「先輩先輩、あれ、見て下さい」
仕事の外回り、帰りの時間、車を運転する後輩の溌剌とした声に俺は反応を示した。少し疲れていたせいもあってか。いつの間にか仮眠を取っていた。
「なんだ?」
眠い目を擦りながら後輩が運転席の窓に指を突き刺していた。今、車は信号待ち中である。
「あれ、ですよ。ア・レ」
生憎、あまり視力がよくない俺は目を細めてそれを見る。
「え? なんだあれ……」
「ね? 珍しいですよね」
見ると、反対車線の歩道におじさんがひとりで歩いていた。いや——正確にはおじさんと一羽と言った方がよいか。
「なんであの人、頭にフクロウなんて乗せてんだよ」
「さぁ、なんでだと思いますか?」
後輩が身体を左右に揺らしながら問う。なんだかとても楽しそうな、それこそ、小学生時代によくやった『なぞなぞ』を出す感覚の声色だった。
「鳥かごを持ってなかったからじゃないか?」
俺は一興する事もなく、シンプルに回答をする。後輩は、うーん、と唸りながらかぶりを振った。
「そうですか。そう考えますか——」
そして一秒ほど、感覚を空けてまた口が開く。
「実はですね。私見たのです。昨日もあのおじさん」
後輩は自分の事を、一人称が『私』だ。男のくせに、ドラマや本の世界でよく耳にする印象だが、実際それを素で聞かさると多少の違和感を覚えてしまう。しかし、見た目が童顔で中世的な印象があるが故に頷ける部分はある。それに加え、この人懐っこさ、相手の懐に入り込むのが上手い。
「二日連続でフクロウを頭に乗せて歩いているのか」
街で普通にフクロウを頭に乗せて歩いてるだけで相当目立つ。実際、今も行き交う人の二度見が生まれ、電線に群がるカラスに威嚇されている。しかし、フクロウは小さくハネを羽ばたかせるだけで、表情を変えない。いや、そもそも鳥類に表情なんてあるのか? カラスだって威嚇しているだけ、と安易に決めつけてようものだろうか。
「いえ、違いますよ。昨日はちゃんと鳥かごに入れて歩いてました」
「え?」と俺は目を見開かせる。
「じゃあなんで今日は頭に乗せてるんだよ」
「そこが謎ですよね〜」
揚々とした口調で言う。
「先輩はなんでだと思いますか?」
「単純に考えて鳥かごをなくした?」
「ええ!? 鳥かごを? あんな大きな鳥を入れるかごをそう簡単になくします?」
信号が青に変わり、後輩は車のアクセルを軽く踏む。次第にあのフクロウおじさんとの距離も空いてしまい、見えなくなる。なんだかとてつもない消失感に駆られた。そして、そんな俺の姿に後輩は言葉を発した。
「先輩、聞いてます? 目が虜になってますよ。アレに」
そう言って悪戯じみた嗤いを零す。
「ああ、実際去ってみたら気になってしまうじゃないか」
「まぁ、珍しい光景ですからね。で、先輩はあの人は鳥かごをなくしたと信じ切れますか?」
そう問われると、確かにおかしな話だった。
「いや、それか忘れてきた、とか」
「どこにですか」
妥当な返答に言葉を失う。しかしまた次の案が浮かんだ。
「単純に楽だからじゃないか? 鳥かごに仕舞うより頭や腕に乗せた方が移動手段として便利がいい」
「なるほど、しかし、それでは逃げ出してしまうリスクが大きいと思いませんか?」
「まぁ……」と俺は首を傾げる。
「それに楽、ですか……先輩には見えなかったかもしれませんが、逃げ出さないように工夫がされていました。フクロウの爪には縄で飼い主の軍手で結び、背中にフクロウの脚をチェーンで縛るリュックを背負ってました。なのであれが『楽』とは断言できません」
「昨日は鳥かごに入れてたんだろ? じゃあ気分転換に別の行動をとってみたかったとかならどうだ?」
「気分転換ですか……」
