話口の様子から誰か知り合いと逢う段取りが整った様子を、私は脱衣所のドア越しに聴いていた。
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数日後、その日もオリエンテーション中心の講義が終わった私は引き戸を開ける。
親父の履いている黒い革靴の他、茶色く見慣れない革靴が玄関すのこの前に置かれていて、居間で親父と親父に年齢が近い感じの男性が向かい合って座っていた。
「只今ー、あっ、失礼しました」
「芳男、俺の同期生で編集者の福又(ふくまた)だ」
「福又です」
「息子の芳男です」
「本当にお前の子か。礼儀正しくて良い子じゃないか」
「馬鹿っ」
言葉遣いこそ乱暴だが、互いの信頼感が伝わって来る。
私は親父に座る様に促される。
親父の額に落ちた例の万年筆と、私が或る意味身体を乗っ取られる格好で書いた、原稿用紙の上で踊る文字の列挙が食卓に置かれていた。
「実はね、芳男君………この万年筆は」
「ハイ」
「亡くなった作家が愛用していた奴なんだよ」
「!」
「しかもな芳男、お前が走らせたこの文章と字がな………」
「?」
「その作家の文字と文章って話だ」
「えっ!!」
「いわゆる憑依か何かして、お前に書かせた………って話になるのか」
私の目を見てから、福又さんに確認の目配せをする親父。
「そ、それで………訊きたいんですけど………」
「何かな」
「うん、言って見な」
「子どもは首を突っ込むな」を地で行くいつもの親父らしからぬ表情と、福又さんのにこやかな目付きで、私は訊く。
「その作家さん、先生はどうして亡くなったんですか」
「────芳男君、あの地震だよ」
寂しそうに、私に福又さんは答えた。
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かつてその作家────宮手哲二(みやて・てつじ)先生の担当編集者を務めていた福又さんは、3月に部署配属2年目の若手の女性編集者と入れ替わる形で、引き継ぎを終えたのだそうだ。
宮手先生や助手を務める奥さん、それと女性編集者が取材の為、自動車を走らせて遠出していた際に、あの2011(平成23)年3月11日の震災が発生し、海辺から逃げていながら津波に巻き込まれて、三人共、助からなかったのだと言う。
車輛さえ呑み込まれ、何故か瓦礫の下から唯一、宮手先生の万年筆が見付かったのだとも。
文字の踊る様な原稿用紙を読み返し、福又さんの目には涙が浮かんでいた。
「『申し訳無い、申し訳無い。妻も担当編集者の女の子も連れて来てしまった。妻の親御さんにも、担当編集者の女の子の親御さんにも詫びても詫びても足りない、足りない足りない』………先生っ」
私が身体を乗っ取られる格好で書いていた文章の正体だそうだ。宮手先生の文字は癖が有る為、パソコンに打ち込むのは至難の技であり、福又さんや亡くなった女性編集者みたいに限られた人間が解読出来る代物だった………
後悔にまみれた、遺書で無く無念のメッセージが綴(つづ)られていた事になる。
カリっ、サラサラサラ………
誰も居ない筈の二階から、有る筈の無い万年筆を走らせる音がする。万年筆は、目の前に有る。
本来ならば身のすくむ思いだが、作家や奥さん、そして女性編集者を思えば、何故か怖くは無かった。
そう、これから又寝起きする場所から、三人の声が聞こえて来ていても。
作者芝阪雁茂
三つの御題より。
作家の話と言うのは固まっておりましたが、交通事故だったのか、狂って異物を貪(むさぼ)ったのかと色々考えましたが、主人公に憑依しての無念のメッセージへと結び付きました。
2022(令和4)年10月27日脱稿