こんな事言うのも野暮かもしれないが人はその日その日の気分で行動なんて一変する事などざらにある。
「そう。だからあの人は——」
そう言いかける途端、パタっと音が車のボンネットを鳴らした。次第にその音は激しさを増す。
「今日は朝からずっと曇りでした。いつ雨が降るかわからないこの空の中、わざわざします? 気分転換なんて」
「うーん……」と俺は項垂れた。ちょうど、大きな交差点を左に曲がるタイミング、ウィンカーがカチカチと鳴っている間、ひとつの疑問を抱いた。
曲がり終わると同時にそれを発してみた。
「いや、そもそもあの人、なんで二日連続でフクロウを移動させたんだろうな」
「いい考えですね。私が思うに旅行だと思うです」
「旅行?」
「ええ、実はですね。あのおじさん、昨日は反対方向を歩いてまして、今日はその帰りなんじゃないかな、と思うのです」
新たな情報が増えた。
「おい、なんでそれを先言わないんだよ」
「ちょっとずつ事実が明らかになっていった方が先輩も楽しいでしょ?」
「事実? ならお前はまだなにか隠してる事があるのか?」
「さぁ、どうでしょうね……」
後輩の運転する横顔、口元の笑みを隠しきれていない。完全に俺を遊びに使ってる。付き合わされるこっちの身にもなって欲しいものだ。しかし、妙な好奇心を抱いている節はある。
「旅行に普通、犬以外のペットを連れて行くか? 俺だったら知人や店に預けるぞ」
「そうですね。でもあのフクロウ、あのおじさんのペットかどうかもまだ確定してませんよ?」
「ペット以外になんだって言うんだよ」
「実はおじさんはフクロウを届ける仕事をしているって可能性もあります。私は昨日あのおじさんを見かけました。でも、フクロウはかごに入っていて昨日のフクロウと同一かどうかはわからりません」
「じゃあ仮にお前の説が合っていて、あの人がその仕事中だったとする。じゃあ尚更、鳥かごの方が安全じゃないか?」
後輩は、やや引き摺った表情になる。ここで初めて俺の案が優勢になったと言うべきか。なんとなく心の中でガッツポーズをとる。
しかし、その余韻に浸る時間を奪うかのように後輩は、ふっ、と半口を開ける。
「やだなぁ〜先輩、そうだとしたら移動は車の筈ですよ。つまり、あのおじさんはフクロウお届け人ではありません。冗談ですよ」
口調こそ慇懃ではあるが、こちらは完全に揶揄われている様子に感じる。
「じゃあ結局なにも話は進んでないじゃないか。一体なんの時間だったんだよ。頭がおかしくなる」
「じゃあ考え方を変えましょう。こう言うのはどうでしょう」
話口調が少し変わる。飄々とした態度が消え、どこか落ち着いた雰囲気を醸し出す。まるでこれから、怪談話でもするかのようなトーンだ。
「結局ですよ。あのおじさんは鳥かごを持っているのです。それは昨日私が見たので事実になります」
「まぁ、そうなるな」
「ではですよ? 仮に……仮にですよ。『持っているのに使わなかった』ではなく『持っているけど使えなかった』に言葉を変換すると如何でしょうか」
その口調に妙な感覚が走った。
「……同じ意味じゃないのか?」
「違います。鳥かごの使用が出来なくなる理由が生じてしまいます」
俺は首を傾げながら先を促した。
「例えば、鳥かごが何かの拍子に壊れてしまった、と考えるとどうでしょう」
「どこかに落としたかもしれないって事か?」
「そうですね〜。しかしですよ。そうしたら次のおじさんの行動は鳥かごを買いに行く、じゃないですかね?」
「フクロウも連れて行ってサイズを見たかったんじゃないか?」
「それだと、壊れた鳥かごを持っていった方が早いし安全です。持ち出しできないぐらい壊れてしまった場合でも、原型をスマホで撮るなど、メーカーを控えるなど、方法は幾らでもあります。その中で、フクロウを頭に乗せて連れていく、と言う選択肢を取りますかね? しかもこの雨の中」
「……でも、実際フクロウは頭に乗ってたじゃないか。他にどんな可能性があるんだ」
「もし……鳥かごを『誰にも見られたくない』って状況だったとしたら如何でしょう」
「なんだそれ……どういう状況なんだよ……」
少しの間、車内は静寂として、雨音が虚しく車を叩く。
「あのデカさのフクロウを収納できるサイズの鳥かごですよ。使用方法を考えてみて下さい。フクロウを鳥かごの中に入れる意外の使用方法をです」
また信号待ちで停車する。後輩は両手を使ってフクロウのサイズを表した。大体六十センチ程、左右の掌で虚空を作ってみせた。
「おいおい、なんか物騒な物言いになってないか……?」
すると、後輩は目を瞬かせた。
「あれ? 先輩は一体なにを思い浮かべているのですか? 物騒ですか……用途がなんなのか想像できますか?」
「そりゃ……お前の口調もそれを指しているじゃないか、どこか誘導してるように聞こえるのだが」
「えっと……先輩は人を殺した事があるのですか?」
今度はふわりとした口調、また悪戯っ子のような表情に変わる。
「なんでそうなるんだよ?」
「だって普通そう考えませんよ? 経験者なら別かもしれませんが」
嫌な時間だった。大変不愉快な思いになる。
「あっははは! 先輩、冗談ですよ。私が誘導しただけですよね。それこそ実際見た訳ではないのですからそのその線は薄いと考えのが普通ではないのでしょうか」
「いや——」
俺がそう言いかけた時、ちょうど職場についた。
「じゃあこの話はここで終止符といきましょう。もう会社についてしまってしまいました。先輩はそのまま直帰でしたね。私はまだ事務所内の作業があるので暫く会社に残っています。先輩は疲れているご様子なのでそのまま自宅でゆっくりして下さい」
後輩が車のエンジンを切り、俺は車の外に出る。後輩を残してドアを閉めようとする。
「あっ先輩」
半開き状態のドアの隙間から薄らと声がする。後輩の方を見た。
「ごめんなさい先輩。さっきの話、嘘を交えてました」
「え?」
「実は昨日、私はあのおじさんを見ていません」
後輩の表情はまるで、子供が悪さをして、親に自身の罪を証言してるような顔つきになる。
「なんでそんな嘘ついたんだ?」
俺は目を見開き、後輩の顔をしげしげと眺めた。
すると、また顔つきが変わった。今度は、どこか今までにない顔つき、一言で言えばミステリアス、例えるなら、どこかのインチキ占い師のように視える。
ゆっくりと俺を指さして言う。
「それは明日、わかると思います」
予言者のような言葉を言い残してドアが閉まった。
◇◇
あの後、俺は疲弊した身体を癒す為、すぐに床へついた。およそ十時間程、眠っていた。
起きて、とりあえず風呂に入ろうと思い、湯船を溜める。
その間、テレビのリモコンを持ち、適当にザッピングしていた。その時——。
朝のニュース番組でこの街で殺人が起きたとニュースキャスターが言っている。
——この街。
心臓の鼓動が揺さぶられる。
まだ犯人は見つかっていないそうだ。現状は死体が発見されたのみ。
問題は凶器だ……。
俺はテレビの音量を上げた。
テレビの中の人物は言う。
『犯人は被害者の胸を刺し凶器を残さず逃亡——」
鳥かごではない。
正確に言えば凶器はアイスピックだ。
俺が今、床から広い上げた『コレ』が凶器。
——先輩は人を殺した事があるのですか?
——それは明日、わかると思います。
あいつの声が脳裏に響く。あいつ……どこまで把握しているのか……。
調べて見るとフクロウの飼い主は普段、フクロウと一緒に散歩するそうだ。
作者ゲル
おひさです。